武蔵野(野川流域)の水車経営農家
国分寺崖線に沿って流れる野川の河川敷を、武蔵野公園、野川公園と歩き、カワラヒワ、シメ、オオタカ、など野鳥達を観察しながら、川辺にカワセミの川魚を狙う姿に足を留め、川面ではカルガモ、コガモが暖かい陽射しに気持ちよさそうに泳いでいる姿を眺めながらぶらぶらと歩く。
東八道路のガード下をくぐり、下流にしばらくいくと、右側に水車が回る休憩所が見えてくる。其の手前を右に入ったところが東京都指定有形民族文化財の峰岸家である。
入り口に説明板がある。
『峰岸家は江戸時代の文化十四年(1817)以後、五代にわたって野川流域で水車経営に携わってきた農家である。
現在、同家の屋敷地には文化十年(1813)代ごろに建てられた母屋と、母屋に接続するカッテ、明治九年(1876)建築の土蔵、土蔵に付属する物置、昭和四十年(1965)から始まった野川の河川改修工事後に建てられた覆屋(水車小屋)などがある。
そして、覆屋の中には大正八年(1919)に改造され、今でも使用している水車装置が設けられているが、敷地内には、この他水車用の用水路跡や「さぶた」と呼ばれる水量を調節する仕切り板と排水口跡、かって使われていた通水橋の石造欄干なども現存している。
また、屋敷地には三鷹市の保存樹木に指定されているケヤキ(八本)やシラカシ(二本)の古木も見られる。
武蔵野の水車は、江戸期以降開設が急増し、明治末期から大正期にかけて産業技術近代化の中で最盛期を迎え、昭和に入ると急激に減少している。
このような中にあって峰岸家の水車は文化五年頃に創設され、その後数次の改造を加えながら今日まで伝承されてきたもので、搗き臼や挽き臼など多機能性を持つ両袖型の大型水車で規模・型式ともに武蔵野を代表する営業用水車である。
現在、武蔵野地域では昔のような水車のある風景はまったく失われている。しかし、当該地にはそれら水車とともに、水車経営を行ってきた峰岸家の母屋をはじめ土蔵・カッテ・物置などの建物や水車用用水路跡、「さぶた」も現存しており、かって武蔵野で営業を行っていた水車農家の旧態を良く留め、貴重な民族資料を有する場所となっている。』
最近では、水車小屋の復活等で各地で水車は見られるようになったが、このような営業用の水車はなかなか見られないと思う。暖かい陽射しで野川を散歩するときには見逃せない歴史遺産である。
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