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靖国神社参拝

  しばらくぶりに九段下まで行ったので、靖国神社まで足をのばして参拝をしてきた。東京のお盆に合わせて、この13日から16日「まで「みたままつり」が行われる。其の準備をしているのか、参道脇にたくさんの提灯が飾られていた。それぞれの「御芳志」のかたがたの名前が書かれている。

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 正面から見ると鳥居の中心に銅像が見える。幕末の会津城を睨んでいる 「大村益次郎」の銅像である。

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 大村益次郎については次のように説明がある。『大村益次郎は文政七年(1824)、周防国鋳銭司村(現、山口県山口市)の医者の家に生まれ、はじめ村田蔵六といった。広瀬淡窓について儒学を、緒方洪庵について蘭学を学び、嘉永の初め宇和島藩に仕えてはじめて西洋式軍艦を設計建造。

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さらに江戸に出て私塾 「鳩居堂」 を開き、幕府の講武所教授等を勤め蘭学者、蘭方医、兵学者としてその名を高めた。ついで桂小五郎の推薦により長州藩に仕え、慶応二年、第二次長州征伐の折に、石州口の戦を指揮して幕府軍を破り戦術家として脚光を浴びた。

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 戊辰戦争では新政府の軍務局判事に任じられ、大総督府に参じ東北の乱を平定。ついで兵部大輔に任じられ、建議して軍制を洋式に改めることを主唱したため攘夷主義者を刺激し、京都出張中の明治二年(1869)九月、不満士族に襲われて重症を被り、同年十一月五日大阪にて歿した。四十六歳。

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 明治二年六月、戊辰戦争の戦没者を祀る東京招魂社(現、靖国神社)の創建に際し、社地選定のため同月十二日、この地を視察したことも記録に見え、靖国神社創建者としての功績は大きく、明治十五年、伯爵山田顕義らにより銅像の建立が発議され、宮内省から御下賜金の御沙汰もあり、彫刻師大熊氏廣に塑型の製作が委嘱された。

 大熊氏廣は明治九年、工部美術学校の開設と同時にその彫刻科に入学し、イタリア人教師ラグーザの薫陶をうけ、同十五年に主席で卒業する。卒業後は工部省に入り、皇居造営の彫刻制作に従事、明治十八年に大村益次郎の銅像製作を委嘱されると、この任を重んじ彫刻研究のため欧州に留学する。

パリ美術学校ではファルギエルにつき、ローマ美術学校ではアレグレッティ、さらには巨匠モンテベルデに入門した。大熊氏廣の帰朝後、漸く明治二十六年にいたりこの地にわが国最初の西洋式銅像が建立された。大熊はキヨソネの描いた大村益次郎の肖像画や遺族らに取材しながら製作にあたったという。

陣羽織をつけ左手に双眼鏡をもち、東北の方を望む姿は、上野東叡山にたてこもる彰義隊討伐の時の様子といわれる。後に大熊は、有栖川宮熾親王、小松宮彰仁親王などの彫像を制作し、文部省美術展覧会審議委員を務めた。』

参道の途中右手に「慰霊之泉」・・・戦没者に水をささげる母の像がある。

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              慰霊之泉 

 『戦没者の多くは 故国の母を想い 清い水を求めながら 息をひきとりました この彫刻は 清らかな水を捧げる慈愛に溢れる母を 抽象的に表現したものです また この母の像の外壁は 日本古来の宮や社にある固有の 簡素なたたずまいを表します そして背後には 第二次世界大戦激戦地の戦跡の石を収集して展示しております』

と東京キワニスクラブの説明がある。

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 本殿、社の手前に戦没者のお母さんへの手紙があった。陸軍中尉 伊賀新太郎さん 昭和十九年七月十六日 比島ルソン島北方海域にて戦死 二十六歳。

『      ”大好きなお母さん”

お母さん、新太郎の大好きなお母さん。笑ってください。決して泣かないでください。新太郎は堂々と闘ったのです。大部分はお母さんのお手柄であります。

新太郎の行動の後にはお母さんの優しいお姿が何時も付いて居て、新太郎を励ましてくださったのです。美しい名も無き野花の真ん中に打ち伏すとも、キラキラと銀色に輝く南海の藍の底に眠るとも、新太郎はお母さんの懐の中に眠るが如く安らかに眠ります。何も話をしなくともお母さんのお顔を見ているだけで新太郎は何時も満足でありました。

御心尽くしの御守札は最後まで私の傍にあります。何も書けません。お母さん、新太郎の大好きなお母さん、たくさんの一人息子を国に捧げた人もあります。強く明るく生きて下さい。お祈り致します。伯父様の後に続きます。私共の後に続く者の強き足音が聞こえて参ります。日本は必ず勝ちます。大日本帝国万歳 天皇陛下万歳                 御母上様  新太郎  』

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           提灯には女性の名前が多い 

 私の伯父もここ靖国神社に英霊となっている。手紙を読み終えて、国の指導者の判断力と決断力、実行力というものの重さをあらためて考えさせられた。命の尊さを考えると、最近立て続けに起きている事件が残念でならない。「だれでもよかった・・・」は世の中への甘えか、自分を産んでくれた母親のこと、育ててくれた両親、祖父母、家族のことを考えると軽はずみな行動は取れるものではない。学校での教育、家庭での育て方に問題があるのだろうか。

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 今日は都議会議員選挙、総選挙も控えている。指導者を責任もって選出したいものだ。子どもたちが安心して住める日本を創れる人、日本の国の舵取りを託せる人を、一人一人が真剣に考え貴重な権利を行使し、その活動を監視していくべきだと思う。

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