野鳥たち

  • アカゲラ
    野鳥たちの表情を表現できればと思っていますがショットが精一杯。

花たち

  • セイヨウカラシナ
    気の向くままの足跡を紹介します

風景

  • アイスパビリオン
    一期一会の心に残る風景

淡島の一日

  • 淡島から見るサンセット
    奈良の帰りに淡島に一泊。夕日と富士山がきれい。露天風呂から正面に富士山が見える。

四国・四万十川の旅

  • 金比羅宮
    2008年5月の連休の四国四万十川の旅

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

城山 かたくりの里

風は冷たいが久しぶりの青空、春らしい陽の光がまぶしい。今日は今が満開という ”カタクリ”を観に行く。多摩市から町田街道を高尾方面に向かい、JR横浜線の相原駅の踏切を渡り、相原十字路の信号を左折する。しばらく行くと右手にコンビニをみて町屋の信号を右折、小松の十字路を直進するとのどかな田畑風景が広がる。左手にこんもりとした丘が見える。そこが ”かたくりの里” である。駐車場は200台ぐらいは収容できる。

2009_03_29__9531

駐車場からはすぐのところ、入り口で木戸銭500円を納め、自生地に入る。人出はかなり多い。右手に「みつまた」の花を眺め、足元のキバナセツブンソウを観ながらカタクリの群生地を歩く。

2009_03_29__9381

2009_03_29__9428

カタクリとは、ゆり科、カタクリ属の植物で日本各地の山野や山すそに自生する多年草である。鱗茎は地下に埋もれていて、数個の白色で肉質の鱗片が重なっている。

2009_03_29__9393

早春に鱗茎より一本の茎を出して、葉は1~2枚で対生して、長柄があるが地中にあり地上部に見える部分は楕円形の葉の部分である。葉は厚くて上面には淡緑色で紫色の斑紋があって、二枚の葉から20センチくらいの花茎が伸びている。

2009_03_29__9443

春先に、この花茎の先端に直径4~5センチの淡緑色の花を少し下向きにつける。花の花被片は、六枚で開花後徐々にシクラメンのように外側に反転する。カタクリの花被片の睡眠運動といわれている。

2009_03_29__9402_2

ここへの当着時は、この花被片は前に出ていたが時間が経つにつれて、外側に丸くなって反り返っていた。この姿がカタクリだと思っていたので、カメラマンが多くなる頃には、それぞれがきれいに花開いていた。さすがである。

2009_03_29__9502_2

名前の由来は、万葉集にもある。カタクリを堅香子(かたかご)と呼んでいた。堅香子(かたかご)とはカタクリは種子から発芽して花をつけるまで、約八年が必要で毎年少しずつ葉が一枚だけ大きくなり、葉に鹿の子模様があることから、片葉の鹿の子から「片葉の鹿の子」が転訛(てんか)して、堅香子(かたかご)の名になったという説がある。

 

片栗粉としても有名である。片栗粉の名前は今でも残っているが、現在の片栗粉は、カタクリからとったものではなく、ジャガイモデンプンからとったもので「片栗粉(かたくりこ)」という名前だけが残っている。

2009_03_29__9359

桜にメジロ

また、カタクリは薬用としても使用され外用としては、すり傷、できもの、湿疹に効果がある。葛湯として飲むと、風邪、下痢、腹痛、滋養などに効果があると言われている。そういえば子供の頃によく飲んだ記憶がある。

2009_03_29__9543

 ひとりしずか

春の到来を告げる可憐なピンクの花・・・・花言葉は「初恋」・・・・こんなきれいな花であるが食用にも供することができると聞いて驚いている。  人間というのはなんと残酷なのかなと思う。

2009_03_29__9487

山菜料理は大好きであるが今までに食べたことは無い。やわらかいので軽く茹でて、おひたし、てんぷら、和え物、酢の物、煮浸しなどがお奨めとか。

Dsc_0111

キバナカタクリ

 これからの季節は、この春先のやわらかい山菜がおいしい。私の好きな山菜はふきのとう、せり、葉わさび、こごみ、たらの芽、山うど、こしあぶら、みずな、根曲がり竹、ふきなどである。また、山菜とは違うかもしれないが、山形の「もってのほか」のおいしさは忘れられない。”十四代”のつまみには欠かせない一品である。

Dsc_0037

 にりんそう

ここで店番をしているおばさんが、「二輪草もおいしいよ!」というのを聞いてまた驚いた。きれいで、可憐な花は食べてはいけない観る花だと思っている。早朝のウオーキングコースでもこれらの山菜が取れるところがある。楽しみではあるがこの考え方は貫きたいと思う。

旅立ちの前

 普通なら三月も末になると、春の陽気で鳥たちもそろそろ北へ、山へ帰る準備をする。今日もいつもの公園を歩いていると、まだルリビタキの雄と雌が遊んでいた。春なので恋を語り合っているのかもしれない。

2009_03_29__9054

 

2009_03_29__9103

近くで鶯の囀りに混じって、ソウシチョウが鳴いている。中国のウグイスといわれるほどきれいな鳴き声である。だが今日は姿はみせてくれなかった。相変わらず、コジュケイとガビチョウの鳴き声は大きい。

2009_03_29__9007

 

2009_03_29__9278

  ルリビタキと一緒にシロハラが朝の食事中であった。今年はずいぶんとシロハラにはお目にかかったがアトリの群れもずいぶんと少なくなったような気がする。しばらくすると夏鳥たちが渡りでやってくるだろう。楽しみにしている。

2009_03_29__9221

 

2009_03_29__9271

 近くではメジロがいつものアクロバットスタイルで花の蜜を吸っていた。カメラをちかずけても食事に夢中のようである。

2009_03_29__9313

2009_03_29__9280

 来年も「幸せの青い鳥」に逢いたいものだ。ことしは「赤い鳥」にも会うことができたし、きっといいことがあるだろう。

 

 最近は、朝のウオーキングも夜明けが早くなり、五時半には明るくなっている。そのせいか鳥たちを追いかける時間が多くなり、目標の一万歩が未達成のことが多くなった。もう少し暖かくなったら、そろそろジョギングを始めて持久力をつけたいとおもう。春というのは何事においても明るく希望に満ちてくる季節である。

篭脱け鳥三昧

野山で元気に囀っているのが野鳥といわれているが、野山にいるが野鳥とは言われず一線を画されているのが「篭脱け鳥」である。

昔、家で飼われていた鳥が篭脱けしたり、放鳥されて野生化して繁殖している。かなり繁殖力も旺盛で、どちらかというと大きな声でなくにぎやかな鳥が多い。その昔は、きれいな声を聞こうとして家で飼っていたが、あまりうるさいので放鳥してしまったようである。

2009_03_21__8774_edited1

  暖かくなり、春の花がきれいに咲いてきた。近くの公園をぶらぶらしていると、今日はその「篭脱け鳥」に良くであってしまった。中にはきれいな鳥もいるのでカメラにおさめてみた。

コジュケイ・・・いつも大きな声で『チョットコイ、チョットコイ・・』と鳴いているが、なかなか姿を現さない鳥。鶉と間違える人もいる。

 原産地は中国南部、東南アジア北部で雌雄同色である。大正時代から昭和初期にかけて愛玩、狩猟用に輸入された。1919年ごろ東京、神奈川に放鳥され自然増殖したと言われている。繁殖期以外は群れで生活している。

2009_03_22__8872

2009_03_22__8887

ソウシチョウ・・・きれいな鳥であるが最近は繁殖が盛んで、どこにでも出没するようである。中国原産で一夫一婦で仲が良く、きれいな囀りをする。別々に離れていると相手を思い良く囀るので「相思鳥」と言われている。

 原産地は中国南部、東南アジア北部からヒマラヤ西部で、古くから愛玩用として持ち込まれ、1980年前後から野生として確認され始めている。

2009_03_22__8940_edited1

2009_03_22__8971_edited1

ガビチョウ・・・目の周りを白く縁取って、なみだ目のわりに鋭い目つきで、あまりきれいではない、大きな声でなくので結構うるさい。たまに他の鳥の鳴き声をまねたりする。

 中国南部、東南アジア北部が原産地で、日本には古く、江戸時代からペットとして飼育するために輸入された。あまり鳴き方がうるさいので売れ残ったものが放鳥されたと言われている。1980年代から確認されている。比較的低いところで、地上の虫や草の実を食べているので、里山歩きでガサガサ音がしたら、ガビチョウの食事中のことが多い。

2008_04_05__0488_edited1

Dsc_0324

ワカケホンセイインコ・・・これは別の公園の在庫からであるが、大きなインコである。ペット用に輸入されたものが篭脱けをして、野生化している。

1969年ごろから確認され野生化して歴史が長いのかかなりの数がいるようである。原産地はインド周辺、日本では中部以西に多い。神社や森にねぐらを作る。

Dsc_0070

Dsc_0089

 ペットは、あるときはかわいくて、家で飼うが、いらなくなったときが大変である。最近でも、公園の池に鰐がいたとか、・・・野良猫も公園には増えたような気がする。そしてその猫にえさを与える人の無責任さ、・・・・昨今のペットブームはマンションの組合管理規約さえ変えてしまう。

2009_03_21__8738

 私も、ペットといえるかどうかわからないが、熱帯魚を飼っている。ずいぶん長生きをしてこれもかなり増えている。今では水槽が二つになってしまった。ペットブームは結構だが第二の「篭脱け鳥」にならないようしたいものである。

根川緑道を歩く

三月も後半になりコートもいらないほど暖かくなってきた。見上げる空は、中国からの黄砂なのか杉花粉なのか、すっきりしない青空である。立川駅から多摩都市モノレールで一駅、柴崎体育館で降りる。運賃の高いモノレールではあるが100円である、何か得をしたような気分でエスカレータを降り、左手に体育館をみながら軌道の下を歩く。

Rimg0075_edited1_2

Rimg0071_edited1

根川緑道は、立川の青柳崖線下を流れていた根川を改修して人工的に造られた川である。全長一キロメートルぐらいの録道であるがよく整備されている。まだつぼみは固いが桜並木が続き、根川の水源の近くの残堀川の土手は桜の名所になっている。

Rimg0072_edited1_2

Rimg0073_edited1_2

根川の水源は、立川市錦町下水処理場より無色無臭の高度処理水を流しているとのことで、この小川にはカワセミ、カルガモ、コサギなどがいる。水はきれいで錦鯉なども泳いでいる。

Rimg0052_edited1_2

Rimg0070_edited1_2

春を告げる”こぶし”の花がきれいに咲いている池のあるところに行くと、カワセミを狙ってカメラマンが並んでいる。池の淵にはブルーの小さな花が咲いている。水面に写る花の下を錦鯉がのんびりと泳ぎ、きれいな水を満喫している。

Rimg0047_edited1_2

Rimg0045_edited1_2

この録道を歩いていると目に付くのは、中村草田男、水原秋桜子、萩原井泉水、高浜虚子、若山牧水などの詩碑、句碑、歌碑である。自然を詠ったものが多い。立川市民、立川にゆかりのある文学者の「詩歌の道」を作ったと言われている。流れの石には、ハクセキレイ、木の枝にはヒヨドリ、川のほとりには”シャガ”の花が一輪咲いている。

Rimg0048_edited1_3

Rimg0035_edited1_3

健康づくりのウオーキングも、たまには息抜き、のんびりウオークもいいものだ。そんなときはこの根川緑道が最適である。四季折々の自然を満喫できるところである。思わず靴を脱いで、足を川の流れに任せてみたい衝動に駆られる。

Rimg0058_edited1_2

Rimg0063_edited1

Rimg0065_edited1_2

Rimg0053_edited1_2

数日で今年度も終わる。百年に一度の経済危機、未曾有の不況とかいわれ、野党の解散総選挙の要求に対して「選挙より政策」と、言葉でかわしてきたが、実のある新年度の追加経済対策に期待したいものである。

一本杉公園

 早朝ウオーキングの出発にくじけたので朝食つくりをする。今朝も冷え込みが厳しく、朝食のメニューは、ありあわせの野菜でつくる暖かいスープとホットドッグ、ビネガーをきかせた野菜サラダ、ボイルドエッグとコーヒー。

  2009_03_07__8204_edited1

 

 朝食後に、MTBで多摩丘陵の尾根幹線を行く。公園の一番高いところの樹木の中に、給水塔が空に伸びている丘がある。桜の木に囲まれた野球場を見下ろす高台に一本の大きな”スダジイ”の樹木がある。こんもりときれいに丸くかたどられた巨木は多摩市の天然記念物に指定されている。

2009_03_07__8208_2

 

多摩市教育委員会の説明板によるとつぎのように書いてある。

『目通り幹約3.6メートル、高さ約16メートル、枝張りは約11メートル、きれいな半球状の形状を示しており、樹勢は大変良好です。

この付近は昭和48年に多摩市に編入されるまでは町田市小野路町といい、付近一帯広い雑木林でした。このすだじいは、その頃の面影を今に伝えています。

すだいじは、暖地に生えるブナ科の常緑高木で、秋になると先端の尖った堅果実を実らせます。』

 

2009_03_07__8210_2

 

 スダジイは本州新潟県以南の日本の各地に分布する常緑の高木で、20メートル以上の高さになり、5月から6月にかけて遠方から見てもわかるほどの花序を形成する。樹皮は縦に深い割れ目がはいり、堅果(どんぐり)はそのままでも食べられるという。

2009_03_07__8211_2

 今月の末になれば、きれいな花が咲くだろう桜の木の下を、野球場に沿って歩くと一段と下がったところにテニスコートがある。ここはオムニコートで、多少の雨でも出来るし、コート整備が楽である。

 私も数年前まではテニス一直線で頑張ってきたが、膝をいためてからは遠ざかっている。このコートでも市民大会等に参加していい汗をかいた記憶がある。藤棚の下のベンチに座わって、しばし若者たちや昔若者だった人たちのテニス観戦をする。

 

 野球場の入り口付近には、”江夏豊投手記念植樹”とかかれた樹木があった。そういえばここは、あの名投手の江夏豊の引退試合をした野球場だということを思いだした。

  1984年に西武を退団し、現役を引退した。「たったひとりの引退式」といわれた。当時は、あの阪神で大活躍した江夏が、なぜこんなところで引退試合をするのだろうと話題になっていたのである。

2009_03_07__8217

 

2009_03_07__8215

 

  公園の涸れ川(夏の間だけ水が流される)に沿って、一本杉公園通りという道路の下のトンネルをくぐると梅林があり、二軒の古民家がある。多摩市内にあった古民家を移築復元したものであるという。

  建物のなかには土間や囲炉裏、昔ながらのかまど、自在鉤でつられた鉄瓶などがあり、昔の農家の佇まいが復元されており、縁側に座っているとなぜか落ち着く。

   庭先には野鳥用に餌場がもうけられていて、シジュウカラがみかんをつついていた。縁側の踏み石の近くでチャボの夫婦がのんびりと餌をついばんでいる。

2009_03_07__8223

2009_03_07__8214

 

2009_03_07__8216

2009_03_07__8237

 

  梅の花の密にシジュウカラが取り付いている。隣でコツコツ音をたててコゲラが奮戦中。ヒヨドリもみかんを食べに降りてくる。訪れるひとも少なく野鳥の鳴き声、野鳥の動きをみながら,静かでのんびりとすごせる場所である。

2009_03_07__8258

2009_03_07__8247

 

  カルガモがのんびりとしている池の周り、枯れた雑木林にエナガの集団がいる。落ち着かないのでなかなかシャッターが押せない。池を渡る木道を行くと、カワセミがくるのか池の中に一本の止まり木があった。

2009_03_07__8334

 

2009_03_07__8268

  

  春が近くなると野鳥たちも北へ渡る準備を始める。留鳥たちは新しい恋をすべくさえずり始める。まだ自信なげに「ホーホケキョ」と近くの林から聞えてきた。春はもうすぐそこまできている。happy01

 

2009_03_07__8288

 

  ”一本杉公園”といわれるが、それらしき杉は見当たらない。多摩ニュータウンは計画都市である、開発以来30数年経つが、古民家の保存、緑の保護育成で昔ながらの風情を残しながら、近代的な街造りが進んでいるように思われる。

 

  季節の春はもうすぐそこまで来ているが、なかなか見えないのが景気の春の気配である。朝の来ない夜はないといわれるが、早くその気配を感じられる政策を期待したいものである。三十代で入居した人たちがそれぞれ高齢になり、また新しい課題となるだろうが、それも皆の知恵で解決して住みよい世の中にしたいものである。

小野路宿

 三月に入ったというのに寒い日が続く。今日は元気を出して小野路宿周辺を歩く。小野路は町田市の北部に位置し、多摩市との市境にあり、尾根幹線道路を挟んで近代的なニュータウンと、里山ののどかな雰囲気をもった歴史的な古い民家が並ぶ街である。

2009_03_07__8196

2009_03_01__8083

小野路宿通りの入り口に小野神社がある。小野神社の由来は

『小野路は鎌倉みちの宿駅として鎌倉と武蔵の国府の置かれた府中に通づる要衝の地にある。宿の入り口にある小野神社は、小野篁(たかむら)の七代の孫小野孝泰が武蔵の国司として天禄年間(972)頃赴任し、小野路のこの地に小野篁の霊を祀ったことに由来する。

小野篁は、平安時代前期の人で和漢に優れた学者で、学問の神様であり、菅原道真の先輩に当たる。篁の孫小野道風は、平安時代を代表する書家で三蹟として有名である。

なお、小山田氏の小野路城があった城山には、小町井戸と伝えられる遺跡もあり、小野氏との関連が深い地である。』

2009_03_01__8125_2

 神社の近くには、名主を歴代務めた小島家の屋敷があり古文書約七千点を収蔵展示する小島資料館になっている。白梅の下に菜の花がきれいに咲いている。

2009_03_07__8186

2009_03_01__8144

 神社のわき道をしばらく歩くと「萬松寺」に出る。龍安寺の石庭のようにきれいに掃き清めた境内を見て小野路城址に向かう。冬枯れた雑木林、田畑の畦道に咲く紅梅、白梅を見る。途中のどかに野草を摘んでいる風景をみながら右手に竹林のある山道を登る。

2009_03_01__8094

2009_03_01__8099

2009_03_01__8102

 小野路城址・・・八百年前以上に築かれたといわれる。『小野路城は、現在の大泉寺の場所に居城(小山田城)を構えていた小山田有重が築いた副城で、その子、二郎重義が守護にあたったという。築城は承安年間(1171~1174年)といわれ、都内の古城址の中でも最も古いもののひとつである。現在残っている地形から、本丸を含む二つの郭とそれを囲む土塁、土盛濠からなっていたと想像される。』

2009_03_01__8106

小野路城址

2009_03_01__8109

 小野城址で一休みして、少し下ると小町井戸がある。井戸というから深く掘り下げてあるかと思ったら湧き水である。

『この湧き水は小町井戸と呼ばれています。平安朝の昔、小野小町が病にかかったおり、この山に千日こもり、この水で目を洗ったところ全快したという伝説から出た名と言われます。また、仙人水とも呼ばれたらしく、「武蔵名勝図会」にその記載があります。

小町井戸は、ここから東南へ百メートル程の崖の下にある「滝つぼ」と呼ばれる湧き水とともに、小野路城の水源として使われたものと思われます。いずれも水量はわずかですが日照りにも涸れることがないと言うことです。』

 シジュウカラ、エナガの声を聞きながら雑木林の散策路を歩くと、黄色いマンサクの花、紅梅、白梅がきれいだ。竹林での椎茸栽培が行われている畑を眺めながら山道を下ると右手に小さな石仏がある。

2009_03_01__8120

2009_03_01__8123

小野路宿通りを渡り反対側の丘陵に向かう。山道を少し登ると小洒落た”ピアノカフェ・ショパン”がある。外観は普通の住宅であるが、二階がピアノの生演奏をする喫茶店になっている。調度品は名工の作品が並ぶ、雰囲気はすごくいい。・・・・よく歩いたので一杯のコーヒーがおいしかった。  因みに、コーヒー、紅茶・・・600円、ケーキセット1000円なり。日曜日は二時からピアノの生演奏があるという。

2009_03_01__8162

2009_03_01__8152_2

2009_03_01__8155

2009_03_01__8158

オーナーの岡さんが小野路宿の歴史的景観を保存する取り組みや小野路の話をしてくれた。

しばし休憩の後、”布田道切り通し”を抜け多摩ニュータウンへと向かう。

2009_03_01__8163

2009_03_01__8164

この近辺には鎌倉古道といわれる切り通しがある。「いざ鎌倉」 南北朝の武将、新田義貞の軍勢が鎌倉に攻め込んだときにこのあたりを通ったという。

本日は、近場での歴史散策のウオーキング。この次は、女房と一緒にピアノ生演奏を楽しみたいと思っている。

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »