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    2008年5月の連休の四国四万十川の旅

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2009年10月

水澤観世音    伊香保を歩く

  伊香保温泉から紅葉の渋川の平野を眺めながら水澤観世音に向かう。天台宗坂東十六番札所、五徳山である。水澤観世音は、千三百有余年の昔、推古天皇・持統天皇の勅願による、高麗の高僧恵灌僧正の開基である。

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  東京へ三十六里、日光へ三十六里、善光寺へ三十六里という枢要なる霊場であるこの地は、歴代天皇の勅願寺として伝わり、上野の国司の菩提寺であった。

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  極彩色に彩られた葵の御紋をいただく本堂には、秘仏である伊香保姫のご持仏の十一面千手観音菩薩が安置され、その霊験あらたかなること、特に七難即滅七福即生の御利益顕著であるといわれている。敬虔に頭を下げる。

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          水沢の観音杉

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             魔除・盗難除

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  入り口では黒い竹炭まんじゅうが売られている。ちょっと試食をしてみると、これが結構うまい。帰りに買うからといって二個目の試食をする。

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            納札堂

  左手に納札堂を見て、鐘楼を過ぎると、右手に六角堂がある。ここの伽藍を三回転すると願いがかなうというので回してみた。

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            鐘楼

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           六角堂

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  駐車場から歩いてきたので仁王門は上から見ることになる。その手前のところに、龍王辨財天がある。

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          仁王門

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  本堂には葵のご紋の大きな提灯がぶら下がり、願い事を書いた絵馬が所狭しとかけてある。

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  水子地蔵の裏手に急な石段があり、のぼりつめたところに飯縄大権現がある。それぞれに健康と、商売繁盛、交通安全を祈願してお賽銭を上げる。

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           飯縄大権現

  帰り道に農産物直売所があり、とり立ての新鮮な野菜や果物がかなり安い値段で売っている。大きな大根一本五十円、白菜が一個五十円、かなりお得である。珍しいコンニャクイモなどもある。こんにゃくがこの芋からできるとは想像できない。

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              コンニャクイモ

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            岡本太郎の直筆石碑

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  帰り際に、水沢といえば 「水沢うどん街道」 ここで水沢うどんを食べる。伊香保名物 「水沢うどん」 は、秋田の稲庭うどんや四国の讃岐うどんと並び、日本三大うどんの一つといわれている。水澤寺の開祖が伝えたのが始まりといわれている。独特のコシの強さとのどごしのよさが大人気である。腹ごしらえをして東京へと向かう。

伊香保温泉 (狸のいる湯)    久々のゴルフ

  年二回行われ、すでに20年以上続いている気の置けない仲間のコンペが、伊香保国際カンツリークラブで行われた。今回は温泉宿泊まりで行い、夜は旧交を温めた。成績のほうは練習もせず、クラブは前回数ヶ月前に行った時そのままの状態で参加したので押して知るべし、満足のいくものではなかった。

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  でも、古くからの仲間が元気で集まることができ、楽しくラウンドできることは幸せである。結果スコアーがよければさらにこれが倍加する。

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  夜は、近くの伊香保温泉 「秀水園」 に宿をとり大宴会とゴルフの反省会。お風呂も、泉質も良く楽しいひと時であった。大浴場は二つあり男湯、女湯は夜と朝が交代制になっている。露天風呂のある 「かみつけの湯」 は大きくてゆったりしていて気持ちがいい。

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  露天風呂は三階にある。三階といっても玄関が五階なので外はすぐ雑木林である。紅葉の始まった木々の葉がきれいである。萩原朔太郎の詩を詠みながらの入浴は情緒がある。露天風呂からの眺めはいいので、新緑の緑、雪景色なども楽しめそうである。

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  また、かなり急峻なところに建っている宿なので、八階から見る景色はきれいである。遠くかすんでいるが、左から三国山脈、谷川岳、子持山、赤城山が見える。案内によると晴れた日には、日光白根山、武尊山、尾瀬の至仏山、迦葉山などが見えるらしい。眼下には伊香保の街並が始まったばかりの紅葉の中に見下ろせる。

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 この宿のキャッチフレーズは 「ひとがすき、さけがすき、うたがすき」 とある。まさに我々のグループにぴったりである。

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   館内の入り口、廊下、階段の踊り場、湯上り処などいたるところに狸の置物がある。幸せを呼ぶ10匹の狸といってそれぞれ薀蓄が書いてある。

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  そもそも狸の由来については次のように説明があった。 『招福狸の由来・・・・今から五百数十年の昔、伊香保の湯で旅の疲れを癒していた正通という和尚の前に、守鶴という不思議なお坊さんが現れました。

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  守鶴は正通和尚の弟子となり、その後かれの勧めで正通は館林にお寺を開きました。これが茂林寺です。またあるとき、守鶴の持ってきた 「くめども尽きない不思議な茶釜」 が茶会に集まった千人余のお坊さんのお茶をまかないました。

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  福を分ける茶釜ということから 「分福茶釜」 と呼ばれ、狸が踊ってみんなを楽しませたという有名なおとぎばなしの一説はここから発生したものです。

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  さて、ここに祀られている十体の招福狸は、この逸話にあやかっての 「現代版おもしろ神様」 です。あなたのお願いは、どの狸様がききとどけてくれるでしょうか・・・・・』とある。それぞれにお願いして期待して待っていよう。

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  普通、狸は大きな”もの”をぶら下げたオスが多いが、ここには 「美人狸」 といってメスの狸がいる。頭に葉っぱをのせ、下のほうも葉っぱで隠してはいるが、何かだまされそうである。

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  また、館内のいたるところに陶器の置物がある。聞いてみるとここの旅館の社長が陶芸教室を開いておりそこでの作品だということであった。伊香保湯の花焼きということで、焼き物のうわ薬には伊香保温泉の湯の花を使っているとのことで陶芸の体験コーナーもある。時間があったらぜひ体験してみたいものだ。

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  温泉街の散策もなかなかいい。文学の小路、落ち葉を踏みしめての雑木林、早朝は小鳥の声がよく聞こえる。カケス、シジュウカラ、エナガ、メジロ、カワラヒワなどが鳴いていた。

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  ゴルフでの秋の一日、温泉での一夜、気の置けない仲間との語らいは楽しいものである。いつまでもこういうお付き合いを続けていきたいと思う。これからの人生も、 いろいろな狸と出くわすことがあるだろうけど、ここの幸せを呼ぶ狸のような神様ばかりではないだろうから、だまされないように生きて行けることを願う。

 窓      還暦を迎えて

  「窓」 とは、部屋などの壁や屋根に設けられた、採光や換気のための開口部(広義の「穴」)である。とウィキペディアに出ている。窓は採光と通気を主な目的として設けられた壁面に作られた開口部である。

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        サントリーニの窓(ギリシャ)

  開口部は腰より高い位置に設けられることが多い。通路としての開口部には、扉が設けられるが通路ではない壁の穴は、建具の有無にかかわらず窓と呼ばれる。

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       聖跡記念館の窓(桜ヶ丘)

  通常は光を取り入れるため、空気を取り込むために窓は使われるが、時には光を遮断することもあるし、熱を遮断することにも使われる。最近では窓、扉により雨を防ぐという機能も求められる。

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         旧古河庭園の窓(東京北区)

  こういった機能だけでなく、窓の役割は建物の顔としてつねに新しい表現を求められるようになり、デザイン、より高度な機能を追求することによって進歩してきた。

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            結婚式場の窓(堀の内)

  この、窓を造る会社にはいって三十数年、定年を迎えることになった。入ったころは三百五十億円ほどの会社であったが、今では一兆円を超える企業に発展した。扱い商品も窓から住宅の建材までほとんどを扱うグループ会社に成長した。

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        竜の塔(多摩)

  人間生活の中で重要な部分を占める 「衣・食・住」 の一部に仕事としててかかわることができて、会社の成長と共に自分も成長できたような気がする。創業者の言葉に 「人の成長が会社を成長させ、会社の成長が人を成長させる」 というのがある。

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        窓辺にあるかみさんの作品

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  当時の価値観としては、会社にはいったら定年まで勤めることが美徳であった。今でも、90歳近くになる母親が、定年になったよといったら、定年まで勤められて良かったねという感じである。今の世の中は、転職をすることが自分の給料を上げる手段になっている。会社への忠誠心みたいなものはなくなりつつあり、欧米化傾向がますます強くなっていくだろう。世の中のグローバル化の流れはとめることはできないので、それに対応することが必要となる。

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       窓越しに見るオカヨシガモ♀(谷津干潟)

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      ベランダの窓辺に止まるツミ(猛禽類)(多摩)

  子供たちが、大学を卒業して就職するときには親としては、やはり、しっかりした企業に就職してくれることを願ったものだ。そして昔から 「三日、三月、三年」 といわれるようにとにかく目標を持って継続することを求めた。ところが子供たちは二人ともそこそこの会社にはいったので安心して、三年間は何があってもやめてはいけないといっていたら、三年後に三年たったのでやめる、といって今では二人とも、あの26歳の沢木耕太郎が一世を風靡した「深夜特急」を地で行っている。それができる世の中になったのだろうが、少しでも成長できることを期待する。

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            インドの車窓から

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     喫茶店の窓(インド)

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 「親の心子知らず」 とはよく言ったものである。早く落ち着いてほしいと願っているこのごろである。 「いつまでもあると思うな、親と金」 という言葉もあるので将来を見据えて行動してほしいと思う。

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        ギリシャの観光船の窓

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             教会のステンドグラス

  窓の話に戻ると、日本の窓についてウィキペディアが次のように説明している。『日本では、竪穴式住居の時代には天井部に採光用と排煙ようの開口部が見られたが、これには庇が設けられ、雨は吹き込まれないようになっていた。その後日本の家屋の技術が発達して障子のような紙を使った採光用の窓が長らく利用されていたと考えられる。

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              縄文の村の窓(多摩)

  この障子は開け放つことで換気の用も足し、また梅雨など湿度が高い季節でも建物の広い開口部にもより、晴れ間には解放して換気させ易い様式が発達したと考えられる。

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          木曽路馬籠宿の窓

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              土蔵の窓(町田)

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             蔵の街の窓(川越)

  後の洋風建築が導入されるようになった文明開化当初から昭和中期ごろまでは、洋式の窓は窓枠やガラス板を支える枠組みは木製のものがほとんどだったが、工業の近代化にも伴って鉄の窓枠が、さらにはアルミを中心とした金属製(サッシ)が多くなっている。

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          文字入りの窓(新宿御苑)

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             旅館の窓(沼津)

  現代的(先進国における)な窓プライバシー対策としては、建築物の窓には型ガラスやフィルムが用いられ、自動車の窓にはスモークフィルムなどが貼られる場合がある。

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          ステンドグラス(御殿場)

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    ワインの里の窓(甲府)

  ガラスは強い衝撃を受けると割れてしまう素材でもあるため、防犯のために合成樹脂のフィルムを接着した防犯ガラスや、火災の熱による変形を抑えるために金属線を挿入したラス入りガラスのような機能性ガラスも利用されている。』 

  窓の機能は、「安全」 「安心」 「快適」 「眺める」 「通気」 という要素を持ちながら建物のデザインにも影響を与えるべく進歩している。

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           レストランの窓(多摩)

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          コエドビール越しの窓(川越)

  窓にまつわることわざ、いわれも多い。

 「蛍の光、窓の雪」 「深窓の令嬢」 「窓際族」 「心の窓」 「社会の窓」などなど・・・

 社会の窓の語源をたどると面白い。これは1948年から1954年、1959年から1960年にNHKラジオで放送された情報番組「インフォメーションアワー・社会の窓」という番組がルーツらしい。

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         バスを改造した喫茶店の窓(巾着田)

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  「社会の内情を暴きだす」という内容で、ありとあらゆるテーマを取り上げて鋭くレポートしていく社会派番組で、本当は隠されている部分だが、その中を覗くとその人間の大事なものが見えるという発想で、いつの間にかズボンのファスナーをそう呼ぶようになったといわれている。

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             四国の民家の窓(脇町)

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           統一会堂の窓(ベトナム)

  因みに私のカラオケのナンバーの一つは、松山千春の 「窓」 である。酔いがまわると加藤登紀子の 「百万本のバラ」 になっている。・・♪この窓を開いて自由になりたい・・・・窓の下をを真っ赤なバラで埋め尽くして♪・・・

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            武相荘の窓(町田)

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              空港の窓(台湾)

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    これからの扉(サントリーニ)

  窓にまつわる話は尽きないが窓事業で定年を迎えて、第二の人生はまた同じ業界ではあるが、今度は扉、ドア関係でがんばろうと思う。 持ち歌は尾崎紀世彦の 「また会う日まで」 を覚えなければいけないかも知れない。  ♪・・・ドアを開けて・・・♪  いつまでも元気で好きな歌を歌えることを祈りつつ、一つの節目を無事迎えられたことに感謝する。

 川越まつり    さつまいもの街を歩く

  川越はすべてさつまいものなかにある。さつまいもは今から400年前にメキシコから中国経由で沖縄に伝わり、それから全国に広まった。

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  川越のいもが有名になったのは、江戸時代の終わりに江戸に焼き芋屋さんが現れたことが始まりらしい。江戸と川越は新河岸川という川で結ばれ、舟運が発達していて江戸との交流が盛んであった。どこの農家でも自分達の食料としてさつまいもを栽培していたが 「川越いも」 として江戸に供給されるようになって有名になっていった。

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                     新旧 対比

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  さすがにお芋の街である。芋自慢の店がなんと23軒もある。 「いもなっとう」 「芋まつば」 「芋ようかん」 「いもドーナッツ」 「芋かのこ」 「三色いもだんご」 「芋十せんべい」 「いも懐石」 「いも点心」 「いも重」 「いもアイス」 「いもケーキ」 「いもパイ」 「いもプリン」・・・・・など、とにかくたくさんある、数は数え切れない。なんでも ”いも” である。

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        芋どらアイス  

  因みに10月13日はサツマイモの日であり妙善寺では、いも供養が行われる。境内には、川越さつまいも地蔵尊があり御芋で健康祈願ができる。川越の人は ”いも” にあしを向けては寝られないという感じである。

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  喜多院から蔵造りの街並のほうに足を向けると人だかりが多くなり、太鼓、拍子木の音、お囃子が流れてくる。曳き綱が道幅一杯に張られ、曳き子連に曳かれた山車がゆっくりと重々しく動いている。とにかく見物客が多い。話に聞くとNHKの連続ドラマ 「つばさ」 のモデルがこの川越だったということで、昨年より観光客が増えているとのことであった。

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 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の山車

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  先頭は露払いではっぴ姿の若旦那衆が歩き、次に鳶職の金棒、着物にたっつけ袴をはき、名入り提灯と金棒を持った小江戸町娘達と続く。その後は、半纏に鈴だすき、せなかの花笠も可愛い小若連。江戸の風俗がそのまま表現されている。

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         菅原道真山車  

  山車の進退、曳きまわしは一の拍子木を首からぶら下げている山車運行責任者の拍子木の合図で決まるしきたりになっているという。山車の廻りは威勢のいい鳶職が固め、二の拍子木で合図をしているのが鳶頭である。一つの山車を約二百人近くの人数で動かしている。

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  今年のこのお祭りで曳きまわす山車の総数は29台で、そのうち幕末から明治、大正時代に作られた10台が埼玉県民俗文化財に指定されている。よく見ると新しい山車と古くからの山車がある。新しいものは方向転換をするときは車輪のほかに方向転換用の車がある。古い山車は背丈が幾分低く方向を変えるときは、キリンという道具で車輪をこじるようにして方向転換している。結構大変な作業だ。

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        道潅の山車

  山車の主題である人形は御神像として最上段に飾る。翁や三番叟、龍神などのように能楽に取材したものや、浦島太郎や弁慶、太田道灌など歴史や民話から題材を取り入れたものもある。

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    素戔鳴尊(すさのおみこと)の山車

  山車によっては上層部分が伸縮できるカラクリ構造になっている。これは山車を城中に曳き入れる際、いくつかの城門を潜り抜けるための工夫で江戸型山車の特徴であるといわれている。

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  山車を方向転換するときにはキリンという道具を使う。昔からの山車にはハンドルやブレーキはない。そこで四つ角などで曲がる場合はこのキリンを用いる。これは山車を浮かせる大型ジャッキのことである。

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       りそな銀行川越支店の古い建物

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  山車の揃い曳きと曳っかわせが見所だといわれている。曳っかわせとは、中央通り、一番街通りと各交差点で繰り広げられる山車の出会いの儀式である。ひょっとこやおかめなどのお面をかぶった人が、お囃子にあわせてなにやらいろいろやり取りをしている。表情がなかなか楽しい場面である。

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            お面の下はどんな顔?

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  山車が四つ角などで他町の山車に出会うと、お互いに囃子台の正面を向けて競い合う。この曳っかわせに勝ち負けなどないが、囃子が入り乱れ、曳き方衆の提灯が乱舞する光景は圧倒的な迫力があり、クライマックスだといわれている。

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         菅原道真の山車

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           時の鐘

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              紅赤がおいしい 

  とにかく人が多い、どのくらいの人出なのかはわからないがこの蔵の街通りは立錐の余地もない、町起こしで有名になった ”コエドビール” でのどを潤し帰途に着いた。予定外の有名なお祭りを見ることができて満足して帰ってきた。

五百羅漢    歴史の街川越を歩く 2

  喜多院の境内のお土産屋の裏手に五百羅漢はある。この羅漢は日本三大羅漢の一つに数えられるといわれている。

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  川越北田島の志誠(しじょう)の発願により天明二年(1782)より文政八年(1825)の約五十年間に渡り建立されたもので、十大弟子、十六羅漢を含め533尊者のほか中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊普賢の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩をあわせ全部で538体が鎮座している。

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  因みに  「 羅漢 」 とは・・・阿羅漢。略称して羅漢という。漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味らしい。

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               はなほじ羅漢 

   わらうのあり、泣いているもの、怒ったり、寝ているもの、ひそひそ話をするもの、鼻をほじっているもの、本当にいろいろ、さまざまな表情をしている羅漢像が居る。

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          お昼ねマッサージ羅漢

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            ひそひそ羅漢

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  また、色々な仏具、日用品をもっていたり、動物を従えていたり、本を持っているもの、蛇を巻きつけているもの、見ていて本当に飽きない。また御利益のある羅漢様にはお賽銭が上げられている。

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         めがね羅漢

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  途中ここまで来るために乗ったバスの運転手さんの説明によると、女性が二人とめがねをかけている人が一人居るからさがしてごらんといわれたが、なかなか探し出すには時間が掛かる。でもみていて楽しくなるので何度でも同じところを廻り、ついに探し出した。言われたとうりに鎮座していた。

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          女性羅漢

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  また、深夜にこっそりと羅漢様の頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔ににているのだという言い伝えも残っているといわれている。

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  なかなか表情があっていいものである。よくこれだけの人間の表情を表現できたものだと感心する。人間の喜怒哀楽をすべての表情で表したもののようにもみえる。

喜多院    歴史の街川越を歩く  1

  秋晴れの休日、窓をいっぱいに開けて、今日はどこに行こうか考える。宛てもなく、かみさんの発案で川越に行こうと出かけると、市内はお祭りのため通行止めとのナビの案内。そうだ、今日は「川越祭り」の日だと思い出した。幸か不幸かお祭りに出くわしたので楽しむことにした。

 市街に入る手前の駅の近くの駐車場に車を置いて、小江戸バスで 「喜多の院」 まで行ってから 「蔵の街」 まで歩くことにした。

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  山門を入ると境内が青い空の下に広がる、この山門は寛永16年(1639)の川越の大火で喜多院が全焼したが唯一焼失を免れ、喜多院では最古の建物といわれている。四本の柱の上に屋根が乗る四脚門形式で、屋根は切り妻造り、本瓦葺、寛永9年(1632)に天海僧正により建立された。

  山門の手前には、日枝神社があるが、これについての説明によると、現在の赤坂の日枝神社は文明10年(1478)に大田道灌が江戸の地に城を築くにあたって、ここから江戸城内の紅葉山(もみじやま)に分祀したといわれている。

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       天海僧正石像

  正面の慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵(じえ)大師良源(元三大師)をまつる堂宇である。現在は喜多院の本堂として機能している。寛永16年(1639)10月に大火以後、いち早く再建され近世の遺構として貴重なものといわれている。

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  慈恵大師の言葉に 「名誉を求めず、まず他人を立て、自らを後にすべし」 という教えがあり、まさしくそのとおりとわが身を振り返った。また、この大師さまがおみくじを考案されたと説明があり、なかなか説得力があるな・・・とおもいながら参拝をした。

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  昭和46年から4年間にわたり解体修理が行われたが、天井に描かれた数々の家紋はその際に寄進をされた檀信徒のものであるといわれている。天井を見上げて実家の家紋を探したが見当たらなかった。

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  手水舎の横の高さ13メートルあるといわれる多宝塔を右に見て、その先の客殿にむかう。客殿は書院、庫裏とあわせ江戸紅葉山(皇居)の別殿を移築したものである。

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  客殿に入ると板張りの廊下が続き、緑のきれいな庭園が広がっている。大きな枝垂桜はかなりの樹齢でどっしりとして庭園の真ん中に立っている。春先の花の時期にはさぞかしきれいな花の風景を見せてくれるのだろうと思いながら、縁先に腰を下ろししばし古きよき時代をしのんでみる。

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  ここには、徳川家光誕生の間、湯殿、厠がある。壁面には墨絵の山水が描かれており、また天井には彩色による81枚の花模様があり格天井になっている。正面にある家光公がつけたと思われる鎧を座って覗き込みながら天井を見ると、天井の花の絵が見られる。

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  この建物が江戸城にあった頃、徳川時代の三代将軍(在職期間1623~1651)、徳川秀忠公の次男、徳川家光公がここで生まれたということから 「徳川家光誕生の間」 と呼ばれている。

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  また、書院は江戸城にあったころ、徳川家光公の乳母(名はお福)として知られる春日局が使用していた部屋で「春日局化粧の間」として残っている。廊下には、手鏡、くしなども陳列されて当時を思い起こさせる。

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  山門入り口の手前には天海僧正の石像があったが、この客殿には木造の天海僧正の坐像が安置されている。

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  喜多院第27世住職慈眼大師。会津に生まれ、比叡山園城寺などで修行した。関が原の戦いの後、徳川家康の帰依を受け、幕府の宗教行政に参画した。

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  108歳まで生きたといわれている天海僧正が残した言葉、 「気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細くして、心広かれ」 という養生訓がある。いい言葉である、実践していきたいと思う。

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 天海僧正の御手植えの槙 樹齢350年  

  これににた言葉でよく言われるのは、 「気は長く、心は丸く、腹立てず、口慎めば、命長かれ」 と、誰の言葉かわからないが云わんとしていることは良くわかる。古都を訪ね、歴史に触れることにより、心の安らぎをおぼえる。先人の養生訓を肝に命じて健康であることをお願いして喜多院を跡にした。

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   客殿から本殿への渡り廊下から多宝塔を見る

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  途中おいしそうなうどん屋があったのではいってみる。冷えたプレミアムモルツでのどを潤し、腹ごしらえをして、「蔵の街」 へ向かう。うどんは腰があってなかなか美味しかった。これで650円とはお得である。 

雑木林の公園     小宮公園を歩く

  武蔵野の面影を残す雑木林、国木田独歩や徳富蘆花などが愛した雑木林が東京の身近な自然として整備されている。小宮公園は多摩川の支流、浅川北岸の加住丘陵にある。標高160mにある丘陵地の公園である。

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  園内には木道が整備され、人と自然に優しい散策路になっている。コナラやクヌギなどの美しい雑木林が広がり、小鳥の囀りが聞こえる。中央に流れる大谷沢の湧水は入り口のところにある大谷弁天池を潤している。

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  みどりの雑木林に映える赤色の社の池には、カルガモの親子が遊んでいる。この池は、天明の飢饉の時、八王子千人同心頭の荻原氏が、水田を開くため、大谷の谷戸を利用して掘ったといわれている。弁天様が祭られており、昔、縁日には大いににぎわったと伝えられている。

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  園内は、整備された木道と一般歩道は木材チップが敷き詰められていて足元に伝わる木の感触が心地よい。木道の階段を登ると公園の最高所はひよどり山と呼ばれている。ちょうどこの公園の真下は、高速の八王子インターにつながるひよどり山トンネルになっている。

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  ここに出ると、木々の茂る雑木林とは対照的に、広々とした牧場のような草原になっている。木材でできたベンチやテーブルがあり、家族連れやカップルががお弁当を広げている。

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  あおい空と秋の雲がきれいだ。カマズミの実が青い空をバックに映えている。周りは一面家庭菜園になっており遠くが見渡せる。公園の端のほうに、今はもう咲きおえたひまわりの花が実をつけて頭を垂れている。そこに、カワラヒワやスズメたちがその実を食べに集まっている。

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              カワラヒワ

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              スズメ

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  園内の散策路にはそれぞれ名前がついていて、植物や野鳥の棲息がわかりやすい。大谷弁天池から、カワセミの小道、オナガの小道、シジュウカラの小道、エナガの小道、入り口付近にはシロハラの小道、湧水源のほうに登っていくとヒヨドリの小道、サンコウチョウの小道、ウグイスの小道、コゲラの小道、ヒバリの小道、ホオジロの小道とかなりの野鳥達が見られるらしい。

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  サンコウチョウの小道を下りてくると、子どものいたずらだろうか、散策路の杭の上に一つ一つどんぐりがおいてある。それも数えたらいくつあるかわからないが、杭がなくなるところまでおいてある。親子で遊びながら歩いている光景が目に浮かび和やかな気分になる。

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  雑木林の周りは、ヤマブキの小道、ツツジの小道、タンポポの小道、おかの小道と名付けられ、四季折々の彩が豊であろうと想像され、心の安らぐ風景である。

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  身近にある自然浴ができる良い公園である。紅葉の時期を狙って、お弁当の用意をしてまた気軽に出かけてみたいと思う。

花の香りに誘われて  多摩グリーンライブセンター

  家の周りのキンモクセイが花を開き、どこからともなく自然の香水、花の香りが漂ってくる。ここにも秋の気配を感じる休日、天気に誘われて近くの小さな植物園、多摩市立グリーンライブセンターにお花見に行く。お花見といっても、どちらかというと洋風の花壇にある花が主体になっているので散歩である。

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       パンパスグラス

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           ピンポンの木の実

中国産で中国名の 「ピンポン」 という音から英名 Ping Pong Tree になったそうである。 

 

 入り口を入ると正面に、光の溢れる温室 「ピラミッドギャラリー」 がある。小さな温室ではあるが、一年中緑を楽しむことができる。温室内一杯に緑が繁り、きれいな花が可憐に咲いている中を柔らかい陽射しを受けながら、ゆったりとした時間をすごすことができる。

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             ホトトギス  ユリ科

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      ムラサキシキブ  クマツヅラ科

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    セスキナンサススペキオヌス  イワタバコ科

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  コウシュンカズラ(ミリオンキッス)  キントラノオ科

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   アンスリューム  サトイモ科

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             ベゴニア

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     プルンバーゴ(ルリマツリ)  イソマツ科

  

  南側の庭 「ロマンチックガーデン」 には季節ごとに色々な花、珍しい花がきれいに植えられている。ハーブや野菜、季節の草木などが年間延べ二万株の展示がされているといわれている。

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   ランタナ  クマツヅラ科  花言葉: 厳格

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  溶岩の壁(ロックガーデン)の前には紫、赤、などのセージ類が咲き、ハーブの香りが漂ってくる。木でできたウッドデッキの上を歩いて 「あずまや」 でゆっくりとガーデンを一望する。

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         キンソニーパーカー(セージ) シソ科

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      ランタナ(シチヘンゲ)  クマツヅラ科 

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フクシア(八重) (ホクシャ)  アカバナ科

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 ラベンダーセージ サルビア属

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     メドウセージ   シソ科 サルビア属

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      レッドセージ

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   インホルクラータ サルビア属

  

  ウッドデッキの東側に、小さな自然散策路がある。足元には小さな花の名札が所狭しと説明しているが花の時期は過ぎたようである。周りの木々では小鳥の声が聞こえる。シジュウカラやメジロ、エナガが元気に飛びまわっている。

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 アブチロン (フラワリング・メイプル)  花言葉:尊敬

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コルチカム(イヌサフラン) 花言葉:永続、頑固

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     ツワブキ   キク科

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        タイワンホトトギス  ユリ科

  

  ロマンチックガーデンを取り囲むように都市緑化植物園が整備されており、多摩中央公園の東側の外周道路に沿って、おもに樹木を中心に色々な植物を見ることができる。約40,000㎡の広さがあり、 「雑木林」 「県木の道」 「生垣見本園」 「梅の谷」 など複数のエリアに分かれている。県木の道では、各県の木が植えてあり名札がかけられているので県木を覚えるには良いところである。

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          セザンヌ(小菊)

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        イチゴノキ    ツツジ科

  「梅の谷」を下り、広いバス通りにでたところに小さな蕎麦屋 「ゆう」 がある。福島出身の夫婦がやっている。おそばお酒も美味しいが、そば定食がお得である。そばに鯵のフライ、寿司がついて950円、そばは1.5倍盛りまで同じ値段。散策後の腹ごしらえにはもってこいである。

  酒のつまみには 「じゃがモチ天」 がお奨め、最近はこれにチーズをのせた 「チーズかけじゃがもち天」 がいい。作り方を教わり私のメニューの一つにもなっているお気に入りである。

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  またライブセンターの多目的スペース 「ライブホール」 では植物の育て方やフラワーアレンジなどの講座、植物にまつわる展示などが行われている。相談コーナーもあり、専門の相談員が親切に丁寧に色々な質問に答えてくれる。 私も花の名前がわからないときは、カメラの画像を見せて調べてもらうことがある。散策をしながら、花の名前、育て方などが学べる便利な花と緑の散歩道である。

柿の葉ずし と 菩提もと清酒   奈良の一献

  奈良の名物というと、「奈良漬け」と「柿の葉ずし」 が思い出される。かみさんの推薦もあって、柿の葉ずしの美味しいといわれている、ヤマトの柿の葉ずしを食べる。塩加減がちょうど良く口にあう。 ホテルでも柿の葉寿司を食べてみたが、やはりこのヤマトの柿の葉ずしがいちばんだと思う。

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  柿の葉ずしの案内にはこう書いてある。『福島県会津地方のコシヒカリ、日本近海で獲れた、選りすぐりの鯖、北海道で水揚げされた紅鮭。ヤマトの柿の葉ずしは、厳選を重ねた素材を保存性に優れた柿の葉で丁寧に手作業で包みます。里山の滋味がふんわりと薫る伝統の技とこころで作り上げた美味なる「ひとつつみ」。』

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  鯖と紅鮭というシンプルな押し寿司であるが、全国の美味しい産地のものを奈良という古都で食べるのがまたいいのかも知れない。とにかくうまい。

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 柿の葉ずしヤマトのパンフレットには「味のしおり 一期一会」 と書いてある。私のブログの主旨と同じなのでうれしくなってしまった。

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  内容を紹介すると次のようである。『 「おかげさまで」 の心を送る大和五條のひとつつみ・・・古くは江戸時代の中ごろから、吉野川や紀ノ川の沿った村々では、夏祭りのごちそうとして今も変わらず愛される、手作りの柿の葉ずしを家族そろって愉しんできました。

  海の幸と柿の葉が織りなす、郷土の味わいはみなの健康を願い、客人たちの笑顔を想う知恵と伝統のひとつつみ。

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 ヤマトは昔ながらの伝統を守り「おかげさまで」の想いを込めて一つひとつ手作業で作ります。大和路を巡る旅のお土産に、ヤマトの柿の葉ずしをご賞味ください。

  旬の味を詰め込んだ、お弁当や仕出し料理もございます。おもてなし処 「夢宗庵」 では 「一期一会」 を大切にこころづくしのご用意をして皆様をお待ち申しあげております。大和五條が育んだ滋味をどうぞ心よりお愉しみください。』 と書いてある。

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 夜はホテルで食事をとることにしたが、古都、奈良に来たので洋食もないだろうと、和食の会席料理にした。今日は中秋の名月だというので月を気にしながら食事をしていると、お店のマネジャーが、中秋の名月はきれいに見えてますよと教えてくれた。

 冷たい生ビールを一気に飲んだ後、奈良の日本酒を飲もうと銘柄をたずねると、奈良の酒11銘柄を紹介してくれた。中でも名前と辛口ということで 「百楽門」 をたのむ。氷を砕き小さな緑の葉が副えられて冷たくひやされてたお酒が届いた。

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  味わいながら美味しく飲んでいると、マネージャーがサービスですといって他の銘柄を飲ませてくれた。「花巴」 という、これは甘口でかみさん好みであったが美味しい酒である。

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 そして 「菩提もと清酒」 の説明をしてくれた。日本最古の清酒を愉しむ会である。『それは今から約500年前の室町時代に奈良で誕生、毎年正暦寺で造られる。 「菩提もと清酒」  蔵ごとに性格の違いをたのしんで頂きたい。全国ですべての銘柄が飲めるのは当店だけです。』ということであった。

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  「菩提もと清酒」 の全11銘柄は、 「菊司」(きくつかさ)、 「両白」(りょうはく)、 「升平」(しょうへい)、 「花巴}(はなともえ)、 「八咫烏」(やたがらす)、 「百楽門」(ひゃくらくもん)、 「白堤」(ひゃくてい)、 「嬉長」(きちょう)、 「鷹長」(たかちょう)、 「三諸杉」(みもろすぎ)、 「都祁氷室」(つげのひむろ)である。

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  ちょうど、私の誕生日でもあり美味しい料理で、美味しい酒を頂いて古都の風景を愉しみながらひと時をすごした。ほろ酔い気分で外に出て、大きな石に腰をかけて、夜空に輝く月をながめた。

  このために猿沢の池の中秋の名月の催し 「采女まつり」 を見逃してしまったのである。このまぼろしの酒を楽しむ集いは春夏秋冬、年4回開催されるそうである。ぜひ酒飲み友達とまた出かけてみたいと想いながら奈良を後にした。

春日大社    奈良公園を歩く 2

  一の鳥居をくぐって参道を春日大社に向かって歩く。春日大社は平城京の守護神であり、藤原氏の氏神でもある。参道を進んでバス通りをわたると、右側に飛火野の芝原が広がり、雪消の沢と呼ばれる池がある。この辺りからは春日山とそのふもとの原始林が見える。

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               一の鳥居

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  この芝原も原始林も、すべて春日大社の境内である。参道をさらに歩き、全国各地から奉納された石灯籠中を抜けると、荷い茶屋と神苑(万葉植物園)がある。万葉集ゆかりの植物200種以上がある。

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  さらに参道を進んでいくと鹿苑があり、奈良の鹿愛護会の管理棟があって、発情期の雄鹿と出産期の雌鹿を収容し、10月には鹿の角切りを行う。

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            発情期の雄鹿

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  参道をさらに進むと二の鳥居に出る。その脇には手水舎(てみずや)や祓戸(はらえど)社がある。ここで清めて本殿参拝に向かう。

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               二の鳥居

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          二の鳥居の入り口にある人車

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            カップルが多い参道

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           どこにでもいる鹿

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  ここの手水舎は鹿が座っておりその鹿の口から水が出ている。その脇にある祓戸社(はらえど)は瀬織津姫神(せおりつめのかみ)を祀ってあり、御神徳としては 「祓の神に座す。自らが犯した罪はもとより、知らず知らずに犯した罪をも心から悔、改めて祈る時罪をお祓いくださる神である。ご参詣の方は手水後、先ずこの御社に参拝し心身を清浄にして本社へ進まれたい」 とある。 その通りにして心身を清めて二の鳥居をくぐった。

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                祓戸社

  二の鳥居をはいって参道を登っていくと、社殿にいたる。先ず桧皮葺屋根の素木造りの着到殿、そして朱塗りの回廊・南門・慶賀門などがあらわれる。廻廊には銅製の釣灯籠が約1000基かけられ、節分と中元の万燈籠の際、すべての灯籠に明かりがともされるという。

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                  南門

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  春日大社中門から本殿では、日柄がいいのか白無垢姿の花嫁が結婚式を挙げていた。廻廊に見る釣灯籠には、今NHKで放映している大河ドラマの”直江兼続奉納釣灯籠”があった。

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                 中門

   これについては、 『火袋の銘文から慶長5(1600)年に直江兼続の娘である於松からの奉納がわかる。しかし、於松は当時10代半ばで、元神主家の記録に「直江山城守殿様灯篭」の記述があることからも、直江兼続から依頼を受けての奉納が窺われる。兼続は天正16(1588)年に上杉景勝と共に参拝、正室のお船も寛永2(1625)年に参拝している。

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        直江兼続釣灯籠 

  直江家が仕えていた上杉家は藤原氏の末裔であったことから、春日社への信仰が極めて篤く、居城があった山に春日社を勧請し春日山に改称している。また、当社には歴代当主から奉納された石灯籠や武具などが今も伝わっており、春日信仰の篤さを物語っている。

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   ちなみに、この灯籠に記されている慶長5年には関が原の戦いがあった年でもあり、春日の神様に直江家の安泰を祈って奉納されたものと考えられる。』 と説明がある。

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  本社の前に大きな杉の木がある。本社大杉で樹高23.0m、幹周7.94m(地上1.3m),樹齢千年ともいわれ、鎌倉時代後期(1309)に描かれた絵巻物「春日権現験記」にその姿が描かれている。 根元から西方に、直会殿の屋根を通して伸びる樹は、イブキ(ビャクシン)である。

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  廻廊を右に回っていくと、重要文化財の「捻廊」(ねじろう)がある。治承三年(1179)創建、春日祭に奉仕する斎女や内侍が昇殿するための登り廊で、江戸時代に飛騨の名工左甚五郎が、現在のように斜めに捻れたものに改造したと伝えられている。

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                捻廊

  境内には小さな神社がたくさんある。多賀神社、安産の神社などなど。釣灯籠を見ながら歩を進めると、西廻廊に出る。ここの屋根は瓦葺になっている。当時、廻廊はすべて檜皮葺きであったが、廻廊の西側、酒殿・寵殿で神饌を調理する際、火を用いた為、その防火や延焼を防ぐよう瓦葺とした。

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               多賀神社

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  また、西廻廊の各門の左右にある棟飾りの桃の瓦は、日本の神話にも登場する魔除けの印である。

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              桃の瓦

  春日大社には摂社が5社、末社が56社ある。摂社の一つ若宮神社へは、本殿から南へ100mほど参道を歩く。両側に石灯籠が並ぶ閑静な林の中を抜ける。若宮本殿は本社本殿と同じ形式で、拝殿からも良く見えるので、春日造りの構造がよくわかる。

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  若宮神社から南には、さらに多くの摂社・末社が並ぶ。そこを抜けて原生林の中を歩いて二の鳥居の方向に向かう。途中には志賀直哉旧居への「ささやきの小径」とよばれる杜の中に自然道がある。

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                  若宮神社

  奈良公園を東大寺を右手に見ながら鹿の後を追う。なお奈良公園の鹿は、春日大社の祭神である武甕槌命(鹿島大神)が春日山に降臨したときに乗っていた動物とされ、神の使いとしてその殺生が古来硬く禁じられてきたため、野生のまま約1000頭が棲息している。どこにでもたくさんの鹿がいるが、「鹿せんべい」の露店のちかくではたくさんの鹿がせんべいを待っている。

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  古い建物の街並みをみながら県庁方面に歩くと左手に奈良国立博物館が見える。仏教美術を中心として展示するわが国屈指の博物館である。赤坂迎賓館などの設計者でもある片山東熊の手により、当時としては斬新なルネサンス様式のレンガ造りの建物として建てられた。

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           奈良国立博物館

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           セント君のいる県庁

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            県庁前より若草山 

  奈良県庁の玄関には、来年行われる平城京遷都1300年のイベントのセント君が元気に手を振っていた。県庁から若草山を眺めながら東京への帰路についた。来年もお墓参りをかねて古都を歩いてみたいと思う。

興福寺    奈良公園を歩く 1

  今日も朝から天気が良い。私の普段の行いがいかにいい(?)かを思わせるような天気である。奈良県庁の前から興福寺へと向かう。信号を渡るとすぐに鹿が出迎えてくれた。

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 興福寺は平城遷都(710年)と共にこの地に建立され、春日大社と一体化し、古代・中世を通じて、奈良の歴史の中心的存在であった。 南都七大寺の一つに数えられ、今も多くの国宝を有する法相宗大本山であり、五重塔や東金堂・北円堂・南円堂などの伽藍が建つ。 寺の周辺にある奈良県庁や奈良県文化会館、奈良国立博物館などの敷地も、かつては興福寺の境内であった。

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  五重塔は高さ50.8m、京都東寺につぐ高さの五重塔で、室町時代の和様建築物である。猿沢池から見上げたり、若草山や東大寺二月堂から眺めたりできる奈良の象徴である。

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  五重塔とならんで東金堂がある。室町時代の建築物で、天平の創建時の姿を復興したとみられ、寄棟造りの屋根や柱間が中央へ行くほど広い構造などが古式を伝えている。本尊は銅造薬師三尊像である。

 阿修羅像人気・・・・あいにく阿修羅像は、九州大宰府へ出張中で見ることはできなかったが11月には戻ってくるようである。09年3月から6月まで行われた東京国立博物館での「阿修羅像展」には、94万人もの入場者があったといわれている。日本美術の展覧会では史上最高の入場者という人気である。

  興福寺には、中金堂、東金堂、西金堂があり、現存しているのは東金堂だけで西金堂、中金堂は再建中である。阿修羅像はその西金堂にあったものである。

  西金堂は、光明皇后が亡き母の冥福を祈って建てたお堂で、本尊は大きな釈迦如来像であった、お釈迦様に付き添う眷族(けんぞく)が左右にたくさん立ち並んでいたその八部像のうちの一体が阿修羅像であったといわれている。

現地で見ることができればと淡い期待をしてきたが残念である。

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             東金堂 

 興福寺のすぐ南、五重塔から五十二段と呼ばれる石段を下るか、南円堂から三重塔を右に見て石段を下り、三条通りを渡ると猿沢池に出る。三条通りには昔ながらの人力車があり威勢のいい女性の車夫(婦)が話しかけてきた。

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  猿沢池は興福寺の放生池(魚などを放して功徳を得る儀式のための池)であったためか、鯉や亀などが多く生息している。池畔から五重塔を見上げた景色は、奈良の代表的風景として知られている。

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猿沢池には、色々な話がある。

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『采女まつり・・・・・猿沢の池の北西に池を背にした「采女神社」中秋の名月の祭礼。

 時の帝の寵愛の衰えたのを苦に、月夜にこの池に身を投げた采女の霊を慰めるお祭りで、花扇奉納の行事がある。

王朝貴族が七夕の夜、秋草で飾った花扇を御所に献じ、庭の池に浮かべて風雅を楽しんだ古事による。

 数十人の稚児がひく花扇使が御所車で市中をねり、名月が姿を現すころ、竜頭船に花扇を移し、管絃船からの雅楽の調べとともに池を二周、花扇は水面に浮かべられる。』

  ちょうどその中秋の名月の日であったが、おいしい奈良の地酒をたしなんでいてこの光景を見ることはできなかった。残念であるが来年に期待することにする。

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  『猿沢の池の七不思議・・・・・・むかしむかしから、猿沢の池には不思議ないい伝えがあります。「澄まず、濁らず、出ず入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分」』

  『悲恋の采女と衣掛柳の伝説・・・・・「昔、平城の帝に仕う奉る采女あり、顔かたちいみじう清らかにて、人々よばひ殿上人などもよばひけど、あはざりけり、そのあはぬ心は、帝を限りなくめでたきものなん思ひ奉りける、・・・・・云々」(大和物語より)

  しかし常なきものは男女の仲、やがて帝の寵愛の衰えたことを嘆いて采女は身を投げてしまいました。そのとき衣を掛けたのが衣掛柳といわれています。

  これを不憫に思われた帝が、采女の霊を慰められたのが、池の北西の采女神社です。采女のふるさと福島県郡山市にも采女の霊を祭る采女神社があります。

  この歴史の縁により奈良市と郡山市は姉妹都市提携を結んでいます。』と奈良ライオンズクラブの説明が池の端にあった。

  猿沢池から三条通りを渡り、南円堂の石段を上る途中に左側に三重塔がある。奥の低いところにあるので見逃しやすいが、北円堂と同じ鎌倉時代の建立になる。興福寺最古の建築物の一つ。和様の優美な建築物で、一層部分を二・三層部分よりも大きくしているので、安定感がある。

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              三重塔 

  その石段を上ったところに南円堂がある。西国三十三所観音巡礼の九番札所として信仰を集める堂内には、本尊木造不空羂索観音座像および木造四天王立像が安置されている。境内をあるきながらいい言葉を見つけた。

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                南円堂 

 『 川の流れは返らない 人の寿命も戻らない 法句経 』

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  南円堂を背にして左側には中金堂があり、興福寺の総本堂にあたる堂宇で、現在、再建中(2010年完成予定)である。

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              中金堂(建設中) 

  三条通りを一の鳥居にむかって歩くと、通称十三鐘といわれる 菩提院大御堂 がある。『本院は普通、奈良時代の高僧玄肪僧正(?~746)の創建と伝えられるが、実際はむしろ、玄肪の菩提を弔う一院として造営されたものであろう。本尊は阿弥陀如来座像で、別に児観音立像が安置される。

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               菩提院大御堂

  鐘楼に掛かる梵鐘は永享八年(1436)の鋳造で、かつて昼夜十二時(一時は今の二時間)に加えて、早朝勤行(明けの七つと六つの間)にも打鐘されたところから、当院は「十三鐘」の通称でも親しまれている。

  なお、大御堂前庭には、春日鹿をあやまって殺傷した少年三作を石子詰めの刑に処したと伝承される塚がある。元禄時代、近松門左衛門がこの伝説に取材して、浄瑠璃「十三鐘」を卓したことは有名である。』 と興福寺の説明がある。

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 さらに歩を進めると右手に古い門構えの菊水亭が見えてくる。昔からの門を残して今でも同じように営業をしているようである。 押しボタン式の信号を鹿と一緒に渡り、春日大社一の鳥居へと向かう。

法隆寺  大和路斑鳩(いかるが)の里を歩く

  シルバーウイークにお墓参りをと計画したができなかったので、10月に入ってお墓参りを兼ねて奈良に行ってきた。 東京を早朝に出発して十一時ごろに法隆寺インターを下りた。高速1000円効果を期待したが途中都市高速を走ったので2400円(?)もかかってしまった。

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           法隆寺への参道

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               南大門

 聖徳太子一族が築いた飛鳥文化の中心法隆寺を訪ねる。 参道の松並木を抜けると正面に法隆寺総門の南大門が見えてくる。 門の空間からは、塔や金堂がすっぽりと納まり大変美しく見える。 参道脇には名物奈良漬、柿の葉寿司のお土産が並んでいる。

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  法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院としてよく知られている。北の矢田丘陵の南東麓に寺地を占め、金堂や五重塔など、世界最古の木造建築物として、また世界に誇る美術品や仏像を多数所蔵しており、参道から西院・東院に及ぶ範囲は、法隆寺旧境内として国史跡に指定されている。境内は人も少なくとにかく広く感じる。

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 平成五年(1993)には法隆寺地域の仏教建造物は世界遺産として登録された。南大門から中門への参道両側には西院大垣、西院東南隅子院築垣・西南隅子築垣が昔ながらの姿で立派に並んでいる。

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  広い東西大門を結ぶ道に出て、右手にある竜の口から出るお清めの水を使って中門に進む、正面に二つの入り口が設けられ、左右両端に塑像金剛力士立像が安置されている。

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  境内をしばらく西に向かって歩くと左側に弁天池がある、苔むした古木と水面に浮かぶ蓮の葉の緑がきれいに光る。池の島には玄島弁財天がまつられている。池畔の休憩所ではお茶の無料接待がある。思ったより陽射しが強く、日陰に入ると涼しく感じる、茶屋でお茶をいただき一服する。

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              弁天池

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  池の右手に南北に細長い建物があり、手前が三経院、奥が西室である。三経院は勝まん・維摩・法華の三経を講讃するところで、西室は西の僧坊である。

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              三経院

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 三経院の先を右折して境内の北西隅の小高い場所にある西円堂に向かう。石段を上ると鎌倉時代再建の八角堂で、本尊は高さ2.44メートルの巨像の乾漆薬師如来坐像がある。

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              西円堂

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 その隣に小さな鐘楼があり、これがあの正岡子規の 「柿食えば 鐘が鳴るなり法隆寺」 の句に出てくる梵鐘である。この高台からちょうど木々の間に金堂と五重塔が見える。

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      「柿食えば 鐘が・・・・・」

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  五重塔(32.5メートル)はわが国最古であり、二重基壇の上に建てられた安定感のある塔で、初重のみに裳階がつく。 その隣に金堂、その後ろに大講堂が立つ。 大講堂は修理中であり、シートがかけられてあった。 ちょうど今頃は秋のシーズン前なので修理中のところが多いようだ。幸い、内部は見ることができたので入ってみると、本尊の木造薬師如来及両脇侍坐像と木造四天王立像があり、いずれも平安時代の再建の頃の作である。

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         五重塔 と 金堂

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  回廊を出るとすぐ東側に鏡池があるが、かつてここに茶店があり、子規はここで柿の名句を詠んだといわれ、句碑が立っている。鏡池の水は緑色にきれいに染まり聖霊院を映していた。

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               鏡池

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               聖霊院 

  鏡池の水面が前方に見えるところに、聖霊院、その隣に僧坊の東室がある。聖霊院内部の大きな厨子には、45歳の太子が勝蔓経を講義する姿をあらわした聖徳太子坐像と4人の侍者像を安置している。

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                 東室

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  平成10年(1998)に完成した大宝蔵院百済観音堂には法隆寺の代表的な宝物が展示されており、圧巻である。玉虫厨子・夢違観音像・百済観音像・銅造阿弥陀如来及両脇侍像木造厨子・木造百万小塔など、わが国を代表する古美術を一堂に見学できる。

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  大宝蔵院を出て東院に行く途中東大門をくぐる。東大門から石畳の参道を進むと、塔頭の宗源寺の四脚門などがあり、正面に宝珠のある夢殿の屋根が見えてくる。

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                東大門

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               四脚門

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                 夢殿

  夢殿は、二重基壇の上に立つ八角円堂で、円堂は故人の供養のための堂である。堂内中央の八角形の須弥壇に、本尊救世観音像が安置される。 夢殿の回廊の北口を出た所に、東院の鐘楼が立つ。袴腰のつくものとしては最古例の一つである。内部の銅鐘には、「中宮寺」 の陰刻があり、中宮寺から移されたものと考えられる。

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          東院鐘楼

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  天気も良く、広い境内(18万7千平方メートル)はなかなか歩き甲斐があるし、数多くの国宝(190件)、重要文化財(2300余点)などを目の当たりにすることができ、一気に1400年の歴史をさかのぼることができる。 威風堂々としたこの建物の中を歩くことにより仏教文化に触れることができた。 久しぶりに命の洗濯ができた斑鳩(いかるが)の里散歩であった。

 秋の気配     朝の横山の道  

  朝晩はすっかりすごしやすくなり、朝のウォーキングもあまり汗をかかないで歩けるようになってきた。私の歩くコースの周りも作物や景色が秋を感じさせるようになり秋の風景が色濃くなっている。

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 初夏に、田植えが終わったばかりの田んぼでカルガモが水草を食べていた水田風景が稲穂をたわわにつけて、今度は案山子が実った稲穂を鳥たちに荒らされないように見張っている。案山子に向かって「収穫を楽しみにしているよ」と声をかけて歩を進める。

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  六月頃は天候不順でお米の出来が心配されていたが、秋になると立派に稲穂が実をつけて重そうに頭をたれている。今年は豊作なのだろうと思う。もう稲刈りも近いのだろうが、こういうときに心配なのが台風である。秋の天気は変わりやすいので、刈り取りまで台風が来ないことをいのる。

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 近くの畑ではサトイモの葉が、「もうサトイモが十分育っているよ」といっているように大きくなっている。七月ごろは、まだ若い葉っぱに水玉がきれいに転がっていたが、今はその艶も張りもない感じである。その分土の中に立派なサトイモができているのだろう。さぞかしおいしかろうと思う。

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  谷戸の農道を歩いているとりんごが赤く色づいているのが見えた。こんなところにりんご畑があるのかと驚いてしまう。どちらかというと、りんごは寒い地域の特産品だと思っていたのでなおさらである。ちかづいて見ると、鳥のつついた痕があり早く食べないと鳥に食べられてしまいそうである。

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 右手に黄金色に輝く稲穂を見ながら農家のある方向に曲がっていくと、屋敷の入り口に柿の木があり赤く色づいている。誰も採ってたべる様子もなく木で熟して落ちているものもある。柿の葉が少し色がつき始めており、秋の気配が十分である。近くの枝でもずの鳴き声が聞こえる。

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  散策路「横山の道」の最高点、海抜150メートルの見晴台からは遠く富士山が見える。これからのシーズンはきれいに見える季節である。ただし、富士山はやはり頂に雪が積もっている姿が一番きれいだ。ここからは、多摩市が一望できることと、丹沢連峰、奥多摩の山々、人気の高尾山も良く見える。右手のほうには秩父連峰から狭山丘陵の西部ドームまでが眺められる。富士山の初冠雪は過ぎたのだろうか、雪化粧のきれいな富士の姿もうすぐそこまで来ている。

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  シーズンになるといつの間にか咲いているのがこの赤い花、彼岸花である。本当にお彼岸の頃になると咲いているが、結構寿命が長いようで見ごろが短いはなである。彼岸花で有名なのは「巾着田」であるが、田んぼの畦などにも時期になるといっせいに咲くはなである。これも秋を感じさせる代表的な花のひとつになる。

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  曼珠沙華(まんじゅしゃげ)  花言葉:悲しき思い出

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 「横山の道」の雑木林の中にある水源地の近くを降りていくと、家庭菜園をやっている地域に出る。このあたりの個々の区画の畑ではそれぞれが野菜や、花をそだてているがキュウリや、カボチャ、インゲンなどが見事に実をつけている。その中に、季節はずれになるのか、秋口に咲く朝顔なのだろうか、きれいなブルーの花を見つけた。

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  畑の隅にコスモスの花が青いそらに向かって二輪、まだつぼみは固いものもたくさんあるがこれからきれいに花開くであろう。やはり秋はコスモスの花が似合う。コスモスもいろいろな花があるのでこれからは楽しみである。

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  季節感を忘れた都会の雑踏から離れて郊外にすんでいる私は、季節の移り変わりを肌で感じることができる。この散策路には山栗の木があり、そろそろ栗の実が落ちるころである。散歩の途中ポケットにいっぱいの栗を拾い、家に帰ってゆでて食べたことがある。また、アケビの実なども熟しているところがあり、童心にかえって楽しむこともできる。やはり食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋である。秋の夜長をゆっくりと酒を飲みながら楽しむことにしよう。

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