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Ho Chi Minh City を歩く  その2

 日本との時差は2時間、二時間遅れの生活である。年のせいか目が覚めるのは早いので六時半ぐらいにホテルでの朝食を済ませる。14Fにラウンジがあるので利用する。窓際に座ると眼下にサイゴン川が見渡せる。早朝でもあり雨季の季節なのでカラッと晴れた青空は見えない。

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           朝もやのサイゴン川

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  ベトナムコーヒーがおいしいので、毎朝ゆっくりとお替わりをして外の景色を眺めながら食事をする。毎朝なのでボーイさんと仲良しになる。「Good Morning」というと、彼も冗談を言うようになってきた。「Everyday coffee?」と聞いてくる。「Yeah!」と笑顔で答える。

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         水の流れはいつも濁っている

 ホーチミン市はベトナム最大の都市であり、人物のホー・チ・ミンと区別するためにホーチミン市またはホーチミンシティと呼ぶ。旧名はサイゴンで旧南ベトナムの首都であった。地元住民や旅行者の間ではホーチミン市ではなく現在でもサイゴンという呼称が使われることが多い。首都ハノイがベトナムの政治の中心なら、ホーチミン市は経済の中心地である。

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        シクロ・・・人力三輪車

 人口は650万人といわれているが実際はかなりの人口がいるらしい、人口密度はかなり高いと思われる。サイゴンという語源は「小枝=Sai 」 と 「幹=Gon」 であり、かってはこの街の周囲にあった背の高い木々が密集した森に因むといわれている。南ベトナムの陥落後の1975年5月1日、現在の共産主義政府がその指導者の別名であるホー・チ・ミンに因んで当市を改名した。

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             朝食風景

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 1698年、ベトナム人貴族であるグエン・フー・カインが、この一帯にベトナム人による統治機構を構築した。1859年にフランスによって占領された。フランスにより植民地として占領されている間、この街はフランスの影響を受けた。そのことが、この街に数多くの古典的西洋風の建築に表れている。そのため、サイゴンは「極東の真珠」とか、「東洋のパリ」と呼ばれることも多い。

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  1954年のジュネーブ協定によりベトナムが公式に北ベトナム(ベトナム民主共和国)と南ベトナム(ベトナム共和国)に分断された。1965年から米軍参戦によってベトナム戦争が本格化すると徐々にベトナム共和国は劣勢に陥り、1975年4月30日にベトナム戦争が終結すると、この街はベトナム人民軍の支配下におかれた。ベトナムでは「サイゴン解放」と呼ばれ、その後、社会主義化されると、華僑を中心に難民が流出した。

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 1976年、共産主義の統一国家ベトナム社会主義共和国が成立したことにより、ホーチミン市が作られた。

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        人民委員会庁舎とホー・チ・ミン像

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 1986年末のドイモイ政策の導入後、ベトナム経済は急速に発展しつつある。ドイモイ政策とは、ベトナム共産党第六回大会で提起されたスローガンで、経済(価格の自由化、国際分業型産業構造、生産性の向上)、社会思想面での新方向への転換を目指すものである。 ドイは 「変える」 、モイは 「新しい」 を意味するベトナム語である。日本語では「刷新」と訳される。

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             ベンタイン市場

 サイゴン地区最大の市場、駅舎のような巨大な建物で日用雑貨、衣料品、電化製品、みやげ物、食料品と何でもそろっている。スリが多いらしい。 

  中国の「改革、解放」経済ををまねており、ベトナムの政策は中国の動きを数年遅れで追いかけている状況である。最近、中国からバイクが安く輸入されるようになり、バイクがおよそ300万台に増えている。自動車も40万台以上あり、市内の主要な道路を埋め尽くし、交通渋滞や大気汚染が広く問題視されるようになっている。北京が「自転車の街」であるとすれば、ホーチミン市は「バイクの街」といわれるゆえんである。

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  ほとんどのバイクがホンダ、ヤマハ、スズキと日本のオートバイである。車はトヨタが圧倒的に多い。バイク、自動車のメーカーの社長がこれをみたら、さぞかし喜ぶだろうなという光景である。しかし人の話によればニセモノも多いのだと聞く。

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       メーリン広場のチャンフォンダオノ像

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              おなじみベトナムすげ笠「ノン」

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  とにかく、活気があって元気な街である、ベトナムへの日本のODAは40%を占めるという。親日家が多いように感じるし日本語を勉強している学生が多い。最近の計画では、北のハノイから南のホーチミンまでの新幹線構想が出ている、夢のある話である。現在は赤さびた鉄道が単線で伸びており、1726kmを40時間かかるという、それが五、六時間で結ばれたら、また明るい未来が開ける。

  今日の仕事は、朝八時から夜八時まで、暑さと喧騒にまけないようにオートバイのながれに向かう。

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