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2008年11月

安曇野「大王わさび農場」と「もえぎ野そば」

中央フリーウエイを早朝に出発、今は午前五時というとまだ暗い、早朝は高速代が割安なせいか思いのほか車が多い。甲府の先、双葉SAで朝日が富士山の雄姿をシルエットで浮かびあがらせている。日の光を浴びた八ヶ岳連峰の雪化粧がきれいだ。2008_11_22__2670 2008_11_22__2675

豊科ICを降りて大王わさび農場に向かう。雲の間に見える雪化粧の北アルプスを眺めながら、田んぼの中をしばらく走ると農場に着く。2008_11_22__2720 2008_11_22__2834

『大王わさび農場は大正4年から開拓が始まり、約15年の歳月をかけて15ヘクタールにおよぶ日本一のわさび田を完成した。 ここに湧き出る北アルプスの雪解け水は、わさび栽培に欠くことのできないものである。一日に12万トンもの伏流水がこんこんと湧き出し、水温は年間を通じ13度Cを保っている。この水はわさびの生育に必要な養分を豊富に含み、湧き出すそのときに酸素をたっぷりと取り入れ、水流となってわさびを育んでいる。農場周辺の湧水は〈安曇野わさび田湧水群〉と呼ばれ、環境庁の名水百選に選ばれている。』と農場の説明がある。2008_11_22__2752

湧水の蓼川の水車小屋を見ながらわさび田を散策する。わさび田の上を橋のように散策路がある。雪化粧の北アルプスと青い空の下わさびの白い花を見ながら小路を歩く。名水百選の水のみ場に出る。

遅い紅葉とわさび田の緑がきれいなコントラストを見せる。赤いもみじの葉の枝には「じょうびたき」の夫婦が姿をみせ高い空には「とんび」が輪をかいていた。2008_11_22__2774

売店の中はすべてわさび、わさび・・・、わさび漬け、わさび蕎麦、わさびソフト、わさびワイン、わさびせんべい、わさびビール、わさびコロッケ・・・     わさびは日本原産のハーブで、優れた抗菌作用を持つ、脳血栓や心筋梗塞を防ぐ作用や制ガン作用などがあるという。わさびを食べて長生きしよう。

わさび田を後に東筑摩郡朝日村に向かう、車で30分ぐらい。あさひプライムスキー場入り口に、あさひそば打ち道場「もえぎ野」がある。2008_11_22__2820

ここの蕎麦は、石挽き自家製粉により「挽き立て」「打ちたて」「ゆでたて」の「三たて」の基本にこだわる。

中に入るといっぱいでしばらく待たされる。店主が采配を振るっていてテーブルの片付けはきびきびしている。観光バスで団体様が入ってきた・・なかなかの賑わいである。20分ほど待つと相席ですわれることになった。

お勧めは、旬の山菜、きのこ、野菜等を使った郷土色豊なそば料理である『とうじ蕎麦』一人前1、365円・・・二人前よりとなっている。

配膳のおばさんに食べ方を聞く。食べ方は昔から地元に伝わる懐かしい食べ方・・・蕎麦のだし汁の入った鍋に具を入れ蕎麦を竹で作った取っ手のついたざるのようなもので湯どうしするようにして食べる。わかりやすく言うと蕎麦のしゃぶしゃぶのようなものである。こういう食べ方を「とうじる」というらしい。なかなかこれがうまい。熱い鍋なのでふうふう言いながらそばを食べる。天気がよかったのでやはり「ざる蕎麦」にすればよかったかなと思いながら、汗をぬぐいながら食べる。たくさんの量があるのがうれしい。2008_11_22__2819

昨今TV番組で取り上げられたとかで大変混雑している。店の中は広いのでかなりの収容力はある。蕎麦は更科系で食べやすい、各地ではいろいろの蕎麦があるが、どれもそれぞれのよさがあり、やはりその地域での環境で食べるのが一番おいしい。近くに来たときは、また寄ってみたいところだと思った。

平山城址公園・季重神社

高幡不動駅で特急を降り、普通電車で二つ目の平山城址公園で降りる。駅名がそままなのでわかりやすい。改札を背にして20mほど歩くと川崎街道に出る、信号を渡り左に折れ最初の道を右に向かうと正面に宗印寺が見えてくる。2008_11_01__2455

本堂に向かって右手、石段を登ったところの小さなお堂に平山季重(すえしげ)坐像(日野市文化財)、地蔵菩薩像、千躰地蔵が安置されている。千躰地蔵は金泥をほどこした10cmほどの小地蔵で、地蔵菩薩の両側に500体ずつ並んでいる。お堂の隣には平山季重のお墓がある。

さらにその先には木造薬師如来坐像(平山薬師)がある。左手に薬壺を持つ寄木2008_11_01__2436造の坐像で、高さ33cm、朱衣金体に彩色されている。薬師如来は人々の心身の病苦を救うとされるが、この薬師は平山薬師と俗称され、特に眼の病を治すことで厚く信仰されている。

お寺と神社が同居しているような感じだが、お寺の本堂の右奥に鳥居が見える。ちょうどペンキの塗り替え作業中であったが赤い立派な鳥居である。地元の人々には「万福さま」とよばれている平山天神宮である。勉学の神様として知られ、鳥居の手前に学業成就の神力水が湧き出ている。 平山季重(すえしげ)座像と並んで神牛がある。受験生には御利益があるかも。・・・・2008_11_01__2432

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鳥居をくぐり石段を登ると社がありさらに急なのぼり坂を登ると平山城址公園へと続く。平山氏が見張り台や砦を築いていたところである。コナラ、エゴノキ、アラカシ、アカマツ、マルバアオダモなど比較的大きな木とヒヒサカキ、ムラサキシキブなどの背の低い木が混在した雑木林や小さな沢、池があり多摩丘陵の面影をしのぶことができる。子供を遊ばせる若いお母さん達や昔若いお母さんだった人たちが公園で自然を楽しんでいる。平山城址公園を出ると、東京薬科大学のキャンパスになり薬用植物園がある。2008_11_01__2440

公園の一番高いところに季重神社がある。普通は鳥居の正面に社があるがここは鳥居から見ると社の裏側が見える。鳥居をくぐり180度回って参拝する感じである。いろいろな神社に参拝するがこういうのは珍しいと思う。きっといいことがあるだろう、二礼二拍手・・・で安全と健康をお願いする。2008_11_01__2447

石舞台古墳

明日香村は、国営飛鳥歴史公園というだけあって、すべて名所旧跡、古墳などなど・・・さぞかしここに居住されている方は観光客に迷惑?  しているのかなと思うほどである。

古都を訪ねる者の身のしてみれば、古きをたずねて心の安らぎを求めているのだが・・・・2008_10_18_2364

飛鳥駅を背にして東方にしばらく行くと坂を上る途中に石舞台古墳がある。桜の木々に囲まれた高台に大きな石が積み上げられている。ちょっと見たところでは古墳というイメージではないが中に入るとその大きさと巨大な石の天井に驚く。

■入場券の解説によると・・・・

「この石舞台古墳は、横穴式石室を持つ方形墳で、築造は7世紀のはじめころと推定されます。す2008_10_18_2369_2でに古墳上部の封土は失われ巨大な天井石が露出した姿になっています。被葬者は不明ですが、6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかといわれています。

昭和8年と10年に本格的な発掘調査が行われ、その結果、玄室の長さ7.8m、幅約3.4m、高さ4.8mで大小30数個の花崗岩が使用されており天井に使われている石の重さは、北側が焼く64t、南側が約77t、総重量は約2,300tという大規模な古墳であることが判明しました。

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『石舞台』の名の由来については、一般には石の形状からとされていますが、昔狐が女性に化けて石の上で舞を見せた話や、この地にやってきた旅芸人が舞台が無かったので仕方なくこの大石を舞台に演じたという話もあります。もちろん今は石の上に登ることは禁止されています。」とある。

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このように古代の建造物を見ると、ピラミッドもそうだがどのように作られたのかが思い起こされる。しばしちかくの草むらに腰をおろし、当時の築造の風景を思い巡らしながら明日香の夕暮れにしばしときを忘れてしまった。

高松塚古墳

11月に入りやっと秋らしくなってきたが、今年の紅葉はちょっと遅い感じがする。家の周りも、一部唐かえでが色をつけはじめた。10月は同居の義母が亡くなり、納骨まで喪に服したということでブログの方はしばらくご無沙汰してしまった。納骨には奈良まで行ったので、帰りに明日香村を散策、高松塚古墳を見てきた。2008_10_19_2217

高松塚古墳は昭和47年3月発見され、壁画は国宝に指定され保存上一切公開されていない。

現在古墳は修復中なのか建築用の囲いで覆われていたが囲い越しにカメラをむけてみた。2008_10_18_2329

古墳の隣接地に高松塚壁画館があり、中には石槨内部の模型と壁画の忠実な模写・摸造されたものが展示されていた。

彩色壁画は西壁に男子群像、月像・白虎、女子群像、北壁には玄武、東壁に女子群像、日像・青龍、男子群像が描かれている。どの像も優れた筆致で実に細かく描かれている。2008_10_18_2332

■彩色壁画発見まで・・・という説明書があった。

「高松塚古墳は飛鳥地方の西南部に位置し、この一帯は桧隈と呼ばれています。渡来人が特に居住したといわれ、周辺には天武・持統、欽明、文武の各皇陵や中尾山古墳、岩屋山古墳などが築かれています。江戸時代のころ、高松塚は文武天皇陵ではないかと伝承されていた記録も多く見られます。

地元の人が墳丘の南斜面で作物貯蔵用の穴を掘ったところ凝灰岩の切石を発見、これがきっかけとなって昭和47年3月から調査が行われ壁画発見となったのです。」2008_10_18_2359

奈良は生駒、金剛山地と吉野山と四方を山に囲まれた盆地の中にあり町並みが非常にきれいである。これからも歴史上の大きな発見というロマンが潜んでいそうな古都である。2008_10_18_2361                                     

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