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絵解きの寺   かるかや山 西光寺を歩く

  中学校を卒業以来45年が過ぎた、同級会の案内が来たので、久しぶりに出席することにした。寒波襲来といううことで防寒具に身を固めて北国へ向かう新幹線に乗る。最近の交通の発達は便利にはなったが情緒がなくなってきている。

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            新潟の雪景色

  外の雪景色もゆっくり見るまもなく通りすぎてゆく。かつては4時間ぐらいかかってのんびりと東京へ向かったものだが、今では1時間半ほどで着いてしまう。県境の碓氷峠での機関車の接続の間に急いで買い込む ”峠の釜飯” も今では社内販売で売りに来る。

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  会の始まりまでには時間があるので、駅の近くの西光寺を覗いてみることにした。 『はるばると、尋ねしわが子を前にして父と名のれぬ、はかなさよ』  とうたわれる、時を超え語り継ぐ親子の絆と御仏の導きのお寺である。

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     朝日山大蛇の塚

  お寺の案内には次のように説明を読むと。 『善光寺と共に栄えた 「絵解きの寺」 かるかや山西光寺は、善光寺の門前町・長野市の中心街にあり、開祖刈萱上人とその弟子信照坊道念上人(幼名石堂丸)のお二人が刻んだ二体の「刈萱親子地蔵尊」をご本尊として安置しております。

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      刈萱道心 石堂丸 親子

  また、絵解きを現在に蘇らせた「絵解きの寺」としても知られ、江戸時代の「刈萱道心石堂丸御親子御絵伝」二幅が寺宝として伝わっています。

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   大師堂  弘法大師を祀る

  刈萱道心とは、筑前の国守で刈萱の荘に暮らしていた加藤左衛門重氏が出家して名乗った法師名です。高野山で修行し、後に善光寺如来に導かれ、この地にくだり、草庵を開き、日々善光寺へ参詣しながら地蔵尊を刻み、念仏をひろめられたのでした。

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 信濃最古の芭蕉塚 「雪ちるや穂屋のすすきの刈り残し」

  善光寺との深い縁で結ばれた当山は、その昔、善光寺南大門とも称せられ、善光寺参詣の人々が必ず立ち寄っていく寺として栄えてきました。また界隈は、石堂丸にちなんで石堂町と呼ばれ、当山が広く庶民に親しまれ慕われて来たことがしのばれます。』 とある。

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     一茶自筆の句碑 「花乃世ハ仏の身さヘおや子かナ」

  刈萱道心と石堂丸の話は次のような内容である。

 『今からおよそ八百年前、九州六カ国の国主加藤左衛門重氏は、世の無常を悟り、京の黒谷に登り法然上人の弟子となったある夜、延命地蔵尊のお告げを受け、高野山へと入られました。

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  国に残された千里御前は、男児を出産し「石堂丸」と命名。石堂丸十三歳の春、父恋しさを募らせ、母と共に黒谷へ、さらに高野山へと長い旅に出られました。

当時、高野山は女人禁制、石堂丸は母を麓の宿に残し、父を尋ねて山内に入り、三日三晩の後、奥の院は無明の橋で、花桶を下げた僧に出逢います。この僧こそ父・刈萱道心でした。

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     「家運興隆」 「無病息災」 「金運招福」

  道心は、石堂丸がわが子であると知りますが、仏に捧げた身ゆえ名乗ることができず、「尋ねし父は、すでにこの世にない」と告げ、山を下りるよう諭します。山を下りてみると、母は長旅の疲れからもはや帰らぬ人となっており、泣く泣く国に帰れば、姉もなくなっておりました。

  そこで、石堂丸は再び高野山に登り、父と思う刈萱道心を師僧と仰ぎ、信照坊道念と名乗り、三十四年間修行されました。ある日刈萱道心は、善光寺如来に導かれて信濃の地に下り、一寺(今日の刈萱山西光寺)を建立。一刀三礼の地蔵尊を刻み、十四年間常行念仏に励み、八十三歳で大往生を遂げられました。

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         六面地蔵

 道念は、父刈萱の往生したことを悟り、当山へ移り住み、父の菩提安かれと刈萱塚を建立。ご自身も一刀三礼の地蔵尊を刻み、親子地蔵尊として本堂に安置。その後も念仏に励まれ、六十三歳で極楽浄土に赴かれたのです。』

  親子の悲しい物語ではあるが、子供のころに聞いた話を改めて思い返し、親子の絆の大切さを再認識した。 ”絆” という文字は糸偏に半と書く、お互いに見えない糸で結ばれているのである。子供の虐待の報道を聞くたびに子を育てる親の責任の重大さを知らされるこのごろである。

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            越後の雪

  四十五年ぶりの同級会も、すっかり変わって別人のような人、面影がそのまま残っている人、さまざまである。最初は誰なのかわからずに話をしているが、名簿を見ながら話を進めるとタイムマシーンのようにその時代に戻ることができる。○○チャンと呼ぶことができ、女性からも久々にクン呼びをされた。後は懐かしい話と美味しいお酒で時間の過ぎるのを忘れた楽しいひと時であった。

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コメント

見ましたよ。バックナンバーもたくさんなので
見切れません。
お気に入りに入れたので又見ます。

ゆっくり覗いてみてください。

紅葉きれいですね。人間が作り出す事の出来ない自然美。大切にしたいです。自然を残すか、便利さを追求する開発か難しいですが。ときどき覗かせていただきます。

何時も訪問して楽しんでいます。
仕事の切れ間に見るのが何よりの楽しみです。
写真が上手く大変勉強になります。
私も早く追いつきたいものですね。
最近は以前の更新回数が減少しているのでは有りませんか?
期待していますので出来る丈早く更新して下さいね。

私は越後の雪がいやで東京に来たのに最近は雪が故郷が不便さが懐かしく多く思い出されます。
45年ぶりの同級会は沢山の思い出を紐解いた事でしょう同級会の継続をお祈りします。

ふるさとはとおきにありて思うもの。そういう年になりました。まだフットワークは軽いので頑張ります。

「かるかや山西光寺」のホームページが出来ました。
はじめたばかりなので、十全なものとは言えませんが、徐々に充実させたいと思います。もっと知りたいかるかや山情報!はhttp://karukayasan.web.fc2.com/
まで どうぞ

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