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2010年7月

トンボとアゲハチョウ  懐かしい思い出

公園でカワセミの飛来を待っていると、その止まり木にトンボが止まってカワセミが来るまでの間を楽しませてくれる

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トンボは全世界に5,000種類、そのうち日本には約200種類近くが分布しているといわれている。このトンボは遠くて良く分からないがオナガサナエだろうか?

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トンボの目は複眼が大きく、約270度もの視界があるといわれ、子供のころはトンボの目の前で指をクルクルとまわすと、なんか変だなと首をかしげるようになりしばらくしてから翅をつまむと逃げないで簡単に捕ることが出来た。

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トンボは目を回して簡単に取れるといわれているが学術的には根拠はないようである。かわせみのホバリングはすばらしいが、ホバリングの本家はトンボだと思う。2対の羽根を交互に羽ばたかせて空中で静止することが出来る。また、ヘリコプターも空中で静止することをホバリングといっている。

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トンボは肉食性で、カ、ハエ、チョウ、ガなどを空中で捕食する。6本の足で獲物をわし掴みにして、鋭い口でかじって食べる。脚は捕獲するためには活躍するが、トンボの歩行はあまり見たことがない。

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トンボは、昔から勝ち虫と呼ばれ日本では縁起ものであり、前にしか進まず退かないことから「不退転」の精神を表すものとして、特に武士に喜ばれ戦国時代には兜やよろいなどの武具の装飾に用いられたといわれている。

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トンボ鉛筆などの商号はそんなところから来ているのだろう。トンボといわれるものにはいろいろあるが、テニスに夢中になっていた若い頃、テニスコートを整備する道具がトンボといわれ木製でトンボ型につくられていた。

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最近はハードコートやオムニコートが多くなり、クレーコートは少なくなったが昔はクレーコートが大半でコート整備が一仕事であった。そのクレーコートを平らにならす道具がトンボと呼ばれていた。

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懐かしい話では、夏になると庭先のオニユリの花に来るアゲハチョウも思い出がある。虫取り網でアゲハチョウを取り、虫かごに入れておくと中で暴れるのできれいな羽根が折れてしまう。

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折れると価値がなくなるので放してしまうのであるが、ちょうど目の前に来たチョウがそれのようである。きれいなチョウであるが翅が折れている。どこかの子供たちが捕まえて放したチョウなのかも知れない。

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いろいろな花に止まったり、地面の水たまりなどで水分を吸うところを捕まえたりしたものであるが、やはり自然の生物は自然の中においておくものであると今になって思う。連日の猛暑の中、季節の昆虫を眺めながら昔を思い出したひと時である。

唐沢の滝  菅平、心のままに

菅平牧場を後にして、上田に向かう途中に唐沢の滝がある。下り坂の少し奥にあるのでうっかりすると見落としてしまう。

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国道406号線沿いで、菅平ダムでせき止められた菅平湖と菅平高原の中心街の中間ぐらいのところにある。

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高さ約15m,幅約10mの唐沢滝は、毎日の夕立の水をを集めて水量は多い。道路の脇が少し広くなっており、車を停められるスペースがある。

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緑濃い林の中を滝つぼへと歩く、まばゆい緑の渓谷にとどろく水音は話し声さえ消してしまう。滝つぼから立ち上る霧が顔に当たり心地良く清涼感を感じる。

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マイナスイオン豊富な滝つぼを眺めながらしばし坐っていると、たくましい水音とさわやかな霧になぜかパワーをもらったような気になる。

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 滝つぼから水の流れに沿って川沿いに踏み後があるので、岩についた苔に気をつけながら滑らないように歩く。子供のころの川遊びを思い出しながら、親子で水遊びをしている家族を眺める。

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 ちょっと通りすぎてしまいそうな「唐沢の滝」であるが、水量の多さと轟き音、冷たい霧が夢幻の世界をつくりだしているパワースポットである。高原のさわやかさに元気をもらって東京への帰路に着いた。

松代大本営跡   気象庁地震観測所

象山地下壕から神田川沿いに上流に向かっていくと、古い街並みからはずれ、田んぼと山に囲まれたのどかな風景に出る。

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                          松代駅の汽車ポッポの碑

1965年8月3日、私の中学生時代に始まった松代群発地震は1966年4月17日には、有感地震が661回、無感地震が6,119回、計6,780回の地震を記録している。当事は頻繁に地震が起きるので、大地が揺れることに麻痺していた事を思い出す。どーんという大きな音とともにゆれたものである。

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川を渡って山沿いに鉄格子の洞窟が見える。これが松代地下大本営跡の気象庁地震観測室である。2009年5月25日に北朝鮮で行われたという核実験の振動を観測したといわれている。

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長野市観光課の説明によると、『第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに、大本営軍司令部 参謀本部 政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日午前11時着工よく20年8月15日の終戦の日まで、およそ9カ月の間に当時の金額で2億円の巨費と延300万人の住民および朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され突貫工事を持って構築したもので全工程の75%完成した。

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           大坑道入り口、地震計室

ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠距離にあり、川中島合戦の古戦場としても知られているとおり要害のちである。

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規模は三段階、数百mに亘る、ぺトン式の半地下建造物、舞鶴山(2.6km)を中心として、皆神山(1.6km)、象山(5.9km)に碁盤の目のごとく縦横に掘り抜き、その延長は十数キロ余に及ぶ大地下壕である。

現在は世界屈指を誇る気象庁の地震観測所として使用され、高倍率のひずみ地震計始め各種高性能観測機が日夜活躍している。』と書かれている。

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建物の中に入り階段を地下に降りて行くと、外の暑さとはうって変って涼しい空気が流れ気持がいい。階段を降りたところが小坑道になっており天皇皇后の地下施設があったところで、現在は、強震計等が奥のほうに設置されており、そこからは立ち入り禁止になっている。

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            松代城の夕暮れ

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            北アルプス白馬三山を望む

三か所ある建物のうち一番上の建物1号庁舎に、畳の敷かれた天皇陛下の施設、2号庁舎は皇后陛下関係の施設で、現在は、精密地震観測室・松代地震センターになっている。

当時は敗戦を感じていたのかすごい計画が実行されていたものだと改めて思う。軍国主義時代の施設ではあるが、現在は世界的にも有数の地震観測・研究施設になっており地震防災、学術および国際協力の各方面において重要な役割を果たしていることがせめてもの救いだろうか。改めて、平和な日本に感謝する。

松代大本営跡象山地下壕  知られざる戦争遺跡

入場は3時半までと案内には書いてあったが、ついたのは4時半ごろになってしまった。ダメ元で案内のおばさんに頼むと、入場を許してくれ、ヘルメットを貸してくれた。

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うれしいことに入場料はなし、駐車場も無料と至れりつくせりの松代町である。入口には「不戦の誓い」という碑が立っている。時間外なので洞窟に入る人は他にはだれもいない、貸切状態である。

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入口は天井が少し低いが、中に入ると大人が十分立って歩ける洞窟である。碁盤の目のように縦横に全長5.9km掘られ、内部はは約半分ぐらい(519m)のところまではいることができる。

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こんな大きな洞窟がなぜ掘られたかという説明が、入口にある「追悼平和記念碑」の案内に次のように書かれている。

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『太平洋戦争末期に、本土決戦に備えて大本営の移転と国体(天皇制)護持のため、軍の命令によって、防衛上の観点から選ばれた松代を中心に、大本営と皇居(舞鶴山)、政府機関と日本放送協会・中央電話局(像山)、皇族住居(皆神山・後に食料庫に変更)、賢所(弘法山)、受信施設(妻女山)などを移転する大工事が秘密裡に企画された。

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            硬そうな岩盤

1944年11月11日から45年8月15日、敗戦の日まで続けられたこの工事には、東部軍、工兵隊、熱海鉄道教習所生徒、および産業報国隊・勤労報国隊の徴用者や学徒・学童も多数動員されたが、地下壕掘削などの中心的役割を果たしたのは、当時植民地下の朝鮮(大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国)からの多くの強制連行者を含む約六千人の人々であった。

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その工事は、厳しい監督下での昼夜兼行の強制労働で食料も乏しく、発破や落盤の事故、栄養失調で死亡したり、逃亡した者も少なくない。さらに自殺したり待遇改善などを要求して射殺された者もおり、犠牲者は三百人とも推定されているが千人という説もある。

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しかし戦後、軍部等による関係資料の焼却などにより、犠牲者氏名はほとんど不明であり、今日までに氏名が判明したのは強制連行された朴 道三・金 快述のほか、飯場頭の趙 徳秀、中野次郎の四人にすぎない。

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この工事では、住民も土地を強制買収され、特に松代の西条地区では仮皇居の建設工事で、百戸以上が立ち退きを強制されたりしたが、住民や徴用者と朝鮮(韓国・朝鮮)人との関係は友好的な面もあって、そのきずなは今日も途絶えていない。

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この大地下壕を中心とする「松代大本営」は、太平洋戦争と朝鮮植民地化に象徴される日本のアジア侵略の歴史と、その反省を永遠に刻む歴史的遺跡であり、この碑の建立と壕の見学が、なお残る民族差別の克服と友好親善の新たな第一歩となることを切に願うものである。』

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           冷気のもやがただよう

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連日の猛暑ではあるが、地下壕の中はひんやりとして涼しい。頭を冷やして、またやってくる敗戦記念日を前に、この地下壕を見学することによって過去の歴史を見つめ直し、戦争のない世界平和を改めて考えてみる必要があるのではないかと思う。

アルプス大パノラマ  菅平高原を歩く

朝、明るくなった窓から西の空を眺めるときれいに北アルプスのシルエットが見える。太陽が上がって来ると残雪のアルプスがきれいに見えるだろうと菅平高原に向かう。

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           レタス畑の日の出

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一面のレタス畑、早朝から取入れが行われている。たぶん東京市場への出荷であろう。聞くところによるとレタスの収穫は、朝のかなり早い時間から行われ、7時ごろには終わってしまうという。

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            白馬三山

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ラグビーの合宿のメッカとして知られる菅平、最近はサッカー、マラソンの高地トレーニングが盛んのようである。学校が夏休みに入ったせいか車の少ない道路は早朝ランニングの学生姿が多い。

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            穂高・槍ヶ岳

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幹線道路から菅平牧場、ダボスの方向に向かう。牧場に入ると、今、九州で問題の口蹄疫についての説明書きと牧場への立ち入り禁止の注意書きがある。

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            北信五山

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             槍ヶ岳(3,180m)

一本道の坂を上りきったところに駐車場があり、登山者の車やキャンピングカーが数台とまっている。車を降り見下ろすと壮大な北アルプスの大パノラマが見える。

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左手のほうから、穂高、常念、槍、大天井岳の3,000m級の雄大な峰々、さらに右手のほうに目を向けると、鹿島槍、五龍、唐松、鑓、白馬三山の雄姿が並ぶ。

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                          根子岳

アルプスの手前の右手に見えるのは、「北信五山」といわれる、妙高山、黒姫山、高妻山、飯縄山、戸隠山である。日本の屋根といわれるアルプスが一望できるのは本当にすばらしい眺めである。

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            四阿山

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のぼり始めた太陽の光が雲海を照らす。白樺の木々の中にのんびりと草を食む牛たち、牧場の朝は静かにあけている。

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後ろを見上げると広大な草原の上に浮かぶ雲、日本の百名山・四阿山、花の百名山・根子岳の雄姿が見える。登山道を途中まで登り、野鳥のさえずりに高原のさわやかさを楽しむ。

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           モズ

東京の喧騒の中で神経をすり減らしている毎日を考えると、いつかはこういうところで時間を気にせず、のんびりと暮らすことが出来ればと思う。眼下に見える広大なパノラマはひと時の心の安らぎを与えてくれる。心が喜ぶ風景である。

歴史的建造物の街  松代を歩く

千曲川の東側を走る単線の長野電鉄線がある。川の東を走るので「河東線」と呼ばれているが、今その存続が地域の大きな問題になっている。

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車社会の地方にあり、少子高齢化も進む中で車に乗らない人にとっては無くてはならない交通手段である。ぜひ存続させたいものである。

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その河東線沿いに松代という旧城下町がある。古い松代駅を降りると碁盤の目のようになった江戸時代の道路網や、地割、町割りが残されており、武家屋敷地域には伝統的な環境が保全されている。

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聞くところによると、「歴史まちづくり法」の適用によって江戸時代から昭和にかけての歴史建造物や歴史的遺産を保全しているとのことである。

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松代には江戸時代に整備された水路網が今日まで良く伝わっている。町の中にはかならず水路があり豊富な水が流れている。

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個人の庭の池から次のお宅の池につながる水路網(泉水路)は国の登録記念物として登録され貴重な文化遺産となっている。

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まちの中には市営の無料駐車場も整備されており、ゆっくりと足で歩くのがいちばんよさそうである。昔の街並みを重視しているので道路は狭い、歩いたほうがいろいろなところを自由に見ることが出来る。

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「村おこし、町おこし」でいろいろ行われているが、地元だけではなかなかうまくいかないのが現状ではないだろうか、行政や住民だけでなく民間企業などの活力を活用することによって大きく発展することを期待したい。

松代城     松代を歩く

子供のころに遠足で行った記憶のある「松代城」に足を運んだ。梅雨明けの夕方に行ったので見学者は少なく、のんびりと見学することが出来たが、閉門時間が五時ということであまり時間が無い。

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日本100名城の一つに数えられている国史跡である松代城の歴史は、『永禄3年(1560)、甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との「川中島の合戦」(1553~1564)の際に築城した「海津城」が松代城の始まりとされています。

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その後、戦国の動乱とともに城主が移り変わり、森忠政が城主となった慶長5年(1600)に「待城」と改名されました。

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次の松平忠輝のときに「松城」と呼ばれるようになり、その後、元和8年(1622)に真田信之が上田から移封され、真田3代目藩主幸道のときに幕命により「松代城」と改名されました。』と長野市の説明がある。

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また、石垣については、『松代城は、本丸の周囲や出入り口などの重要な部分に石垣を用いました。大小さまざまな自然石をたくみに積み上げた、大変特徴的なものです。

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特に本丸北西の戌亥隅櫓の石垣は松代城内でも古い近世初期のものといわれており、その高さと勾配の美しさは、当事の石工の技術の高さを物語っています。

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石垣の修理工事では、可能な限りその特徴を活かし、明治以降の改変や消失したものや、構造的に不安定になっている箇所について、当事と同じ工法で積みなおしました。』との説明書きがある。

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苔むした石段を登ると四方を見渡すことが出来る。遠く、飯縄山、戸隠山などの北信五山が雲の間に見える。眼下には畑の向こうに千曲川がゆっくりと流れ悠久の時間を感じることが出来る。

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後方に控える地蔵山、皆神山には沸き立つ入道雲が青い空に輝く。川の近くにあるお城だけに、千曲川のたびたびの洪水に城の修復と千曲川の改修を何度も行っている。

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明治5年(1872)に廃城となった松代城は、城内の土地・建物を順次払い下げられ、桑畑として開墾され、建物も取り壊されてしまった。

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長野市はこの貴重な文化遺産を後世に伝えるため、平成の大普請を行い、城跡が修理復元されている。「歴史まちづくり法」により松代の街並みは大きく変わってきている。大事に後世に伝え、残していきたいものである。閉門時間を30分も過ぎてしまったが係りの人はいやな顔一つせず笑顔で送りだしてくれた。うれしいことである。

ミソミソミソ   ミソサザイと遊ぶ

戸隠の奥社の参道の入り口の鳥居の脇を左に行くと、管理事務所の前に東屋がある。昨日の雨で道路も水があふれ、いたるところ小さな流れになって道路上を流れている。

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熊に注意の看板の脇の東屋の屋根下にミソサザイが営巣中である。東屋のベンチに腰をかけていても出入りが激しい。

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時折、体のわりに大きな声で鳴くきれいなミソサザイの声が聞こえると、そこには空に向かって大きな口をあけているミソ君がいる。

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ミソサザイは全長10.5cm ミソサザイ科ミソサザイ属、体は小さく丸く雌雄同色で全身黒い斑点のある茶褐色で下面はやや淡い、夏は亜高山帯に生育、冬は低山帯に移動する。

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亜高山帯のブナ林にかなりの密度で生息している。短い尾をピョコッとたてて、体に似合わない大声で十数秒にもわたって続く複雑なさえずりをする。

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生活力は一夫多妻で、雄が縄張り内にいくつもの巣をつくり、複数の雌とつがう。働き者の雄である。冬期は低山帯に移動する。茂みの中にもぐっていることが多く、姿を見かけることは少ない。

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ミソサザイの由来は、人を恐れず人家の周りの溝にも現れるので「ミソ」。「サザイ」は「小さな鳥」という意味である。

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ここは森林植物園の湿原地帯への木道の入り口なので人通りはかなりあるが、木道の手すりにとまったり、案内の看板の上に止まったりしていい声を聞かせてくれる。

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たまに枝振りのいいところにとまってはくれるが、なかなかシャッターチャンスにならない。太陽もかなり高くなってくると人出も多くなってきたので切り上げることにするが、このミソ君は、けっこういい声を聞かせてくれ永い間楽しませてくれた。

鏡池   早朝の戸隠高原

最近の夜明けは早い、4時半というとすでに明るくなっている。今日は戸隠の鏡池を見ようと思い立って出かけることにする。

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あいにく昨日のスコールのような大雨の後で、空はきれいに晴れ上がっているが、山には雲がかかっている。ここからは一時間ぐらいなので現地には五時半ごろには着く、その頃には雲も晴れあっているだろうと期待をこめた。

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近道は工事中なので中社から森林植物園方面から鏡池に入る。すでに数人の人たちと、朝の野鳥の鳴き声を録音する人たちがいる。

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水面はまだきれいに眠っている。周りの木々と雲の多い青い空を水面に映している。本来であれば正面にある戸隠山を湖面にきれいに映すはずであるが、雲が山をかくしてしまっているのがざんねんである。

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池の周りに咲くアヤメや野アザミの花が昨夜の雨にぬれ一段と光って見える。濃い緑が水面に映り、空の青さとそれを遮る白い雲がそのコントラストを見せている。

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空の雲が動いているせいか水面が少し波立ってきて、水面に映る木々の緑や雲がゆらぎはじめてきた。遠く水面に水鳥が泳ぎはじめ鏡に波紋が広がり早朝の静寂が静かに終わろうとしている。

戸隠の鳥たち   戸隠高原を歩く

三連休、早朝に家を出たが高速は入り口から大渋滞、約一時間かかって圏央道の分岐、そこから関越自動車道、上信越自動車道を走り11時半ごろに飯縄山のふもと大座法師池を見て戸隠高原の入り口に着いた。

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                  木道

早速、大久保の茶屋の「戸隠そば」で腹ごしらえをすることにして、早速てんぷらそばを注文する。カラッと揚がった山菜のてんぷらと手打ちのそばの歯ざわりが心地よく美味しい。渋滞で出遅れたのであせらずのんびりすることにした。奥社への駐車場は混んでいたが運よく一台空いたので、待たずに停めることが出来た。

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            ゴジュウカラ

昨夜の雨のせいか流れる川の水量は多く、緑の木々の葉は照りつける太陽の光に輝いている。早速、木道の入り口ではミソサザイのきれいな鳴き声が森に響き渡っている。

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           ミソサザイ

今回は、久々にネパールから帰ってきた娘と一緒なので、山の話、カトマンズの話しなどをしながら緑に囲まれた木道を歩く。梅雨明けの陽射しは厳しいが、さすがに高原、さわやかな風がきもちいい。

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            ゴジュウカラ

行きかう人はほとんどがカメラを担いだり、持ったりした人たちである。狙いはアカショウビンのようで、必ず「見ましたか」と聞いてくる。

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           コゲラ

今日は、鳴き声を聞いただけで姿はまだ見ていない。一昨年は、早朝にタイミングよく出会うことが出来たが、昨年来たときは営巣した木が風で倒れていなくなってしまったと聞いた。

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           保護色のキバシリ

近くにキビタキが来てくれたが近すぎて間に合わず見るだけに終わる。遠くの木に保護色のような姿をした固体が動き回っているが、まったく幹の色と間違えそうである。キバシリのようである。

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            キバシリ

キバシリは全長13.5cm雌雄同色、頭から背中まで茶褐色で灰白色の縦斑がある、下面は白色。本州では主に、標高1,000m以上のブナ林から針葉樹林帯で見られる。キツツキ類のように木の幹に縦にとまると、幹をらせん状に回りながら上がり、上まで行くと木を移り、次の木の根元からまた同じ事を繰り返す。人が近づいたりすると、木の幹に体をつけじっとしている。こうすると体の上面が保護色になりなかなか見つけられない。

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今年は数がおおいようであるが、今日は出が遅いので他の鳥たちを観察することにして、木道の他の人に迷惑のかからないところに三脚を立てることにした。

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            アオジ

まずは、ゴジュウカラが木の幹を上へ下へと歩き回っている、けっこう速いので木の後ろにいったりまた出てきたりと忙しい。

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           アオジ

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           アカハラ

木道の下の草むらの中ではアカハラが採餌中。高い木の上ではアカゲラの鳴き声、コルリの声が静寂な林の中にきれいに響き渡る。

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             ホトトギスの見返り美人(赤色系)

ホトトギスは全長27.5cm カッコウやツツドリより小型、下面の横斑は太く各地の低山地に4月中~下旬に渡来する。卵をウグイスの巣に托卵する。雌にはこのような赤色型があるという。私は赤色のホトトギスは初見、初撮りである。

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            ホトトギス(赤色系)      

本当にここは野鳥の楽園である、もう少しゆっくりしたいとは思ったが、一人ではないので緑の葉で覆われた涼しい木道を奥社参道の出口へと足を向けた。

昭和館    北の丸公園を歩く

地下鉄九段下駅を地上に出ると、北の丸公園に向かうお堀の手前に窓のない建物がある。これが「昭和館」である。

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           お堀の蓮

案内によると『昭和館は、戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃から昭和30年頃まで)の生活に係る歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、労苦を後世代に伝える国立の施設です。

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                 昭和館入口

平成11年3月末に開館し、財団法人日本遺族会が厚生労働省から委託を受け運営に当たっています。』という説明である。

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                  昭和館全景

7階6階が常設展示室になっており戦中・戦後の実物資料が展示されている。徴兵令による召集令状が届くと出征する夫や息子のために、家族との別れの「千人針」を縫うことが行われた。

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話しには聞いていたが実際にどんなものか見たことがないので興味深く読むと、次のように書いてある。

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『日露戦争の頃、千人結などといわれ流行したものが、日中戦争の頃に全国的に行われるようになった。出征する兵士の母や妻が他の女性に、腹巻用の布やチョッキなどへ糸玉を一針ずつ結んでもらい、戦地での弾丸除けのお守りとして贈った。

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      旧江戸城田安門(重要文化財) 寛永13年(1636)

寅年の女性だけは年齢分縫うことが出来るとされたが、それは「虎は千里を走り、千里を帰る」という言い伝えにあるといわれ、「虎」の絵が描かれるものが多かった。

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「死線(四銭)を超える」「苦戦(九銭)を免れる」ということから、五銭・十銭硬貨を結びつけ、あわせて銃後(十五)の護りともされた。』との説明があり漠然と理解していたものが鮮明になった。

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昭和16年(1941)の国民学校の教科書、「小学国語読本」(サクラ読本)の「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」、「ヨミカタ」(アサヒ読本)の「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」の実物も珍しく興味深く見入った。

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また、戦後になると戦災で校舎を焼失した学校では、運動場や河原を教室とした「青空教室」で授業をし、戦中の軍国主義的な内容などを塗りつぶした「黒塗り教科書」が使われていた。

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昭和22年(1947)以降は、文化の復興、産業の復興にむけて明るい兆しが見え始め、電気炊飯器やテレビ、振動式洗濯機など家電製品が製造され始めて、高度経済成長への足がかりになってきた様子が良く分かる。

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           昭和天皇御野立所

昭和20年8月15日の「玉音放送」での終戦。その記念日がまたやってくる。この昭和館を見て戦中・戦後の国民生活の労苦を後世代に語りつたえて、平成の時代に生きる平和のありがたさに感謝しなければならないと思う。

みたままつり    靖国神社を歩く

東京のお盆にちなんで昭和22年から行われている靖国神社の「みたままつり」が今年も行われている。毎年30万人の参拝者があるといわれにぎやからしい。らしいというのは夜は来たことがないからである。

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本来は夜に行われる祭儀が中心であるが、私は毎年昼の靖国神社を参拝する。境内には大小3万を超える提灯や揮毫などが掲げられている。

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                 鳥居のむこうに母校が

”みたままつり”の献灯は英霊への感謝と平和な世界の実現を願って掲げられ、参道の脇には軒を連ねる夜店が並んでいる。子供のころの懐かしい縁日風景である。

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本殿の手前の鳥居の脇に、毎年、特攻隊として出征した若者の両親に宛てた最後の手紙が掲示されている。六十数年前の若者たちの真摯な姿がその言葉の中に読み取れる。親を思う気持ちと、国のために一命をささげた姿に敬服する。

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             慰霊の泉

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                   奉納居合道

私の伯父もここに英霊として祀られている。時代が時代ではあったが、今の日本の平和があるのもこれらの方たちの礎の上にあるものだと思う。父親も戦地から帰り二年前に他界したが口癖に言っていたのは、「生きている幸せ」であった。

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            居合道演武

参道を歩くと数多くの献灯をみることが出来るが、私も含めて戦争を知らない世代が大半になっている日本で、この靖国神社を訪れることにより過去の歴史を学び再び同じ過ちを起こしてはならないと思う。

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             縁日風景                

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                 大村益次郎像

この、みたままつりでは参道の大村益次郎像の下で、都内では一番早い盆踊りが行われるという。また、みこしや青森ねぶたなどの各種芸能や奉納行事が行われる、今では平和な日本になっているがまだ戦禍の国もある。

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            献灯

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敗戦復興の日本が、この「みたままつり」を通して英霊への感謝と戦争のない国つくり、世界平和の実現を訴えていくリーダーとなるべきだと考える。

歴史をたずねる  羽村市郷土博物館

羽村取水堰の少し上流の多摩川が大きく蛇行している土手と小高い山にはさまれた狭いところに、羽村市立郷土博物館がある。

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           羽村市郷土博物館

館内には、多摩川の歴史やこの地域の変遷が分かるように詳しく説明され、発掘された土器や昔の産業が現代に至るまでの発展過程が見て分かるように実物が展示されている。

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            江戸時代の水門

江戸時代の水門の復元、玉川上水の歴史、実際の水門の現物などはなかなか見ることが出来ないので参考になる。

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           現在の水門

中庭に出るとアジサイの花がきれいに咲いているところに、旧民家が移設され当事の生活状況が偲ばれる。私の記憶の中にもあったような光景である。

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         旧 下田家住宅  弘化四年(1847年)建築 国指定重要有形民俗文化財

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黒光りした板の間の真ん中にある囲炉裏、養蚕の道具、機織の機械など昔懐かしいものをゆっくりと見ることが出来る。

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           かまど と 土間

江戸時代に羽村から江戸までの玉川上水を作り上げた玉川兄弟の銅像が対岸にあるが、この民家を見ると、この時代に良く測量が出来、水の流れの勾配を考えながら40kmもの区間を掘ることが出来たものだと改めて感心する。

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          養蚕の蚕棚

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           機織機

日本は国土の約70%が山地であり、大陸と違ってそこから海に流れ込む距離も短いので、きれいな水が豊富である。

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                  配水井戸

世界に国家は160近くあると聞いているが、水道水の水を直接飲めるのは11カ国しかないらしい。もちろん日本はそのうちの一つであるが、この自然を大事にしたいものである。

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   赤門  中里介山の大菩薩記念館の正門(江戸時代中期)

東京都の水源の一つである多摩川の水は、梅雨のお陰で豊富な水量を蓄えているが、いつも不自由なく使っている水の重要性を改めて感じる場所である。

オオヨシキリ三昧  多摩川上流

今の時期はどこの河原でも聞こえるのは、セッカかオオヨシキリの鳴き声である。今日は目的がオオヨシキリ狙いなので少し高めの位置からねらうことにする。

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ほとんど葦原のなかで鳴いていることが多いのでうまく出てくれると、いい背景になるがなかなか難しい。

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全長は18~19cmぐらいでスズメ目ウグイス科の鳥で、スズメやウグイスよりやや大きい。特徴としては、体の上面はオリーブがかった黄褐色で、腰と尾はその色がうすい。下面は薄茶っぽい白色をしており、胸から脇は茶褐色である。

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雌雄同色でさえずりは「ギョギョシ、ケケシ、チカチカ」などと大きな声で夜も昼もさえずり続ける。大きな口をあけるので口の中の赤い色が目立つ。

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何を食べるかというと、昆虫を主食として、雛の餌にはチョウ類の成虫とクモ類が多いが、ハエ類、バッタ類、陸生貝類も与える。

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繁殖は、5~8月に1~2回行い、うらやましいかな一夫多妻である。巣は葦の茎にイネ科の葉や茎を使って、お椀形の巣を作る。卵数は4~6個で1日1卵ずつ産卵する。

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子育て、造巣、抱卵はすべて雌が行い、約13日で巣立つ。繁殖シーズン末期になると雄はほとんど繁殖場所から姿を消し、雌のみで雛を育てあげる。なかなか出来た雌である。

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日本では夏鳥であり、8~9月には東南アジアに渡っていくので姿が見えなくなる。生息地は全国各地の水辺の近い葦原に生息する。海岸や河口、山地の湖岸、川岸で普通に繁殖する。

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葦原に縄張りを構えるが、番(つがい)になるとさえずりをやめ、巣が完成するころになるとまたさえずり始める。

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とにかく大きな声で、大きな口をあけてさえずる鳥である。ウグイス科ではあるがウグイスのようにきれいな声ではないのが残念であるが、姿はちょっとウグイスに似ているところがある。

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蒸し暑さはあるが多摩川の土手に腰を下ろし、3時間あまりオオヨシキリの生態観測をすることが出来た。日陰を選んではいたが首筋はかなり日焼けをしたようで痛さが残る。それでも心地良い汗と、時折吹き抜ける川面からの風が清涼感を与えてくれる。

羽村取水堰   多摩川を歩く

梅雨の晴れ間、休日に雨が降らないということは願ってもないことである。MTBで多摩川をさかのぼろうかとも思ったが、暑さも考えるとくじけて車で行くことにする。

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奥多摩街道から玉川上水羽村取水堰の対岸に羽村市郷土博物館がある。ここに駐車場があるので車を置いて土手の上から多摩川を眺める。

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雨上がりで雲は多いが陽射しも暑い。水量は多くいつもは歩ける河原も水がついて草木も水の中に隠れている。

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            牛枠と多摩川

河原にある「牛枠」を眺めながら土手を歩いていると、葦原の中からはオオヨシキリの大合唱である。

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時折オオヨシキリの鳴き声に混じってカワセミの鳴き声が聞こえる。葦原を掻き分けて水溜りのあるところに栗の木の日陰があるのでそこに三脚を立てることにした。

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             オオヨシキリ

池を挟んだ対岸の葦原では「ギョ、ギョ、シ、ギョ、ギョ、シ・・・・」とオオヨシキリの鳴き声がうるさいほどである。

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             カイツブリ

葦の根元の水面にカイツブリが一羽顔を出し、しばらく警戒していたがまたもぐってしまった。少し待っていると少しはなれたところにちょこっと顔を出し、またもぐったりと忙しそうである。

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            モズ

今日は陽射しも強く暑いので、多摩川では川に入って泳いでいる子供たちや親子で水遊びをする姿が目立つ。

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             カワセミ

熱く盛り上がったサッカーW杯も終わり、ドイツのタコ君の予言どおりスペインが優勝、サッカー中継にかき消されたかのような参院選挙も民主党の大敗で終わった。

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歴史的な政権交代から8ヶ月で首相が代わり、二世議員以外の首相に期待したのもつかの間、タイミング悪く消費税をテーマに取り上げ、それをマスコミにいいように利用されて票を逃がしてしまった。

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            羽村取水堰方面

財政再建は喫緊の課題、もっと慎重にことを運ばないとうまくいかない。税収を上げないと日本経済は破綻するのは目に見えている。60才で定年を迎える人口がおよそ230万人、新たに職を求める20代の人口が102万人とか言われている。

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             さあ・・・

この数字を見ても自ずと理解できる。出るを抑えて入るを増やす。それが即消費税ではなく公務員、議員、税制などの構造改革とグローバル経済の活性化が最優先ではないだろうか。

今日も一万歩  多摩川を歩く

雨上がりの朝、多摩川の土手を歩く。昨夜からの雨で川は増水しているので普段は河原に降りて中洲を歩くのだが、こういうときは普段歩けるところも水に浸かっている。

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            セグロセキレイ

合流点から上流に向かって歩くことにする、関戸橋の手前のグラウンドでは少年野球チームが早朝練習をしている。同伴しているお母さん方も早朝から大変だなあと思いながら歩いていると鳥たちの鳴き声がだんだん多くなってくる。

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           ハクセキレイ

にごった水が流れる川辺にはカワセミの声、獲物はなかなか見つからないようである。草むらの中では、「ギョギョシ、ギョギョシ」とオオヨシキリの声と、草の上を低く飛ぶセッカの声が響く。

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橋をくぐり、黄色と赤い花の咲く踏み分け道を土手沿いに歩くと京王線の鉄橋が見えてくる。鉄橋の下は堰になっておりセキレイやカワウなどが遊んでいる。橋を渡る電車の「ガターン、ゴトーン」というリズムが耳に心地よく聞こえてくる。

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                            ハルシャギク

梅雨時なので川の水位はかなり上がっているが、最近はゲリラ豪雨といわれる局地的な大雨が多くかなりの被害が出ている。ニュースでは九州、四国地方での大きな被害状況を連日伝えている。

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             京王電車

ここ、東京でも激しい雨で道路の冠水などがあった。板橋では一時間に114ミリの猛烈な雨が降り、石神井川が増水して氾濫し床上浸水や、多摩川上流では釣りをしていた人が流されたという情報もある。

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             カワウ

この「ゲリラ豪雨」の発生メカニズムは、気象予報士の解説によると「今回の場合は相模湾から入ってくる南西の湿った風と鹿島灘のほうから入ってくる北東の風が、東京都と埼玉県の境目あたりでぶつかって上昇気流が強まった。」といわれ、こういう局地的豪雨は30年くらい前に比べて、1時間80ミリ以上のような激しい雨は倍に増えているらしい。地球温暖化の影響なのだろうか。

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             カルガモの親子

天気予報によると今日も大気の状態が不安定だというが、今日は7月7日「七夕の日」である。五色の短冊で七夕を彩る笹飾り、子供のころは裏山から竹を切ってきて色紙に願い事をかいて庭先に飾ったものである。今夜は天の川が見えることを願う。

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            獲物をねらうモズ

年に一度、織姫とひこ星が天の川をわたって出会うという七夕伝説は、中国の神話である。元々二人は仲の良い夫婦であったが、仲が良すぎるあまり、牛飼いであったひこ星は田畑の耕作をさぼり、織姫の仕事は機織であったがそれを怠るようになった。それを怒った天の神様が二人を引き離してしまったのである。

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            夢中のカワラヒワ

但し、年に一度だけ、7月7日の七夕の夜だけ逢っていいという神様のお慈悲があったお話である。夏の夜空を眺めながら、そんな話しを祖母から聞いた子供のころを思い出す。

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            ホオジロ

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            関戸橋

今では空を眺めると流れ星かと思うと人工衛星であったり、7年ぶりに帰ってくる「はやぶさ」であったりと昔の情緒はなくなりかけているが、今夜のひこ星と織姫の逢瀬を見られることを期待しながら、この七夕伝説を語りつたえて「愛でお米は買えない」という教訓にしたい。

大温室と大噴水  浜松フラワーパークを歩く

久々の旧友との一夜の宴の朝、浜名湖を眺めながら弁天島温泉につかる。海のちかくであるが温泉といわれるだけあって、温泉に入っていると肌がツルツルする。

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夕べの記憶もない仲間もいるが、弁天のシラスを製造販売しているところがあるので、それをお土産にして浜名湖フラワーパークを見ることにした。

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3,000種類、10万本の世界の花があるという。入り口で本日の見所コースという地図をもらって園内に入る。

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入り口にはアジサイの花で演出された小さな水車が回り、梅雨の季節ならではの風景である。今日の見所はアジサイ、ハナハス、ヒカリゴケ、大温室のクリスタルパレスと噴水池のようである。

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雨に濡れたアジサイの花をみながら木陰道を歩く、600mに渡る西洋アジサイの並木は見ごたえがある。雨上がりの風情としては最高である。入園が早いのと雨降りなので人が少なくのんびりと観賞できる。

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右下の池にはハスの花が咲き始め、池の水面の上をカワセミが鳴きながら飛んでいる。ハスの花にとまるカワセミの写真を見ることがあるが、こういう場面だなと思いながら、ハスの花にとまらないかとかすかな期待を胸に池の周りを歩く。雨に濡れた芝生に靴の先が濡れてくる。

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アジサイの小道を過ぎ、曲がりくねった坂道を登ると、上りきったところにはバラ園があり、遅咲きのバラがまだきれいに咲いている。

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バラ園のとなりに大温室「クリスタルパレス」がある。季節ごとに変わった花を展示しているガーデンシアターがあり、今回のテーマは「トロピカルガーデン」でバリ島のリゾート気分を味わえるバリガーデン、乾燥地の植物を集めたメキシカンガーデンが展開されている。

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          大温室「クリスタルパレス」

木の扉を開けると突然目の前に花のファンタジーワールドである。あいにくの低気圧で湿気の多い外気に対して、何と温室の中のほうが涼しく感じる。通常は温室に入ると熱気でムッとするのであるが今日は違う。天井から吊り下げられた花、壁いっぱいに広がる花、見事なガラス張りの大温室である。

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うれしいことに、温室の中に売店がありビールがおいてある。最近ではノンアルコールのビールもあるので運転手はノンアルコールで乾杯をする。トロピカルな花に囲まれて飲む冷たいビールもまた楽しからずやである。

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温室を出たところに大噴水がある。温室の建物より低いところにあるので噴水を上から見下ろせる。水と音と光の大噴水ということで30分毎に約7分間の噴水ショーが音楽とともに楽しむことが出来る。大空を舞う水鳥をイメージした噴水はなかなか見ごたえがある。

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          大噴水

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噴水を楽しみながらフラワートレインが走る周遊道路を歩いていると、花で飾った時計、モニュメントなどがあり園内一面花尽くしである。天気のいい日に子供たちをつれてきたらさぞかし喜ぶだろうと思う。

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あいにくの雨ではあったが、それなりに楽しむことが出来るフラワーパークである。アジサイの道の周りの桜の老木などを見ると、桜の花の季節は見ごたえがあるのだろうと想像する。また、それぞれの季節の花を楽しみにくることが出来ることを期待しながら東京への帰途に着いた。

弁天島温泉の鳥居  雨の弁天島海浜公園

弁天島は静岡県浜松市西区舞阪町の浜名湖にある島である、というのが真実のようである。もともと弁天島は弁天島(西野)、西之島裏、東郷島、カラス弁天(現在2番鉄橋の西側、新幹線の下)の4島で出来ていたらしい。

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ちょうど太平洋と浜名湖の河口になっている部分である。地図で見るとこの狭いところに、新幹線と東海道本線、国道1号線が並んで走っている。浜名湖から来ると水面より低いところ、東海道線の駅の下をくぐったところに国道1号線があり、この辺一体を「弁天島温泉」といっている。

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この地域は歴史的にはかなり古く、人が住み始めたのは縄文中期以降といわれている。永い歴史の中で、地震や暴風雨、津波などで孤島になったり海岸線の移動があったりと地籍問題はかなりあったようである。

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風景を見ても浜名湖の中に孤島があり、そこには個人の家と思われる建物が土地いっぱいに建っている。橋が渡っているがちょっと見たところは個人所有のようにもみえる。かなりの自然条件の厳しい中での生活があったように思える。

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弁天島駅の前にはホテルなどが立ち並び、その南側は弁天島海浜公園になっている。海中に立つ赤い鳥居は、一見、安芸の宮島のそれを思わせるようにたっている。「弁天島温泉花火大会」はここで行われると聞く。

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あいにくの曇り空ではあるが海中に大きくたつ鳥居の背景に、浜名バイパスが鳥居を引き立てるように走っている。ここでの花火はたぶんどこからも見られるので天気次第ということになる。この赤鳥居の手前にはナイアガラが仕掛けられるというから楽しみである。

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小雨の中をぶらぶらしてみたが、人口の砂浜があったり遊覧船が出たりと、石段に座って海を眺めていると、ちょっと見はどこかリゾート地の雰囲気がある。

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人口は3000人ぐらいだと聞いているが、花火大会の時にはすごい人出になるのだろうと思う。静岡県内ではいろいろな花火があるが、どれも県民気質が現れている勇壮なものばかりである。学生のころ新居の手筒花火は実際にやらせてもらった、今では危険なので一般の人は出来ないらしいが、次回はぜひこの花火大会に照準を合わせてこの地に来たいものだと思う。

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