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2009年5月

多摩川中洲

 天気予報によると、今週末は天気が良くない。ここのところ梅雨に入ったかと思わせるような雨もようの日が続いている。今朝も雲が重い。途中雨に降られてもいいように雨具の用意をしてMTBで出かける。

 桜ヶ丘公園から大栗川の土手を走り、多摩川合流点までいく。出足が遅いのと天気のせいか人出は少ない。露の残る草を踏み分けて中洲を目指す。昨日からの雨で増水したのか河原の草木が横倒しになっている。これからの河原の散策は気をつけないといけない、突然の増水にあうと危険だ。

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 河原では、セッカ、ヒバリ、オオヨシキリの鳴き声、川向こうでは、コジュケイ、アオゲラ、トビ、などが鳴いている。セッカは得意のセッカどまりで両足を大きくあけて止まっている。

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セッカとまり

 中州の河原にはところどころに驚くような花が咲いている。水の流れで運ばれてきたものであろう、野草ではない花も時々咲いている。ヒナゲシ、カワラナデシコなど。

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 モンシロチョウ、ベニシジミが黄色の花、コレオプシス、紫の花、宿根バーベナの蜜を吸っている。鳥が少なく蝶々が多くなってきた。やはり山に行かないと夏鳥には逢えないのだろう。来週は山に行くことにして、今日は蝶々を追いかけることにする。

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 モンシロチョウは雄と雌では表側の模様が少し違う。これは黒紋が大きく鮮明なので雌ではないかと思う。目の前では5~6羽の蝶がこの花の周りを飛び回っている。周りを見渡すとさらにたくさんの蝶がそれぞれの花に取り付いている。中に少しだけモンキチョウがいるが其の数は少ない。

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 鳥もそうだがどちらかというと都会は白系が多い。山に行くと黄色系が多くなる。其の典型はセキレイだと思う。キセキレイはあまりこの近くでは見かけないが 、山や地方に行くと白セキレイよりキセキレイが多い。理由はわからないがそんな感じがする。

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 6月は入梅になる、毎日がうっとうしい雨模様になる。通勤通学はたいへんだが梅雨の季節にはそれなりの情緒があるので、それを楽しむのがこの時期の過ごし方だと思う。自然界では春夏秋冬があるから動植物がそれなりに生きていけるし、それに順応して進化してきている。人間も動物の一種であるから変化する環境に順応して進化していくのだろう。還暦を迎えようとしている人間もさらに進化するのだろうか、気持ちの問題かも知れないが「昨日よりも今日、今日よりも明日」・・・少しでも成長したいと思う。

玉川上水緑道を歩くその二

  西武立川駅の改札を出て線路沿いに戻り、右折して松中橋に向かう。駅前で昼を食べようと思って降りたが駅前には何もない。自転車置き場と駐車場、遠くに玉川上水の緑のトンネルが見える。西武拝島線沿いに玉川上水緑道を歩き玉川上水駅まで約二時間のコースである。

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  松中橋から上水に沿って茂るケヤキ、クヌギなどの雑木林の中、南岸を歩く。このあたりは、五日市街道沿いの旧家に今もかっての武蔵野の面影を残している。上水沿いの散歩道を歩くと、気持ちの良い水音と鳥のさえずりが間近に聞こえてくる。砂川分水が平行して流れている。

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  このあたりの遊歩道は土の道、柵があって水辺におりて遊ぶことはできない。水の流れも多く、今は緑濃い葉になっているが桜並木が続く。

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  腰をおろすのにちょうど良い石があったり、ベンチがあったりしてゆっくりと歩ける。天王橋で北岸に廻る。ここは交通量が多いので注意して渡らないと危ない。クヌギの古木、ケヤキ、サクラの木などを眺めながら川沿いを歩く。しばらく進むと上宿橋に出る。

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  ここで玉川上水と残堀川が立体交差をしている。残堀川は瑞穂町の箱根ヶ崎から昭和記念公園を横切り多摩川に注ぎ込んでいる。昔はここで合流していたそうだが、明治時代になって残堀川の水が汚れたために分ける工事がされたということだ。残堀川ははるか下のほうを流れている。どのように玉川上水が交差しているのかははっきりわからないが、涸れ川になっている残堀川の川底を眺めて橋を渡るとまた玉川上水の清流が現れる。

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  御影橋から少し川沿いの道を離れ、右に折れ少年野球の練習を見ながら一般道を歩く。交差点を左に曲がると、大きな屋敷がある。塀の中はケヤキの大木がそびえ、まるで森のような旧名主の屋敷であるという歴史のある門構えを見て、正面にある流泉寺によってみる。山門の脇に「春は梅、夏あじさいに秋の萩、冬のさざんか四季おりおりに。」との言葉がある。

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  流泉寺は新田開発を進めた農民達の心のよりどころとして慶応三年(1650)に建立された。旧砂川村の教育の発祥地で、明治初期まで寺子屋があった。境内の鐘楼の隣には石仏がたくさん並んでいる。表情豊かな作品、素朴な作品、味わいのあるものまでたくさんあり、それぞれじっくりと見てみるとなかなか面白い石仏群である。

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  砂川三番を阿豆佐味天神社に向かう。

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  江戸初期にこのあたりが開かれたとき、鎮守の社として建てられた。本殿は寛永六年(1629)に修復されたもの。総ケヤキ造りの拝殿の彫刻も見事である。石造りの手水鉢(水盤)は、鶴見の名工といわれた飯島吉六の作といわれている。現在は使用されていないが、鉢の四隅を四人の童子が肩で担いだ格好の、珍しいデザインになっている。

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  また境内には、蚕影(こかげ)神社、疱瘡神、琴比羅社などが合祀されている。蚕影様は養蚕の神様であり、砂川ではかつて養蚕が盛んだった。今日は天気が良いせいか、おばあちゃんと若夫婦での赤ちゃんのお宮参りの姿が目立つ。

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  健康長寿のお祈りの後、玉川上水遊歩道の宮の橋へ向かう。ここからはまた、上水に沿って茂る雑木林の緑のトンネルを歩く。 国立音楽大学の楽器学資料館を左手に見て、玉川上水駅に向かう。・・・・玉川上水駅からの下流への景色と、そこから上流への松中橋までの風情と趣が、また違う雰囲気をかもし出してくれるので充分楽しめる。水と緑を満喫でき、気軽に歩ける健康づくりの良い緑道である。

玉川上水緑道を歩くその一

 多摩都市モノレールの玉川上水駅を降り、川沿いの玉川上水緑道を鷹の台駅まで歩く。約4kmの散策である。

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 清流の復活、玉川上水の案内がある。

 「玉川上水は、約350年前(承応2~3年)江戸の飲料水供給のために、作られた上水路です。  この上水は、江戸市中への飲料水の供給という本来の目的を果たすため以外に、武蔵野台地の各地に分水され、飲料水・かんがい用水・水車の動力として、武蔵野の開発に大きな役割をはたしました。  近年まで、この上水路はそのまま淀橋浄水場への導入路としてして使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止に伴い、昭和40年以後小平監視所より下流については、水が途絶えていました。  しかし、このたび東京都の清流復活事業により、野火止用水に続き玉川上水にも昭和61年8月清流がよみがえりました。」

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 平成12年に「甦る水100選」に選ばれている。今ではきれいな水が流れ魚が元気に泳いでいる。ここからは川面に近いところから玉川上水が眺められる。

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  緑濃い雑木林を下流にむかって歩く。歩道は整備されていて歩きやすい。聞こえるのは、ヒヨドリ、シジュウカラ、ヤマガラ、などの野鳥の声、新緑の葉とともにすがすがしい。

  歩く人も多いが、ジョギングの人もかなり多い。古木の緑の葉が陽射しをさえぎってくれるので暑さがしのげる。ジョギングは男性も多いが女性が圧倒的に多い。日本の女子のマラソンが強いのもわかるような気がする。

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  この緑道沿いは文教地域なのか学校が多い、小平西校、武蔵野美大、朝鮮大学校を左に見ながら進むと、上水公園に出る。玉川上水と分水道が平行して流れる緑道をさらに進むと創価高校がある。水と緑に囲まれて学習環境としては最高である。

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  鷹野台の駅の近くに来ると、橋のたもとの潅木に、人だかりがある。何かと覗いてみると蛇がいるではないか、逃げもせずじっとしているのでよく見ると、アオダイショウが二匹絡みあっている。なんと交尾中であった。蛇の世界も繁殖期なのである。

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 西武国分寺線をわたり、津田塾大のキャンパスを左に見て鎌倉橋まで足を伸ばす。緑道の途中にJR武蔵野線への立て抗口があり電車の走る音が聞こえてくる。

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  玉川上水開設の説明があった。 「天正十八年(1590)徳川家康が江戸に居城を定め、こえて慶長八年(1603)この地に幕府を開くにおよび、居住するものが増加して、飲料水に不足を生じたが、井の頭の池を水源とする神田上水等により、一応の解決をみた。

しかし、寛永十二年(1635)三代将軍家光の諸大名参勤交代の制定からは、江戸の人口が急激に膨張し、再び飲料水に苦慮した。そこで幕府は、多摩川からの引水を計画した。この計画にに対し、工事を願い出たのは、江戸の町人庄右衛門、清右衛門の兄弟であった。 承応二年(1653)幕府は、この願い出を許可して工事費、金七千五百両を与え、工事に着手させた。兄弟は、老中松平信綱の家臣、安松金右衛門の設計を取り入れて、同年四月に着工、同十一月に羽村の取り入れ口から四谷大木戸まで、四十三キロの水路を開き、翌三年六月、江戸城をはじめ、町々への給水を完成した。

幕府は完成した水路五ヶ所に水番屋を設けて見廻らせる一方、要所三十二ヶ所に高札を立てて、水を汚すものを取り締まった。玉川上水開削の目的は、江戸市中への飲料水の供給にあったが、水の乏しい武蔵野の開発にも寄与し、上水完成の翌年には野火止用水への分水、ついで明暦三年(1657)には小川、砂川、国分寺の三分水が許可された。その後、武蔵野の村々から相次いで分水の願い出があり、許可された数は三十三ヶ所におよび、未墾の武蔵野の開拓をたすけ、今日の繁栄を招いたのである。」と小平市教育委員会よりある。

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  この兄弟の石碑と像は、玉川上水の羽村の取り入れ口近くにある。この工事を短期間で完成させた褒賞として”玉川”という苗字を名乗ることを許されたという。当時の状況を考えると、約半年で開削したというのは並大抵の苦労ではなかったかと思う。・・・・本日のウォーキング歩数は約15,000歩であった。

七味温泉野天風呂

 上信越自動車道の須坂・長野東ICをおりて須坂市の蔵通りを抜け、松川渓谷に向かう。あいにくの雨模様であるが水に光る新緑もまたきれいである。山田温泉街を走り五色温泉を右下の渓谷に見て、山田牧場との分岐点を右に松川の河原の方へ進み橋を渡ると七味温泉である。

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 松川渓谷の源流にたたずむ仙境の湯の里、七味温泉は古くから高原の秘湯として親しまれてきた。旅館は4,5軒しかない、橋を渡りすぐ右手の「紅葉館」で日帰り入浴をする。

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 泉質の異なる七つの源泉が湧き出る七味温泉は、標高1,300メートルの高原の避暑地にある。松川の清流が谷間をぬって流れている。雪国の遅い春には新緑の芽吹きがきれいだ。

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 玄関を入ると木細工の作品がたくさん並んでいる。今日は小雨がぱらぱらしているせいかあまりお客さんはいない。入湯料大人一人500円なり。

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 野天風呂からは新緑の松川渓谷が一望できる。お湯は硫黄泉のにおいと白色で体が温まる。源泉70度の含食塩石膏硫化水素泉で、リューマチ、皮膚病、アトピー性皮膚炎、心臓病、胃腸病などに効能があるという。

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 洞窟温泉、野天風呂というふれ込みだったので期待をしていたが、今日の洞窟風呂は女性の時間帯になっていてはいれなかった。残念である。

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 一時間ぐらいのんびりと湯につかり、信州高山温泉郷を後にした。お上さんの話だと、ここ松川渓谷は紅葉の渓谷日本一になったのだという。確かに紅葉の時期はきれいだと思う。但し道路は一本道なので山田温泉ぐらいまで車が渋滞するといっていた。

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 今日は入浴している人がいないので、こうしてカメラを持ち込むことができた。紅葉の時期にまた、この温泉に浸かりに来たい。野天風呂からススキの穂、赤、黄色に色づいた木々の葉を見るのもまた風情があっていいと思う。山野草に癒されのんびりとお風呂を楽しみたいものだ。・・・・・と考えながら、コシアブラのてんぷらと山椒の葉の味噌和えをつまみにおいしい酒をいただいている。

戸隠の花と鳥

 戸隠の花と野鳥を見に行く。長野からバードラインを上り、途中戸隠神社中社の前にある蕎麦処「うずら家」で腹ごしらえ。いつものように並んでいる。順番を待つ間に中社の石段を上り参拝をする。

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2009_05_15__3295   戸隠の三本杉・・・「三樹各七十二メートル間隔正三角状にある。鳥居左にあるもの目通り十六メートル高さ目測三十八メートル、右にあるもの目通り九.四メートル高さ目測四十二メートル石段上にあるもの目通り七,三メートル高さ目測三十七メートル、この三本杉は、百比丘の伝説があり古来より御神木としてあがめている。」と戸隠観光協会の説明がある。

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  うずら屋のてんぷら蕎麦を食べる。1700円也。有名なだけに期待をしていたが蕎麦通の私にはちょっと期待はずれ。でも美味しい。

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 中社を後に、奥社入口の森林植物園を歩く。ミズバショウとカタクリがきれいに咲いていた。ニリンソウの群生の中にミズバショウが一輪咲いている。

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  木道の反対側のミズバショウの中にアカハラがいる。ちょうど良いポーズをとってくれている。そのさきのミズバショウの根元にクロジがいた。あしもとの水たまりではかえるが交尾中、春たけなわの戸隠である。

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 木の上の方を見ると、アカゲラが忙しく動いている。普通は木の幹に止まって尾羽で体を支えているが、枝の先の木の芽をつついているのかしっかり止まれなくてあせっている感じである。アカゲラのこんな姿は初めてみた。

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 その下の木にはニューナイスズメが囀りながら忙しそうである。遠くではコルリ、ミソサザエが鳴いている。6月に入るとアカショウビンもやってくるだろう。楽しみである。

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2009_05_15__3477 カタクリはそろそろ終わりの時期になっていたがまだきれいに咲いているところもあった。

 

 夕食は、今日朝採りたてのタラノメ、コシアブラノてんぷら、フキの油いためで冷たいビールを飲む。幸せな一日であった。

善光寺御開帳を行く

 朝の五時半、中央道、圏央道を通り、鶴ヶ島から関越道に入る。藤岡から左に入り、車は上信越自動車道を長野に向かって走る。妙義山の垂直に立つ岩肌の間に遠く浅間山の煙が見える。雨上がりの空は空気が透き通って見えるようだ。新緑の横川サービスエリアで休憩して軽井沢トンネルを抜けると長野県に入る。

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  高速道路から見える北アルプスの頂にはまだたくさんの雪が残る。北アルプスが一望に見えるのは久しぶりなので、佐久平サービスエリアの高速をまたぐ橋の上まで車を走らせて、そこから穂高から常念、白馬、鹿島槍等の山容を眺める。芽吹き始めた佐久の緑に映えて雪のアルプスがきれいに映る。

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  高速道路を長野インターで下り善光寺方面に向かう。車は県外ナンバーが多く、ちょうど出勤時間帯に重なったのか渋滞気味である。善光寺の廻りには大きな駐車場がたくさんあり、九時ごろには着いたのでスムーズに入れた。駐車場のトイレが気に入った。看板が「御安心所」、入り口案内が善男、善女と書かれていて見た目に心地よい。

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 境内には、赤白のつつじの花、池のまわりにはカキツバタの花がきれいに咲いている。駐車場は本堂の裏手にあるので、山門まで行くには大勢の参拝客の中、玉砂利を敷き詰めた置石の上を歩く。山門から回向柱までは一時間待ちの長蛇の列である。

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  善光寺は「南無阿弥陀仏」のお寺様であるが、天台宗と浄土宗で運営されている。宗派にこだわらないお寺として誰でも受け入れる珍しいお寺である。

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御開帳参拝のつぼは其の壱から其の八まである。

其の壱・・・・回向柱に触れる。 本堂前に立つ大きな角塔婆を回向柱という。この柱には、本堂内々陣に安置された前立本尊、中尊阿弥陀如来右手へとつながる善の綱が結ばれている。この柱を触れることで、前立本尊との御縁が結ばれる。

其の弐・・・・前立本尊(まえだちほんぞん)を参拝する。(内陣参拝)  前立本尊とは、御本尊の前にお立ちになる仏様という意味である。善光寺の御本尊は絶対のお秘仏で、決して其のお姿を現されることは無い。そこでこの仏さまのお姿をお写しした仏さま、つまり御分身の仏さまである前立本尊を、七年に一度、御宝庫から本堂にお迎えして開帳するのが、善光寺前立本尊御開帳なのである。

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撮影禁止なのでポスターより

其の参・・・・お戒壇めぐりをする。 お戒壇めぐりは、ご本尊真下の真っ暗な回廊を巡って「極楽の錠前」を探り当て、秘仏の御本尊と結縁する道場である。お戒壇内は、右手で腰の高さの壁を伝って進むと探り当てることができる。しっかりと握ってきたので極楽往生は間違いなしだろう。

其の四・・・・御印文を頂戴する。  御印文とは、御本尊の功徳がこめられた三つの御判で「ごはんさん」とも呼ばれる。これらの御判は、御本尊の三体の仏さま(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)のご分身と伝えられている。通常は正月7日から15日までしか行われていないが、御開帳の期間だけは特別にお授けしている。妻戸台のの前で頭に頂戴する。

其の五・・・・経蔵を参拝する。  本堂の西側にある経蔵は、1759年善光寺大勧進住職78世香巌大僧正によって建立された。仏教経典のすべてを網羅した一切経が収められている。経蔵内部の中央には、輪蔵と呼ばれる独楽のような形をした書庫がある。この輪蔵を回すことによって一切経のすべてを読んだと同じ功徳が得られるといわれている。現在は調査中のため輪蔵は回すことはできない。

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 その代わりに、輪廻塔がある。経蔵まえにある一対の石柱で「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれている。石柱の中央にはめ込まれた輪廻車を回すと極楽往生できるといわれている。

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其の六・・・・史料館を拝観する。  本堂北西の日本忠霊殿には、善光寺史料館が併設されており、絵馬などの史料が納められている。内部は、今回の御開帳にあわせて改装され、御開帳特別展示が行われている。

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其の七・・・・御供養や御祈願をする。   本堂正面西側の納経所では、皆様の御供養や御祈願を受け付けている。七年に一度のこの勝縁に、善光寺本堂での御供養、御祈願は良い思い出になる。

其の八・・・・ご家庭にも回向柱を。  御開帳のシンボル「回向柱」のお守りである。回向柱に書かれた梵字は、宇宙の構成要素である五大を意味し、宇宙に遍満する仏さまの命をあらわしている。「空、風、火、水、地」、キャ、カ、ラ、バ、アと読む。

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この回向柱は元禄の頃から松代藩より寄進される慣わしとなっている。今年松代より奉納された回向柱は、樹齢約二百五十年の杉が使われている。

 七年に一度なので、この次は今ように元気で参拝できるかどうかはわからない。私も長野市出身ではあるが善光寺の御開帳は始めてである。このつぎの御開帳も参拝できるよう健康でいたいものである。

浅間山とムサシノキスゲ

 朝から夏の陽射しで、少し歩くと汗ばむような天気である。浅間山のムサシノキスゲを見に行く。あわよくば珍しい鳥がいないかなと淡い期待とともに向かう。多摩霊園から入る。クヌギ、ナラなどの雑木林の新緑の下を登る。

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 多磨霊園は面積40万坪にも及ぶ日本最大の公営墓地である。大正12年に東京都が都市計画の一環として完成させた、日本初の公園墓地でもある。墓地の中はバスがはしりバス停もある。著名人が数多く眠っていることで有名である。与謝野晶子・鉄幹、田山花袋、菊池寛、三島由紀夫、北原白秋、江戸川乱歩、吉川英治、最近の人では向田邦子、長谷川町子などである。

 

浅間山については府中市教育委員会の説明によると、『浅間山は前山・中山・堂山の三つの小さな峰からなり、その名は堂山の頂に祀られている浅間神社に由来します。海抜八十メートルで、周囲との高さは三十メートルに過ぎませんが、周囲にさえぎるものが無いため、眺望はなかなか良好です。

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正確には79.6メートル

 この浅間山は、地質的にみると、多摩川対岸の多摩丘陵と同じで、古多摩川やその他の河川により周囲がけずり取られ、ここだけが孤立丘として残ったものと考えられています。

また浅間山を中心に、その周辺に広がる人見が原の地は、かって南北朝期代の正平七年(1352)、足利尊氏と新田義興・義宗兄弟の軍が両朝の命運をかけて戦った古戦場であり、都の旧跡に指定されています。』とある。

 現在はほとんどが宅地化され、往時の面影をしのぶものはほとんど無い。

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 きすげ橋を渡り、整備された山道を登ると浅間神社に出る。天気が良いのでたくさんの人がいる。そこを少し下るとキスゲの群生地に出る。

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東京都の説明によると、『ムサシノキスゲはニッコウキスゲの変種で低所の乾地におりた型である。ユリ科、ワスレナグサ属に分類される多年草で、丘陵地の林下、ときには草地に生育し、花は淡橙黄色で、素敵な芳香があり、3~6花を5月上旬から下旬に開く。花は6つに分かれ、花型は、ニッコウキスゲというよりノカンゾウ型で、葉は細長く8月には枯れ始める。なお、自生地は現在ここ浅間山だけである。』といわれている。

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 香りがよく、きれいな色をしている。自生地がここだけと聞くと大事に守ってやりたいと思う。まだ咲き始めなのでしばらくの間はきれいな花を楽しめる。

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ムサシノキスゲ

 浅間神社を後に橋を渡ると、雑木林の方から「ホイ、ホイ、ホイ」というさえずりが聞こえてくる。サンコウチョウの鳴き声である、カメラを構えた人が2,3人、サンコウチョウがいるという。しばらく待つと鳴き声とともに潅木の中を飛び回っている姿が見える。尾が長いので他の鳥とは区別がつくが、餌をとっているのか藪の下におりてしまい、枝にとまってくれないのでカメラにはなかなか収まらない。

 

結局、二時間ほど粘ったが姿を見ただけで写真には残すことができなかった。残念だが引き上げることにした。私にとってはサンコウチョウは初見初鳥であった。

新緑の奥多摩

 連休の最後は朝から雨になってしまった。天気予報によると、ところによっては雨は上がるかも知れないが降水確率は80%とのこと。殆ど雨である。

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 雨でも連休の最後だから出かけてみる。奥多摩駅を降りて急な石段を降りると多摩川上流の河原に出る。雨なので河原に出ている人は少ないが鱒釣りをしている人がいる。さすがに上流だけあって水はきれいだ。川底の石がきれいに見える。

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 奥多摩駅のひとつ手前の駅、白丸から舗装道路を少し歩き、十一面観音堂を右にみてさらに山道を奥に進むと、「数馬の切り通し」がある。奥多摩町指定史跡になっている。

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 説明によると、『元禄年間(1688~1704)に木材などの物資の運搬のために造られたもの。巨大な岩に火を焚き、水をかけて砕き、ツルハシとゲンノウで切り開いたという。両側が巨大な岩になっている切り通しの先、行き止まりのようなところを左側に下りると、片側に岩肌がむき出しの切り通しがある。』、この道を切り開いた苦労の程が偲ばれる。この先は行き止まりなので元の道を引き返す。

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 青梅街道に下りると白丸湖に出る。発電用に造られた白丸ダムによって、多摩川がせき止められてできた細長い湖。青緑色というのだろうか、深い色をたたえた静かな湖面は神秘的でさえある。対岸に渡る橋の上からその美しさが堪能できる。雨でなければもっといい色に見えるのだろう。

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 橋を渡ったところに一軒家がある。「奥多摩、白丸ダムの美しい風景の中にひっそりと佇む和風の一軒家。そこが森のカフェ、アースガーデン。」であるという店主の言葉どうり、山すその杉木立の中に静かに佇んでいる。

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 身体にも心にも美味しい食材ということで、野菜、山菜など奥多摩産の食材でヘルシーな料理を楽しめる。店内からは食事をしながら白丸湖が見下ろせるすばらしい環境である。

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 お奨めのアースガーデンランチを食す。大丹波のマスのフライに玄米ご飯、スープ、サラダにわさび漬け。雨の日、雪の日はコーヒーお替り自由で1500円。お徳である。玄米ご飯は美味しいのでお替りをしてしまった。

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 雨は止みそうもなく、激しくなってきたので今回は鳥見はあきらめて、早々に帰ることにした。でもコーヒーのお替り自由は雨ならではであった。

旧富澤家住宅とカワセミ

 多摩センター駅を下りてパルテノン多摩の石段を登ると噴水のある池があり、右手にまわると多摩中央公園に出る。中央には大きな池があり水鳥が泳いでいる。芝生が切れて大きな林があるがその中に旧富澤家住宅がある。

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 南側に門構えがあり、中に入ると大きな池がある。池のほとりにはシランの花が咲いている。池はきれいに手入れがされていて新緑が目に鮮やかに映る。

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 富澤家は説明によると、『富澤家の家譜によれば、当家の先祖政本は、今川氏の家臣で、永禄3年(1560) 今川義元が桶狭間の戦いで滅ぼされた後、逃れてこの地に土着した。その後、政本の子忠岐(通称 忠右衛門)が、初代名主を務め、以後代々連光寺村の名主を世襲した。

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 当家は、明治天皇はじめ皇族方が、明治14年(1881)以来幾度かこの地に狩などに行幸、行啓した際に「御小休所」として利用された由緒ある家である。』

 平成2年5月、多摩市連光寺富澤政宏氏より寄贈を受け、復元移築したものである。とのことである。

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 この池には小魚がいるらしくカワセミがいる。今日も池の石の上にとまっていた。いつも水の中に飛び込んでいるので水浴びなどはしないのかと思っていたら、なんと水浴びをして羽つくろいをしていた。雄の成鳥のようで羽の色はきれいだ。

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 「飛ぶ宝石」などといわれているカワセミは水の澄んだ清流にすむ美しい野鳥というイメージが強いが、最近では、清流というイメージとは程遠い池や小川にもたくさん見られるようになった。それだけカワセミが環境に順応してきたのかもしれない。最近では年に一度だった繁殖行動が二度三度になってきたという話もある。カワセミの適応力、生命力はすごいものである。

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 動植物の適応力、生命力だけに期待するのではなく、われわれもこの美しい自然環境を動植物にやさしい自然環境として守り続けなけらばならないと思う。私のバードウオッチングのきっかけはこのカワセミのきれいな羽の色に魅せられたのが始まりであった。

トビの食事

 今年の連休は喪中ということで、遠出はやめて近場で楽しむことにした。多摩川の河原を歩く。

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 トビとカラスがにぎやかにバトルをやっている。セッカとオオヨシキリ狙いで緑が芽吹きはじめた河原を歩いていると、近くでトビの声が聞こえる。そこにカラスが来てちょっかいを出している。

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 よく見ると、川の流れのため池状のところの鯉が犠牲になっている。餌の取り合いをトビとカラスがやっていた。見た目はトビが強いと思うが、カラスもまけていない。横取りしようと必死である。

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 トビは鴨などはあまり狙わないのか、その水溜りのすぐそばでカルガモのペアーがのんびりと泳いでいる。これがオオタカであったらそうはいかないのだろう。

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 どちらかというと、トビはあまり人気が無いが近くでみるとなかなか立派な顔をしている。鋭いくちばし、鋭い目はやはり猛禽類である。

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 トビの名前の由来は、飛翔能力に優れていることから、「飛び」が語源とか。タカ科トビ属である。都会ではあまり見かけなくまったが、漁村などでは群れをなしてのんびり空を舞う姿を見ることができる。

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 東尋坊に行ったときは、トビが「人の持っているアイスクリームを狙うから注意」、とかかれていたことがあったことを思い出す。

アカマツなどが生えている低い山がトビにとっては快適な繁殖環境であり、同時にねぐら環境でもある。真鶴の松林、三浦半島などに多いのもこういう環境がととのっているからなのだろう。

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 おもに動物の死体や死んだ魚、生ごみなどを食べている。カラスに近い食生活をしているようである。集団でねぐらをつくるのは、こうした餌場に関する情報を伝え合う意味があるらしい。

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 彼らの一日の実働時間は5~6時間。朝遅くねぐらを飛び立ち、のんびりと菜食して、午後は昼寝と休息時間に当てるというのがトビたちの優雅な一日である。

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 なぜか、身近にもこういう生活をしている人が思い当たる。優雅かどうかは本人に聞いてみないとわからないが?。

野川公園の花

 京王線柴崎駅を降りて線路沿いに野川の方向に歩く。国道20号線と野川の交差するところにあずまやがあり、そこから河原に下りることができる。菜の花の咲く河原の道を野川公園へと歩く。

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 川の水は豊富できれいな流れだ。カルガモ、コサギ、コガモなどがいる。川の中には大きな鯉が泳いでいる。柴崎から公園までは約一時間ぐらい。水車のある”しんぐるま”を左手にみて新緑の河原を歩く、近藤勇の墓のある龍源寺の御狩野橋の下をくぐり、東八道路を抜けると野川公園に出る。

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 アメリカンスクールの東側に広がる公園。元はICU(国際基督教大学)のゴルフ場だったというだけあって、芝生が一面に広がりすばらしい公園だ。なんとなくゴルフコースが思い出されるような公園である。広さは約40万㎡もあるこの公園は、ゲンジボタルが生息するほたるの里やわんぱく広場、憩いの広場、武蔵野の森と緑が続いている。

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セリバヒエンソウ

 今日は天気が良いので公園を流れる野川は子どもたちで一杯だ。いつもならカワセミが飛び交う野川もカワセミの止まる場所が無い。

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 自然観察園では春の野草が咲き誇っているのでぶらぶらしてみる。木道がきれいに整備され新緑にまぶしい陽の光が心地よい。小鳥達もいなくなり、ヒヨドリとコゲラが元気に飛び回っている。

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 しばし春の野草観察をすることにする。

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 ホウチャクソウ

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 ホタルカズラ

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 ジシバリ

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 オヘビイチゴ

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 タツナミソウ

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 ジュウニヒトエ

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 ケキツネノボタン

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エビネ

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ニリンソウ

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レンゲソウ

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チョウジソウ

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