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玉川上水緑道を歩くその一

 多摩都市モノレールの玉川上水駅を降り、川沿いの玉川上水緑道を鷹の台駅まで歩く。約4kmの散策である。

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 清流の復活、玉川上水の案内がある。

 「玉川上水は、約350年前(承応2~3年)江戸の飲料水供給のために、作られた上水路です。  この上水は、江戸市中への飲料水の供給という本来の目的を果たすため以外に、武蔵野台地の各地に分水され、飲料水・かんがい用水・水車の動力として、武蔵野の開発に大きな役割をはたしました。  近年まで、この上水路はそのまま淀橋浄水場への導入路としてして使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止に伴い、昭和40年以後小平監視所より下流については、水が途絶えていました。  しかし、このたび東京都の清流復活事業により、野火止用水に続き玉川上水にも昭和61年8月清流がよみがえりました。」

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 平成12年に「甦る水100選」に選ばれている。今ではきれいな水が流れ魚が元気に泳いでいる。ここからは川面に近いところから玉川上水が眺められる。

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  緑濃い雑木林を下流にむかって歩く。歩道は整備されていて歩きやすい。聞こえるのは、ヒヨドリ、シジュウカラ、ヤマガラ、などの野鳥の声、新緑の葉とともにすがすがしい。

  歩く人も多いが、ジョギングの人もかなり多い。古木の緑の葉が陽射しをさえぎってくれるので暑さがしのげる。ジョギングは男性も多いが女性が圧倒的に多い。日本の女子のマラソンが強いのもわかるような気がする。

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  この緑道沿いは文教地域なのか学校が多い、小平西校、武蔵野美大、朝鮮大学校を左に見ながら進むと、上水公園に出る。玉川上水と分水道が平行して流れる緑道をさらに進むと創価高校がある。水と緑に囲まれて学習環境としては最高である。

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  鷹野台の駅の近くに来ると、橋のたもとの潅木に、人だかりがある。何かと覗いてみると蛇がいるではないか、逃げもせずじっとしているのでよく見ると、アオダイショウが二匹絡みあっている。なんと交尾中であった。蛇の世界も繁殖期なのである。

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 西武国分寺線をわたり、津田塾大のキャンパスを左に見て鎌倉橋まで足を伸ばす。緑道の途中にJR武蔵野線への立て抗口があり電車の走る音が聞こえてくる。

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  玉川上水開設の説明があった。 「天正十八年(1590)徳川家康が江戸に居城を定め、こえて慶長八年(1603)この地に幕府を開くにおよび、居住するものが増加して、飲料水に不足を生じたが、井の頭の池を水源とする神田上水等により、一応の解決をみた。

しかし、寛永十二年(1635)三代将軍家光の諸大名参勤交代の制定からは、江戸の人口が急激に膨張し、再び飲料水に苦慮した。そこで幕府は、多摩川からの引水を計画した。この計画にに対し、工事を願い出たのは、江戸の町人庄右衛門、清右衛門の兄弟であった。 承応二年(1653)幕府は、この願い出を許可して工事費、金七千五百両を与え、工事に着手させた。兄弟は、老中松平信綱の家臣、安松金右衛門の設計を取り入れて、同年四月に着工、同十一月に羽村の取り入れ口から四谷大木戸まで、四十三キロの水路を開き、翌三年六月、江戸城をはじめ、町々への給水を完成した。

幕府は完成した水路五ヶ所に水番屋を設けて見廻らせる一方、要所三十二ヶ所に高札を立てて、水を汚すものを取り締まった。玉川上水開削の目的は、江戸市中への飲料水の供給にあったが、水の乏しい武蔵野の開発にも寄与し、上水完成の翌年には野火止用水への分水、ついで明暦三年(1657)には小川、砂川、国分寺の三分水が許可された。その後、武蔵野の村々から相次いで分水の願い出があり、許可された数は三十三ヶ所におよび、未墾の武蔵野の開拓をたすけ、今日の繁栄を招いたのである。」と小平市教育委員会よりある。

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  この兄弟の石碑と像は、玉川上水の羽村の取り入れ口近くにある。この工事を短期間で完成させた褒賞として”玉川”という苗字を名乗ることを許されたという。当時の状況を考えると、約半年で開削したというのは並大抵の苦労ではなかったかと思う。・・・・本日のウォーキング歩数は約15,000歩であった。

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