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武相荘  旧白洲邸を訪ねる

  連休にNHKでドラマスペシャルとして”白洲次郎”を放映していた。第二次世界大戦後の日本の復興と日本国憲法の成立に深くかかわった人物である。 多摩丘陵にその旧白洲邸 「武相荘」(ぶあいそう)がある。

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 入り口で1000円を払ってパンフレットをもらう。 ”武相荘オープンにあたって” というパンフレットにはこう説明がある。

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 『父・白洲次郎は、昭和十八年(1943)鶴川に引越してきました当時より、住まいに「武相荘」と名付け悦にいっておりました。武相荘とは、武蔵と相模の境にあるこの地にちなんで、また、彼独特の一捻りしたいという気持ちから無愛想をかけて名付けたようです。』

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  テレビドラマの影響か、連休の最後の日をたのしんでいるのか、入場者が多く混雑している。入り口の休憩所には白洲次郎の若き好青年時代の写真が等身大で飾ってあり、彼の愛用した車、イギリスのベントレイ3リッターの写真も窓の上におかれ、下の畑をみおろせるようになっている。日本で最初にジーンズをはいた男といわれている。写真を見ても「かっこいい」というかんじである。いわゆる「Cool!」というところでしょうか。

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        愛車 ベントレー3000CC

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  入り口の門のところに臼の郵便受けがあり、入ると大きな木の枝が目立つ、茅葺の母屋のぐし(屋根の三角の部分)のところに寿の文字が見える。庭先には、鈴鹿峠という石塔があり閑静な散策路になっている。大きな孟宗竹の竹林が情緒を添える。石段を踏みしめ歩いていると小さな石像が草葉のかげからいくつか見える。

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  母屋の中に入ると土間があり、囲炉裏の間にはお膳が並べられ、当事の生活がそのまま再現されている。奥の書斎は掘りコタツになっていて、当事の書籍がうずたかく並べられ、机の上にはソニーのトランジスターテレビだろうか、小さい画面のテレビが懐かしい姿で置かれている。

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  第一ギャラリーには、ゴルフが好きだった当事の写真とゴルフの心得が書かれてある。ゴルフウエアーには ”Play Fast” と胸のところにかかれているのが印象的だ。今ではあまり言われなくなったが、我々がゴルフを習ったときは常にこの言葉をいわれたものだ。初心者の頃は打てばクラブを2,3本持って、走ってボールを捜すのが常識であった。プレイを教わるとともにマナーも自然に覚えさせられていたような気がする。

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  「野人」と「韋駄天」の世紀のカップルと 二人の紹介文がある。

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  『白洲次郎(1902~1985) 兵庫県生まれ、若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ、第二次世界大戦に当たっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝に当たるが、GHQ側の印象は  「従順ならざる唯一の日本人」。

 その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。日本国憲法の成立に深く関わり、政界いりを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。

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  晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「誠にプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。遺言は 「葬式無用、戒名無用」。 まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。』と書かれている。

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 『また、白洲正子(1910~1998)樺山伯爵家の次女として、東京に生まれる。父方の祖父・樺山資紀は薩摩出身の軍人・政治家。正子も、自分に薩摩人の血が流れているのを強く感じていたという。

  幼児より能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。その後アメリカのハートリッジ・スクールに留学。帰国後まもなく次郎と結婚する。互いに「一目惚れ」だった。戦後は早くより小林秀雄、青山二郎らと親交を結び、文学、骨董の世界に踏み込む。

 銀座に染織工芸の店「こうげい」を営み、往復4時間の道を毎日通っていた。この店からは田島隆夫、古澤万千子ら多くの作家が育つ。青山に「韋駄天お正」と命名されるほどの行動派で、自分の目で見、足を運んで執筆する姿勢は、終生変わらなかった。』と紹介されている。

 ドラマのなかで正子の言う、「ジロウは二人いるんです」 という言葉が印象的であった。

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  母屋をでたところにお茶処があり、お抹茶・コーヒーのセットが800円である。コーヒーとケーキのセットをゆっくりと味わう。武相荘洋風弁当3150円(要予約)もあり、豪華でなかなか美味しそうである。

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 出口のショップの二階には、ビデオサロンがあり、NHKの”そのとき時代は動いた”のビデオが放映されており白洲二郎の生き様がよくわかる。敗戦国日本の戦後復興の建て役者としての活躍ぶりが表現されている。

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 官僚の不甲斐なさに激怒して、占領国アメリカのGHQに対して敢然と立ち向かう姿は「戦争には負けたけれども、奴隷になったのではない」。という言葉によくあらわれている。

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  敗戦後、貿易立国を唱えかつての通産省を作り、七年めのサンフランシスコ講和条約の締結時の演説は、GHQ作成の英文を破棄して日本語で巻紙に書き改めて、吉田茂が日本語で演説した。.この決断と判断、実行力ががなかったら、今の日本の繁栄は無かったかも知れないと思う。被占領国で自分の国の言葉「日本語」をしっかり守っている原点はこの辺にあったのかと知ることができた。

  ドラマの最後に、吉田邸を去る白洲次郎の後ろ姿に向かって  「ありがとう」 という吉田茂の言葉が印象に残る。

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