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松代大本営跡象山地下壕  知られざる戦争遺跡

入場は3時半までと案内には書いてあったが、ついたのは4時半ごろになってしまった。ダメ元で案内のおばさんに頼むと、入場を許してくれ、ヘルメットを貸してくれた。

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うれしいことに入場料はなし、駐車場も無料と至れりつくせりの松代町である。入口には「不戦の誓い」という碑が立っている。時間外なので洞窟に入る人は他にはだれもいない、貸切状態である。

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入口は天井が少し低いが、中に入ると大人が十分立って歩ける洞窟である。碁盤の目のように縦横に全長5.9km掘られ、内部はは約半分ぐらい(519m)のところまではいることができる。

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こんな大きな洞窟がなぜ掘られたかという説明が、入口にある「追悼平和記念碑」の案内に次のように書かれている。

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『太平洋戦争末期に、本土決戦に備えて大本営の移転と国体(天皇制)護持のため、軍の命令によって、防衛上の観点から選ばれた松代を中心に、大本営と皇居(舞鶴山)、政府機関と日本放送協会・中央電話局(像山)、皇族住居(皆神山・後に食料庫に変更)、賢所(弘法山)、受信施設(妻女山)などを移転する大工事が秘密裡に企画された。

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            硬そうな岩盤

1944年11月11日から45年8月15日、敗戦の日まで続けられたこの工事には、東部軍、工兵隊、熱海鉄道教習所生徒、および産業報国隊・勤労報国隊の徴用者や学徒・学童も多数動員されたが、地下壕掘削などの中心的役割を果たしたのは、当時植民地下の朝鮮(大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国)からの多くの強制連行者を含む約六千人の人々であった。

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その工事は、厳しい監督下での昼夜兼行の強制労働で食料も乏しく、発破や落盤の事故、栄養失調で死亡したり、逃亡した者も少なくない。さらに自殺したり待遇改善などを要求して射殺された者もおり、犠牲者は三百人とも推定されているが千人という説もある。

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しかし戦後、軍部等による関係資料の焼却などにより、犠牲者氏名はほとんど不明であり、今日までに氏名が判明したのは強制連行された朴 道三・金 快述のほか、飯場頭の趙 徳秀、中野次郎の四人にすぎない。

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この工事では、住民も土地を強制買収され、特に松代の西条地区では仮皇居の建設工事で、百戸以上が立ち退きを強制されたりしたが、住民や徴用者と朝鮮(韓国・朝鮮)人との関係は友好的な面もあって、そのきずなは今日も途絶えていない。

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この大地下壕を中心とする「松代大本営」は、太平洋戦争と朝鮮植民地化に象徴される日本のアジア侵略の歴史と、その反省を永遠に刻む歴史的遺跡であり、この碑の建立と壕の見学が、なお残る民族差別の克服と友好親善の新たな第一歩となることを切に願うものである。』

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           冷気のもやがただよう

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連日の猛暑ではあるが、地下壕の中はひんやりとして涼しい。頭を冷やして、またやってくる敗戦記念日を前に、この地下壕を見学することによって過去の歴史を見つめ直し、戦争のない世界平和を改めて考えてみる必要があるのではないかと思う。

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