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松代城     松代を歩く

子供のころに遠足で行った記憶のある「松代城」に足を運んだ。梅雨明けの夕方に行ったので見学者は少なく、のんびりと見学することが出来たが、閉門時間が五時ということであまり時間が無い。

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日本100名城の一つに数えられている国史跡である松代城の歴史は、『永禄3年(1560)、甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との「川中島の合戦」(1553~1564)の際に築城した「海津城」が松代城の始まりとされています。

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その後、戦国の動乱とともに城主が移り変わり、森忠政が城主となった慶長5年(1600)に「待城」と改名されました。

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次の松平忠輝のときに「松城」と呼ばれるようになり、その後、元和8年(1622)に真田信之が上田から移封され、真田3代目藩主幸道のときに幕命により「松代城」と改名されました。』と長野市の説明がある。

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また、石垣については、『松代城は、本丸の周囲や出入り口などの重要な部分に石垣を用いました。大小さまざまな自然石をたくみに積み上げた、大変特徴的なものです。

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特に本丸北西の戌亥隅櫓の石垣は松代城内でも古い近世初期のものといわれており、その高さと勾配の美しさは、当事の石工の技術の高さを物語っています。

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石垣の修理工事では、可能な限りその特徴を活かし、明治以降の改変や消失したものや、構造的に不安定になっている箇所について、当事と同じ工法で積みなおしました。』との説明書きがある。

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苔むした石段を登ると四方を見渡すことが出来る。遠く、飯縄山、戸隠山などの北信五山が雲の間に見える。眼下には畑の向こうに千曲川がゆっくりと流れ悠久の時間を感じることが出来る。

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後方に控える地蔵山、皆神山には沸き立つ入道雲が青い空に輝く。川の近くにあるお城だけに、千曲川のたびたびの洪水に城の修復と千曲川の改修を何度も行っている。

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明治5年(1872)に廃城となった松代城は、城内の土地・建物を順次払い下げられ、桑畑として開墾され、建物も取り壊されてしまった。

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長野市はこの貴重な文化遺産を後世に伝えるため、平成の大普請を行い、城跡が修理復元されている。「歴史まちづくり法」により松代の街並みは大きく変わってきている。大事に後世に伝え、残していきたいものである。閉門時間を30分も過ぎてしまったが係りの人はいやな顔一つせず笑顔で送りだしてくれた。うれしいことである。

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