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興福寺    奈良公園を歩く 1

  今日も朝から天気が良い。私の普段の行いがいかにいい(?)かを思わせるような天気である。奈良県庁の前から興福寺へと向かう。信号を渡るとすぐに鹿が出迎えてくれた。

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 興福寺は平城遷都(710年)と共にこの地に建立され、春日大社と一体化し、古代・中世を通じて、奈良の歴史の中心的存在であった。 南都七大寺の一つに数えられ、今も多くの国宝を有する法相宗大本山であり、五重塔や東金堂・北円堂・南円堂などの伽藍が建つ。 寺の周辺にある奈良県庁や奈良県文化会館、奈良国立博物館などの敷地も、かつては興福寺の境内であった。

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  五重塔は高さ50.8m、京都東寺につぐ高さの五重塔で、室町時代の和様建築物である。猿沢池から見上げたり、若草山や東大寺二月堂から眺めたりできる奈良の象徴である。

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  五重塔とならんで東金堂がある。室町時代の建築物で、天平の創建時の姿を復興したとみられ、寄棟造りの屋根や柱間が中央へ行くほど広い構造などが古式を伝えている。本尊は銅造薬師三尊像である。

 阿修羅像人気・・・・あいにく阿修羅像は、九州大宰府へ出張中で見ることはできなかったが11月には戻ってくるようである。09年3月から6月まで行われた東京国立博物館での「阿修羅像展」には、94万人もの入場者があったといわれている。日本美術の展覧会では史上最高の入場者という人気である。

  興福寺には、中金堂、東金堂、西金堂があり、現存しているのは東金堂だけで西金堂、中金堂は再建中である。阿修羅像はその西金堂にあったものである。

  西金堂は、光明皇后が亡き母の冥福を祈って建てたお堂で、本尊は大きな釈迦如来像であった、お釈迦様に付き添う眷族(けんぞく)が左右にたくさん立ち並んでいたその八部像のうちの一体が阿修羅像であったといわれている。

現地で見ることができればと淡い期待をしてきたが残念である。

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             東金堂 

 興福寺のすぐ南、五重塔から五十二段と呼ばれる石段を下るか、南円堂から三重塔を右に見て石段を下り、三条通りを渡ると猿沢池に出る。三条通りには昔ながらの人力車があり威勢のいい女性の車夫(婦)が話しかけてきた。

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  猿沢池は興福寺の放生池(魚などを放して功徳を得る儀式のための池)であったためか、鯉や亀などが多く生息している。池畔から五重塔を見上げた景色は、奈良の代表的風景として知られている。

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猿沢池には、色々な話がある。

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『采女まつり・・・・・猿沢の池の北西に池を背にした「采女神社」中秋の名月の祭礼。

 時の帝の寵愛の衰えたのを苦に、月夜にこの池に身を投げた采女の霊を慰めるお祭りで、花扇奉納の行事がある。

王朝貴族が七夕の夜、秋草で飾った花扇を御所に献じ、庭の池に浮かべて風雅を楽しんだ古事による。

 数十人の稚児がひく花扇使が御所車で市中をねり、名月が姿を現すころ、竜頭船に花扇を移し、管絃船からの雅楽の調べとともに池を二周、花扇は水面に浮かべられる。』

  ちょうどその中秋の名月の日であったが、おいしい奈良の地酒をたしなんでいてこの光景を見ることはできなかった。残念であるが来年に期待することにする。

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  『猿沢の池の七不思議・・・・・・むかしむかしから、猿沢の池には不思議ないい伝えがあります。「澄まず、濁らず、出ず入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分」』

  『悲恋の采女と衣掛柳の伝説・・・・・「昔、平城の帝に仕う奉る采女あり、顔かたちいみじう清らかにて、人々よばひ殿上人などもよばひけど、あはざりけり、そのあはぬ心は、帝を限りなくめでたきものなん思ひ奉りける、・・・・・云々」(大和物語より)

  しかし常なきものは男女の仲、やがて帝の寵愛の衰えたことを嘆いて采女は身を投げてしまいました。そのとき衣を掛けたのが衣掛柳といわれています。

  これを不憫に思われた帝が、采女の霊を慰められたのが、池の北西の采女神社です。采女のふるさと福島県郡山市にも采女の霊を祭る采女神社があります。

  この歴史の縁により奈良市と郡山市は姉妹都市提携を結んでいます。』と奈良ライオンズクラブの説明が池の端にあった。

  猿沢池から三条通りを渡り、南円堂の石段を上る途中に左側に三重塔がある。奥の低いところにあるので見逃しやすいが、北円堂と同じ鎌倉時代の建立になる。興福寺最古の建築物の一つ。和様の優美な建築物で、一層部分を二・三層部分よりも大きくしているので、安定感がある。

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              三重塔 

  その石段を上ったところに南円堂がある。西国三十三所観音巡礼の九番札所として信仰を集める堂内には、本尊木造不空羂索観音座像および木造四天王立像が安置されている。境内をあるきながらいい言葉を見つけた。

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                南円堂 

 『 川の流れは返らない 人の寿命も戻らない 法句経 』

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  南円堂を背にして左側には中金堂があり、興福寺の総本堂にあたる堂宇で、現在、再建中(2010年完成予定)である。

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              中金堂(建設中) 

  三条通りを一の鳥居にむかって歩くと、通称十三鐘といわれる 菩提院大御堂 がある。『本院は普通、奈良時代の高僧玄肪僧正(?~746)の創建と伝えられるが、実際はむしろ、玄肪の菩提を弔う一院として造営されたものであろう。本尊は阿弥陀如来座像で、別に児観音立像が安置される。

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               菩提院大御堂

  鐘楼に掛かる梵鐘は永享八年(1436)の鋳造で、かつて昼夜十二時(一時は今の二時間)に加えて、早朝勤行(明けの七つと六つの間)にも打鐘されたところから、当院は「十三鐘」の通称でも親しまれている。

  なお、大御堂前庭には、春日鹿をあやまって殺傷した少年三作を石子詰めの刑に処したと伝承される塚がある。元禄時代、近松門左衛門がこの伝説に取材して、浄瑠璃「十三鐘」を卓したことは有名である。』 と興福寺の説明がある。

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 さらに歩を進めると右手に古い門構えの菊水亭が見えてくる。昔からの門を残して今でも同じように営業をしているようである。 押しボタン式の信号を鹿と一緒に渡り、春日大社一の鳥居へと向かう。

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