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    2008年5月の連休の四国四万十川の旅

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2009年7月

吹割れの滝

  ラベンダーの玉原高原を十時半に出る。駐車場までは一本道なのでのぼり線は大渋滞、私は下りなのですいすいと走る。「早起きは三文の得」を実感しながら走る。

  道の駅川場から120号線に入り、吹き割れの滝に向かう。途中、日本のロマンチック街道といわれるところを走る。七曲はきついが標高830メートル推坂峠からは、谷川岳まで一望でき夕日は絶景との事。残念ながら曇りがちで見ることはできなかった。

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  北関東の名湯、老神温泉入り口を右に見ながら、案内によると紅葉がよさそうなので、この次は温泉めぐりで来ることを決意。滝の周辺はどこも呼び込みで大変、吹割れの滝に一番近い駐車場に止める。500円なり、温泉入浴券つきだが温泉はちょっと遠い。

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               千畳敷 

  石段を河原まで下りる。日本の滝百選  ”吹割れの滝” である。見事な地形である。今までの河原、滝のイメージでは考えられない。砂利、砂の河原ではなく、一面岩盤といった河原である。見事なながめだ。管理のおじさんが「水がもう少し多いといいんだよ」といっていた。確かに水量は少ないようである。

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              吹割の滝  上流より 

  説明によると、『昭和11年12月16日文部省より、天然記念物に指定された吹割の滝は、高さ7m、幅30m余に及び、ごうごうと落下、飛散する瀑布は、東洋のナイアガラといわれております。

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            千畳敷

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           浮島橋と吹割の滝 

  この滝は、凝灰岩、花崗岩の川床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分を浸蝕し、多数の割れ目が生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見るところから、”吹割の滝”の名が生まれました。吹割の滝に続く鱒飛びの滝の壮絶な景観、そして獅子岩と呼ばれる岸壁群の奇景など、独特の渓谷美を見せております。

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             吹割の滝

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  尾瀬付近を源にして流れる片品川の渓谷美は、利根川の支流群中第一といわれ、鱒飛の滝、吹割の滝、般若岩、獅子岩など、数十メートルの断崖がそそり立ち、渓谷の雄大さと美しさは、豊な水量と、澄み切った空気が相まって、春の新緑、夏の清流、秋の紅葉、冬の雪景色など四季のおりなす絵模様は訪れる人を十分に楽しませてくれます。』 とある。

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  遊歩道が整備されていて歩きやすいが、もう少し先までいってみたいと思うところで白線がひいてあり、進入禁止になっているのがざんねんである。でも、岩は水にぬれているとすべりやすいのでやむをえないと思う。

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  水の流れで削り取られた岩の景観はどれを見ても感心するばかりである。永い年月がかかってできたものなのだろう。自然の力の偉大さをまざまざと見せ付けられる場面である。

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       鱒飛の滝 

  浮島橋から滝の全貌を眺めると奇岩と周りの緑、清流の流れで心が癒される感じがする。自然の雄大さを実感する眺めである。

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           千畳敷 と 夫婦岩  

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  帰りの石段の片隅に、小さな黄色の花が咲いていた。キツリフネソウだろう、ひっそりと咲いている花が好きだ。花の形が帆掛け船を吊り下げたように見えることから、釣船草という。

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  休憩所で桑の葉の冷茶を頂く、冷たくてのどにしみる美味しいお茶であった。ちょうど昼ごろになるので近くの蕎麦屋でそばを食べることにした。この辺は蕎麦屋が多く、十割そばが売りのようである。駐車場の管理人のおじさんに聞くと、”十割そば  たかくわ ”が美味しいよ、というので入ることにする。

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  てんぷらそばの十割を注文する。田舎風で美味しいそばであった。てんぷらも田舎風に上がっている。十割というともう少し腰があるかと思ったが、それなりに満足して帰途に着いた。

ラベンダーの咲く高原

  三連休の初日の高速道路は相変わらず渋滞だったようだ、二日目は空いているだろうとの読みから、ラベンダーを玉原高原に見に行くことにした。早朝に出て現地には八時半ごろには着いた。冬はスキー場として利用しているリフトに乗って標高1350メートルの大展望台へと向かう。

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     ラベンダーとオオマルハナバチ 

  夏山リフトの周りの森では、ホオジロ、ホトトギス、ウグイスなどのきれいな声での囀りが聞こえる。ホトトギスの声が聞こえると高原に来たんだという実感が湧く。

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                チコリ

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  ラベンダーはまだ、少し早い感じがするが種類によっては花びらがかなり開いているものもある。花畑の端に霧を発生させるところがあり、涼しさと、マイナスイオンの清涼感を感じる。

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  その花畑の中から、ゆったりとしたシンセサイザーの音楽が聞こえてくる。花と音楽がよくマッチしている。ベンチに腰をおろし聴いていると、すばらしい・・・・、音楽のシャワーを浴びているようで、心からリラックスできるように感じる。

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 誘椰 IZANAGI  さんの音楽であった。ラベンダーの花の中で8台のシンセサイザーを使い演奏する ネイチャーシャワーシンセサイズという音楽である。

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  パンフレットにはこう説明がある。 『雲上はるかな山頂で見渡す大自然の美しさを音楽にしたい。  新緑の峰を渡る風の音楽を創りたい。  私は作曲演奏登山を繰り返した。  雲上の山頂に辿りつきシンセサイザーの鍵盤に手を触れた瞬間からやさしく爽やかな旋律が雲に乗ってはるかな山頂を飛び立つ。  心は青く澄み渡る空を飛遊し、大いなる感動に満たされる。  大雲海、夜明け、御来光、流雲、夕焼け、満天の星空・・・・・大自然のドラマの中で楽曲は音楽をを超えて光を放つ。  多くの人とこの光と感動をわかちたい。』

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  自然の中での音楽、それがこの花畑のブルーのラベンダーと見事に調和して何か力が湧いてくるような感動を与えてくれる。三千メートル級の山に、この機材を担ぎ上げ10年の研究の末に完成したと聞いてさらに感激した。思わず、CDを二枚買ってしまった。

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            ニッコウキスゲ

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           アスチルベ 

  虹の畑に行くとマリーゴールド、ブルーサルビアなどと、アスチルベの花が白色、ピンク、赤とブルーのラベンダーとはまた一つ趣が違う雰囲気を出している。

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  ニッコウキスゲの鮮やかな黄色の群生を見ながら遊歩道を降りてくると、ヤナギランの赤い花がきれいに咲いている。コガネムシが近くの葉陰で交尾中。

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           ヤナギラン

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  冷たい水が流れる水芭蕉の池の脇にはナツアカネのメスが一休み。空にはトンボ、蝶々が青空に向かってのびのびと飛んでいる。変わりやすい天気だが、青空が見えて陽射しは暑い。でも高原だけあって、日陰に入るとさすがに涼しい風に当たることができる。

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      ラベンダーとナツアカネ

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        ラベンダーに止まる ナミヒョウモン

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  早めに切り上げて、吹き割れの滝を見に行くことにする。ラベンダー畑の丘にはブナの鐘、妖精たちの鐘と二つの鐘があり、それぞれ紫色の絨毯をバックに幸せの音色が高原の涼しさを演出している。

ツミとオナガ

 梅雨あけと同時にせみの鳴き声が多く聞かれるようになった。今鳴いているのはニイニイゼミ、子供の頃は田植えゼミといって、田植えの頃に鳴き始める。見た目はあまりきれいではないので、子どもたちには人気が無い。

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           ムクドリ♀

 アブラゼミ、ミンミンゼミが鳴きだすと夏も本番という感じがする。最近私の家の周りではヒグラシがうるさくなく。私の子どもの頃の記憶では夕方  カナカナ・・・と鳴くのがヒグラシだと思っていたが朝早くからヒグラシが鳴いている。 朝晩になくのがヒグラシの特徴のようである。

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            ムクドリ ♂

 近くの公園をぶらぶらしていると、ツミの鳴き声がする。今年の幼鳥だろうか3羽が飛び回っている。近くにいるハトを狙っているのか、ハトの群れに飛び込んでいた。自分と同じぐらいの大きさのハトは無理だろうと思うが、そこは幼鳥の挑戦心か、ゴルフの石川 遼君のような若若しさを感じる。

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 ツミは、スズメのような小鳥を良く狩ることから「須須美多加」といい、それが転じて「ツミ」となったといわれている。ハイタカやオオタカ同様に、雌のほうが雄より大きい。ツミはハイタカと同様に雌雄の羽色も異なっている。雄は横じまが無く黄色っぽい、雌は横じまがはっきりしている。

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 おそらく鷹狩りに使う必要からか、これらの三種は、古くから雌雄に別の名がついている。ツミでは、雌はツミ、雄はエッサイという。漢字では悦哉。悦の一つの意味は 「喜んで従う」 であるから、鷹狩り用のタカとして 「飼いやすく、仕込みやすい鷹」 の意味かもしれない。

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 ツミのいるところにはいつもオナガがいる。この公園ではどちらも営巣しているようである。尾が長いから「尾長」。昔はユーラシア大陸に広く分布していたが、氷河期を経て東西の端にだけ残ったといわれている。

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 オナガの名は「尾羽の長い鳥、尾長鳥」の略。尾長と書く。

 オナガドリは鶏の品種の一つ。日本鶏「尾長鶏」のこと。 オナガはカラス科オナガ属、1属1種、9亜種に分類されている。ユーラシア大陸東端の中国東部、朝鮮半島、日本と西端のイベリア半島のみに分布する。

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 特徴は、全長37cm、雌雄同色、頭は黒色で翼と長い尾は空色、体は灰褐色、分布は関東から信州以北の本州に局地的に分布する。一年中良く統制のとれた群れで生活し、なわばりの中にいくつかのつがいが巣を作る。鳴き方は 「ゲーイ、ゲーイ・・・・」とあまり上品ではない。

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 オナガも、さすがに暑いのか口を開けて羽をばたばたさせている。

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        オニユリ  (純潔)

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           アガバンサス (恋の訪れ)

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 公園の土手には夏の花が咲き始めている。花の咲き方によって季節を感じてきた我々もいつまでその経験が活きるのだろうか、温暖化でセミの鳴き方、花の咲き方が変わってきているように感じる。今年の梅雨も終わって見れば、ここ多摩では梅雨らしい雨は少なかったように思われる。 降るときに降らないと、これがまた干ばつとかほかへの影響が大きくなる。自然の摂理に従うのが幸せなのだろう。

日本の上空で空と雲

 久々に札幌から福岡までの飛行機に乗った。窓側の席だったので雲の上から外を眺めることができた。

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 新千歳を定刻に出発すると、一気に一万メートルを目指して上昇する。水平飛行に移るとさすがにリラックスできる。何回乗っても離着陸は緊張する。眼下に空港を見ながら上昇を続ける雲間に北海道の広大な原野、農場、ゴルフ場等が眺望できる。

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            新千歳空港

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  遠くエゾ富士といわれる羊蹄山、眼下に支笏湖が見える。天気も良く雲は多いがはっきりと見ることができる。

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               羊蹄山

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              支笏湖

  しばらく雲上の人となって思いめぐらすと、学生時代の「夜間飛行」という深夜のラジオ番組を思い出した。ジェットストリームといって城 達也のナレーションで始まるのである。あの甘く耳に心地よい声を思い出した。学生時代は勉強のためか、深夜まで起きていたのでよく聴いたものだ。

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 『遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき  はるか雲海の上を音も無く流れる気流は  限りない宇宙の営みを告げています。

 満天の星をいただく  豊に流れ行く風に、心を開けばきらめく星座の物語も聞こえてくる なんと饒舌なことでしょうか  まぶたに浮かんで参ります。

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 日本航空があなたにお送りする 音楽の定期便 ”ジェット ストリーム” 皆様の夜間飛行のお供をいたします パイロットは 私 城 達也 です。

 夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは 遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと区別がつかなくなります 

お送りしておりますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように。』

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 「夜間飛行」は、ニューヨークへの国際便である、低く甘いささやきは、少しきざっぽいイントネーションではあるが、昭和40年代の音楽とともに忘れられない思い出である。今でも当時の雰囲気に浸ることができる。

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 福岡に近づくと、日本海に小さな島が見えてきた、位置的には山口県沖の見島かなと思う。高度を一気に下げると九州の陸地が見えてきた。福岡空港は町の真ん中に下りていく日本でも数少ない空港だろう。利用者にとっては便利でいいが周辺の住民にとっては迷惑なことが多いのだろうと考えながら着陸の準備をする。

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 福岡の天気は、梅雨明けを思わせるかんかん照りの、真夏の太陽が上空にあった。明日は 福岡祇園の ”山笠” の最終日とかで人出は多いように感じた。早朝、四時五十九分スタートだという山車を早起きしてみてみたいと思う。

「  さても見事な 櫛田のぎなん ぎなん 枝も 栄ゆりや 葉も 繁る」  二番山笠 

   中洲流   中洲の居酒屋で 博多三本締めを教わり、豆絞りの鉢巻、ふんどし、白足袋のいなせな男衆 から扇子をいただいた。

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 東京への帰りの飛行機も窓側の席だったので、大島上空あたりで富士山が雲の上に頭を出しているのが見えた。やはり富士山は日本一の山だと思った。 いつもだと飛行機の席は、早く降りれるようにと通路側を指定するので、天気の良いときは窓側もいいものだと思いながらジェットストリームの思い出を楽しんでいると飛行機は静かに羽田空港に着陸した。。

多摩川 中洲 散歩

 天気予報では、近郊は雨が降るかも知れないといっているので、近場を歩くことにする。久しぶりに多摩川に行ってみる。

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            アオサギ 

 早朝から釣り人が一人、愛鳥家が一人、そして自然愛好家の私が一人、土手を歩く人、走る人はたくさんいる。皆さん健康志向で結構です。

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           アオサギとコサギ

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               ホオジロ

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           カイツブリ

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          ムクドリ 幼鳥♀

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              アオサギ

 鳥も少なくなったので、花を見ながら中州を歩く、あまり人が入らないのか草が伸び放題、でも踏み分け後をたどりながら水辺まで行く。草葉を掻き分けてきたので朝の露でズボンはびしょぬれになってしまった。

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            カワウの大群

 上野の不忍の池をねぐらにしているカワウの群れが多摩川に朝の食事に来たようである。約200羽ぐらいでしょうか。鮎を放流するとつり人と競争になるようである。

 石ころだらけの河原に出ると、葦の草むらにセッカが止まっている。子育て中らしく口に虫をくわえているようである。こんなときもちゃんとセッカとまりを見せてくれる。口に虫、両足は葦にと急がしそうである。

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 近くの木にチョウゲンボウの姿を発見。カワラヒワの群れと同じ木に止まり、一緒に朝の食事を探しているのだろうか。カワラヒワはトダシバを見つけて食事開始。

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          チョウゲンボウ

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           カワラヒワのペア

 石ころだらけの河原にも、結構きれいな花が咲いている。

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           ハルシャギク

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       マツヨイグサ

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        アカツメクサ

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             ブッドレア          

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            ヒルガオ

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             ヒメジオン

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  早朝ウオーキングで、目もくれないで歩いていることがあるが、足元を良く見ると普段みたこともない花があることに気が付く。季節ごとに変わる花を注意してみていこうと思う。人生と同じで、華々しく派手に目立つよりもじっと路傍の片隅で小さくてもきれいな花をさかせている花のように、気が付いてくれる人だけにわかってもらえるような生き方もいいかなと思う。

靖国神社参拝

  しばらくぶりに九段下まで行ったので、靖国神社まで足をのばして参拝をしてきた。東京のお盆に合わせて、この13日から16日「まで「みたままつり」が行われる。其の準備をしているのか、参道脇にたくさんの提灯が飾られていた。それぞれの「御芳志」のかたがたの名前が書かれている。

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 正面から見ると鳥居の中心に銅像が見える。幕末の会津城を睨んでいる 「大村益次郎」の銅像である。

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 大村益次郎については次のように説明がある。『大村益次郎は文政七年(1824)、周防国鋳銭司村(現、山口県山口市)の医者の家に生まれ、はじめ村田蔵六といった。広瀬淡窓について儒学を、緒方洪庵について蘭学を学び、嘉永の初め宇和島藩に仕えてはじめて西洋式軍艦を設計建造。

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さらに江戸に出て私塾 「鳩居堂」 を開き、幕府の講武所教授等を勤め蘭学者、蘭方医、兵学者としてその名を高めた。ついで桂小五郎の推薦により長州藩に仕え、慶応二年、第二次長州征伐の折に、石州口の戦を指揮して幕府軍を破り戦術家として脚光を浴びた。

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 戊辰戦争では新政府の軍務局判事に任じられ、大総督府に参じ東北の乱を平定。ついで兵部大輔に任じられ、建議して軍制を洋式に改めることを主唱したため攘夷主義者を刺激し、京都出張中の明治二年(1869)九月、不満士族に襲われて重症を被り、同年十一月五日大阪にて歿した。四十六歳。

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 明治二年六月、戊辰戦争の戦没者を祀る東京招魂社(現、靖国神社)の創建に際し、社地選定のため同月十二日、この地を視察したことも記録に見え、靖国神社創建者としての功績は大きく、明治十五年、伯爵山田顕義らにより銅像の建立が発議され、宮内省から御下賜金の御沙汰もあり、彫刻師大熊氏廣に塑型の製作が委嘱された。

 大熊氏廣は明治九年、工部美術学校の開設と同時にその彫刻科に入学し、イタリア人教師ラグーザの薫陶をうけ、同十五年に主席で卒業する。卒業後は工部省に入り、皇居造営の彫刻制作に従事、明治十八年に大村益次郎の銅像製作を委嘱されると、この任を重んじ彫刻研究のため欧州に留学する。

パリ美術学校ではファルギエルにつき、ローマ美術学校ではアレグレッティ、さらには巨匠モンテベルデに入門した。大熊氏廣の帰朝後、漸く明治二十六年にいたりこの地にわが国最初の西洋式銅像が建立された。大熊はキヨソネの描いた大村益次郎の肖像画や遺族らに取材しながら製作にあたったという。

陣羽織をつけ左手に双眼鏡をもち、東北の方を望む姿は、上野東叡山にたてこもる彰義隊討伐の時の様子といわれる。後に大熊は、有栖川宮熾親王、小松宮彰仁親王などの彫像を制作し、文部省美術展覧会審議委員を務めた。』

参道の途中右手に「慰霊之泉」・・・戦没者に水をささげる母の像がある。

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              慰霊之泉 

 『戦没者の多くは 故国の母を想い 清い水を求めながら 息をひきとりました この彫刻は 清らかな水を捧げる慈愛に溢れる母を 抽象的に表現したものです また この母の像の外壁は 日本古来の宮や社にある固有の 簡素なたたずまいを表します そして背後には 第二次世界大戦激戦地の戦跡の石を収集して展示しております』

と東京キワニスクラブの説明がある。

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 本殿、社の手前に戦没者のお母さんへの手紙があった。陸軍中尉 伊賀新太郎さん 昭和十九年七月十六日 比島ルソン島北方海域にて戦死 二十六歳。

『      ”大好きなお母さん”

お母さん、新太郎の大好きなお母さん。笑ってください。決して泣かないでください。新太郎は堂々と闘ったのです。大部分はお母さんのお手柄であります。

新太郎の行動の後にはお母さんの優しいお姿が何時も付いて居て、新太郎を励ましてくださったのです。美しい名も無き野花の真ん中に打ち伏すとも、キラキラと銀色に輝く南海の藍の底に眠るとも、新太郎はお母さんの懐の中に眠るが如く安らかに眠ります。何も話をしなくともお母さんのお顔を見ているだけで新太郎は何時も満足でありました。

御心尽くしの御守札は最後まで私の傍にあります。何も書けません。お母さん、新太郎の大好きなお母さん、たくさんの一人息子を国に捧げた人もあります。強く明るく生きて下さい。お祈り致します。伯父様の後に続きます。私共の後に続く者の強き足音が聞こえて参ります。日本は必ず勝ちます。大日本帝国万歳 天皇陛下万歳                 御母上様  新太郎  』

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           提灯には女性の名前が多い 

 私の伯父もここ靖国神社に英霊となっている。手紙を読み終えて、国の指導者の判断力と決断力、実行力というものの重さをあらためて考えさせられた。命の尊さを考えると、最近立て続けに起きている事件が残念でならない。「だれでもよかった・・・」は世の中への甘えか、自分を産んでくれた母親のこと、育ててくれた両親、祖父母、家族のことを考えると軽はずみな行動は取れるものではない。学校での教育、家庭での育て方に問題があるのだろうか。

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 今日は都議会議員選挙、総選挙も控えている。指導者を責任もって選出したいものだ。子どもたちが安心して住める日本を創れる人、日本の国の舵取りを託せる人を、一人一人が真剣に考え貴重な権利を行使し、その活動を監視していくべきだと思う。

早朝の蓮  小山田

 町田の小山田、鶴見川のそばに大きな蓮田がある。梅雨の休みに出かけてみる。薄日がでてきたので撮影には絶好と勇んでみた。まだだれも来ていない。

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 蓮は、インド、イラン、中国に分布する水生植物。日本には古い時代に中国から渡来し、各地で栽培されている。早朝に花が咲き、四日目には花びらを落としてしまうといわれている。

  大賀一郎博士が千葉県検見川の泥炭層から発掘して開花させた、2000年以上前の ”大賀蓮” が話題になった。

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  朝の六時近くになると、カメラをぶら下げた人達が増えてきた。あぜ道を壊さないように、滑り落ちないように、花と足元に注意しながら歩く。

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 蓮は、スイレン科の耐寒性宿根草で、別名 ハチス(蜂巣)とも言う。花びらが散った後の形が蜂の巣に似ているところから来ているのだろうか。 因みに花言葉は  ”神聖”。

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 まだ咲き初めなので,7~8月は楽しめると思う。ただ蓮の花は早朝といわれているので、早起きが必要である。私みたいに夜が明ければ起きてしまう習慣の人には問題ないが。

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            蜂巣(?)

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        若草に混じって 蓮のつぼみが緑の競演

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蓮田の畦に ニッコウキスゲが一輪

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 帰りに近くの公園を通ると、オナガとツミの声が聞こえていたのでぐるりと一周してみる。ツミは幼鳥らしきものが三羽見えた。なぜかオナガのいるところにはツミがいることが多い。オナガはコナラの木のコケのようなものを口にくわえていた。私もサンデイモーニングを楽しむために七時半には家に戻ってきた。

高山  古い町並散歩

  郡上八幡から東海北陸自動車道、中部縦貫自動車道を走り飛騨高山に向かう。道路が空いているので快適なドライブ。標高1050メートルのひるがの高原から左手に2702メートルの白山連峰見ながら走る。さすがに涼しい。

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 高山は古い町並を歩く。城下町の中心、商人町として発達した上町、下町の三すじの町並みをを合わせて”古い町並”と呼んでいる。出格子の連なる軒下には用水が流れ、造り酒屋には杉の葉を玉のれんにした「酒ばやし」がさがり、老舗ののれんが軒を連ねている。

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            酒ばやし

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               さるぼぼ

 手打ち蕎麦の看板の横に白いそばの花が咲いている、入ってみたくなる店造りである。またの機会にすることにして蕎麦の花を撮る。

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  天気も良く、休日とあって人の出が多い。打ち水をしているお店があったが、さすがに涼しさを感じる。美味しそうな蕎麦屋があったので入ることにする。日本蕎麦屋であるが、ラーメンがある。高山ラーメンは細めんのあっさり系、昔ながらの中華そばという感じである。早速、冷たいビールとおしんこ、高山ラーメンを頼む。赤カブの漬物をつまみに飲む一杯がうまい。

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  ここまで、運転手だったのでおおいばりで飲める。町並は、以前来た時よりもさらにきれいに整備されているような感じがする。ただ気になるのは、町並に食べ物屋さんが増えているような気がする事である。

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 春夏秋冬から秋を除いて「商い中」と詠ませている。 

 高山の酒といえば、”鬼ころし”。この造り酒屋に入る。奥の蔵が開放されていて古い酒器や宝ものが陳列されている。真工芸人形、珍しい鳥の十二支があった。

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                おしどり

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   「飛弾の高山」 町並焼酎をお土産にする。

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  町並に合わせた、産婦人科がありとても雰囲気を感じる。こういうところで生まれた赤ちゃんも思い出が深くていいだろうなと思いながら歩く。

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  宮川沿いの交番のところまでくると、交番の軒先にツバメが営巣している。盛んに親鳥が餌を運んでいる。子どもたちは大きく口を開け、我先にと待ち構えている。5羽の雛が育っているようである。

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     まってました・・・ボク、ボク、ボク・・・

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   順番だからねangry

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     今回はこの子・・・shock

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      次に期待しよう・・・think

ツバメ  ツバメ科ツバメ属 全長17cm 夏鳥 少数越冬  古名「つばくらめ」の「つばくら」は鳴き声から、「め」は「群れ」。土を集めて巣を作るので、「土喰黒女」から転じたという説がある。

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     商店街にあった花(不明)

 町並をぶらつき、宮川の赤い橋を渡り、陣屋に向かう。ここでは午前中、陣屋前朝市、宮川朝市が行われている。

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  陣屋前広場と宮川沿いにある朝市は、江戸時代に米市、桑市、花市としてはじまり、明治の中ごろからは野菜が並べられるようになった。そこでは新鮮な野菜や果物、花など四季折々の楽しみがあり、おばさんたちの素朴なやりとり、純粋な高山言葉を聴くことができる。

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             旧高山庁舎

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イチイ(一位)  「木の国飛騨の象徴である一位の木はイチイ科に属する常緑樹で、古くから名木として知られており岐阜県の木、高山市の木でもある。一位の語源は約800年前朝廷へ飛騨からこの木でつくった笏を献上したところ他の材より優れているというので位の第一位にちなんで賜ったと伝えられている。また、飛弾の伝統的工芸品一位一刀彫はこの一位材を使っている。」

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  高山を後に松本経由して中央高速で東京に戻ることにする。途中笹子トンネルと小仏トンネルで大渋滞のニュースなので勝沼から旧道20号線にでて、陣場峠越えで帰ることにした。距離は遠かったが時間的には少し早かったようである。

 二日間の急ぎ歴史散歩であったが、旧交を温めることができ有意義な旅行であった。来年の企画を楽しみにしている。

水と踊りの城下町  郡上八幡

 下呂温泉郷から飛騨川沿いに41号線を岐阜方面に向かう。飛騨金山から256号線に入り、杉並木の山道の堀越峠を越えて、郡上八幡の町並みが見下ろせるところにくると郡上八幡城の天守閣が見える。

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  お城のまちとしてはこんな説明がある『戦国時代末期の永禄二年(1559年)遠藤盛数は、東殿山(とうどやま)の戦いで、鎌倉時代から郡上の領主であった東氏を滅ぼして郡上統一を果たし、勝ち戦の陣営とした縁起の良い八幡山に城を築きました。

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                     吉田川の清流

  八幡山は、町の中を流れる吉田川と小駄良川が、自然の堀の役目を果たす格好の地でした。その麓の城下町が郡上八幡の始まりです。』

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  水の町・・・『郡上八幡は、四方を山に囲まれ、町の真ん中を吉田川と小駄良川が流れ、長良川に合流しています。

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         小駄良川と清水橋

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             吉田川と鮎つり

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  町の東側には石灰岩層が広がり、乙姫川・犬啼谷などでは清冽な水が湧き出ています。町の上水道は犬啼谷の湧水を水源にしており、いわば、天然のミネラルウオーターが町中で飲めるということです。

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  郡上八幡の代表的な湧水は「宗祇水」。室町時代の文明三年(1471年)、連歌の宗匠・飯尾宗祇は、歌人として有名であった郡上の領主・東常縁(とうのつねより)から古今和歌集の奥義を伝授してもらうため、約三年間郡上を訪れています。

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 その間、この泉のほとりに草庵を構え、清水を愛用したところから其の名をとって「宗祇水」と呼ばれるようになりました。

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             宗祇水 

 

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 大正六年、有志で宗祇倶楽部が結成され史跡保存に努め、現在では、宗祇水奉賛会が引き継ぎ宗祇水を守っています。昭和六十年には水の町のシンボルとして、環境庁の名水百選に指定された名泉です。』と説明がある。

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              小駄良川 

  とにかく水がきれいで豊富である。川岸に沿って歩くと、家が川にせり出すように建っているところは、窓から釣り糸を垂れて今夜のおかずが釣れそうだ。

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            古い街並み

 

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 やなかの水のこみち・・・・無限に湧き出る水が町のあちこちにある。きれいに整備された古い町並みにあわせるかのように川が流れ、敷石がきれいに水打ちされている。

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           やなかの水こみち

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 通りをはさんで向かいに"水まんじゅう"を食べさせる店がある。水の中にある”みずまんじゅう”を流れる水でうまく取り出し、それを ツルット 一息で食べる。なかなか甘くてうまい。ここでは食べるだけで買えないみたいである。この美味しさをお土産にして持って帰りたいと思うのは私だけではないと思う。

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  踊りは郡上踊り・・・夏の風物詩として有名である。誰でもどんな格好でも踊りの輪に加わることができる日本で一番楽しい盆踊りといわれている。

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  サンプル工房・・・・食べ物やさんのショーウインドーを飾るサンプル、これがまた本物そっくりで思わず口にいれてしまいそうになるほど良くできている。

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  『飲食店の店頭を飾る食品サンプルは、八幡町出身の故・岩崎龍三氏が設立した株式会社岩崎グループが全国の大半を創りだしています。食品サンプル製作は、郡上八幡を代表する地場産業の一つとなっています。2009_06_28__4967

 メニューに合わせて一品一品を手作りで作りだす職人技は、ろう細工から始まり、現在ではビニール樹脂やシリコンゴムに材料を替え、サンプルの世界も芸術的な分野へと発展することができました。』という説明がある。

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            飛び込みの新橋を見る 

  遊び心で、お土産に苺とおにぎりのサンプルを買った。観ているだけでも本物に似ていて楽しい。川への飛び込みで有名な新橋をながめながら、次の目的地高山へと向かう。

下呂温泉の夕べ  青春回顧

 久しぶりの名古屋の友人の合流で、今回は5人の会となった。風呂上りの一杯から始まり、昔話に話が弾む。

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                 下呂温泉の町並み

  学生時代は、ちょうど70年安保闘争の学生運動が激しいころで、我が母校も過激派の拠点となっていたので大学側のロックアウトが行われ、試験がレポートの提出に代わり単位を取得したような状況であった。今考えると当時の学生は一部を除いてはあまり勉強はしていないと思う。それは私だけかも知れませんが?

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          髪結いさんの店先

  われわれの仲間は、適当によく遊び、よく学びだったと思う。貧乏旅行で日本全国を回ることができた。  学校の校庭にテントを張って歩いた四国の旅。  駅の洗面所で顔を洗い、歯を磨いて、朝市のおばちゃんの訛りがきつく、会話が聞き取れない東北の旅。  利尻・礼文島に渡って帰ってきたらバッテリーがあがってしまっていた北海道旅行。 ヒッチハイカーを拾ったら一生面倒を見ることになった今の女房を見つけた九州旅行。などたくさんの思い出話で盛り上がった。

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            町の角に神社 

  また、当時は山登りもよくやった。今では山歩きになってしまったが、当時のエネルギーはやはり若さだったのだろうか。金曜日の夜は、新宿のいわゆる”ションベンヨコチョウ”といわれる西口の飲み屋街で、安い酒を飲んで最終電車で上高地に向かう。

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       なぜかチャーリーチャップリン?

  翌朝、大正池から明神池を眺め、徳沢園から涸沢、穂高岳縦走して岳沢を降りてくるコースを楽しんだ。登るときはなぜこんな苦しい思いをして・・・と考えるが、山登りには、街に戻るとまた行きたくなる不思議な魅力がある。

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            下呂大橋

  岳沢は浮石が多く非常に危険な場所であった。この中の一人も足を滑らせ数メートル落下したことがある。幸い怪我はなく無事下山することができたが、ひとつ間違えば今ごろこうして酒など飲んではいられなかった。

 自然と遊ぶということは危険と表裏一体であることを考えさせられる。今、こうしておいしいお酒を飲みながら当時を語り合えるということは幸せなことである。

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         飛騨牛のほう葉焼き

  それぞれが単独での旅も結構多かった。山好きの名古屋の友人は、思いつくとふらっとでかけて良い情報を持ってくるので、それを聞いて出かけるというパターンである。    

 その例では、私は与論島単独行が印象に残っている。今では、飛行場もできて簡単にいけるようになっているが、当時は日本最南端の島で今よりロマンチックな夢があった。

 東京駅から西鹿児島行きの急行”桜島”に乗ると一昼夜かかって終点に着く。そこからまた一昼夜の船旅である。学生割引と往復割引でかなり安くなる。学生は時間はあるが金がないので便利な旅程である。

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          温水が出ている

  当時沖縄に行くにはパスポートが必要だったので、与論島から沖縄が見えたときは、感慨深いものがあった。サトウキビをかじりながら歩く島内、アクセスは船だけで台風などで海がしけていると、船が寄港できないので交通は途絶える。私もちょうど台風にぶつかり一週間足止めをされた。

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         神社の手洗いの横に温水

  リーフに囲まれた、エメラルドグリーンの百合ヶ浜にテントを張って野宿をたのしんでいたが、台風警報で非難小屋(コンクリート製)に非難するように言われた。サンゴ礁のきれいな海での水遊び、目の前にきれいな色の熱帯魚が泳ぐ、砂浜はスターサンド(星型をした小さな白砂)が一面に広がる。それこそ別天地であった。さんさんと照りつける南の太陽で真っ黒に日焼けして、歯の白さとぎらぎらとした目だけが目立ち、別人になってしまった。ただ肌はやけど状態であった。

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        ホテルのロビー

  近くのおじいさんが焼酎を飲みにこいと誘ってくれ、芋焼酎に生卵をいれ一気に飲み干す、島の名物をご馳走してくれた思い出がある。私のことを本土の若者と呼んでいた。こんな飲み物を飲んでいるから元気なのだなと思った。

 おじいさんの話によると、当時与論島は風葬の習慣があり、百合が浜の近くに骨を保管する洞窟があった。それを本土の観光客が持ち出して困るのだという愚痴を聴いたことがある。

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              ロビーの飾り

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            朝食メニュー

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     有名なトマトジュース  

  とりとめもなく昔話で盛り上がった下呂温泉の一夜、ホテルも自分の部屋で食事ができ、料理も食べきれないほどのご馳走であった。朝食も豪華で、ご飯がおいしくお替わりをしてしまうほどである。 

 トマトジュースが名物らしい。聞いてみると、地元のトマトだけで作っているとのことでこの街ではどこの店にも置いてある。飲んだ翌日のトマトジュースは格別である。さすがに車があるので朝のアルコールは自重している。また、来年の計画を楽しみにして郡上八幡に向かう。

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