野鳥たち

  • オオソリハシシギ
    野鳥たちの表情を表現できればと思っていますがショットが精一杯。

花たち

  • 姫扇
    気の向くままの足跡を紹介します

風景

  • 常陸海浜公園
    一期一会の心に残る風景

淡島の一日

  • 淡島から見るサンセット
    奈良の帰りに淡島に一泊。夕日と富士山がきれい。露天風呂から正面に富士山が見える。

四国・四万十川の旅

  • 金比羅宮
    2008年5月の連休の四国四万十川の旅

« 信州「もえぎ野」   新そばを食べる | トップページ | 信州りんご     実家でのりんご狩り »

信濃 清水寺    もみじ狩り

 信濃保科の清水寺(せいすいじ)は平安時代からの歴史があるお寺である。春先は牡丹の寺として賑わう。天平14年(742)行基が開基したといわれている。

_1911

_1913

  かつては本堂・庫裏・土蔵・物置、惣門・鐘楼、八将社、仁王門、大日堂・三重塔・薬師堂・観音堂、ほかに念仏堂・経堂・焔魔堂・寝釈迦堂、大己貴社・熊野社などがあった。

_1915

  大正五年(1916)五月十日、近くの民家からの出火による火災により、500メートルにも及ぶ老杉並木と共に灰燼に帰した。大日堂と三重塔は、明治四十年(1907)に古社寺保存法による特別保護建造物の指定を受けていた建物であった。

_1920

  建物と共にこれらの堂舎にあった大日堂の大日如来、三重塔内の五智如来、観音堂本尊の千手観音などの神仏像も焼失してしまった。

_1918

 重要文化財の「鉄鍬形」は靖国神社の遊就館に展示されていたために無事だったといわれている。坂上田村麻呂は蝦夷征伐の往路、戦勝を祈願し、帰途に「鉄鍬形と」「直刀」を奉納し、伽藍を建立したといわれている。

_1923

  その後、清水寺復興に執念を燃やしたのは当時副住職であった刀根川隆光師だといわれている。奈良県の廃寺同様の寺から保存状態の良い仏像がまとまって発見され、それを清水寺に移動することにしたのである。

_1925

 いろいろ困難はあったようであるが、大正七年に十九体の仏像を清水寺に迎えることができたのである。当時のお金で六千円を支払ったといわれている。因みに今の金額では一千万円を超える大金であった。この大火での民家の新築資金は一軒あたり二~三百円であったといわれているのでかなりの金額である。

_1936

_1930

  これらの仏像がいかに歴史的や様式的に優れた仏像であったかは、清水寺に移転してから三年後の大正10年に、千手観音菩薩像・阿弥陀如来像・薬師如来像・聖観音菩薩像・地蔵菩薩像・多聞天像・広目天像の七体が国宝に指定されたことがすべてを物語っている。

_1919

_1932

 今年の十一月十四、十五日は紅葉祭りがおこなわれ、山門の前で何か儀式が行われていた。青い杉の葉に火をつけてなにやらの法要のようである。説明書きとアナウンスがあったが、赤い紅葉の葉があまりにもきれいで目に飛び込んできたので、石灯籠の並ぶ石段をもみじの木々をみながらゆっくりと登る。赤、黄色、緑の葉の色がきれいに映る。

_1944

_1933

 石段の両側には、竹筒を斜めに切ったろうそくたてがきれいに並び、夜の足元を照らしてくれるのだろうか?。紅葉の夜間ライトアップもあるのだろうか。夜まではいられないので今を満喫することにする。ちょっと雲が多く残念だが色あざやかにもみじの葉が輝いている。

_1934

_1939

  この真っ赤な紅葉の葉は、やはり太陽の逆光で見るのが一番きれいだと思う。黄色の葉と赤い葉のコントラストがきれいだ。ちょうど太陽が山に隠れるところなので雲間に光を浴びて、光のあたったときが一段と赤さを増してきれいに見える。

_1947

_1943

_1948

_1950

_1937_edited1

  このような赤いもみじの葉は、京都でしか見られないかと思っていたが信濃の清水寺で見ることができた。京都は清水寺と書いて、”きよみず寺”と音読みになるがこちらは”せいすいじ”と訓読みになる。何かの縁があるのであろうが、いずれにしても秋の紅葉狩りを堪能できたことはうれしいことである。

« 信州「もえぎ野」   新そばを食べる | トップページ | 信州りんご     実家でのりんご狩り »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 信濃 清水寺    もみじ狩り:

« 信州「もえぎ野」   新そばを食べる | トップページ | 信州りんご     実家でのりんご狩り »