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2009年8月

三輪の里 里山を歩く2

 白山古墳群をあとに新興住宅地を歩き、三輪小学校を左にみてこどもの国に抜ける山道に向かうと、左手小高い山の上に「妙福寺」が見える。

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 『妙福寺山門は桁行一間の高麗門で、正面桁行より背面桁行を大きくして、末広がりに柱を配る。親柱の外側には、築地塀の取り付いた痕跡がある。

軒廻りは出桁造りの板軒で、組物を用いず、絵様刳形もなく、全体に簡素な形式である。

建立年代については、様式細部からの推定ができないが、寺伝には1854年(嘉永七年)頃とある。』と説明のある、江戸後期の町田市指定有形文化財である。

  境内を本堂に向かって両側に大きな杉の木を見て、きれいに整備された石畳を歩くと鐘楼門から本堂が見える。

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 『妙福寺鐘楼門は、上層に鐘を釣った一間楼門で、棟札より1746年(延享三年)に建てられたことがわかる。

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この門の建立願主は当時十九世円利院日宏聖人で、また建立にあたっては上三輪村甲子講一結列衆九名と上麻生村甲子講一結列衆十名の助力があった。大工棟梁は岡上村惣助、細工棟梁は相州津久井領四良兵衛であった。

当門は市域でただ一つの鐘楼門である。絵様刳形の性質は江戸時代後期の性質を示し、この時代の建物としては全体の比例が良く整っている。なお、屋根はもと茅葺で、近年に高欄を修理したが当初の形式に倣っている。』と説明している。

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  鐘楼門をくぐり本堂の前に行くと、右手に大きな百日紅の木があり紅い花がきれいに咲いている。大きな踏み石が並びその奥は墓地へとつながっている。

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  『本堂は様式上、江戸時代後期の改建とみられ、1786年(天明六年)の曼荼羅二面に、客殿改建に際し書き改めた旨が記されているから、このときの再建であろう。

平面は正面に幅九尺、両側面に幅六尺の広縁を付し、サ字形に六間を配した方丈形式の堂である。障子は1845年(弘化二年)に新造されたものである。正面の向拝は後世の増築になり、また屋根はもと茅葺で、近年に銅板で葺き替えた。全体に改造が少なく、保存状態も良好である。

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当本堂は市域の幕末期における方丈形式本堂の代表例で、内部は木割が太く、また室中間と仏間境の虹梁両端に施した絵様刳形も調子が良い。』と町田市教育委員会の説明がある。

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  本堂の左手前に、東京都指定有形文化財の妙福寺祖師堂がある。

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  『当寺所有の記録によると、この祖師堂は寛文十二年(1672)に大田区池上本門寺から移建され、厨子は万治二年(1659)頃製作されたもので、祖師堂と共に本門寺から譲り受けたものである。

天井、廻縁、勾欄および屋根などは後年補修したものであるが、軸部などは桃山時代の様式を伝え、また池上本門寺の古建築の遺構として貴重である。

構造については、桁行三間、梁間四間、入母屋造、屋根は茅葺形式銅板葺。厨子は一間厨子、正面入母屋造、軒唐破風付、板葺。』と東京都教育委員会の説明である。

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 境内は、季節がらかあまり人は少なく静かな雰囲気である。奥の社務所では作務衣を着けた住職と思われる人が檀家のお相手をしている姿が見える。

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  妙福寺の先を南へ畑や田んぼが続く谷戸の道を辿ると、下三輪横穴群の入り口の道標がある。そこから山道に入り突き当たると、横穴が四つ並んでいる。

 奈良時代、大和明日香、三輪の里から移り住んだ人々が、この地の風景が大和国の三輪の里に似ていることから三輪の里と呼んだらしい。都会の喧騒からちょっと外れるとまだこのような自然が残されていることに感謝しながら、山道を”子どもの国”方面に向う。

三輪の里 里山を歩く 1

 町田市三輪地区に点在する古寺社や古代遺跡の横穴古墳群を訪ねる。小田急線鶴川駅から岡上跨線橋を渡り、こんもりとした山の方向に歩くと、多摩八十八ヶ所霊場第十番札所真言宗豊山派長谷寺の末寺 「高蔵寺」 に出る。

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 詩人北原白秋も訪れ歌を読んだというお寺である。植え込みの中に「高蔵寺しずかやと散葉眺めゐて梢の柿のつやつやしいろ  白秋」 と書かれた木の立て札が立っている。

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  山門の両脇には風神と雷神の二体の銅像がたち、石段をのぼるとまた一対の金剛力士像が見える。境内の庭園はきれいによく整備されている。奥の木戸を開けると池があり金色、紅白、白など色とりどりの錦鯉が所せましと泳ぎ回っている。

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  4月中旬から5月下旬の花の時期には、庭内には石楠花が鮮やかに咲き誇りお寺を彩るといわれ、「石楠花の寺」としても有名である。本堂の裏手には石楠花園というよく整備された庭園がある。

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  境内の一角には七福神が祀られている。七福神は、七柱の福徳の神で大黒天、恵比寿神、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋和尚という神々があり、室町時代の末期から農民、漁民の信仰として成長した。七福神は夢枕に宝船に乗って現れると福が授かるといわれ、初夢の枕下に入れて吉夢を見ろことがはやったといわれている。

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  高蔵寺を後にして見事な竹林と木立に囲まれた道を進むと、右手に、奈良の三輪山の景色に似ているので名づけられたという地名の由来をとともに、「自然の出会いをお楽しみください」 と書かれた手製の看板が立っているのがゆかしく感じる。雑木林や畑が残る閑静な里の風景を楽しみながら歩く。

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 山の斜面に小さな注意書きが見える、「化石等を掘るためにこの山を削らないでください」 と書いてある。かつては川か海の底だったのだろうと思われる地層が、あらわに見える曲がりくねった狭い道を下ると、左側に看板があり山の斜面に横穴が二基ある。石段を登って覗き込んでみる。

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 町田市の指定文化財になっている。市の教育委員会の説明によると、『この土地は、昔沢山城(後北条時代における重要な出城の一つ)のあったところで、白坂は「城坂」の意であるとも言われます。この白坂には古くから横穴古墳が十基近く開口しており、未開口のものを含めると十数基になります。

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 昭和三十四年にそのうちの二基を発掘しましたが、内部には五センチから十センチぐらいの川原石が敷き詰められており、数体の遺骨、須恵器などが発見され、これらの横穴は七世紀ごろにつくられたものと推定されました。

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 この地域は多摩丘陵の中でも横穴群の集中しているところですが、白坂横穴群は最も充実しているものの一つであると考えられます。』とある。

 現在では、格子があり中には入れなく中は暗くて見えにくいが、平たい石が敷き詰められている。説明を読み、当時を思い起こすと現存する古墳を大切に後世に残したいと思う。

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 残暑の厳しい八月の終わりに、あせを拭きながら歩く里山風景もまた楽しからずやというところであった。この近辺の里山には、まだまだ沢山の寺社や古墳などの歴史をたどることの出来る地域がたくさん有る。多摩丘陵の歴史散歩はまだまだ続く。

 

多摩川 四谷大橋

 処暑とは「暑さがまだ停っている」という意味で、二十四節気のひとつである。ちょうど八月二十三日から九月七日ごろまでをいう。一般的にはこの頃から暑さが収まり、朝夕は初秋の気配が漂い始めるとされている。

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  最近、朝夕が本当に過ごしやすくなってきた。今朝は多摩川を少し上流に向かって歩いてみた。曇り空の雲間から朝の日の光がこぼれ、川面を照らし始めていた。風も少なく川の流れも鏡面のように静かである。

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 河川敷の公園では、早朝からテニスに興じている人、川に糸をたらし釣りを楽しむ人、ギターをもって歌の練習をする人などそれぞれの趣味のために、早起きして努力しているのだなーと関心する。堤防の上は朝のジョギングや、犬の散歩をする人たちで結構にぎやかである。健康ブームの一端を垣間見る。

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 私も若い頃、テニスに打ち込んでいたときはそのとうりだった。人より早くコートに行き、一人でローラーをかけ、ブラシをかけて石灰で白線を引き、相手が来るまでは一人でひたすらサービスを練習したものだ。単純に、人より一球でも多くボールを打つことが上達の近道だと思っていた。

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 今では、ハードコートやオムニコートがあるのでコート整備も簡単にできるようになったが、当時はクレーコートが多く手間隙がかかった。しかし、ウオーミングアップのつもりでやっていたので、大変ではあったがあまり苦にならなかった。若かったせいもあるかも知れないが、今ではたぶんできないだろう。

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 多摩川の上空をまたいでいる高圧電線に、カワウの一団が羽を休めている。およそ100~200羽ぐらいはいるだろうか。これから朝食に出かけるのだろう。一羽が飛び出すと続いて数羽がいっせいに飛び出す。川の上空を一回りすると、またもとの電線に戻ってくる。何度も繰り返しているうちに、電車の鉄橋のしたあたりに餌場を見つけたらしい集団がいっせいに飛び出し餌取りをはじめている。

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 中州の草むらでは雀たちが草の実を啄ばんでいる。朝日が雲の間から漏れてくるようになると、光の中に、水際の草の枝にかわせみが魚を狙っている姿が見える。また、チュウサギが水の中の魚を狙って抜き足差し足で移動する姿が水に映える。鳥たちの朝食の光景である。

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 上空を風を切りすばやく飛来する姿は、オオタカかハヤブサか、飛び方がカラスなどに比べると凛々しい。送電線の鉄塔の一番上に止まった。遠くて確認しずらいがハヤブサの幼鳥のような気がする。サギを狙うのかと残酷な期待をしながらしばらく待ってみたが、なかなか動かない。人口物にとまる野鳥は絵にならないが、最近はこのように猛禽類でさえ鉄塔などに止まるようになっている。

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 人工物といえば最近はこんな鳥(?)も飛んでくる。朝早く静かに鳥を待っていると、どこからともなく飛んでくる。遠目には何か新種の鳥かなと思うが、良く観るとラジコンヘリである。がっかりしてしまうが、魚を取ろうとしているサギもびっくりして飛び去ってしまうのでちょっぴり迷惑かなと感じる。

  もう少しすると、秋の渡りの鳥たちがやってくる。季節の移り変わりは早いもので、鳥たちがそれを教えてくれる。地球温暖化で気候は変わってきているみたいだが、鳥たちは間違いなく移動してきてそれを分からせてくれる。秋の鳥たちとさわやかな秋空と雲を楽しみに待つことにしよう。

サルスベリの丘

 東京でもサルスベリの花がきれいに咲いているが、長野市から千曲川を渡り、山のほうに向かうと若穂保科に、「サルスベリの丘」というところがあると聞いたのでいってみた。山の端に約1000~1500本のサルスベリの木がところ狭しと植わっている。若木から老木まで、また花は紅や白、紫など種類が多い。

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 早朝だったので見物人は誰もいなく、りんご畑が近くにあり、ちょうどりんごの木の消毒をしているところであった。あいにく曇り空で写真映えはしないが咲いている木の花はきれいに咲きそろっている。

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 その農家のおじさんに聞くと、今年は雨が多く花の開花が遅いのだという、いつもの年だとかんかん照りの天気が多く、きれいに花が咲きちょうど見ごろなのだが残念ですとの事。毎年雨が少なく、サルスベリにもバケツで水をあげるようだったのに、今年はいつもと違うようだとの話であった。

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 サルスベリは ”百日紅” と書き(ひゃくじつこう)と読む、みそはぎ科、落葉低木であり原産地は中国南部、和名の由来は滑らかな幹肌によるものだが、夏から初秋にかけて長期間花を咲かせ続けることから「百日紅」の別名がある。

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 花は、白、紅、紫で花びらは6枚で波状淵、ちょうどフリルのような花びらである。緑のつぼみの先が六つに裂けて花が出てくる。六本の長いおしべと黄色のたくさんのめしべがある。樹は高さ3~7メートル、ところどころに瘤があり、樹皮は薄く乾燥して剥げ落ち幹がつるつると滑らかになる。

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 また花物語による語源は、『中国の伝説で、恋人と百日後に逢うことをやくそくした乙女が、約束の百日目の直前に他界、その死んだ日の後に咲いたという花。

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 日本では元禄時代の「花譜」に、「紅花が百日間咲く」と説明があったので ”百日紅」(ひゃくじつこう)” と言ったとある。また、樹の肌が滑らかなので猿も滑り落ちることから、”猿滑り”とついた。樹の肌を掻くとくすぐったそうなので ”クスグリノキ” という別名もある。』と言われている。

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 確かにすべすべしていてくすぐってみたくなるような木である。最近は猿が民家の近くまで出てくると言われているが、この百日紅の樹で本当に滑るところを観たいものだ。そんな場面をショットできたら一大スクープ物になるだろう。

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 樹皮が落ちた木肌をさわってみると普通の木から比較すると、つるつる、すべすべしていて肌触りがいい。受験生と髪の薄い人にとっては禁句であるが、きれいな花を咲かせている。前面咲きそろったら、一面見下ろせる見ごたえのある丘である。

戸隠 森林浴

 今年も12日から16日まで夏休みになっので、12日は久しぶりにゴルフを楽しんだ。暑いせいなのか、夏休みの影響かゴルフ場は空いていたので、のんびりとゆっくり廻れた。一年間まったく練習もしないで望んだが、四人のなかでは二番目に良い成績で自己満足している。気の置けない仲間なので十分楽しむことができた。

 以前は、負けまいとか、もっと飛ばそうとか力んだものだが、最近はマイペースでゴルフができるようになった。それでもドライバーは満足するようによくとんだ。コースもよく整備され場所も家から近いので、今度は女房を連れてきてやろうと考えながら三時過ぎには家に帰っていた。

 お盆の高速道路の渋滞は13日がピークだとメディアが伝えているので、13日の早朝に出かけることにした。ここでも千円の恩恵にあずかろうと13日の午前三時ごろに家を出て、関越自動車道から上信越自動車道を一路戸隠高原に向かう。須坂東インターチェンジを出て善光寺裏から戸隠へのバードラインを登ると八時ごろには戸隠奥社入り口の駐車場についた。すでに数台の車が止まっていたが、満車ではないので楽に止めることができた。

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            ウグイス

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  森林植物園の木道をのんびりと歩くと、ウグイスの声が聞こえる。緑濃い白樺林の中からはアカハラの鳴き声が耳に心地よく聞こえてくる。いつもは入り口の川沿いにミソサザエが大きな声で鳴いているのだが、今日は聞こえてこない。野鳥できれいな声を聞かせてくれるのは、ウグイス、ミソサザエ、オオルリなどである。

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             ゴジュウカラ

 公園管理事務所の前にクマ出没の看板がある。公園管理のおじさんに話を聞くと、最近よく小熊が出るのだという。この近くの水芭蕉の花を食べにくるらしい、まだ誰も親熊を見ていないのでたぶん近くにはいるのでしょうということであった。

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 一緒に聞いていた人は、鏡池まで歩こうと思ったが怖いのでやめにするといっていた。私も以前は小熊に出会ったことはあるが、小熊は気がつくと逃げていくのが普通である。ただ驚かすとやはり野生動物であるから、自己防衛本能から攻撃をしてくることがあるので注意しなければならない。

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          ゴジュウカラの逆さ止まり

 近くの木道で熊よけの鐘をならしながら、カメラを構えていた女性にであった。何を狙っているのですかと聞くと、”イカル” だという。去年この辺で ”アカショウビン” が営巣していたんですがと聞くと、今年は七月二十日ごろにはどこかに行ってしまったということであった。五月にオスが二羽飛来して、六月にメスが遅れてやって来て抱卵したが、営巣した古木が倒れてしまったということであった。かわいそうなことになってしまったと思いながら歩を進める。

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 カメラマンのマナーの問題でなければいいと思うが、最近はこの種の問題が結構多い。あるところではカメラマンの入場を禁止したところもある。来年の飛来に影響が無いことを願うのみである。

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            ナミヒョウモン

 木道をさらに進むと東屋のちかくで ”ゴジュウカラ” の幼鳥がたくさん飛びまわって遊んでいる。相変わらず逆さまになって木々の間をを渡っている。一方奥の木道では ”キビタキ” の声が聞こえるので行ってみると、またまたカメラマンがたくさんいるではないか。自分も同じ穴の狢ではないかと思いながら・・・、でもマナーだけは守って、他の人に迷惑のかからないように自然を大事にしたいと思う。

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           野アザミとカラスアゲハ

 木道から眺める草花の間を、カラスアゲハがたくさん飛びかい花の蜜を吸っている。羽のブルーがとてもきれいだったので思わずシャッターをおした。白樺の木の上の方では”アカゲラ”が鳴いている。

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             カラスアゲハ

 森林浴を数時間楽しんだ帰り道、決まりのコースで戸隠そばを食べに行く。今回は以前も行ったことのある元祖西久保茶屋にした。冷たいそばがのどを通る食感が暑い夏に涼しさを味あわせてくれる。本当は冷たいビールをグイッといきたい所だが、車なのでここはそばで我慢することにする。

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 夕暮れの北アルプスのシルエット、左から爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、白馬三山がきれいに見える。

 毎年来ているところだが、本当に自然豊でいいところである。”信州”という響きがぴったり当てはまる光景である。そばの花のきれいに咲く秋口にもまた来て見たいと思う。

関戸の花火

  もくもくと湧き上がる入道雲を見ない今年の夏空であるが、11日順延の関戸の花火が12日に行われた。七時半開始の八時半までの一時間だが5000発の花火が夏の一夜をたのしませてくれた。

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 多摩川沿いの一宮公園を中心に行われるが、どこからでも見ることができる。一番見やすいのは京王線の鉄橋の下辺りがよさそうである。一宮公園には有料席もあるが、あまり近いと花火は大きくてきれいだが上空を見るため首が疲れる。

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 今回は関戸橋の近くから鉄橋越しに観ることにした。見ていると京王線の電車が通過するときが花火の打ち上げタイミングのように感じる。話に聞くと、電車も徐行をして乗客にサービスをするようである。市民手作りの花火大会ということで、聖跡桜ヶ丘に本社のある京王電鉄は大事なスポンサーなのである。

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 花火といえば、学生時代は色々なところに花火を観に行ったものだ。今でも記憶に残る花火は、浜松の新居で行われる手筒の花火が楽しい思い出として残っている。

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 これは打ち上げ花火ではなく、竹の筒を荒縄で巻き上げたもので、それを手に持って火花が吹き上げるのを楽しむ。大きさは片手で持つものから、大筒といわれる抱えて持つものまで色々あった。

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 当時は、地元に学生時代の友達がいたのでそれをやらせてもらえたが、今では地元の人しかできないと聞く。楽しむといっても火薬なので大変危険なお祭りである。はなしに聞くと竹筒の破裂の事故で亡くなった人もいるとかという、勇壮で激しい花火祭りである。

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 それともう一つ、私の今までの花火体験で一番印象に残っているのは、秋田県の大曲の花火である。これは、全国花火競技大会ということで花火師のコンテストとして毎年行われている。花火大会の趣旨は花火に対する安全度と技術の向上を基本としており、花火打ち上げ事故等を起こした業者は出場停止になるという。全国から27業者が腕を競う場である。

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 ふだん人口四万人弱の町にそのときは一気に65万人とかの人が集まる。因みに19年は76万人だったという。旅館、駐車場、道路、トイレ等現地の人や本人たちも大変な準備が要るお祭りである。毎年八月の第四土曜日と決まっているので天気が一番の問題になる。

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 鳥海山をバックに雄物川のj河原で行われる。音と色の昼花火から始まって夜の部まで一万五千発と言われている。色々な花火を見たが、やはり「大曲の花火」が一番だと思う。桟敷席で見物することができたが、花火の音が向かいの山に反響してお尻のしたからズーンと響く、これが空に大きく飛散する花火と相まってなんともいえない情緒をかもし出す。

 この話を長岡出身の友達にいったら、花火は長岡の花火が一番だというので、翌年に早速観に行った。二万発の打ち上げというから規模的にはすごい、話題は三尺玉とか四尺玉といわれ、かなり期待していたがちょうどそのときは三尺玉が失敗で、きれいに開かなかったのが、私の減点対象になってしまった。

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 花火も見方を知ると楽しくなる。大曲の花火のときに教わったのは次のようなポイントである。

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 ・開・・・玉のすわり   玉が上空に上りきって下がりかかった境目を「すわり」といってこ の瞬間に開くのが理想である。

 ・肩・・・星が水平に走ることを肩という。広く飛散することを肩が広いといい、一斉に揃って飛散することが大切で、抜け星やまばらになったりしてはいけない。

 ・盆・・・玉が開いて星の火花で円を描くこと。盆は大きいほどよいが、盆の形と星の配列は均整がとれていなくてはならない。

 ・光滅・・・消え口   星が一斉に開きそろって変化することが必要で、消え際も同時で、残り星があってはいけない。

 このような基準で花火は一つ、一つ採点される。それとともに創造花火というのがある。創造の名の如く従来の丸型の概念を打ち破った花火で、打ち上げ花火にテーマを設けて形態、色彩、リズム感、立体感など花火師の独自性、創意工夫、が強調された花火である。

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 昨今、ドラえもん、ハートマーク、ニコニコマークなど色々な花火が打ち上げられるが、こういうところから生まれたものである。

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 花火がきれいに見えるには環境条件も必要である。少し風がないと煙が花火を邪魔してしまう。煙を微風が流してくれるとそこに現れる真っ暗なそらに、まっすぐ上がってきれいに丸く開く花火が一番である。

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 人生も自分の決めた目標にまっすぐ進むことができてきれいに花開くことが一番だが、曲がりくねった光跡でも上空できれいに丸く花開いたら善しとしよう。去年はこの関戸の花火は、雨のため中止になってしまいざんねんだった、今年は一日順延にはなったが夏の風物詩として楽しむことができた。

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  花火の締めはナイアガラの仕掛けがきれいだし楽しい。今年の関戸は仕掛けが無かったようである。来年は少し景気も回復してナイアガラが観られることを期待したい、来年もこの市民手作り花火大会を成功させるように一市民として協力していきたいと思う。

蝉 の一生

 早朝ウオークのコースは5コースある。今日は、久しぶりに冬コースの冬鳥が来る池の方面にした。現在は留鳥のカルガモぐらいしかいないが健康つくりのジョギングコースとしては良いところである。遊歩道の途中で2,3の人が何か珍しそうに覗き込んでいる。好奇心旺盛な私も参加すると、途中の桜の木に、蝉の羽化が行われているではないか。羽化の時間帯としては遅いが、何らかの事情があったのだろうと覗き込む。

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 幼虫からの羽化は、普通は夕方である。地中からでた幼虫は大急ぎで近くの木に登る。そして死んだように動かなくなると、やがて背中が割れ、羽化が始まる。最初真っ白なはねも、朝方には色がつき固くなり飛べるようになるのである。普通は夜が明けるころには飛び立っているはずなのに、これは非常に珍しいのではないだろうか。

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 私の今までの経験で観ると明るいときに見るのははじめてである。卵で一年、地中に六年間、陸上に出てわずか一週間といわれている蝉の人生(蝉生?)では珍しい現象である。本当に羽化できて飛び立てるのか心配である。

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 帰りにまた確認してみることにして、遊歩道を歩く、周りの雑木林ではアブラゼミ、ミンミンゼミの大合唱でにぎやかである。蝉が大きな声で鳴くのは、やはりメスを呼ぶためである。たまにヒグラシ、ツクツクホウシなどの声が聞こえる。しばらく歩くと今度は、「シャーシャーというクマゼミの大合唱の林になる。昨今いわれているように、本当にクマゼミが多くなっているように感じる。

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  途中の大きな木の幹に、ものすごくたくさんの蝉がへばりついている光景があった。ただこの集団は鳴いてないのでたぶんメスだろうと思う。蝉は、木の汁が大好物である。針のように固い口をもっていて、この口はつつになっているのでそれを木につきさしてその汁を吸うのである。この木なんの木?ケヤキの木、たぶんおいしい汁が出る木なのだろう。

  メスは卵を木の中に生む。産卵管を木の中に差し込んで、卵を産む。一つの穴に数個の卵を産みつけ、移動しては産み続ける。

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  卵は次の年の七月ごろになると孵る。卵から孵った幼虫は、木を降りて土にもぐりこんでいく。これから六年間もの永い地中の生活が始まるのである。

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           テッポウユリ

 幼虫はつるはしのような前足を使って、土の中を掘り進み、草や木の根の汁を吸う。そして脱皮を繰り返し大きくなる。終齢幼虫になると地上に出る準備が整い、顔をだすのももうすぐという状況になる。七年ぶりの地上がもうすぐそこにあるのである。

 一時間半ほどのウオークの後に再び覗いてみると、羽根の色が少し色づいて元気に成長しているようであった。新生アブラゼミ、頑張れと応援したいところである。

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              ミンミンゼミ

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               アブラゼミ

  帰りの歩道には、一生を終えたセミたちが仰向けになって転がっている。昆虫の世界ではそれぞれ役目があって、それを食べる動食性のアリ達が群がっていた。自然界の摂理はすさまじいものである。一週間の命を一生懸命鳴いているセミたち、七年後にまた会えるよう頑張ろう。そのためには大合唱の声は我慢するとしよう。七年後も元気で歩いていられるよう、このセミの子孫と再開できるよう祈りたいものだ。

小山田の谷から緑地を歩く

 せっかくの週末だが天気はいまひとつはっきりしない。昨日同様に雲は厚く、湿気が多い。ただ風があるので凌ぎやすい感じがする。家にいても暑いだけなので多摩丘陵を歩いてみる。小山田緑地方面に出かける。

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 小山田の谷のため池の補修工事は終わっていたが、まだ自然になじむには時間がかかりそうである。自然浴、森林浴には木道も整備され、歩きやすくできている。ここでもシジュウカラの幼鳥と思われる野鳥が飛び交っていた。最近は野鳥の幼鳥たちが、一人前になって行動し始めている。観ているとどこかぎこちなかったり、ちょっとあぶなっかしい行動がみて取れる。それがまたかわいいところではあるが。

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        オオハギボウシ

 途中、視界が開け、田んぼのあぜ道のかなたに、案山子がたくさん並んでいるのが見える。見るほどにユーモアの溢れる格好をしている。案山子の効果はいかほどのものかわからないが、昔懐かしい気がする。・・・・・道を通る人々が一息いれて、注目することによって、稲穂を狙う鳥たちも近寄らないかも知れない。いろいろの案山子があるが、たぶん帽子は風で飛んでしまったのだろうと思われる髪形のものもある。何か案山子のコンテストをやっているようである。これも古着の活用方法の一つになるように思う。

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 近くの池の周りの草むらを歩くと、足元からバッタが次々と飛び立つ、良く見るとそれぞれ違った種類のバッタである。草に取り付いていると、まったく見分けがつかないように保護色になっている。また池の上では、シオカラトンボのオスとメスが追いかけっこをしている。

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             ナツアカネ

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            コバネイナゴ

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              ツユムシ

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           ミヤマアカネ

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           ショウリョウバッタ

 このあたりは昆虫の宝庫のように色々な昆虫がいる。子供の頃に虫かごをもって、キリギリスやバッタを追いかけ、早朝にクヌギ林を一本一本足で蹴飛ばして木をゆすり、カブトムシやクワガタを捕まえた光景を思い出す。池の近くを流れる小川のほとりで子どもたちが、魚や虫を取っている。補虫用の網を持った子が・・・・たぶん気が短いのだろう、最後にはそれを川の水に入れて魚を取っていた。池の木道では、兄弟仲良く釣りを楽しんでいる後ろ姿がほほえましい。

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           シオカラトンボ♂

  農道を歩いていると、自転車をおした六十後半と思われる女性とすれ違った。「この黄色の蝶々はなんというんですか?」と聞いてきた。「紋黄蝶だと思います」と答える。話好きなのかつぎから次へとはなしかけてくる、「先ほど青い鳥を見たけどあれがカワセミですか?」というので、「たぶんこの辺で見かけるのはカワセミですよ」と答えると。「私はうまれて初めて見たんです、青くてきれいですね。」と喜んでいた。カワセミという名前を知っているだけでもすごいな・・・・と思った。

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            カワセミ ♂

  また、「最近は外来種でうるさい鳥がいますね」と聞いてきたので、「たぶん、茶色で目の周りが白く縁取ったようになっていませんか?」と聞くと、「声だけで見たこと無いんです、ただうるさいんです。」という。「それはたぶんガビチョウと言う鳥だと思います。」と会話が弾む。それにしても外来種などと良く知っているなと感心した。ほんとうはベテランのバードウオッチャーだったり・・・・と勘ぐってしまった。

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         ガビチョウ 幼鳥

 外来種も繁殖力が旺盛なので、いつか日本の野鳥の生態系も大きく変わってしまうのではないかと心配になる。最近のニュースでも野生の動物、クマやサル、シカなどが人里に頻繁に現れるようになり、農作物を荒らすと報道していた。今朝の新聞にはセミの動態がちょっと違ってきたという記事が載っていたりするのを見ると、明らかに何かが変わってきているのだと思う。

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          ガマ

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             ミソハギ

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                 ハギ 

  九州の人がクマゼミが鳴くと夏が来た実感がするといっていた。クマゼミはどちらかというと関東以西に多いセミである。ところが最近はそのクマゼミがこの近辺でも多く鳴くようになってきた。”シャーシャー”と大きな声でなくが用心深く、姿を見るのは難しい。

 南の生物がじわじわと北上しているのだろうか。北海道の米”きらら”が最近おいしくなったと言われている。米どころ秋田の気候が北海道に上陸したのかも知れない。

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        ヤブミョウガ 

 先週の「日経ビジネス」の特集が ”亜熱帯日本、 気候変動リスクを克服する経営” であった。やはり温暖化で日本は亜熱帯気候になってきているのだろうか。温暖化はCO2だけではなく、エルニーニョ現象により海流の動きが大きく変わってきているのだといわれている。日本でとれる魚、野菜、果物、食物等が大きく変わってくるのではないだろうか。楽しみでもあるが、何かちょっと心配にもなる。

中沢池公園を歩く

 暦の上では立秋が過ぎ、もう秋ですか?といいたいところ。まだ、からっとした夏空、入道雲も見せてくれないお天気であるが、・・・・今朝は曇り空で幾分涼しい感じがする。ただ湿度は高そうで少し歩くと汗が出てくる。

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 今日は、有名なゴルフ場の入り口にある公園に行く。朝が早いというのに駐車場には車がすでに数台止まっている。ゴルフ場の送迎バスが頻繁に行き来する狭い道路わきを通って公園の奥にある池を覗いてみる。池の廻りには、釣り人が数人糸をたらしている。

 この池には、カワセミがいるのだがこの釣り人ではしばらく出てこないだろうと、園内をぶらつく。ハス田を覗くと、ハスのつぼみ、開花したもの、花びらのおちた花、蜂の巣状になったものときれいに並んでいた。

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 このハスは、大賀一郎博士が千葉県検見川の泥炭層から発掘して開花させたといわれている、2000年以上前の種子を発芽させたという”大賀ハス”である。ハスは早朝に咲き、4日目には花びらが散って、蜂の巣状になって根茎は長く伸び蓮根になる。

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 ハスの花も、8月なのでそろそろ終わりに近くなってきたのだろうか。

 早朝なので野鳥の声もにぎやかだが、それぞれの幼鳥が一人前になり、芝生や木の枝で遊んだり、餌をとったりしている様子がほほえましく見える。普段あまり見向きもしない、スズメやガビチョウも子どもはやはりかわいい顔をしている。

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             ガビチョウの幼鳥

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             スズメの幼鳥

  子どもは国の宝とかいう人もいるが、本当にそのとうりだと思う。国というより、親の宝だと思う。男性は子どもを産みたいと思っても産めないので、子どもを生める女性はそういう機会に恵まれたときは立派に権利を行使してほしいと思う。そして生まれた子どもは、二人で協力して大切に立派に育ててほしいと思う。昨今は子ども殺人、置き去り等、親の権利を放棄したような事件が多く嘆かわしく思う。

  自然界では、この幼鳥たちは明日の命の保証はない。常に外敵に狙われている、親鳥はそれを守るべく子育てをしてここまで育てた。これからは自分で外敵と戦いながら子孫を残すべく成長していかなくてはならない。自然の世界は厳しい世界である。

早朝の夏の花

 時の過ぎるのは早い。7月に新しい仕事について、引継ぎ、挨拶廻りでもう八月になってしまった。「光陰矢の如し」とはよく言ったものだ。今年も残り4ヶ月しかない。

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             ムラサキツユクサ 

 早朝ウオーキングで、ゆっくり多摩丘陵の谷戸の自然を見ながら歩く雑木林。今朝は曇り空で涼しく、とても歩きやすく歩調もリズムにのって速い。緑も濃くなり、虫たちも元気に青葉を蝕んでいる。自然の摂理でいうと、虫たちも元気でないと野鳥たちも元気になれない。そのせいか、葉っぱが虫食い跡で穴だらけである。  ”横山の道”で  ”ムラサキシキブ” の花を見つけた。秋になると紫の実をつけるのでよく目立つが、花は小さな地味な咲き方をするので注意しないと気がつく人は少ないかも知れない。

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           ムラサキシキブ

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 畑では、なすびの花と大きくなったナスのみがぶら下がっている。キュウリはまだ花から実になりつつあるところで白く光る産毛状のものがかわいく感じる。カボチャのはなも三輪きれいに並んで真っ盛りである。あおいトマトが大きくなってたくさん実っている。2~3日で色づいて食べれるようになるのだろう。普通スーパーにあるトマトはややあおいうちに出荷するので、畑で真っ赤に熟したトマトの味は格別である。

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 サトイモの葉に夜露がたまり、表面張力で丸くなって固まりころころしている。昔はちょうど七夕の頃になるので、このサトイモの葉の露を集めて硯の墨をすり、短冊に願い事を書いたものだ。田んぼの畦にはニッコウキスゲが咲き、稲穂も元気に育っている。

 民家の庭先には、赤、白の芙蓉の花が満開だ。足元には紫露草が葉っぱに露をため涼しそうに咲いている。

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 雑木林の中では、婚活中のウグイスだろうか 「ホーホケキョ」 と鳴いている。ウグイスは春先のさえずりが一番似合う。鳥の世界も温暖化の影響で遅れているのだろうか?いつまでもさえずりが聞こえる。

 相手が決まったウグイスはもう子育ても終わっているだろうに、鳴き声がやけに大きく聞こえる。ウグイスの繁殖期に雄が囀る  「ケキョケキョ」 という警戒声が多いのは、まだ子育て中なのかもしれない。足元には小さなきのこがかさをひろげていた。これも梅雨明けとはいっても、いつまでも雨模様の天気のせいなのか・・・。

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 夏の太陽と雨に恵まれれば、秋口にはカボチャ、ナスもキュウリも大きく育ち、おいしい野菜として食卓に上がることだろう。最近は、近くに地元の農家の野菜だけを生産者名付きで販売しているお店がある。食べるものだけになぜか安心する。新鮮な野菜が口にできることを楽しみにしている。今日のウオーキングは約二時間、11、000歩の有酸素運動、汗もたっぷり、新陳代謝十分である。

『劔岳 点の記』 を観る

 雨模様の朝が嘘のように晴れ上がり、良い天気になった。遠出も出そびれたので久々に映画を観に行くことにした。最近の映画のシステムはよくできている。シニア世代は二人で行くと、一人1800円のところが二人で2000円で観賞できる。シアターもゆったりして楽に座れる。

 最近の話題作、木村大作監督の「剣岳 点の記」を観ることにした。木村大作はカメラマンで若いころから知っていたので特に興味があった。実は、今は亡き義兄は東宝のカメラマンで木村大作とは同期であった。今も大事に保管している当時のアルバムには、石原裕次郎、星由里子などの俳優とのショットが残っている。

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 私のカメラ好きも少し影響されているところがある。子供の写真などは、やはり撮り方、アングルなどが素人とはちょっと違うところがあり参考にしたものだ。遺品としてキャノンのフィルムカメラを今でも大事に残してある。つい最近までは娘がフィルムカメラを愛用していたので、現役として使っていたが、このところデジカメに替えてからは、カメラ保管庫の中にペンタックスとともに眠っている。娘とはレンズが共用できるので、最近はニコンで統一している。

  

  剣岳のあらすじ・・・・・誰かが行かねば、道はできない。  日本地図完成のために命を賭けた男たちの記録である。

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 『日露戦争後の明治39年、陸軍は国防のため日本地図の完成を急いでいた。陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎は最後の空白地点を埋めるため「陸軍の威信にかけて、剱岳の初登頂と測量を果たせ」という命令を受ける。立山連峰に屹立する釼岳は、その険しさを前にして、多くの優秀な測量部員をもってしても、未踏峰のままであった。

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 創設間もない日本山岳会も、海外から取り寄せた最新の登山道具を装備し登頂を計画しており、「山岳会には負けてはならぬ」という厳命も受ける。

 前任の測量手・古田盛作を訪ねた柴崎は、あらためて釼岳の恐ろしさを知るが、アドバイスとともに案内人として宇治長次郎を紹介される。新妻・葉津よの励ましを受けて富山に向かった柴崎は、宇治と合流、調査の為に山に入ったが、謎めいた行者の言葉 

 「雪を背負って降りよ」 以外、登頂への手掛かりすらつかめずに帰京する。

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  そして翌明治40年(1907)、測量本番の登山へ。柴崎・宇治に、測夫の生田信らを加えた総勢7人で、池の平山・雄山・奥大日岳・釼御前・別山など周辺の山々の頂に三角点を設置し、いよいよ剣岳に挑む。

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 しかし、剣岳山頂までの道のりは、想像を絶していた。ガレキだらけの切り立った尾根、雪崩や暴風雨など困難に続く困難が測量隊の行く手を阻む。頂上までの登頂路すら、見つけられず、そそり立つ頂を仰ぎ見るばかりの日々。

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 重さ100キロ超の三角点用の石柱と測量器具を担ぎ、粗末な装備で挑むにはあまりに絶望的な状況。宇治の卓越した山に対する勘をも疑うなど、柴崎は焦り始めていた。はやる生田は南壁を登ろうとするが、足を滑らせ転落する。軽い怪我ですんだものの打ちひしがれる7人。自分達は本当に剣岳を登りきることができるのか、命を危険にさらしてまで釼岳を測量する意味はあるのか、という迷いが柴崎の胸中をよぎる。

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 一方、日本山岳会・小島鳥水らも釼岳に挑んでいたが、測量隊同様、容易には進めない状況であった。ただ、山の尾根でひたすら三角点作りに邁進する柴崎たちを見て小島は自分達とは違う仕事に対する考え方を思い知る。  

 「我々は登るのが目的だが、あなた方は登ってから仕事だ」

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 立山温泉で治療を行っていた生田は測量隊に再び合流する。各人の手紙を持ち帰りそれぞれが大切な人に思いを馳せる。柴崎には古田からの手紙が来ていた。

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 「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です。悔いなくやり遂げることが大切だと思います」

 

 今一度、皆に仲間としての結束を訴える柴崎。そびえる頂を見て何度目かの挑戦をする。柴崎と宇治は、行者の言葉にヒントを見出す。

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 一歩ずつ進む柴崎たちは、無事に頂上に達し、地図作りの任務を終えられるのか・・・・・。』

 剱岳登頂は成功するが、そこには行者の登頂の証があった。よって初登頂ではなく軍のトップは柴崎の成功をみとめなかった。しかし、柴崎は日本地図の最後の空白地点を測量し地図を完成させたのである。自然との闘いの中で人間愛、人情の機微を感じることができる。

 新田次郎原作だけあって山の描写は鋭く細かい。学生時代は山岳小説をむさぼり読んだものだ。この映画は二年間延べ200日の年月をかけたと聞く。男の仕事の厳しさとロマン、自然の厳しさに命がけで闘う姿がすばらしい、役所広司演ずる古田の言葉  「何をしたかでなく、何のためにしたかが大事です」という言葉が心に残る。

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  また、、宇治長次郎役の香川照之の息子に対する教え、それがわかって父親に手紙を書く息子の姿が涙を誘う。子どもは親の背中をみて育つのだとつくづく思う。最近は涙腺が緩むことが多く、周りにわからないように涙をぬぐう。

 また、新妻、葉津よを演じる宮崎あおいのひたすら夫を信じて尽くす日本女性の姿、今ではなかなか見つからない女性像である。本当に感動を与えられるいい映画であった。

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