一本杉公園
早朝ウオーキングの出発にくじけたので朝食つくりをする。今朝も冷え込みが厳しく、朝食のメニューは、ありあわせの野菜でつくる暖かいスープとホットドッグ、ビネガーをきかせた野菜サラダ、ボイルドエッグとコーヒー。
朝食後に、MTBで多摩丘陵の尾根幹線を行く。公園の一番高いところの樹木の中に、給水塔が空に伸びている丘がある。桜の木に囲まれた野球場を見下ろす高台に一本の大きな”スダジイ”の樹木がある。こんもりときれいに丸くかたどられた巨木は多摩市の天然記念物に指定されている。
多摩市教育委員会の説明板によるとつぎのように書いてある。
『目通り幹約3.6メートル、高さ約16メートル、枝張りは約11メートル、きれいな半球状の形状を示しており、樹勢は大変良好です。
この付近は昭和48年に多摩市に編入されるまでは町田市小野路町といい、付近一帯広い雑木林でした。このすだじいは、その頃の面影を今に伝えています。
すだいじは、暖地に生えるブナ科の常緑高木で、秋になると先端の尖った堅果実を実らせます。』
スダジイは本州新潟県以南の日本の各地に分布する常緑の高木で、20メートル以上の高さになり、5月から6月にかけて遠方から見てもわかるほどの花序を形成する。樹皮は縦に深い割れ目がはいり、堅果(どんぐり)はそのままでも食べられるという。
今月の末になれば、きれいな花が咲くだろう桜の木の下を、野球場に沿って歩くと一段と下がったところにテニスコートがある。ここはオムニコートで、多少の雨でも出来るし、コート整備が楽である。
私も数年前まではテニス一直線で頑張ってきたが、膝をいためてからは遠ざかっている。このコートでも市民大会等に参加していい汗をかいた記憶がある。藤棚の下のベンチに座わって、しばし若者たちや昔若者だった人たちのテニス観戦をする。
野球場の入り口付近には、”江夏豊投手記念植樹”とかかれた樹木があった。そういえばここは、あの名投手の江夏豊の引退試合をした野球場だということを思いだした。
1984年に西武を退団し、現役を引退した。「たったひとりの引退式」といわれた。当時は、あの阪神で大活躍した江夏が、なぜこんなところで引退試合をするのだろうと話題になっていたのである。
公園の涸れ川(夏の間だけ水が流される)に沿って、一本杉公園通りという道路の下のトンネルをくぐると梅林があり、二軒の古民家がある。多摩市内にあった古民家を移築復元したものであるという。
建物のなかには土間や囲炉裏、昔ながらのかまど、自在鉤でつられた鉄瓶などがあり、昔の農家の佇まいが復元されており、縁側に座っているとなぜか落ち着く。
庭先には野鳥用に餌場がもうけられていて、シジュウカラがみかんをつついていた。縁側の踏み石の近くでチャボの夫婦がのんびりと餌をついばんでいる。
梅の花の密にシジュウカラが取り付いている。隣でコツコツ音をたててコゲラが奮戦中。ヒヨドリもみかんを食べに降りてくる。訪れるひとも少なく野鳥の鳴き声、野鳥の動きをみながら,静かでのんびりとすごせる場所である。
カルガモがのんびりとしている池の周り、枯れた雑木林にエナガの集団がいる。落ち着かないのでなかなかシャッターが押せない。池を渡る木道を行くと、カワセミがくるのか池の中に一本の止まり木があった。
春が近くなると野鳥たちも北へ渡る準備を始める。留鳥たちは新しい恋をすべくさえずり始める。まだ自信なげに「ホーホケキョ」と近くの林から聞えてきた。春はもうすぐそこまできている。
”一本杉公園”といわれるが、それらしき杉は見当たらない。多摩ニュータウンは計画都市である、開発以来30数年経つが、古民家の保存、緑の保護育成で昔ながらの風情を残しながら、近代的な街造りが進んでいるように思われる。
季節の春はもうすぐそこまで来ているが、なかなか見えないのが景気の春の気配である。朝の来ない夜はないといわれるが、早くその気配を感じられる政策を期待したいものである。三十代で入居した人たちがそれぞれ高齢になり、また新しい課題となるだろうが、それも皆の知恵で解決して住みよい世の中にしたいものである。
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