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2009年2月

続 牛島神社

ところで、牛島神社といえば、私のふるさとのちかく、長野市に牛島という地域があり、そこに神社がある。ここは、甲武信岳を源とする千曲川と北アルプスを源流とする犀川が合流するところで、古くから水害の脅威にさらされていた。16世紀末からあるといわれるこの牛島神社も、何度も流されている。

合流地点にかかる橋は「落合橋」といい、約5~600mはあったと思う。四十年も前になるが、木の板を並べた橋で、バスの乗客は降りて歩いてわたる。その後に空のバスが橋を渡り対岸でまた乗り込む。・・・・今考えるとずいぶんのんびりしていたものだと思う。洪水の時、当然橋は流されて通行止めとなる。今ではりっぱなコンクリートの橋になり、ひっきりなしに車が行き交っている。

学校では「輪中の村、牛島」と学んだ記憶がある。輪中とは村の周囲を水害から守るために環状に堤防を築いたものである。江戸時代、松代藩の築堤に始まり明治初期まで築堤は続いていたといわれている。現在では河川の改修工事により、その面影を探すことさえ難しくなっている。

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善光寺仁王門

「牛に引かれて善光寺参り」、今年は、七年に一度の長野善光寺御開帳の年である。09年4月5日~5月31日まで、善光寺本堂に安置されている御本尊“一光三尊阿弥陀如来”、普段は御宝庫に安置されているが七年に一度、特別に拝むことが出来る。

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同時に六善光寺同時御開帳が行われる。これは、山梨県の甲府善光寺、長野県飯田元善光寺、岐阜県の岐阜善光寺、岐阜県関善光寺、愛知県祖父江の六寺である。

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何かと牛に縁がある。長野ではりんごを食べて育った信州牛、「アップル牛」と言われ有名である。晴れた日には、遠くに北アルプスが見える保科温泉のお風呂と、地元の酒“保科”甘口の女性向けではあるがお勧めである。

「牛の歩みも千里」・・・世界同時不況と言われているが、世界中がゆっくりでいいから前に進んで欲しいと思う。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」・・・『史記』の成句である。寄らば大樹でなくベンチャー精神での起業により、外需依存型から内需拡大で繁栄できる国を造りたいものである。

 丑年 年男 牛島神社

今年は丑年ということで、丑にちなんで向島の牛島神社に行って来た。隅田川の東岸、言問通りをはさんで、水戸黄門様の徳川光圀公の邸跡。墨田公園の隣にある。大きな木が繁り森の中にいる雰囲気である。

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墨田川と言問橋

東武線「業平橋駅」から歩いて5分。営団地下鉄「浅草駅」から墨田川を渡り10分ほど。半蔵門線「押上駅」からも歩いていけるが13分ぐらいかかる。

牛島の由縁は、JA東京の「浮島の牛牧」の説明によると

『文武天皇(701~704)の時代、現在の向島から領国辺にかけての牛島といわれた地域に、国営の牧場が設置されたと伝えられ、この周辺もかつては牛が草を食んでいたのどかな牧場で、当牛島神社は古代から牛とかかわりの深い神社でした。

大宝元年(701)、大宝律令で厩牧令が出され、平安時代までに全国に国営の牛馬を育てる牧場(官牧)が39ヶ所と、天皇の意思により32ヶ所の牧場(勅旨牧)が設置され、この付近(本所)にも官牧の「浮島牛牧」が置かれたと伝えられています。

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時代は変わり江戸時代、「鎖国令」が解けた事などから、欧米の文化が流れ込み、牛乳の需要が増えることとなりました。明治19年の東京府牛乳搾取販売業組合の資料によると、本所両国、太平町、緑町、林町、北二葉町と、本所でもたくさんの乳牛が飼われるようになりました。とりわけ、現在の錦糸町駅前の伊藤左千夫『牛乳改良社』や寺島の「大倉牧場」は良く知られています。』とのことである。2009_02_19__8053

本殿の前には、全国的にも珍しいといわれている三輪鳥居(三つ鳥居)と「狛犬」の代わりに「狛牛」があるので驚く。とにかく「牛」が多いのが特徴である。

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有名なのが「撫で牛」(青銅製)・・・自分の体の悪いところをなで、牛の同じところをなでると病気が治るという。牛島神社の撫で牛は体だけでなく心も治るという御利益があると信じられている。また、子供が生まれたとき、涎掛けを奉納し、これを子供にかけると健康に成長すると言い伝えられているとの事。私はもちろん頭と足、腰、・・・・・。2009_02_19__8065

 この牛の像は、文政八年(1825)ごろ奉納されたといわれ、それ以前は牛型の自然石だったようである。

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「包丁塚」の「ブロンド牛」・・・向島のけんばん通りも近く、料亭街があるせいか調理関係の石碑が目立つ。いつも、前沢、米沢、神戸、松阪、飛騨、りんご、ビールなどなど、と牛では食べることでお世話になっているので、二礼二拍手・・・、敬虔に頭を下げる。石碑には『人の世の奉仕に生きる牛黙す目魚』と刻まれている。

同じ境内の中に、赤い小さな鳥居があり「小梅神社」という。旧向島小梅町にあったお稲荷様だとか、なかなか小粋な感じのする神社である。昔から、水商売の人はお稲荷さんを信仰している人が多いと聞く。若い女性が長い祈願をしていた。

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大鳥居を後にすると、右手に水墨画を見るように手入れのされたきれいな池があり、カルガモ、オナガガモ、アヒル、などが元気に泳ぎまわっている。あとひとつきもすれば、桜がさき花見客でにぎわうだろう墨田川河畔の、静かな牛島神社である。

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武蔵野(野川流域)の水車経営農家

国分寺崖線に沿って流れる野川の河川敷を、武蔵野公園、野川公園と歩き、カワラヒワ、シメ、オオタカ、など野鳥達を観察しながら、川辺にカワセミの川魚を狙う姿に足を留め、川面ではカルガモ、コガモが暖かい陽射しに気持ちよさそうに泳いでいる姿を眺めながらぶらぶらと歩く。2009_02_15__7757 2009_02_15__7768_edited1

東八道路のガード下をくぐり、下流にしばらくいくと、右側に水車が回る休憩所が見えてくる。其の手前を右に入ったところが東京都指定有形民族文化財の峰岸家である。2009_02_15__7915

入り口に説明板がある。

『峰岸家は江戸時代の文化十四年(1817)以後、五代にわたって野川流域で水車経営に携わってきた農家である。2009_02_15__7941

現在、同家の屋敷地には文化十年(1813)代ごろに建てられた母屋と、母屋に接続するカッテ、明治九年(1876)建築の土蔵、土蔵に付属する物置、昭和四十年(1965)から始まった野川の河川改修工事後に建てられた覆屋(水車小屋)などがある。2009_02_15__7931 2009_02_15__7927

そして、覆屋の中には大正八年(1919)に改造され、今でも使用している水車装置が設けられているが、敷地内には、この他水車用の用水路跡や「さぶた」と呼ばれる水量を調節する仕切り板と排水口跡、かって使われていた通水橋の石造欄干なども現存している。

また、屋敷地には三鷹市の保存樹木に指定されているケヤキ(八本)やシラカシ(二本)の古木も見られる。

武蔵野の水車は、江戸期以降開設が急増し、明治末期から大正期にかけて産業技術近代化の中で最盛期を迎え、昭和に入ると急激に減少している。

このような中にあって峰岸家の水車は文化五年頃に創設され、その後数次の改造を加えながら今日まで伝承されてきたもので、搗き臼や挽き臼など多機能性を持つ両袖型の大型水車で規模・型式ともに武蔵野を代表する営業用水車である。2009_02_15__7933 2009_02_15__7930 2009_02_15__7932

現在、武蔵野地域では昔のような水車のある風景はまったく失われている。しかし、当該地にはそれら水車とともに、水車経営を行ってきた峰岸家の母屋をはじめ土蔵・カッテ・物置などの建物や水車用用水路跡、「さぶた」も現存しており、かって武蔵野で営業を行っていた水車農家の旧態を良く留め、貴重な民族資料を有する場所となっている。』2009_02_15__7942

最近では、水車小屋の復活等で各地で水車は見られるようになったが、このような営業用の水車はなかなか見られないと思う。暖かい陽射しで野川を散歩するときには見逃せない歴史遺産である。

水戸偕楽園

二月も後半になると、どこの梅園でも梅祭りが始まる。東京から常磐道で「笠間稲荷」と「水戸偕楽園」へ向かう。筑波山を越えて、のどかな田園地帯を車は走る。このあたりの農家は家のつくりがりっぱだ。日本瓦の入母屋つくりが大半である。屋敷は広く豪農という感じがする。2009_02_21__8035

途中、「とち乙女」のイチゴ狩りを楽しむ。やはり「とち乙女」は甘くてうまい。普通イチゴ狩りは入り口でミルクの入った子皿のようなものを手渡されるが、ここは何もくれない。2009_02_21__7949

赤く熟したイチゴはとても甘くておいしい。ミルクなど付けると味がわからなくなってしまうのだ。よく熟したイチゴが手当たり次第、たくさん採れる。そうは言ってもそんなにたくさん食べれるものでもなく、おなかがいっぱいになってしまう。

笠間稲荷は商売繁盛の神様、境内に、国歌[君が代」で歌われている 「さざれ石」があった。

「商売繁盛、交通安全、家内安全、健康長命。」の祈願を済ませ、鳥居正面にある造り酒屋「松緑」に入る。今は”にごり酒”がおいしいという。2009_02_21__7963 2009_02_21__7959 2009_02_21__7952 2009_02_21__7956

日本酒とはと解説がある『「日本酒は、お米を発酵させて造られる醸造酒」  発酵とは、酵母が糖分を食べてアルコールを出すことを言います。でも、お米には糖分はありませんから発酵しません。したがって日本酒はまずお米を麹菌の酵素によって糖分に変え、そこに酵母を加えて発酵させるというきわめて巧妙、複雑な仕組みによって造られるのです。昔から一麹(いち麹)、二もと(にもと)、三造り(さんつくり)という工程で日本酒は造られています。』2009_02_21__7970 2009_02_21__7975

因みに”にごり酒”とは、「もろみ」をあらい布でこし、火入れ殺菌をしない発酵中のお酒であり。蔵元  「松緑」の自慢の冬季限定酒とのこと。

蔵元の庭先にある、白壁の土蔵にはそれぞれの表情をしたお雛様が飾られている。これもなかなかの見ごたえがある。

水戸偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本三大名園のひとつに数えられている。江戸時代末期(1842年)に第9代藩主徳川斉昭公により造られた。本園内には3000本100種の梅が植えられていると言う。2009_02_21__8033

東門より入り、梅林を抜け好文亭に向かう。2009_02_21__7995

『好文というのは梅の意味であって、中国の故事に「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれば梅の花が開かなかった」というのに基づいて名付けられたという。』

ここの三階からの眺めもすばらしいが、各部屋の襖絵がそれぞれ梅の間、松の間、桜の間、竹の間、など九室もあり大変すばらしいものである。2009_02_21__8000 ここは火事で焼失して、再建したものだというが、創建当時のそれであればもっとすばらしいものだったと思うと、残念でならない。

好文亭を出て「七曲がり」という坂を下ると、やや広い平坦の地があり、そこに大理石の井筒が設けられて清水が湧き出している。「吐玉泉」と呼ばれているもので、杉の巨木の根本に湧き出した水を引いたもので、偕楽園の開設以前からあったものと伝えられている。2009_02_21__8020

「吐玉泉」を後に左に白梅を見ながら坂道を登ると,鬱蒼とした、大杉森と孟宗竹林に出る。梅もきれいだが、杉の大木、見上げる孟宗竹も陽の光にきれいに映っている。2009_02_21__8027

水戸黄門様の徳川光圀公の像がある千波湖には、水鳥がたくさん遊んでいた。珍しい黒鳥の親子の姿も見ることができた。2009_02_21__7986

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水戸といえば梅、梅酒日本一という「別春館」によった。『水戸黄門様は冬の寒い夜には、皆でお酒を良く召し上がり、「誠に温かなること春色の如し、この寒さも消えてしまうので盃のな中には別に春が置かれている」として飲酒のことを別春会と申しておりました。』とある。

各地を旅し、おいしいお酒と名物に出会うことがこの上ない喜びである。「梅香 百年梅酒 日本一」を女房のお土産にする。

青梅金剛寺と青梅マラソン

2月15日は青梅マラソンの日である。今年で43回目と伝統と歴史のあるマラソンである。幸い好天に恵まれ大勢の参加があった、相変わらずの人気である。スターターはあのオリンピックメダリストの朝原選手だったとか。2009_02_15__7867

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2009_02_15__7898 2009_02_15__7908 それぞれの思いで参加されて、走る人、沿道での声援の人、進行の人、警備の警察官の人たちが一体となって行われている風景はいいものである。

中には、ゼッケンに紅葉マークをつけて参加されていた高齢の方が、元気で頑張っていたのが印象的でした。

やはり、スポーツは観るのも楽しいが、参加するほうがもっと楽しいのだと思う。

2009_02_15__7884 2009_02_15__7895 マラソンが行われている駅前どうりを、青梅駅から15分くらい歩くと左に降りる道があり、右手のきれいな塀沿いに行くと金剛寺がある。ここにある「梅の木」が青梅市の名称になっているといわれている。

2009_02_15__7890 東京都指定天然記念物になっているが、解説によると・・・・『平安時代に活躍した平将門の伝説を持つ古木であるが、現在では完全に老衰期にある。この梅は季節が過ぎても黄熟せず、落実まで青く、このため「青梅」と称せられ、青梅市の名称もこれによって付けられたといい、いわば青梅市の象徴でもある。しかし植物学的には突然変異であるとされているが、滝上氏所有の梅もこの種の「青梅」だといわれている。』とある。

ちょうど梅の季節であるが、梅にまつわる言葉、言い回しは多い。

・梅干と友達は古いほど良い。

・塩梅がいい、悪い。

・梅一輪、一輪ごとの暖かさかな・・・・・・。etc  etc   etc    とか、

寒い季節にきれいな花を咲かせ、艱難辛苦に耐えて晴れ舞台を飾れることから来ているのだろう・・・・。いつの日か元気なうちに、ぜひ青梅マラソンに挑戦してみたいものである。

光が丘公園

土曜日、昨夜の雨と風が目を覚ますころにはやんで,陽が当たり始めた、昨夜の風が今年の春一番だったようだ。平年より早いとのこと。大江戸線の終点,光が丘に行くことにする。

2009_02_14__7600_edited1 光が丘公園は、日比谷公園の4倍ちかくも面積があるという。もともとグランドハイツと呼ばれた米軍住宅地の跡地につくられた公園である。

駅を出て大きな団地が広がっている。清掃工場の高い煙突を目指して歩道を歩く。休日なので広場では、テントが張られ「東京の地酒と陶器展」が行われていた。八丈焼きの徳利とお猪口がおいしく飲めそうであった。多くの家族連れでにぎわっていた。

東京の地酒は多摩の酒と八丈島の酒が並んでいた。相変わらず「まぼろしの酒」というタイトルが張られていると、ついつい飲んでみようかなと思う。・・・・帰りに飲むことにしてバードサンクチュアリに向かう。ここは土日と祝日の9:00から5:00までしか入れないところである。

2009_02_14__7587_edited1 池の大きな木の枝にオオタカが見える。水浴びをした後らしい。羽繕いをしながら凛々しい目つきでにらんでいる。

2009_02_14__7735_edited1 池には、コガモのペア、クイナ、カワセミがチー、チーとなきながら飛んでくる、見事に小魚を取っておいしそうに食べる。

今日は天気が良いせいかいろいろな鳥が顔を出してくれる。モズが遠くで食事中、シメの集団が水浴びをしている。其の上の枝にはオナガが行ったり来たり。カワセミが目の前でホバリングをしてくれた。

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今年は、どこに行ってもアトリとシメは異常に多い。ひよどりが木の実をくわえて、下にいるムクドリにあてつけているようであった。

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オオタカをもう一度見てから帰ろうと頑張っていたが、なかなか来てくれないので帰ることにする。帰りに多摩の地酒、まぼろしの「嘉泉吟醸」、一杯300円也。・・・・・・すきっ腹にジーンとしみる。口当たりがいい飲みやすい酒だ。

遠征鳥見

最近の休日は天気に恵まれている。紅マシコ、アリスイを観に少し遠征をした。現地に着いたのは十時半ごろ、駐車場は一杯でしばらく待つ。自然学習センターで観察ガイドをもらって園内を歩く。休日とあってたくさんの自然愛好家がいる。それぞれの目的を持って散策しているようである。2009_02_01__6526_edited1

すずめ、しじゅうから、ひよどりたちが食事中のところで紅マシコを待つ。なかなか飛んできてくれない、約一時間。がさがさと音がするので見てみると雉のオスが通行中、春のような暖かさに誘われて出てきたのだろう。上を見るとエナガが忙しそうに動いている。2009_02_01__6551_edited1

アリスイがいるという場所へ移動。しばらく目を凝らしているとそれらしき鳥が飛んできた。ラッキーである。だがちょっと距離があるので証拠写真程度になってしまう。すると、湿地帯の背高泡立草に紅マシコのオスが出現。これも遠い。でも、アリスイを待っているところに、紅マシコとはうれしい限りだ。2009_02_08__7263_edited1

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同じところに、シメ、モズ、カシラダカとにぎやかになってきた、2~3時間あそばせてもらった。冷たい風がでてきたので帰り支度でぶらぶらしているとジョウビタキのオスとメスがいた。そろそろ恋愛の時期なのだろうか。2009_02_08__7276_edited1_2 2009_02_01__6637_edited1 

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シロハラ、アカハラ、を見ていると紅マシコのメスが2~3羽目の前に出現、草の実を食べ始めた。これもまたラッキーである。delicious

本日は遠くまで出かけた甲斐があった。

府中郷土の森

朝から天気が良いのでMTBで出かける。多摩川の土手(多摩川かぜの道)を関戸橋から下流に2~3キロ走ると、左手にこんもりとした緑の森が見える。ここが「府中郷土の森」である。2009_02_07__7069_2 2009_02_07__7148_2

正門で200円の入場料。右手に博物館があり、なかにはプラネタリュウムがある。左手に旧尋常高等小学校の校舎を見てケヤキ並木をを進むと、旧町役場庁舎、旧郵便取り扱い所、旧民家などが立ち並ぶ懐かしい風景である。

せせらぎを渡り、梅園へと向かう。福寿草がきれいに咲いていた。2009_02_07__7097_edited1

2月1日より梅園では梅祭りが始まっている。まだ全体では三分咲き程度であるが、中にはきれいに満開の梅の木もある。種類は約60種、1100本の梅の木があるという。2009_02_07__7093

ここでも蝋梅は満開であった。花の蜜を吸いに「メジロ」が忙しそうに飛び回わり、曲芸師のように逆さになって花に取り付いている。隣のおばさんが「梅に鶯だ、鳴いてくれないかな・・・・」といっていた。2009_02_07__6864_edited1 2009_02_07__6935_edited1

2009_02_07__7062_edited1 メジロの羽の色がちょうど鶯色といわれるような色をしているので間違えてしまうのだろう。本当の鶯は、もう少し色が薄く、なかなか姿を見せない。梅の花が終わるころには、鶯の鳴き声が聞こえてくるだろうと思う。

近くにサントリーの「武蔵野ビール工場」があるのでよってみる。10:00~16:00まで30分ごとに工場見学ができる。約60分ぐらい。見学の後はビールの試飲ができる、おつまみ付である。あのおいしい「ザ・プレミアム・モルツ」が飲めるんです。beer

2009_02_07__7165 ビールの90%は水ということで、ビール工場はおいしい天然水の水脈があるところに建てるのだそうです。後は麦とホップがポイントとか。工場では其の麦を味わうこともでき、ホップの香りも直接嗅ぐことができる。

2009_02_07__7163 ユーミンの「中央フリーウエイ」という曲の歌詞に、「右手に競馬場、左手にビール工場」と歌われているのは、このサントリーの武蔵野工場だそうです。因みに車、自転車等乗り物で行くとビールは飲ませてもらえません。その代わりに同じビールを自宅で試飲できるキャンペーンにインターネットで参加できるようになっている。

今回は、MTBだったので残念ながら自宅で試飲。この次は徒歩で参加しようと暖かくなる季節を楽しみにして待っている。

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