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三輪の里 里山を歩く2

 白山古墳群をあとに新興住宅地を歩き、三輪小学校を左にみてこどもの国に抜ける山道に向かうと、左手小高い山の上に「妙福寺」が見える。

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 『妙福寺山門は桁行一間の高麗門で、正面桁行より背面桁行を大きくして、末広がりに柱を配る。親柱の外側には、築地塀の取り付いた痕跡がある。

軒廻りは出桁造りの板軒で、組物を用いず、絵様刳形もなく、全体に簡素な形式である。

建立年代については、様式細部からの推定ができないが、寺伝には1854年(嘉永七年)頃とある。』と説明のある、江戸後期の町田市指定有形文化財である。

  境内を本堂に向かって両側に大きな杉の木を見て、きれいに整備された石畳を歩くと鐘楼門から本堂が見える。

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 『妙福寺鐘楼門は、上層に鐘を釣った一間楼門で、棟札より1746年(延享三年)に建てられたことがわかる。

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この門の建立願主は当時十九世円利院日宏聖人で、また建立にあたっては上三輪村甲子講一結列衆九名と上麻生村甲子講一結列衆十名の助力があった。大工棟梁は岡上村惣助、細工棟梁は相州津久井領四良兵衛であった。

当門は市域でただ一つの鐘楼門である。絵様刳形の性質は江戸時代後期の性質を示し、この時代の建物としては全体の比例が良く整っている。なお、屋根はもと茅葺で、近年に高欄を修理したが当初の形式に倣っている。』と説明している。

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  鐘楼門をくぐり本堂の前に行くと、右手に大きな百日紅の木があり紅い花がきれいに咲いている。大きな踏み石が並びその奥は墓地へとつながっている。

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  『本堂は様式上、江戸時代後期の改建とみられ、1786年(天明六年)の曼荼羅二面に、客殿改建に際し書き改めた旨が記されているから、このときの再建であろう。

平面は正面に幅九尺、両側面に幅六尺の広縁を付し、サ字形に六間を配した方丈形式の堂である。障子は1845年(弘化二年)に新造されたものである。正面の向拝は後世の増築になり、また屋根はもと茅葺で、近年に銅板で葺き替えた。全体に改造が少なく、保存状態も良好である。

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当本堂は市域の幕末期における方丈形式本堂の代表例で、内部は木割が太く、また室中間と仏間境の虹梁両端に施した絵様刳形も調子が良い。』と町田市教育委員会の説明がある。

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  本堂の左手前に、東京都指定有形文化財の妙福寺祖師堂がある。

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  『当寺所有の記録によると、この祖師堂は寛文十二年(1672)に大田区池上本門寺から移建され、厨子は万治二年(1659)頃製作されたもので、祖師堂と共に本門寺から譲り受けたものである。

天井、廻縁、勾欄および屋根などは後年補修したものであるが、軸部などは桃山時代の様式を伝え、また池上本門寺の古建築の遺構として貴重である。

構造については、桁行三間、梁間四間、入母屋造、屋根は茅葺形式銅板葺。厨子は一間厨子、正面入母屋造、軒唐破風付、板葺。』と東京都教育委員会の説明である。

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 境内は、季節がらかあまり人は少なく静かな雰囲気である。奥の社務所では作務衣を着けた住職と思われる人が檀家のお相手をしている姿が見える。

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  妙福寺の先を南へ畑や田んぼが続く谷戸の道を辿ると、下三輪横穴群の入り口の道標がある。そこから山道に入り突き当たると、横穴が四つ並んでいる。

 奈良時代、大和明日香、三輪の里から移り住んだ人々が、この地の風景が大和国の三輪の里に似ていることから三輪の里と呼んだらしい。都会の喧騒からちょっと外れるとまだこのような自然が残されていることに感謝しながら、山道を”子どもの国”方面に向う。

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