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2010年3月

人民公園の朝      上海を歩く 2

 ホテルから九江路を黄浦江と反対側の方向に約15分ぐらい歩くと「人民公園」がある。今朝も天気がいいので早朝散歩を楽しむ。

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  もともと競馬場だったところを中華人民共和国成立後、公園として解放したところである。市内の中心にあり市民の憩いの場所として親しまれている。誰に聞いてもすぐに分かるところにある。

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  園内では朝早くから太極拳をする老人や、市のダンスサークルの人たちなどが太鼓をたたいたり、スカーフを持ったりしながら練習をしている。

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  ここにも古い建物の背景には超高層ビルが並び、新旧の文化が混在している。散歩をする人、走る人、車いすの人も多い。近くには、劇場の上海大劇院、上海博物館、上海美術館、市役所などがあり、公園の下は三本の地下鉄の交差駅になっており商店街も多くにぎやかな市の中心地である。

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  これからの中国がどうなっていくか興味の沸くところであるが、政府の舵取りは難しい。市民の話を聞くと、やはり1980年の改革解放経済が時代の変わり目だと言う人が多い。国営企業の民営化が始まり、一夜にして億万長者になった人が数多くいるようである。

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  国家の栄枯盛衰の時間は文化の発展と共にはやくなっている。公的国家基盤確立からパワー衰退までを時間軸で見てみると面白い。

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  文明はエジプトから始まって地球を西の方向に一回りしている。イギリス、アメリカ、日本、中国へと流れは向かっている。

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 ① エジプト・・・B.C3000年都市文明が成立してからA.C525年ペルシャに敗れるまでは約3500年である。

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 ②ギリシャ・・・B.C1600年クレタ文化黄金時代からアテネ全盛時代はB.C429年、A.C146年にローマに敗れるまで1750年と約半分になる。 

 ③ローマ・・・B.C27年、ローマ帝政時代が始まり、1100年神聖ローマ全盛時代を迎える。1453年に東ローマ帝国の滅亡により亡びる。この間1500年。

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 ④ スペイン・・・A.C756コルドバウマイヤ朝成立、1588年無敵艦隊がイギリスに敗れスペイン時代は800年で衰退している。 

 ⑤ フランス・・・1066年ノルマンジー公がイギリスを征服して、1815年ナポレオンがワーテルローで敗れるまで700年つづいた。

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 ⑥ イギリス・・・1485年ヘンリー7世が絶対主義政治を始める。1901年ヴィクトリア王朝時代が終わる。この間400年で衰退している。

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 ⑦ アメリカ・・・1776年の独立宣言から現在2010年までを見ると234年になる。今後世界の覇権国としてアメリカをどう見るか。

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 ⑧ 日本」・・・1668年の明治維新から2010年までとすると142年になる。ここ二十年の低迷この流れを変える、わが国のリーダーが出てくることを期待する。世界の中での日本の黄金時代は来るのだろうか。

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  今後は中国の時代になり、ものすごいスピードで動いている。この傾向値で見ると約100年間ぐらいかともおもう。その後は、東南アジア、東欧、中東、インド、ソ連の全盛時代があってアフリカの国々へとつづくのだろうか?4000年の歴史を持つ中国の今後の指導者の責任は重大である。

 人類の発祥地がアフリカと言われている、地球を一回りした次の文明はどのようになるのだろうか。私のDNAはそのころどこかに存在するのだろうかと考えると興味がわく。

新旧混在の発展する街   上海を歩く

  五月から上海万博が開かれる活気ある街上海に行ってきた。上海市は6341k㎡の面積に約1400万人の人々が住む中国最大の国際都市である。かつて日本を含む外国列強の租界地として発展してきた。租界地としての古さと、近年の経済発展による新しさが渾然一体となって成立している。

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             成田空港

  第二次大戦前は、欧米列強と日本の諜報員が暗躍し、占領地をめぐる駆け引きが繰り広げられた。1949年の中華人民共和国建国以降は中国経済復興の牽引車の役目をにない、鄧小平の唱えた1980年以降の改革解放政策の中で急激にその地位を高め発展している。

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                    九江路

 昔の中国は自転車の街というイメージであったが、すっかり車社会になっている。でもまだ昔風の自転車も姿も見かける。バスとタクシーがひっきりなしに走っている。車はフォルクスワーゲンなどのヨーロッパ車が圧倒的に多い。日本の車はホンダ、日産が多くトヨタは少ない。

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                  緑色のポスト

  自転車、自転車の三輪車などが車の間をぬって走っているがこの人たちは、信号無視が多い。右側通行なので赤信号でも右折は可なのでなれないと驚いてしまう。

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              南京東路

  万博を控えて高速道路はきれいに整備されている。空港から市街地までは高速道路とリニアモーターカー、地下鉄の線路が並んで走っている。工事は人海戦術で突貫で行われているが期日にまに合うのだろうかと心配になる。空港から上海市街への高速道路は大型トラックは走行禁止になっているとの事でスムーズに走れる。

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               バンドエリアより 浦東方面

  高速から眺める景色は林立するマンション群がすごい、09年度の中国全土の着工数は4000万戸との事、日本とは桁が違う。そのうち超高級マンションは5%、高級マンションは15%ぐらいで、戸建て住宅は98万戸、まさに建設ラッシュである。道路わきに竹が山のように積んであるが建築現場の足場用である。ほとんどの大きな現場はスチールパイプの足場であるが、たまに竹パイプの足場を使っている現場も見ることが出来る。

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              高速道路から見るマンション(中級)

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             建設中マンション (中級)

 この規模の住宅着工はまだまだ続くだろうと言われている。低所得者への住宅の補助制度があり、農村部から沿岸部への人口移動は年間1.4億人と言われている。日本の人口より多い数である。

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             バンドエリアの欧米様式の石造建築物

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  話によると一人っ子政策もきびしいのは都市部だけで、農村部はそうでもないとの事で、政府の発表している人口は13億人と言われているが、民間調査では17億人という報告もあるようである。それにしても桁が違う。

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                        世紀広場

  ホテルは上海市内なので、仕事の前の早朝に一時間ぐらい市内を散歩することにした。言葉は英語、日本語がほとんど通じないので簡単な案内を持っていくことにする。但し漢字の意味は分かるので言っている事は理解できる。上海は中国の中でも英語が通じる地域だと聞いてきたがそうでもない。

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               太極拳を演じる市民

  バンドエリアは上海を象徴する上海最大の観光ポイントである。ゆっくり流れる大きな黄浦江を挟んで両側に対照的な建物が並んでいる。租界時代の高層建築物を川沿いの公園から歩きながらながめることができる。当事の建築のアールデコ調の建物が朝の陽に輝き美しく光っている。公園は、万博の準備のため三月いっぱいは工事中で人通りは少ない。

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                東方明珠塔(上海テレビ塔)

  アジアで一番高いテレビ塔として有名である。上海のどこから見てもその姿を見ることが出来る。263mと350mのところに展望台があり上海の街を一望できる。高さは467.9mでカナダのCNタワー(553.3m),ロシアのオスタンキノタワーについで三番目である。でも、日本のスカイツリー634mが完成するとこれが世界一番の高さになる。

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                  バンドの黄浦公園遊歩道

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              朝の浦東地区の高層ビル群

 工事中の囲いの切れ間から入り、川沿いを歩いてみる。向かい側には逆光の朝の陽にテレビ塔、森ビルの上海金融センターなどの100m級の超高層ビル群がシルエットになって林立している。川面を走る船が早朝から急がしそうである。

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              黄浦江

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          黄浦江遊歩道から和平飯店方面を望む

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             高速道路からの上海超高層ビル

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          典型的な農村風景(レンガ造りの3階建てが多い)

  繁華街から高速道路で一時間ほど走ると農村風景になり、工場や民家が目立つ。農家のまわりは菜の花が一面広がり、アヒルが200~300羽ほど水浴びをしている。  

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                黄浦公園

  スカッとした青空はなかなか見せてくれないが活気のある都市である。さすがに日本を抜いて世界二番目の経済大国になった様相は感じさせる。日本のような閉塞感はないがまだまだ、新旧のアンバランスの部分もある。八時に迎が来るのでホテルに戻ることにするが、光輝くロマンチックな上海の街はゆっくりとぶらぶらするのが一番よさそうである。。

栗あんしるこ   栗の里小布施を歩く

  三月も後半になると言うのに本格的な春はまだ来ない。父の一周忌があったので信州に行き、久しぶりに北信濃の栗の里、小布施竹風堂の”栗あんしるこ”を食べに足を伸ばしてみた。

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              北アルプス遠景

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               春を待つりんごの木

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                椿

 高速道路の長野東インターを降りて須坂市内を通り、りんご畑の中を抜け川を渡ると古い民家風つくりの街並みに出る。

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              福寿草

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               竹風堂

  竹風堂の案内には、「一隅を照らす」と言うコンセプトがある。

「お菓子なしでも、人は生きられる。でも。お菓子なしの暮らしは考えられない。

心うるおす その味わいの中から生きていて良かったという喜びが、思わずこみ上げてくるような、そんな栗菓子を世に送りつづけたい。

竹風堂がかかげる光はとぼしくても一隅を照らすお菓子屋でありたい。」と言う言葉が書かれている。

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  今ではきれいに街が整備されて一大観光地になっているが、私が最初にここに来たのは三十数年前の学生時代である。友達と志賀高原にスキーに行った帰りにここで栗あんしるこを食べるのが定番であった。

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                                竹風堂 食事処

  スキーで疲れた帰り道での楽しみであった。当時は若さもあったのだろう、確か5、6杯一人で食べた記憶がある。私の友人も酒飲みの癖に甘党で、同じように食べて、「10杯食べたらサービスしてくれないかなー」と笑いあったものである。

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  栗のあんは、甘すぎずのど越しがよく、小さなもちの二切れがちょうど良い大きさで、箸休めの漬物が、しその実の塩漬けで5,6粒添えられていている。漬物のしょっぱさと栗あんの甘さのコンビネーションがよくあっている。

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 志賀高原へのスキーでは、雪道の轍にタイヤがからみ、チェーンをしているにもかかわらず河原に転落したことがある。幸いに怪我はなかったが車が壊れてしまった。

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            栗あんしるこ   ¥ 550

 その前日には、黒姫高原へのスキーの帰り道、吹雪で視界が悪く、真っ白な道で突然道路をはずれ車が傾いてしまったこともある。これも幸い通りかかったトラックに引き上げてもらって助かった。最近は暗いニュースが多い、だが世の中ほとんど大多数の人はこのようにいい人ばかりである。

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雪道の運転には慣れていて、自信はあったにもかかわらず恐いものだと思った。大きな事故にならず、友人たちともども現在まで元気で働くことが出来、酒を飲みながら笑い話のネタになってはいるが、これも「おかげさまで」と言うところでしょうか。

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              そば処   くら

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 ここでの名物はほかにもたくさんある。”栗おこわ”、”栗ようかん”、”栗かの子”、”栗もなか”などであるが、栗にこだわっているところがうれしい。最近うれしかったのは、”栗あんしるこ”の持ち帰りが出来ていたことである。早速、学生時代の友人にお土産として持ち帰った。

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                名残雪

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               飛行機雲

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              ジョウビタキ ♂

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               りんごの枝 と カワラヒワ

  また近辺には、葛飾北斎の絵画館や時代を感じさせる造りのそばや、酒屋などが並び当事よりは観光地化しているが雰囲気は残っている。今シーズンのスキーはもう出来ないだろうが、何時の日か元気で体力が許すならば、昔の仲間とスキーを楽しんだ後にここに寄って”栗あんしるこ”を食べてみたいものだと思う。

活気のある街   大阪道頓堀を歩く

  新大阪の駅を降りると毎回戸惑うことがあるが、それは駅のエスカレーターの追い越し通路である。東京では左に立ち、右側は追い越しになるが大阪では右側に立って追い越す人は左側をすり抜けていく。実際はエスカレーターは動いている階段なので危険が多いから動かないほうがいいと思うがそうも行かずつい急いでしまう。。

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                           戎橋 から 道頓堀川

私の知っている限りでは、大阪と同じ乗り方をするエスカレーターは仙台だけである。新大阪駅はどちらかと言うと東京方面からの人が多いので新幹線を降りてすぐエスカレーターに乗ると、右か左かと、戸惑うことが多いし戸惑っている人もかなりいる。

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  なぜ大阪が左追い越しなのか聞いてみると、大阪万博のときに外国のひとがたくさんくるので、外国人の習慣に習ったのだと言う。エスカレーターの左側追越はそのときから習慣化したようである。しかし、大阪のなぞは解けたが仙台のそれはいまだにわからない。

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  昼休みに時間があったので道頓堀界隈をぶらぶらしてみた。人が多いのに驚くと共に、やはり東京とは違う文化を感じる。うどん屋さんは多いが日本そばやをあまり見かけない、素うどんが160円と安い。一般に食べ物が安いような気がする。

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                   くいだおれ太郎君

 くいだおれのビルの前にあった「くいだおれ太郎君」が近くのビルの前で復活していた。まわりには記念写真を待つ人が並んでいる。相変わらずの人気である。

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  阪神タイガース優勝で川に飛び込んでニュースになる道頓堀川戎橋の近くには、スェーデンのH&Mがオープンしてその買い物客が長い列を作っている。とにかく人がおおいところである。大阪の雰囲気は気取りがなく庶民的でいい。大阪のおばちゃんらしき人が「危ないよ」といいながら自転車で混雑の中を通りすぎてゆく。

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  藤島桓夫のヒット曲で有名な法善寺横町に入る、狭い通りなので人ごみに流されていくと、とおり過ぎてしまいそうな横丁である。石畳が続く情緒のある路地である。小説「夫婦善哉」の舞台となったところと聞く。Dvc00023

                  法善寺横町

  さらに狭い路地をとおり抜けていくと、水掛不動尊の前に出る。かつて「千日前デパート」の火事があったところである。この千日前と言う地名は、水掛不動尊で千日ごとに法要を行っていたところからこの地名がつけられたと言われている。

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                  水掛不動尊

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  狭い路地を、観光客が行き来する、この水掛不動尊は商売繁盛、恋愛成就を祈願した人が掛けた水で全身が苔むしてしまったようである。私もせっかくだから商売繁盛を祈願する。

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              三月場所  大阪府立体育館

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  一人横綱になってしまった大相撲大阪三月場所が始まった。大阪府立体育館の前には関取たちの名前の入ったのぼりがなびいている。やはり東西に横綱がでんと座っていたほうが重みがある。早くその空席に座る力士が出て大相撲を盛り上げてくれることを期待する。        (※画像は携帯電話カメラ)

最後の梅の花  府中郷土の森を歩く

  三月に入っても寒い日が続くことが多く、2月遅くなってなごり雪が降ったり、土曜日曜という休日は雨が降ったりと、ここのところ天気に恵まれていない。久々の青空なので、まだ梅の花が残っているだろうと府中郷土の森に出かけることにする。

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  入口をはいると、本来は、「梅まつり」が2月1日から3月7日までだが、3月14日まで延長しますという案内があった。やはり雪がふるなどの寒さがあったので梅の花も少し遅れたのだろうか、タイミングがよかった。

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  博物館の前の広場では、武蔵国府太鼓の演奏会が行われている。大太鼓、小太鼓などの乱打の演技が素晴らしい。うち手は女性が多くかなりの年季が入っているように感じる。なぜか幟を持つ女の子は楽しそうではない、やはり年功序列があって太鼓のばちを持つにはそれなりに時間がかかるのかと想像する。

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  太鼓の演技が終わったので足を園内に向ける、まず入口には団子屋があったので、「花より団子」 のいわれのごとく団子を買って腹ごしらえとする。高山直送の「みたらし団子」と書いてあるが、なぜか疑わしいと思いながら、でもまずお茶とともにおなかに入れる。歯触りが柔らかくておいしい、野外で食べる団子は格別である。少し風はあるが太陽の光で陽だまりは暖かい。

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  入口にある古い商家には、ひな祭りのお雛様が飾ってある。もう三月も過ぎてしまったが豪華なお雛様である。昔からお雛様は、「娘が早くお嫁に行くように、早く飾って三月三日が過ぎたら早くしまうものだ」 といわれてきた。うちは、最近お雛様も飾らなくなってしまった、それが原因かどうか、娘は海外に行ってまだ結婚しないでいる。早く親孝行してほしいものである。

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  園内入口の小川の近くには、マンサク、沈丁花、サンシュ、ミツマタなどの花がきれいに咲いている。マンサクの名前の由来は 「まずさく」 から転じたといわれているように代表的な早春の花木である。また、マンサク、沈丁花、ミツマタなど早春の花には甘い香りがあるのがうれしい、そっと鼻を近づけてみる。

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                    サンシュユ

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                  紅梅 白梅

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  梅の花は、最盛期は過ぎ枯れ始めているものもあるが、まだ、しだれ梅、八重咲きの梅などは見ごろである。

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                     しだれ梅

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  最盛期にはメジロなどもたくさん来ていたのだろうが今日は少ない、ヒヨドリがくちばしを黄色に染めて最後の梅を楽しんでいる。低いところではシジュウカラのペアが楽しそうに、地面に降りたり、梅の枝から枝を軽やかに飛び回ったりしている姿がほほえましい。

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                   シジュウカラ

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                    ムクドリ

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                    メジロ

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                   ヒヨドリ

  今年の府中の梅は少し遅かったようであるが、しばし梅の香を楽しむことができた。梅は枝ぶりと香りが我々を楽しませてくれる。最盛期のあの香りはなかったが今年の最後の花と会うことができた。四季のある日本ならではの風景であるが、季節季節の花を楽しむことができる幸せに感謝する。

春のおとづれ  早朝のよこやまの道

   ここのところ週末はいつも天気が悪く、早朝ウォーキングもサボりがちであった。今日は久々に青空、少し冷たい風があるが今までの天気を考えると家にいる雰囲気ではない。

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   多摩丘陵の「よこやまの道」を歩いてみる。尾根幹線の道路と平行して走る散策路である。標高は高いところで150メートルぐらいで歩く道はきちんと整備されているので歩きやすい。今の時期は、通路に落ちた枯れ葉が風に巻かれて塊になっているが、その中を歩くのは感触としては足に心地良い。

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  雑木林はまだ枯れ枝状態で、朝の陽の光が差し込む。両側の潅木の中ではガビチョウがガサゴソと採食中のようである。林の中をカケスが[シャー、シャー」と鳴きながら飛び回り、アオゲラも木に張り付いてコツコツと虫をさがしている。鶯が、まだ一人前とはいえないへたくそな囀りをはじめているようである。春がそこまで来ている。

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                    椿の花

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  「ツ、ツ、ピー  ツ、ツ、ピー」 と、シジュウカラのさえずりが大きく聞こえる。メスを呼ぶさえずり、恋の季節である。キジバトもペアーでの飛翔で目の前の木に並んで止まってストレッチをしている私を怪訝そうに見ている。春のおとずれを感じさせる光景である。

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  梅の花が終わり、桃の花が濃いピンク色につぼみをふくらませる畑では、家庭菜園の土おこしに精を出すサラリーマン風のにわか農夫の姿が見える。黄色い菜の花が咲く畑の畦には蕗の塔が花をつけている。この蕗の塔は油味噌で合えたり、てんぷらにすると苦味の利いたおいしいつまみになる。

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                        終わりの梅

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                        ナノハナ

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                     フキノトウ

  道路わきの土手にはラッパスイセンがきれいに花を開き、ハナニラやすずらんににたスノーフレークが美しい釣り鐘上の花を数輪下垂して咲かせている。

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                       ラッパスイセン

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                         ハナニラ

  早朝ウォーキングは約5キロメートル1時間半ぐらいの距離である。隣の川崎市の里山を歩き、鎌倉古道を横切り戻るコースである。このあたりは旧鎌倉街道があり、歴史的にも貴重な史跡のあるところである。「いざ、鎌倉」と、新田義貞が馳せさんじたのだろうか急な坂がある。

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  標高150mのパノラマ展望台は、多摩市が一望でき、さらに丹沢山系、奥多摩の山々、遠く秩父山系から狭山丘陵まで見渡せる。また富士山の雪を冠った姿も奇麗に見えるところであるが、すでに春の兆し、霞に煙って薄くその姿が見える程度である。

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                     ボケの花

  久しぶりに汗をかき野外でストレッチを行った。自然界の春への始動は着実に始まっている。私も重いコートを脱ぎ棄て、新しい季節への躍動を始めることにする。

光と影   新宿御苑を歩く

 ここ数日の天気は、暖かい日があったかと思うと冷たい雨が朝から降り続いたり、と猫の目天気である。暦の上では三月なので、もうコートを脱いでもいい時期ではあるがなかなか脱げないでいる。

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         向かいのビルの窓の光に映える青い屋根

 私の事務所は、新宿御苑の脇の道路を一本隔てた新宿通りに面している。9階の屋上に出ると新宿御苑の緑の森と芝生が隣のビルの間から見ることが出来る。通勤には新宿駅南口を出て、明治通りを横切り御苑の新宿口前を通るレンガ通りを歩く。

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                旧新宿門衛所

  四谷に抜ける地下トンネルの入り口には都立新宿高等学校があるが、この敷地は、1921年(大正10年)に新宿御苑の土地の一部を学校用地として当時の東京府へ下賜されたものである。新宿高校は都立でも難関校のひとつであったが、あの学校群制度以来様相が変わってしまった。

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               白梅

  新宿御苑は、もともとは江戸時代の信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。広さは58.3ヘクタール、周囲3.5キロメートルと広く、新宿区と渋谷区にまたがっている。入場料が取られなければ庭園内を歩いていくと代々木駅まではすぐの距離である。ちなみに入場料は200円、お手ごろ価格である。

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  御苑内の施設は文化財に指定されている歴史的な建造物が現存している。1945年(昭和21年)5月の空襲で大きな被害を受けたが、戦災を逃れた建造物は今も残っている。旧洋館御休所、旧御涼亭(台湾閣)などがそれである。

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  御苑の守衛などが使用していた旧新宿門衛所は、通勤途中で見ることが出来るが昔ながらの建物の背景に近代的な超高層ビルを写しそのコントラストがきれいだ。毎朝同じ場所で、同じ角度から写真をとっている人がいる、毎日の光と影の記録を残しているのだろうか。

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            茶室 「楽羽亭」 と 梅

  旧大木戸門衛所などの建物も昭和初期の建造物であり、御苑の外周散策路の入り口になっている。ここから園内に入り大きなタイサンボクの下を通る、ミツマタの木を右手に見ると重要文化財指定の旧洋館御休所がある。

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                紅梅

  これは天皇や皇族の休憩所として1896年(明治29年)に建てられた洋風木造建築である。平成23年リニューアルオープン予定の温室は現在工事中で白い壁で覆われている。その塀の部分に、まだ小さな木の芽をつけたケヤキの枝がぼんやりと映り幻想的である。

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  大きな芝生にのびのびと育った木々が見えるイギリス式庭園は、陽の光を受けてその影を地面に映す。この部分だけを見ると日本の風景かと目を疑う。子供を遊ばせる母親のシルエットが広い芝生に異国情緒を感じさせる。

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           イギリス風景式庭園

  日本庭園の近くの茶室、「楽羽亭」の年季の入った白梅、紅梅がちょうど見ごろである。青い空を仰ぐとハクモクレンも一部花が咲き始め、つぼみが今か今かと言わんばかりに空に向かって膨らんできている。茶室 「翔天亭」 の脇のカンザクラが満開の花を咲かせている。芝生で寝転んでみる人、カメラを向ける人、多くの人が取り囲んでいる。

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            ハクモクレンのつぼみ

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          カンザクラにとまる ヒヨドリ

 三月下旬から4月上旬にかけてソメイヨシノが見ごろになるが、ここ新宿御苑ではソメイヨシノの前にも楽しめる桜がある。このカンザクラのほかにも、中の池ふちのシュゼンジカンザクラや桜園地のオオカンザクラ、下の池や日本庭園のカンヒザクラなどが次々に開花しひと足先の春を届けてくれる。

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            カンザクラ(奥) カワヅザクラ(手前)

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  満開のカンザクラと葉桜になりはじめたカワヅザクラが並んでその盛衰を見せてくれているなかで、青空の満開のカンザクラにヒヨドリが夢中になって蜜を吸っている姿がかわいい。また、メジロもまわりのカメラを無視するかのように花びらの中に顔をうずめている。

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          緑の苔に落ちる陰

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                メタセコイアのむこうに

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             カンザクラ

 カンザクラの濃いピンク色を、葉桜になり始めたカワヅザクラの木がひきたてているように見える。こういう光景を見ると、この世の中はすべて光と影であり、光と影それは表裏一体のものであると言うことがわかる。

   光輝くものがあればその影にはそれを支えるものがある。人生もそのとおりでスポットライトを浴びる人、それを演出する人たち、人は他人の協力なくして生きていくことは出来ない。人の心もおなじだ、光とは人の外面であり、影とは人の内面になるのであろうか。すぐそこまで来ている春の光が待ち遠しい新宿御苑散歩である。

春が来た    弥生三月

 ここ数日の気温の変化はすさまじい、17.8度が翌日は8度、9度、さらに16度と続く。体が追いついていかない。こうした三寒四温の繰り返しでだんだん暖かくなり春がやってくる。雪国ではこの春を待ち遠しく待っている人たちがたくさんいる。

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                梅とヒヨドリ

 二月に入り三十路になる別居中の息子が病気で入院した。もう少し遅れていたら大変なことになっていたが、三週間の入院治療で無事退院することができた。周りの皆様のおかげである。昔から、日本の挨拶には「おかげさまで」という言い習わしがあるがまさにこれだと思う。

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 息子は、2月から南米に旅行に行く予定でいろいろな手続きを済ませ、2月14日に旅立つ予定であったが体の調子がおかしいのでクリニックに行くと、「すぐに大きな病院で検査する必要がある」 ということでわが家の近くの大学病院に検査入院をした。

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 入院をすると、すぐに南米での災害のニュースが立て続けに入ってきた。最初はペルーのマチュピチュの洪水で観光客の立ち往生、つい最近ではチリでの大地震と津波での大災害。日本の反対側なので詳しいニュースはなかなか届かないが、阪神淡路大震災の300倍のエネルギーとか言われている。

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 旅行予定を聞くと、「今ごろサンティアゴかな」 という会話、まさにその災害地を歩くスケジュールで旅行を計画していたようである。不幸中の幸いというか、ニュースを聞いて現地の被災者のかたがたには申し訳ないが、ほっとしているような状況である。それも最愛の伴侶との旅をする予定だったので入院は二人の将来を助けてくれたような気がする。運命というか、天命である。

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               ツグミ

 三週間の入院生活は、本人にとっては大変だった思うが、さらに大変なのは周りの人たちである。本人は「鬼の伴侶」といっている彼女が、毎日病院に通って献身的に看病をしてくれ、元気づけてくれた。おかげ様で回復が早かったような気がする。

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 彼女も南米旅行は、ずいぶんと長いこと楽しみにして計画をしていたものなのに、断念して毎日一時間半以上も電車バスに乗って病院通いをしてくれた。そのおかげで回復も順調で、予定通り検査の数値も平常に戻るのが早く、日程的にも思い通りに退院できた。後は自宅での一か月の療養で体力の回復と症状の再発がなければもと通りの生活と職場復帰ができる。

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 私も、今回の件で週末は毎回かみさんと病院通いをして、今まで息子とじっくり話をしたこともなかったがいろいろゆっくりと話をすることができた。一方、母親は子供がいくつになっても子供は子供なので、細かいことを常に心配している。やはり自分の腹を痛めた子供との絆は、父親のそれとは違うものなのだなと思った。

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              白梅 と ヒヨドリ

 息子は、学生時代はラグビーをやっており、毎日泥んこになった衣類を担いで帰ってきたことを思い出す。土日もラグビーに明け暮れ、良く試合を観戦に行った。ラグビーの細かいルールはそのときに覚えたものである。練習中に脳震盪を起こして寝ているとか、怪我をして病院にいったとかの電話はあったがあまり健康の心配はしていなかった。

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 体格的にも高校生の頃で180cm以上あったので、私も息子と喧嘩をしてももう勝てないなと思ったことがある。また、当時かみさんが洗濯機が壊れたといったことがあった、壊れたなら新しいのに買い替えるしかないと考えたが、どうせ捨てるなら分解してみようと思った。

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 洗濯漕の排水ができないということなので、まず排水のホースをはずしてみたら、何と、排水のホースが砂でいっぱいに詰まっていたのである。毎日のラグビー練習の汗にまみれた砂粒が、長年たまったもので、ラグビーウエアーの洗濯での砂詰まりであったのである。排水ホースをきれいに洗うとなおってしまった。「散財しなくてよかったね・・・」 とかみさんと笑ったものである。

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                 ビンズイ

 彼女との地球一周りの計画を足止めした今回の入院は、何か運命のようなものを感じる。あのまま出発していたら今頃はどうなっていただろうと想像すると、病院での三週間は今後の二人の生き方を示唆しているような気がする。

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               ルリビタキ ♀

 常々おもっていることだが、私のような貧乏人にとって財産とは、「信用」 と「健康」 と「家族」であるということが実感として感じた入院期間であった。近くの公園では梅が満開である。健康を取り戻し名実ともに春が来て、また二人で手をとりあっての人生を歩き始めることを祈る。

 人生生きていくためにはいろいろとお金がかかることが多い、またお金があればかなりのことは出来るし、ものも買える。但し考えてみると、大切な事は、「お金で買えないものが世の中で一番大切なものである」、ということである。

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              紅梅

 鬼の伴侶とか言って悪態をついていた息子も、これでしばらくは頭が上がらないだろう。「伴侶」という字は連れ合いという意味であるが、ひとへんに半、ひとへんに口二つである。お互いに助け合いながら食べていくという意味である。男はそれなりに重大な責任がある。一緒に連れ立っていく者、よき伴侶に恵まれたということであろうか。

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