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カステラとキリシタン   坂の街長崎を歩く    

  長崎はカステラの街、坂と山が多いというのが第一印象である。グラバーガーデンへ向かう坂道から見る長崎の街は、山の上まで家が建っている感じがする。

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  大浦天主堂に向かう坂道を歩いていると、途中に童話館というのがあり、入り口の門の前で猫がのんびりと昼寝をしていた。暖かな昼下がりである。

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  さらに行くと左手にカステラ神社というのがあった。なぜか階段が下に下がっており、鳥居もそれに倣って下に下がっている。その先には文明堂本店という建物があり、カステラの由来が書いてある。文明堂といえば東京でもカステラで有名fだが、発祥の地はここ長崎であるらしい。

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  説明には次のように書いてあった。『カステラの由来・・・・・カステラの由来はCASTILLAという十六世紀にスペインにあった王国の名が語源です。その地方でよく食べられていたお菓子でいつの間にか国名が菓子の呼び名になったのだと考えられています。長崎へは天正(1573年~1591年)の頃に渡来したとされています。

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  文明堂総本店の創始者中川安五郎は、この異国の風味、カステラを長崎の銘菓に育てようと決心し古老のもとを訪ね、古文献、古記録を調べ厳しい原料の選択と古い製法を活用し、遂に他の追随を許さぬカステラ作りの技法を大成して、長崎の地に文明堂総本店を創業しました。

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  その伝統の技法は代々継承され、総本店として、カステラ発祥の地長崎ならではの独自の味造りを続けています。カステラの底に甘いざらめ糖を残す長崎カステラの特徴をぜひ、ご賞味ください。  文明堂総本店 』 と説明している。

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  坂の上を見上げると、大浦天主堂のクロスが見える。この天主堂は、文久三年(1863)12月着工し、元治元年(1864)12月に竣工した。設計者はフランス人宣教師フュ-レ神父で、建築者は小山秀、中世紀建築の代表であるゴチック式である。

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  正式名称は日本二十六聖殉教者天主堂といわれ、本天主堂に於いて浦上旧キリシタンの子孫が発見された。日本にある天主堂の中では最古のものであるといわれている。

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  浦上天主堂を後にさらに坂を上ると旧羅典神学校がある。これは、『明治六年(1873)キリシタン禁教が停止となり、各地に配流されていた浦上村の信徒が釈放されたのを契機として、大浦天主堂のプチジャン神父は神学校の設立を計画し、明治八年(1875)に完成。

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 館内撮影は禁止なので外からのステンドグラス  

  設計と監督にあたったのはドロ神父。わが国初期の木骨煉瓦造り。大正十五年(1926)までラテン神学校校舎兼宿舎として使用。以後司祭館や集会所にも使用され、この間若干の一部改造があった。』 と長崎市教育委員会の説明がある。

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             旧羅典(らてん)神学校

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            大浦天主堂

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  日本の新しい夜明けを夢見る若者達、異国の商人たち、キリスト教を布教する神父たちと、西洋の学問を志す幕末の若者がこの坂の上から遠く大洋を眺めていたのだろうかと思いをめぐらす。キリシタンの迫害による隠れキリシタンの苦悩と救いを思うとき、長崎の哀しい歴史と祈りの姿が脳裏をかすめる。

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