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2010年9月

東京の深山幽谷  小石川後楽園を歩く

秋の長雨の晴れ間に、ジェットコースターの絶叫の聞こえる後楽園遊園地のそばにある小石川後楽園を歩いてみる。

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                 築地塀

東京メトロ後楽園駅から近く、石垣積みの白い塀で囲まれた鬱蒼とした樹木の生い茂る庭園である。

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            鹿威し

築地塀の石垣にはところどころに刻印や数字がうってある。この石垣の説明には次のように書かれている。

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           入り口

『江戸城外堀石垣を再利用した石積み・・・・・左手築地塀の石垣の一部(プレート設置箇所)は、江戸城鍛冶橋門北側外堀跡(千代田区丸の内一丁目)から出土した石垣の石材を使い、本園の作られた江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる 石積みの技法で再現しました。

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            大泉水

石材には、備中(岡山県)成羽藩主山崎家の”山”をはじめ石垣を築いた大名を表す「刻印」や石割の際の「矢穴」が残っています。数字は発掘調査で出土したときつけた番号です。』

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なるほど、きれいに積まれていて石垣は二段になっている。上部は精緻な切り込みハギで下部は打ち込みハギという積み方で、当時の石工の職人さんの腕の程が分かる石垣である。

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            白糸の滝

その石垣を見ながら外をぐるっと回る。入り口の「函徳亭」の脇にある鹿威しの音を聞きながら右手の事務所で300円の入場料を払う。

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            稲田

この庭園は、江戸時代初期、寛永6年(1629)に水戸徳川家の祖である頼房が、その中屋敷(のちに上屋敷)として造ったもので二代藩主の光圀の代に完成した庭園であるといわれている。

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            水掘れ石

庭園の様式は池を中心にした回遊式築山泉水庭になっている。光圀は、造成に当たり明の儒学者である朱舜水の意見を取り入れ、随所に中国の名所の名前をつけその景観が表現されている。

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            神田上水路

後楽園の名は、中国の范仲淹「岳陽楼記」の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられたといわれている。

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           大堰川

小石川後楽園は文化財保護法によって国の特別史跡・特別名勝に指定されている。この二重指定を受けているのは、全国でも小石川後楽園、浜離宮恩賜庭園、金閣寺、銀閣寺など9箇所しかないらしい。

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            円月橋

大泉水に映る近代的なビルの影がなければ東京のど真ん中にいることを忘れてしまう風景である。すでに花が枯れて実をつけている蓮のたくさんある蓮池を見ながら、白糸の滝の前の濡れた石の上を渡っていく。

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                 円月橋の満月

神田上水路が流れこんでいるところには稲田があり、黄金色の稲穂が頭をたれている。水辺に咲く彼岸花を見ながら川沿いに歩を進めると、円月橋が見えてくる。

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            通天橋

水面に映る形が満月のように見えることからつけられた名前である。朱舜水による設計といわれている。

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             得仁堂

鬱蒼と繁る樹木の下の石畳を上ると朱塗りの通天橋が見え、その奥に得仁堂がたっている。光圀18歳のとき、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷叔斉の木像を安置したお堂だといわれている。

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             西湖堤

雨上がりで足元はあまり良くなかったが、雨に濡れた木々や緑、建造物もまた違った趣を見せてくれ、都会の喧騒の中に心休まる雰囲気を味わうことが出来た。紅葉の時期や春の花の頃はさぞかしもっときれいな庭園を見せてくれるのだろう。東京に残る深山幽谷であった。

東京の街一望  文京シビックセンター展望室

文京シビックセンターは文京区役所の機能を持った建物であるが、当時は東京の各区役所が立派なビルを建てることでかなり話題になった。東京メトロ後楽園駅から2,3分なので便利なところにある。

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           遠く筑波山の山並み

25階にある展望室は東京ドームシティーに面したところを除くと展望ラウンジになっていて新宿超高層ビル群や池袋、上野など下町方面の東京の街を一望で見渡すことが出来る。

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            池袋サンシャインビル方面

東京ドームシティー側は展望レストランになって「シビックスカイレストラン椿山荘」となっており、ここからは無料では展望をながめることは出来ないが、メニューは価格的にはリーズナブルに楽しめそうである。その他のところはぐるっと半周りすることが出来、遠く筑波山の山並みも見える。

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          雨上がりの東京スカイツリー遠景

ここの展望台は、夜景がきれいだと聞く。夜景を楽しむためにラウンジの工夫がされている。展望室内は暗めにしてあり、ガラスのスクリーンは斜めに傾斜が付いて光の反射を防ぐようになっている。

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           低い雲の新宿超高層ビル群

今話題の東京スカイツリーもかなりの高さになってきているのですぐ近くに見える。ここから見てもかなりの規模のテレビ塔が出来るのだと改めて思う。

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9月の末の高さは470mぐらいになっているとのことで12年の完成が楽しみである。最近は観光ツアーのコースにもなって地元はにぎわっているらしい。いずれにしても、今の日本で一部分でも元気があることはいいことである。

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              470mの東京スカイツリー

今日は、ここで会議があったのでたまたまこの展望台に上ることになったが、普段はあまり来る機会はないので残念である。建物の中を見てみるといろいろな施設があるのでコンサートや演劇など機会を見つけて夜景なども眺めにまた来たいと思うところである。

秋の気配  多摩丘陵を歩く

長く暑い夏が終わったかと思うと、朝晩の涼しさは9月の終わりの季節を通り越している。一気に晩秋の感じすらする。毎日うだるような暑さの中で過ごした日々はどこに行ってしまったのだろう。

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           朝日のよこやまの道

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           朝日の樹木の影

朝の日の出がずいぶんと南の方に下がってきている。いつも真上にある太陽が低い位置にある。朝日の照らす木の影が長く伸びるようになってきた。

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           初冠雪の富士(中央)

富士山では初冠雪があったという。平年より6日早く、昨年より12日早いらしい。暑さはかなり遅くまで残ったが、寒さはいきなりやってきているようである。植物の対応も遅れているようで、仲秋の名月にススキの穂が間に合わないという話もある。

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            夜明けのお月さま

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今朝の空を見ると、秋の高い空の雲の隣に満月を少し過ぎた夜明けのお月さまが青い空に白く浮かんでいる。遠くかすんではいるが初冠雪の富士山も肉眼で確認できる。これからは雪をかぶった富士山の姿がきれいに見えるようになる。

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           ヒガンバナ

早朝に歩く山道の周りにはコスモスの花が咲き、川べりにはヒガンバナが咲き始めている。今年はヒガンバナの開花は一般的に遅いといわれている。これも天候のせいだろうか。

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田んぼの稲も実りの時期になり、鈴なりの穂を黄金色にして頭を垂れている。鳥たちに食べられないように懐かしいかかしが見張り役として田んぼの畦に立っている。雨、風、鳥などの被害にあわないうちに早く刈り取りになり、新米になることを祈る。

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           豊作の田んぼ

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           稲を守る案山子

秋はいろいろな意味で収穫の季節である。稲とともに畑のナスも見事に実をつけている。”秋ナスは嫁に食わすな”と昔から言われているが、秋の末ごろのナスは味が良いといわれているところからきているようである。

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                秋ナス

どういう意味かと言うと、一般的には秋ナスはうまいので、姑が嫁に食べさせたがらないということ、また、食べると体を冷やすからとか、秋ナスは種が少ないので、嫁に子供ができないといけないからとも言われている。

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            ムラサキシキブ

どれが真実かはわからないが、当時の世相を考えてみると、どうも最初の理由のような気がする。後の二つはこじつけのような気がする。それだけその頃はナスというものが食べ物として大切なものだったのだと思う。

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            アサギマダラ

秋が来るとすべての生物は冬支度をする、厳しい冬を越すために南に渡るもの、葉の裏で春を待つもの、雪の下でじっと耐えるもの、いろいろであるが人間もしかりである。

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我が国の経済はいつ明るさが見えるのか、じっと耐えている国民にいつ春が訪れるのだろうか。失われた10年と言われて久しい、もう20年になろうとしている。勢いのある発展途上国に押されて影が薄れていく日本、日が出る国日本を再現したいものである。

えながとこげら  近くの公園を歩く

 昨日の気温から15度も低い涼しい風が吹いている。台風一過の青空であるが気温は11月の気温だという。夏から一気に11月だ、確かに最近の気候は今までの経験則では測れないことが多い。朝から雷が鳴ったり、竜巻がどこでも起きる。

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             エナガ

子供のころの経験で言うと、雷は大体真夏の午後、竜巻は海外で起きるもので日本ではほとんどなかったと思う。

朝からの風もやみ、青空が見えて太陽が輝く、雲の動きは台風の影響がのこっているのであろう早い動きをしている。

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最近あまり行っていない近くの公園に行ってみる。人出は少なく公園内も台風の後のせいだろうか、鳥たちの声も少ない。水場に行ってみると2,3人の同好の士、全然鳥の気配がないと嘆いている。

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             コゲラ

公園を一回りしようと山の上の方に足を向ける。木を横に並べた階段状の坂を上る。昨晩の雨で少し水がたまり足元はすべりやすい。しばらく登ると、えながの声が聞こえるとともにえながの集団が移動している。

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動きが早くなかなかファインダーに入ってくれない。シジュウカラのペアーとこげらも一緒になりにぎやかではあるが焦点が定まらない。台風一過の太陽は緑の木々の間を照らしてくれるがコントラストが強すぎる。

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           シジュウカラ

しばらく鳥たちと一緒に公園の中を移動したが、その他の鳥たちの姿は全く見当たらない。近くでアオゲラの泣き声は聞こえるが姿は見えず、しばらくベンチで一休みとする。

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            ナミヒョウモン

近くにある東屋には親子と思われる女性二人、年老いた母親を散歩に連れてきているように見える。杖をついて歩いているところをやさしく介添えしがら歩いている。

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               ヒガンバナ

まだ、実の子供が親を見てくれるのであれば安心できるが、いろいろな事情で親の面倒を見ることができない場合は他人を頼んだり、施設の世話になったりと大変である。

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              秋の気配

できることなら、人の世話にならないで老後をおくりたいと思う。よくいわれる「ピンピンコロリ」が理想であるが、そう簡単にはいかないだろうから足腰だけは鍛えておきたいと思う。口の方は鍛えなくても長年の精進で大丈夫そうであるが、さらにもう一ヶ国語ぐらい外国語を勉強したいと気持ちだけは青年のつもりでいるこのごろである。長い夏が終わり、いたるところに秋の気配を感じさせてくれる。読書の秋、食欲の秋、芸術の秋などなど一番いい季節である。

コサメビタキ  公園の水場

いつも歩いている公園に、朝夕の涼しさに誘われて足を向けてみた。今年の猛暑を総括する記事の中に清涼飲料水、ビール、ハイボールなどの売上高が大きく伸びたということが書いてある。

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確かに今年の暑さは冷たいものを欲した。私の記憶から考えても冷たい飲み物は例年になくたくさん口にしたような気がする。

週末は決まって会社の同僚と軽く一杯という感じで縄のれんをくぐっていた。基本的に嫌いなほうではないのでついつい量を過ごしてしまう。

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遅く帰っても、翌朝は必ず朝早く目が覚めてしまう年代なので早朝から行動をする。前日飲んだ分を消化するには体を動かして汗をかくこと、心肺機能を十分働かせることが大切である。

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早朝に1時間半から2時間ぐらい歩くと約10.000歩以上になるし、汗もびっしょりになるので昨夜のアルコールはすっかり抜けたような気分になる。多摩市が一望できる高台に立っておよそ15分くらいのストレッチを行うとなんか血行が良くなったような気がする。

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ストレッチをすることで体が矯正されるような感じにもなる。あるテレビ番組で体の骨盤のずれを直すというのをやっていた。仰向けに寝て足の力を抜くと両足が外側に倒れる、その角度で骨盤のずれが分かるというのである。

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それを治すストレッチがあるというので紹介されていた。確かに、その場でそのストレッチをやることによって再度チェックしてみるとそれが改善されていた。以前から続けているストレッチにくわえてその矯正ストレッチもやることにした。

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自然に囲まれて鳥のさえずりや、川のせせらぎを聞きながら路傍に咲く植物を見つけて歩くのもいいものである。季節の移り変りを確実に教えてくれる。

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公園の水場で、近くにある石で造られたベンチに坐って水の流れを眺めていると、小さな鳥が川の上に垂れ下がった木の枝に止まった。水浴びに来たようである。日陰で薄暗く良く見えないがコサメビタキらしい。

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名前はサメビタキより小型であることからコサメビタキといわれている。上面は灰褐色、下面は白い羽毛で覆われている。平地から標高1,000mぐらいの山地にかけて落葉広葉樹林に生息、群れはつくらず、単独またはペアーで生活する。

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食べ物は昆虫など動物食で、繁殖期に半径50mぐらいの縄張りを形成する。良く見ると目がくるっとした可愛い鳥である。しばし観察することにする。

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          水浴び中

こういう公園散歩や、ウォーキング、山歩きなどしながら好きなカメラを持って出会いの瞬間を記録に残していく。うちのかみさんは記録ではなく記憶に残すのだといってこの辺の考え方は違っている。だが、好きな事をすることで、楽しく生き生きと輝けることが仕事にもいい影響を与え、元気で毎日を過ごせることだと思う。

「カワセミ   近くの池を歩く

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれているが、本当にあの八月の暑さはどこに行ったしまったのか、9月の20日前後から朝晩は本当に過ごしやすくなってきた。

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           突進するカルガモ

夜になると秋の虫の鳴き声が蝉の鳴き声にとって替わってきている。季節は間違いなく秋になり、時間は刻々と進んでいる。渡りの鳥たちも動き出し、山から里へとそろそろ下りてくる季節である。

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          カワセミ ♂

かみさんがジムで汗を流してくるというので車で送っていく、その帰りに、いつも早朝のウォーキングコースのひとつである近くの公園の池をのぞいてみることにした。池の周りの周遊道路ではジョギングの人、連れ立って歩くウォーキングの人たちがたくさんいる。

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池の水際に腰を下ろして池を眺めていると、カルガモたちが近寄ってくる。この池では餌付けをしているらしく、人が来るとハトとカルガモがいっせいに集まってくる。

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これから、この池には冬鳥たちが北の方からやってくる。けっこう珍しいカモたちが来ることもあるので楽しみな公園である。今は留鳥のカルガモだけである。

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          いざ出陣

天気がいいのでベンチでのんびりしていると「チーッ」「チーッ」と鳴きながらカワセミが飛んできて、池の土手に都合よく突き出た木の枝にとまった。

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          池の中のオイカワ(小魚)を目指して

対岸なので池の周りを歩いてかわせみの止まっているところまで歩いていく。今日は鳥見をしている人はいないのでゆっくりと観察することが出来る。ここは比較的いいところにとまってくれるのと、人になれているのか、いいアングルで写真を撮ることが出来る。

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私の場合はそこに一日中いて写真を撮るタイプではないので、自分の思いついたときに出かけて、タイミングよくいれば2~3時間待つぐらいで、そのときそのときのタイミングでカメラに収めている。

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           ステルス並み?

カワセミは漢字では翡翠(ヒスイ)と書く。「渓流の宝石」とも言われきれいな色をしている。特に両翼の間から覗く背中の水色は鮮やかで、光の当たり方によっては緑色にも見える。

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体長は17cmほどで、スズメくらいの大きさ。嘴が長く、頭が大きく、首、尾、足は短い。人間にすると不恰好な体型になる。嘴は黒いが、メスは下の嘴が赤いので雌雄の区別はここでできる。

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鳥の世界はほとんどそうであるが、やはりオスのほうが色鮮やかできれいである。また、頭は鱗のような模様があり、背中は青く胸と腹は橙色である。

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採餌するときは水辺の石や木の枝から水中に飛び込んで、魚類や水生昆虫を嘴で捕らえる。捕獲後は石や枝に戻りくわえなおして、木や石にぶつけて弱らせて頭から飲み込む。2010_09_20__9618_edited1

           はいポーズ

ちょうど良いところにとまっているので、木の陰から行動が良く見える。夢中で観察していると何時の間にか数人のカメラを持った人たちが集まってきて、カワセミは別の方向に飛んでいってしまった。「渓流の宝石」に魅せられて鳥見をはじめ十数年になるが、飽きることのないきれいな可愛い鳥である。

蒼サギ  久々の多摩川

あの猛暑も日が経つにつれやわらいできた。朝夕の過ごしやすさは八月のそれではなく快適な目覚めになってきた。四時半に明るかった窓もまだ薄暗い。

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          多摩川合流点の日の出

曇り空ではあるが久々に多摩川の合流点付近に向かう。早朝ウォーキングも夏の暑い間は木陰の日の当たらない「よこやまの道」の遊歩道が中心であったので多摩川河畔はひさしぶりである。

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          早朝のカルガモ

うす曇の東の空にぼんやりと太陽が昇り始めている。大栗川の川面に朝陽の光が水面に反射して光っている。清掃工場の煙突が朝もやにけむり、野鳥たちの鳴き声が少しずつ始まる。

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                朝の採餌中の蒼サギ

もずの鳴き声と共に蒼サギの鳴き声が聞こえ多摩川の水面上を大きく羽ばたきながらゆっくりと飛んでいる。その川岸では魚をねらう蒼サギ、ジッと水面を見ている。私の向けているレンズにはまったく気がつかない。

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夏鳥としての蒼サギは本来夏季に北海道で繁殖し、冬鳥は冬季に九州以南に越冬のため飛来する。本州では留鳥としての蒼サギが多い。

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          飛翔する蒼サギ

全長は88~98cm、翼開帳は150~170cm、体重は1.2kg~1.8kg、上面は青みがかった灰色の羽毛で被われ和名の由来になっている。

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           最大翼開帳の蒼サギ

河川、湖、湖沼、湿原、干潟、水田などに生育する。非繁殖期には単独で生活するが、小さな群れを作ることもある。

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          親子の戯れ

食べ物は動物食で、魚類、両生類、小型哺乳類、昆虫などを食べる。水辺で待ち伏せたり、水辺や浅瀬を徘徊しながら獲物を探す。獲物を発見すると、すばやく頭部を伸ばして捕食する。

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日本に分布するサギの仲間では最大である。鳴き方はガオーゴアオーと大きな声でなく。繁殖形態は卵生でコロニーを形成する。雄が巣材を集め、メスが樹上に木の枝を組み合わせた皿状の巣を作る。

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大栗川の反対側の樹木の上に3~4羽の蒼サギがジッと川面を見つめている。そこに数羽の蒼サギが飛び込んできた。喧嘩なのか、遊んでいるのかは分からないが大きな鳥のバトルはダイナミックである。あまり声を出さないので親子での戯れかも知れない。

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          飛翔の蒼サギ

蒼サギは魚を食べる鳥なので、外国では養殖魚を食べる害鳥として駆除され生息数が減少している国もあると聞く。ここ日本では逆に生息数が増えているようである。 人間の世界では少子高齢化が問題になっているが、鳥の世界では自然の法則に則って順調にふえているようである。人間との共生を実現して環境・生物の保護を拡大していきたいものである。

谷津干潟    いつもの鳥たち

7月にネパールから帰ってきていた娘が、連休にまたネパールに戻るというので成田空港まで送っていくことになった。成田までは連休なので二時間ぐらいかかると思うが、どこにも出かける予定がなかったのでちょっとしたドライブになる。

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                     自然観察センターから谷津干潟を望む

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ずっとネパールに行っているので、日本に帰ってきても友達と逢ったりアルバイトをしたりとあまりゆっくり話す機会も無いので成田までの時間は貴重な親子の会話時間になる。

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          チュウサギ

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          ハマシギ?

親としては、何時までも気ままな生活をしているので心配であるがそれなりに年を重ね、考え方は間違ってはいないと思うが親としての心配は増すばかりである。「お父さんカトマンズへ帰るよ」といわれると違和感を感じる。

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           アオサギ

「おいおい、帰るんじや無いだろう」と思わず言ってしまう。その上、今度カトマンズでヒマラヤをトレッキングしようと誘われる。まだ、カトマンズは行ったことが無いので一度は行ってみたいと思っているところなので好奇心をくすぐられる。

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           カイツブリ

母親の反対を押し切って、重量オーバーの大量の荷物と共に機上の人になってしまった。搭乗手続きでは重量を減らすために、酒類などの荷物を減らし家に持ち帰えることになった。それでもまだオーバーしていたが、なんとか預けいれることが出来た。

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           セイタカシギ成鳥と幼鳥

無事目的地に着くことを祈りながら高速道路を帰途についたが、あまりにも天気がいいので途中下車して谷津干潟を覗いてみようと、京葉道路の花輪インターチェンジを下りた。

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           カワウ

谷津干潟は、1993年(平成5年)6月10日に日本で、干潟として初めてラムサール条約に登録された世界に誇る湿地である。ラムサール条約の登録地は日本では、釧路湿原や尾瀬などの自然の豊富な湿地が多いが、都市部に残された数少ない干潟で、毎年、北と南を行き来する渡り鳥たちの重要な中継地となっている。

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                  セイタカシギ

干潟とは、海岸で潮がひいたときに現れる砂泥上の海底面のことで、砂浜と比べて波の影響が少なく、勾配が緩やかでさまざまな魚、カニ、ゴカイなどが暮らしており、またそれぞれのえさとなるプランクトンなどの生物もたくさんおり、鳥たちもこれらの生物により支えられて生きているのである。

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          座禅修行中  アオサギの日光浴

今の谷津干潟は、広さ約40haあまり東京湾の最奥部にある干潟で、東京ドームの約9倍の広さといわれている。まわりにはビルやマンションがたち住宅地の中にある一見人工干潟のように見えるが、高瀬川と谷津川という二本の水路で海と繋がり、潮が満ち引きする自然のままの干潟なのである。

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                 ダイサギ

ちょうど満ち潮でかなりの勢いで海水が干潟に流れ込んでいた。明治時代には遠浅の海岸では塩田や、ボラやウナギの養魚場として栄えていたが、度重なる天災で塩田、養魚場は廃業になり、大正時代末に一部は京成電鉄が買収して「谷津遊園」を開園した。今ではその遊園地も閉園されバラ園だけが残っている。ここにも時代の移り変わりをみる。

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           ウミネコ

干潟の周囲は約3.5km遊歩道も整備され、ゆっくりと野鳥を観察しながらまわることが出来る。入り口近くにある谷津干潟自然観察センターは入場料が360円であるが、望遠鏡や双眼鏡が完備され干潟一面をじっくりと観察でき、また、ボランティアの人が親切に細かく説明してくれる。

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            コサギのダンス

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           セイタカシギ

センターの中にはレストランもあり食事が出来る。汗びっしょりで周囲を歩いた後なので冷房の効いたそこはありがたい。冷たいそばとアサリご飯の定食をオーダー、店内には鳥に関する書物がたくさん揃えてあり、眺めていると時間を忘れる。

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         アオサギの背後からチュウサギ

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窓際の大きなガラスのスクリーンからは、先ほどまで見えていた海底面が、流れ込む海水に覆われ照り付ける太陽にきらきら輝いている。あまり珍しい鳥たちには遭えなかったが久々の鳥見を楽しむことが出来た。見上げる青い空には娘が乗っているのだろうか白い二本線を引いた飛行機の姿が見える。

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          野鳥観察スポットから自然観察センターを見る

ラムサール条約には保全のあり方に対して原則があるといわれている。それは「賢明な利用」と「地域の人々の参加」である。懸命な利用とは人と湿地の共生で地域の人々の参加は市民ボランティアである。この地域を市民協働で環境学習の場にしようということになっている。今年の夏の猛暑は異常である。これも環境破壊が大きな一因になっていると思う、環境問題を解決することは後世に美しい自然を残すために重要な問題になっている。

民主党菅政権の続投が決まった。公約どおり今までのような政党政治ではなく閣僚政治を実現してほしいものである。

達沢不動滝   猛暑に涼を求めて

中ノ沢温泉から右側に入る道路を、山の中に向かいしばらく走ると舗装道路が切れる、砂埃をかぶりながらさらに進むと小さな鳥居が見えて駐車場がある。ここに車を停めて川沿いに歩いて滝に向かう。

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陽射しは強いが緑の木々に覆われた山道は、脇を流れる清流のせいでかなり涼しく感じる。しばらく歩くと手水所がある。柄杓に汲んで口に入れると冷たくて美味しい。

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          手水所

さらに倒木や苔むした岩肌を見ながら川沿いに進むと水の音と共に滝が見えてくる。滝の入り口には左手のほうに女滝があり、季節柄水量が少ないせいかひっそりとしている。男滝のほうはいつもより水量が少ないといわれているが壮観である。

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           石をまたぐ木(生命力の強さ)

達沢不動滝は、母成グリーンラインの西側に位置し、安達太良山系船明神山に源をもつ不動川にかかる名瀑である。滝元には不動尊が祀ってあり、大きな岩肌に水がすだれのように流れ落ち涼しげである。

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                 入り口門から男滝

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この地には十数年前ゴルフに来たことがあるので ”母成” という言葉には懐かしさがある。”ボナリ高原ゴルフクラブ” すばらしいコースであった。標高850mの高原で眺望が良く、確か秋だったので紅葉がきれいだったことが印象に残っている。

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                不動明王の剣

コースデザインは、有名なロナルド・フリーム氏の設計でフェアウエイはベントグラスで大きなターフが取れて気持ちのいいゴルフが出来た。何番か忘れたがロングコースで谷越えをショートカットするとツーオンがねらえるところがある。ハイリスク、ハイリターンであるがねらいたくなるところである。

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今ではあの頃のパワーが無いので無理ではあるが、もう一度挑戦してみたいコースである。いつの日か実現できることを願う。時間が過ぎるごとに体力的に不利になるが、日々訓練を怠らないようにしたいものである。

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            ケルン

滝の入り口には不動明王の剣が立てられ、となりの大きな石の上には小さな石を積み上げたケルンがある。滝つぼ近くまで行くと、足元は水に濡れた苔が石に張り付き、滑りやすく危ないけれど、マイナスイオンが一杯に充満したパワースポットになっている。

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大きく手を広げ胸一杯に吸い込むと気持ちがいい。世間の猛暑を忘れ、ストレスも吹っ飛んでいく。鬱蒼と繁る樹木に囲まれて、壮観に流れ落ちる水を眺めていると都会の雑踏を忘れて命の洗濯をしたような気分になる。時間に余裕があれば、まだまだここに坐っていたい気分である。

保科正之公の墓  土津神社を歩く

保科正之公の墓は、猪苗代湖を見下ろす猪苗代町の見禰山にある。水量豊富な水路の石橋を渡ると大きな白い鳥居がある。赤い鳥居は当たり前であるが、白い鳥居は珍しい。

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           土津神社

保科正之については、「伊那高遠の地が育てた、歴史上の巨人、名君保科正之公」と会津における名君の誉れが高い。

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                白い大鳥居

詳細は神社の資料によると、『江戸時代のはじめに二代将軍徳川秀忠のご落胤 (隠し子のこと。徳川家康の孫にあたる) として生まれ、7歳のときに保科家の養子となって信州高遠にきました。

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                神水が蛙にかかる

成人して三代将軍家光の異母弟と知られるようになり、26歳で出羽の国最上(山形)藩20万石の大大名となってこの地を去るまで高遠城に暮らしました。

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            拝殿

 人格形成の基礎となる少・青年期の19年間を高遠で過ごした正之は、その後、会津藩23万石の藩主に出世しましたが、常に思いやりと慈しみをもった民に優しい政治は、正之のふるさとである高遠藩でつちかわれたのです。

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                霊神之碑

亀石に乗った正之公の亀趺(きふ)碑、高さ4.54m、幅1.83m、1.51m、日本最大の顕彰碑といわれている。碑文の文字数は1934文字で、亀は墓地のある北を向いている。亀は中国では古くから北を守る聖獣といわれている。最初は南をむいておかれていたが一夜にして猪苗代湖まで這い出してしまったとか。

正之は幼い四代将軍家綱の後見人としてその時代の舵取りをした日本のリーダーでした。』という説明がある。

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八社(岩彦、信彦、久彦、幸彦、石彦、忠彦、進功霊社、五社神社)

そもそも保科氏の祖先をたどると、その発祥の地は長野市若穂保科にあるといわれている。平安時代中期諏訪神系の保科行遠が当地方に占居して其所領として子孫繁栄の基となった。

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                奥の院への参道

保科家は代々弾正忠と称し、正則の代に伊那の高遠に移った。正則の息子には正俊と正保があり、正俊の息子正直は徳川家康の異母妹を妻として信頼されていた。また、正保は正則が高遠へ移った後も保科に止まり、村を治めその子孫は真田候に仕えて繁栄した。

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             奥の院

保科にある広徳寺は保科正利(正則の父親)が開基したといわれている。戦国時代に保科七騎といわれた名将は、保科正則を筆頭として、玉井甚市、堀内土佐、山崎刀悦、轟玄蕃、海谷与五右ヱ門、久保保正で共に武田氏に仕えた。

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             保科正之の墓前

久保保正の子に保国という者があり、豊臣秀吉に仕え、秀次自刃のとき殉死したといわれ、父保正は子保国のために一寺を創立した。これが延命寺である。我が生家の菩提寺となっている。ここを訪れることになったのも何かの因縁だろうか。

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               八角形の墓石

歴史をたどるのは楽しいものである、土津神社の「土津」を”はにつ”と読むのはなかなか難しい。土津の意味は、土(つち、はに)は宇宙構成要素の根本であり、万物の始めと終わりであり、信実の主体である。「津」は会津の領主であるから「土津」とつけたといわれている。正之は神道を尊崇し、生前に土津の霊号を授けられていたという。

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          白い大鳥居を拝殿から見る(右 社務所)

言い換えると、宇宙の万里を究められた会津藩主の意ということである。土津神社は、神殿・回廊など奥日光、東北の日光といわれるほど荘厳壮麗であったが明治の戊辰戦争で焼失した。今の社殿は明治13年(1880)7月に建てられたものである。

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常に控えめで実直な正之は、その生き様は「知足の人」(境遇に不満を持たず、自らはすべてに足りていると悟っている様)といわれていた。私利私欲のはびこる今の世の中こそ、保科正之のような指導者に日本の舵取りをして欲しいものだと思う。

恋人坂  会津盆地を眺める

蔵とラーメンのまち喜多方を後にして、雄国山麓方面に向かう喜多方ロマンティック街道を走る。会津盆地を一望に見下ろせる見事な展望道路である。

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           飯豊山を望む(手前そばの花)

ここから見下ろす会津盆地は四季折々の光景を映し出してくれるという。春先は一面のれんげの花、田植えの時期は田んぼの水が太陽に照らされて光輝く盆地になる。

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           実り始めた会津盆地

夏には成長するイネの緑が一面の絨毯模様を描き出す。秋には実った稲の黄金色の輝きに埋まる。収穫の後には田んぼで燃やす藁の煙がそれぞれ空に上がり幻想の世界を作る。

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           喜多方の遠景

冬は、家や田んぼ、木々をも白い雪が一面を覆い銀世界が広がるという。話を聞いているだけでここに住んでいる人は何と幸せなんだろうと思う。

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            さるすべりの花

現実には厳しい冬があるのだろうが、ここから見下ろす会津盆地を見ていると四季の変化で人の心を和ませてくれているように感じる。

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            那須連山を望む

ここから見る夜景もまたきれいだという。農地の真ん中を真っすぐに降りて行く直線道がある。これを「恋人坂」という。会津盆地を一望に見渡せる視界の広いところである。

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                  恋人坂

恋人岬というのはどこにでもあるが、恋人坂というのは珍しい。いわれを聞くと、ここは夜景がきれいな場所なので恋人同士が夜景を見に来て二人で飲んだ飲み物の空き缶のポイ捨てが多く、困りかねた市の職員が、ここは恋人坂、「ゴミをポイと捨てるようにいつかあなたは恋人もポイとすてるのですか」と、注意書きを書いたのが始まりだと聞く。

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            喜多方のまちと飯豊山

今では、ゴミのポイ捨てもなくなりきれいな会津のまちを眺める展望台となっているようである。この坂は、恋人同士で登りり、決して下ってはいけないのだともいわれているとのことである。

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           アキアカネ

日本では、上り坂と下り坂の数はどちらが多いかと言うと同じだというのが普通である。でも会津では幸せな人生をおくる人は、たぶん登り坂の方が一つ多いのだと思う。それは「恋人坂」があるから。ここからの展望をみて幸せな人生を送りたいものだとつくづく思う。息子たちも二人でこの坂を上ったのなら下ることなく上り続けて幸せになってほしいと願う。

蔵とラーメンの街   喜多方を歩く

今日の泊まりは「蔵のまち喜多方」、喜多方は、」会津盆地の北部に位置し、南に遠く那須連山、東に名峰磐梯山とすそ野広がる雄国山麓、北西に霊峰飯豊山を望む風光明美な、懐かしい郷愁を誘う素朴な趣のあるまちである。

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    楽篆工房  おもしろ漢字(名前の由来を説明してくれる、非常に面白く興味深い)

なぜ、このまちにこんなに多くの蔵が建てられたかと言うと、観光のために建てられたのではなく、現在も人が住み、使い、暮らしている住まいだからということである。

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            大和川酒造  会津北方風土館

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                  酒蔵の水

路地裏や郊外の集落まで市内には4000棟以上の蔵があるといわれている。早朝に蔵のまちを歩いてみる。田付川にかかる月見橋を渡り、おたづき蔵通りから市内を歩く。

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           小原酒造       

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           馬車の駅

今でも、酒蔵、味噌蔵などとして使われているのは、この土地が良質の水と米にめぐまれており、酒造業をいとなむ場所として、蔵が最適な建物であったということで、まだ日本酒を醸造する蔵元は10以上あるという。

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            利き酒をする

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            酒蔵の手すり(一升瓶)

また、地元では「四十代で蔵を建てられないのは、男の恥」といわれ、喜多方の男たちにとっては蔵を建てることが夢と情熱の結晶だったのである。

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それともう一つの理由は、明治三十年に起きた大火で市内の約三百棟の家々が焼き尽くされたが、その時残った建物が蔵だったといわれている。

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蔵の建築様式や材料も画一的なものでなく、特に壁材料などは白漆喰のほかに、黒漆喰、レンガ、土壁などがあり、特に特別な建物に使われることの多いレンガが一般的な農家の建物に普及しているのは珍しいそうである。

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早朝に蔵のまちを歩いていると、のれんを出したラーメン屋がある。それが早朝にも関わらず大勢のお客さんが入っている。ラーメンのまちとは聞いていたが驚く。よく見るとラーメンの看板は一軒だけではない、この通りだけでも数件のラーメン屋さんがある。

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          朝早くから店はあいている

聞くところによると、人口約55,000人の街になんと100軒以上のラーメン店があるという。「喜多方ラーメン」の特徴は、しょうゆ味のコクのあるスープと太いちぢれ麺と柔らかく煮込んだ手作りチャーシューが有名である。元祖は”しなそば”

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            喜多方ラーメン

ところでこの朝早く営業しているラーメンは「朝ラー」といって市民や観光客には評判だということである。なぜ、朝からラーメンなのか聞いてみると、いろいろな説があるらしい。

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             「朝ラー」

農家が早朝から農作業をしてその後にラーメンを食べたことからの説、これについては今でも田んぼの畦でラーメンを食べる姿が見られるとのことである。

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           郵便局

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それと、ここには古くから工場があり三交代制で作業が行われ、夜勤明けの工員にラーメンを食べさせたのが始まりとも言われている。喜多方ラーメンはどちらかと言うとさっぱりしているしょう油味なので、朝からでも食べられるのだろうと思う。

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まち並みを眺めながらぶらぶら歩いていると喜多方駅の前に出た。とにかく古い建物も新しい建物も基本は蔵である。新設の郵便局も蔵造り、お寺も蔵造りで窓が印象的である。

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            蔵見世

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            喜多方駅

駅前に、早朝からオープンしている外壁にツタのからまる雰囲気のいい喫茶店があるので入ってみる。この年になると朝からラーメンとはいかないので一休みすることにした。

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             駅前

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           コーヒー「煉瓦」

入ってみると雰囲気がいい、赤い帽子の老人がカウンターでゆっくりとコーヒーを飲み、カウンターの中にはこれまたこの場面にピッタリなマスター。喜多方の朝の光景を振り返りながらコーヒーを楽しんだ。

大内宿 Ⅱ 民家群を覗く

家の前を流れる山の湧き水の透き通って見える川底の石ころ、勢いのいい流れが清涼感を誘い。水の中に手を入れてみたくなる。川べりに座って流れる水に手を入れると冷たくて気持ちがいい。

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           大内宿

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                  水路にかかる水車

それぞれのお店はいろいろなお土産品を並べているので一つ一つ覗いてみることにする。必ず試食品と冷たいお茶をサービスしてくれるので、街を往復するとおなかが一杯になりそうである。地元での農産物の加工品にもいろいろな工夫がありこれも長年の生活の知恵の結晶なのだろう。

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            名物の赤かぼちゃ

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           真夏日にバニラアイス・・・おいしい

大内宿は宿場を営みながらも農業をも営んでいたのでこの街並みを今に残すことが出来たと言われている。だから「しんごろう」や「そば」、「自家製味噌」、「山菜の佃煮」などの美味しいものが残されているのである。

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           土鈴、郷土玩具

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                 青空に火の見櫓

歴史的背景から見ると、最後まで佐幕派であった会津藩は幕末の戊辰戦争では倒幕軍の侵攻により壊滅するが、大内は会津軍と新政府軍の激戦の場となった。

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                八十二段石段 子安観音堂へ

会津軍後退の時にはあわや焼き払いに遭うところであったが、言い伝えによれば,当事の名主による死を覚悟した抵抗によって免れたといわれている。

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                 ご縁(五円)があるように

その後明治になって、関東と会津を結ぶ日光街道は大川沿いに新たに開通し、人、物の流れが新しい道路に移り大内宿は取り残されていった。

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その、時代の波に取り残されることによって、今の茅葺の家並みを残すことになったといわれている。おかげさまで現在の我々の心の癒しの場所になったのである。

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           カラフルなわらぞうり

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ところで以前、学生時代の友人がこの大内宿を訪れたときに、お土産に「一生青春」 の大吟醸を持ってきてくれた、それが美味しかったのでそれを探しながらお店を覗いて回る。

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利き酒をやっていたのでいただくことにする。新酒を会津の雪の中に100日間寝かせた酒「大内宿」、これがまろやかでうまい。買って帰ろうとしたが今日中に飲まないとダメだというので、今夜の酒にすることにした。

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          マメコバチの巣(ハキリバチ科)

りんごや桃、梨などの花の受粉をさせる。ミツバチの何倍もの働きもの。

利き酒をやっている裏手に白壁の蔵があるので入ってみる。周り一面に酒、酒、酒・・・・福島の酒はほとんどあるようである。目に留まったのが「一生青春」。これだと早速購入、一生青春、言葉の響きがいい。

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           「一生青春」をみつける

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これは福島の「曙酒造」が杜氏制度を廃止して蔵元自ら仕込みを担当することにし、平成九年に、蔵元だけで初めて造った酒に再出発の意味で「一生青春」と銘々したとの説明を聞いた。

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             大内宿一望

私も、還暦をむかえて再出発にはちょうどいい酒である。座右の銘という言葉があるが「座右の酒」として嗜んでいきたいものだ。真夏日の大内宿ではあったが、歴史的にも興味を引くものがまだまだありそうである。心が和む情緒豊かな風景、紅葉の高い空を仰ぐ大内宿もまた歩いてみたいと思う。

大内宿 Ⅰ  江戸時代の宿場を歩く

湯野上温泉駅をあとにしてしばらく走ると左手に曲がって坂道を少し上っていくと、山間の平地に江戸時代の宿場の雰囲気を残した茅葺の民家が並んでいる。

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           江戸時代の民家群

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           高遠そば

ここも早めの行動をしているのでスムーズに駐車場に入ることが出来た。手前に無料の臨時駐車場があるが、300円なので有料駐車場にとめたほうが宿場街には近い。

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           猛暑日の宿場

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                 地酒 「大内宿」

今日も朝から真夏日で青い空に白い雲が浮かんでいる。穂先をたれ始めた田んぼを見ながら江戸時代の宿場町へとなだらかな坂道を歩く。

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         ネギ一本そば (曲がったネギでそばを食べる)

ここは、日光今市から会津若松に通じる旧会津西街道、別名下野街道といわれ、江戸時代には関東と会津を結ぶ交通の要衝だった。

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           お土産屋地粉のそば

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会津藩主の参勤交代の際もこの街道を通り、会津若松を出立して氷玉峠を越えて昼食を取った場所だといわれている。

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          しんごろう  がうまい

しんごろう・・・・・うるち米を半突きににして握り、串にさして十年味噌を塗り、炭火で焼いた昔ながらの郷土食。  十年味噌・・・・荏胡麻を使った甘味噌

全長約450mの道路わきに沿って、道に向かって妻を向けた寄棟造りや茅葺の民家群がほぼ等間隔に整然と立ち並んでいる。

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古い町並みが残っていることで昭和56年(1981)に宿場町としては妻籠宿、奈良井宿に次いで全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている貴重な街並みである。

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                  自然の冷蔵庫

それぞれの家の前には、水路が昔ながらに整備されきれいな山の水が豊富に流れている。花を植えたり、かえるの置物があったりする水路には、ラムネやジュースが冷やされている。

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手を入れてみると冷たくて気持ちがいい。昔も今もこの水で野菜を洗ったり果物を冷やしたりしているのだろう。うらやましい光景である。

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子供のころは、やはり同じようにスイカやキュウリ、トマトをつめたい川の水で冷やして味噌などをつけたたべたものである。

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            火の見櫓と民家

この冷やしたキュウリは、今年のような猛暑日が続く暑い夏には熱中症を予防する効果があると聞いた。冷たさと水分ときゅうりに含まれる何とかという成分がいいらしい。とにかく夏野菜はビタミンCやAが多いのでいいのだと思う。

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                  生活の水路

そういえば、先月の上海万博の会場で、たくさんの中国の人たちがビニール袋に入れたキュウリを持っているのを見かけた。生活の知恵なんだと感心する。

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約40軒の茅葺民家が江戸時代の面影を残し、今でこそいろいろなお土産品を売ったり、手打ちのそばを食べさせてくれているが、こういった風景を眺めているだけで心が安らぎ、心温まるものを感じてくるのである。大事に残したい風景である。

猫の駅長  芦ノ牧温泉駅

会津鉄道会津線の湯野上温泉駅の次の駅に、猫の駅長「ばす」で話題を集めている駅があるというのでちょっとよってみることにする。ついでに昼飯でも食べよう。

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この駅は発足当時1927年(昭和2年)11月当事の国鉄会津線の上三寄駅としてスタート、1987年(昭和62年)に会津鉄道に転換され、駅名も芦ノ牧温泉駅に改称された。

駅前はロータリーになっており、駐車場も完備されている。2008年4月24日にこの駅に住んでいる猫「ばす」が名誉駅長として任命されたという。

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          駅長面会の人々  芦ノ牧温泉駅

猫の駅長では和歌山電鉄貴志川線の終点、貴志駅の駅長さん「たま」が有名である。こちらは助役もおりその人気はうなぎのぼりとか。任命式にはそのたま駅長からも祝電が贈られてきたとのことである。

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            旧駅名の駅名標

駅構内に入ると、駅長「ばす」の詰め所とねぐらがあるが空っぽ、今日は留守のようである。聞いて見ると仕事中で構内の巡回にでかけているとのことである。

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                 駅長室

列車も来ないのに構内にはお客さんが多い。これも駅長「ばす」に会いに来ているらしい。名誉駅長に面会する際には次のような注意書きがある。

・撮影の際にはストロボ(フラッシュ)を点灯させない。 ・犬などに近づかれるとパニックを起こすので、協力をお願いする。 ・寝ているときに無理やり起こさない。  ・巡回中の場合は会えない。

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           駅長寝室

貴志駅のたま駅長の人気はうなぎのぼり、電車が着くと下りて来た乗客は、10分ほどで折り返していく電車に乗って帰っていくほどだというから、ほとんどは駅長目当てらしい。

ここ、芦ノ牧温泉駅の「ばす」はそれに負けない活躍ぶりで、就任以来同駅の利用客は前年比で50%増加し、「ばす」グッズの販売も好調だということである。

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巡回中の姿を一目見ようとホームから隅々を探したが見当たらない。今日はちょっと遠出のパトロールなのかも知れないと思いつつ、反対側のホームに「あいづっこ宣言」を発見した。

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           「あいづっこ宣言」

1 人をいたわります。 2 ありがとうごめんなさいを言います。 3 がまんをします。 4 卑怯なふるまいをしません。 5 会津を誇り、年上を敬います。 6 夢に向かって頑張ります。

「やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです」という結びの言葉。

今の世の中に必要な行動ばかりである。最後まで佐幕を貫いた会津藩の哲学なのだろう。                                                   

湯野上温泉駅  会津鉄道会津線

塔のへつり駅をあとにして国道をしばらく走ると、駅では次の駅になるが「湯野上温泉駅」がある。1987年7月JR東日本から会津鉄道に移管されそのときに今の駅名になったといわれている。

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面白い駅なのでこれも覗いて行こうと立ち居よってみる。道路の脇を線路が走っているので案内板に添って踏み切りを渡って駅前に出た。

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この駅は、日本で唯一茅葺屋根の駅舎であり、駅名標には「江戸風情と湯けむりの里」と書かれている。確かに見るからに趣がある。

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駅の周辺は意外とにぎやかに乗降客がいる。ホームは上下線で互い違いに配置されている(対向列車の手前側に位置している)。簡易委託駅ということで、駅の業務は下郷町観光協会に委託しているということで和やかな感じを受ける。

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珍しい駅なので興味深くいろいろ覗いてみるうちに、駅の売店の人が遠い親戚だということで話しが弾んで、お互いに挨拶をすることになる。何と世間は狭いものである。

駅舎は上りホーム(会津田島駅方面)側にあり、下りホーム(会津若松駅方面行き)とは構内踏み切りで結ばれている。

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駅舎には囲炉裏があり、冬季には火がつけられ温まることが出来るということであるが昨今の暑さでは、話だけで汗が出てくるようである。

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また、売店では地元のお菓子やコーヒーが売られている。列車が来る時間なのかバスで大勢の学生が下りて来た。珍しい駅舎をあとにして線路を渡り国道に出たが、こちらからの駅舎の景色もまた情緒があっていいものである。閉塞感のある日本経済であるが、地方各地ではそれぞれの村おこしで、知恵を出し合っている姿が見て取れる。

塔のへつり  南会津を歩く

慶事があり会津に行くことになった。早朝東北自動車道を北に向かったが早起きは三文の得で大きな渋滞もなくスムーズにはしることが出来た。

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            駅の入り口

せっかくだからと、途中下車をして「塔のへつり」を覗いてみることにした。白河インターを下りて289号線を下郷町にむかい、甲子高原の長いトンネルを抜け、会津鉄道の「塔のへつり駅」を過ぎて近くの駐車場から歩いた。

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            ホームへの道

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             駅舎

塔のへつり駅は会津鉄道会津線の駅で作りは変っている。木戸を思わせる駅名の下をくぐり雑木林を歩くと駅の建物が見えてくる。

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             ホーム

単式ホームで一面一線の無人駅で無人の駅舎が右側に見えてくる。下り方向に向かって左側にホームがあり、ホームの会津若松よりに出入り口がある。ホームには大きなこけしがぽつんと立っている。

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                   塔のへつり      

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               マムシ酒

駅から2~3分歩くと国指定天然記念物の塔のへつりが見えてくる。「へつり」とはこの地方の方言で川にせまった崖や急斜面のことを指す。漢字で書くと「山かんむりに弗」と書く難しい字である。

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         藤見橋 屏風岩 烏帽子岩 護摩塔岩 土俵岩(手前)

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                  九輪塔岩

塔のへつりは、福島県会津地方の南会津東部を流れる大川が形成する渓谷で、大川ラインにある。1943年(昭和18年)、河食地形の特異例として国の天然記念物に指定されている。

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                   スズメバチの巣

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            大川に映る雲

一帯は第三系凝灰岩、凝灰角暦礫岩、頁岩などが互い違いになっており、その軟岩部が長年の歳月による侵食と風化の作用によって形成された柱状の断崖である。

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            櫓塔岩 獅子塔岩 鷹塔岩

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大規模な奇岩が整列している。主なものには屏風岩、烏帽子岩、護摩塔岩、九輪塔岩、櫓塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩などがある。

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川に向かって下りていくとビンに入ったマムシ酒が売られている。まだ生きているへびが鎌首を持ち上げているので、とてもではないが飲む気にはなれない。

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つり橋を渡って川沿いの奇岩を巡ることが出来る。朝が早いので川面にきれいに影が映り青い空と雲が映える。つり橋は数人で渡ってもけっこうゆれるので足元に気をつける必要がある。2010_09_04__9013

                  虚空蔵尊

急な石段を登ると小さな祠があり中に入ることが出来る。近くの高台から眺める一帯の景色は、紅葉のころであればさぞかしきれいだろうと思う光景である。

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緑に覆われた一帯の樹木を眺め、ローカルな会津線に列車が来ないかなと思いながら踏切でのいったん停止をして一路会津へと向かう。一時間に一本の列車が走り、何百年の歴史の中で刻まれた奇岩を眺め、時間の大切さを思い、健康でそれを実感できることのありがたさに感謝する。

ナイトクルーズ  横浜港大さん橋から

夕暮れの散歩を終え、おなかも空いてきたので予定のディナークルーズの大さん橋へ向かう。学生の頃に来た大桟橋のイメージとはまったく違う景色になっている。聞くところによると2002年12月にグランドオープンしたということである。

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            多目的ロビー

明治27年(1894)以来という長い歴史を持った「横浜大さん橋」が国内最大級の大型船発着所として生まれ変わった。3万トンクラスの大型客船が同時に4隻、クイーンエリザベスⅡクラス(7万トン級)の超大型船も同時に2隻着岸可能という日本最大級の客船ターミナルなのである。

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              ロイヤルウイング

とにかく大きい、24時間無料で開放されている屋上広場はウッドデッキと芝生が波打つような独特のデザインで作られている。足に優しいウッドデッキは歩きやすく海風とともに心地良い。

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           ランドマークとみなとみらい

屋上のデッキからは、赤レンガパーク、みなとみらい地区のランドマークタワーや観覧車、横浜ベイブリッジ、山下公園、かつてのスター氷川丸、マリンタワーなど横浜港を360度一望できる。

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            マリンタワー

天気の良いのと夏休みということもあってディナークルーズは出発30分前には長い行列が出来た。時間になるとそれぞれの食卓へ案内されゆっくりとすわることが出来た。

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              横浜ベイブリッジ

船は総トン数2,876トン、全長86.7m、全幅13.4m、旅客定員 630人でかなり大きい。ランチクルーズ、ティークルーズ、ディナークルーズとあり最終の19:40~21:30のコースにしたので夜景が楽しみである。

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クラシック音楽の生演奏のなか、広東料理のバイキングスタイルで好きなものを食べることが出来る。食事のあとはデッキに出てハーバービューの360度の横浜の夜景を二人でゆっくりと楽しんだ。

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横浜港を一回りして横浜ベイブリッジの下をくぐり東京湾に出る。みなとみらいの夜景をみながら、本牧埠頭を回ると遠く鶴見の方角に花火が打ち上げられているのが見えた。

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横浜港の夜景と花火を見ることが出来てなんだか得をしたような気分になった。ほろ酔い気分と360度の夜景、潮風の中にカモメが飛んでいる。

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           観覧車とランドマーク パシフィックホテル

のんびりすごした横浜の一夜を楽しむことが出来たこととこの場面をセッティングしてくれた息子たちに感謝しながら、この次はクイーンエリザベスⅡを夢見て夜の横浜をあとにした。

横浜公園  夕暮れの横浜港を歩く

連日の猛暑で気象台の観測が始まって以来の記録だと言われている。真夏日が113日だとか。それにしても今年の暑さは例年とは違う。明らかに地球温暖化がすすんでいると言える。

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           横浜市開港記念会館

息子がやっと結婚の決意を固めてその準備をしているので、最近は今までより頻繁に会うことが多い。心境の変化かお相手の影響か、横浜港のレストラン船のチケットをプレゼントしてくれたのでありがたく頂き、海を眺めながら暑さを吹き飛ばそうと横浜に出かけた。

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            旧県庁

最近の横浜は、みなとみらい線が出来て横浜港へのアクセスが便利になった。日本大通駅を出ると県庁や横浜市開港記念会館の歴史のある建物の前にでる。

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           赤レンガ倉庫

この建物は説明によると『横浜市開港記念会館は開港50周年を記念して、大正3年(1914)9月に着工され、大正6年7月1日の開港記念日に「開港記念横浜会館」として会館しました。・・・・・・』とある。大正12年の関東大震災では一部が焼失したが復旧工事を行い創建時の姿に復元されている。

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           大桟橋入り口の雑貨や

雰囲気のある夕暮れの港は人が多い。赤レンガパークから横浜大桟橋へとのんびりと港風景を楽しむ。みなとみらいの高層ビルの夜景が日が落ちるにしたがってきれいに映えてくる。

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           大桟橋からみなとみらい

海に突き出た「象の鼻」からの夜景は、観覧車の点滅する光とヨットの帆の形をしたホテルのライトアップが水面に落ちる光の影とともにきれいだ。

象の鼻とは『1859年(安政6年)東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の2本の突堤が幕府によって建設され、横浜港が開港した。

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            象の鼻からみなとみらい

1867年(慶応3年)東波止場が弓なりに湾曲した形に築造され、その形状から象の鼻と呼ばれるようになる。

1896年(明治29年)イギリス人技師パーマーの設計により東波止場の先端に大桟橋が築造され、西波止場の背面が埋め立てられる。

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           象の鼻からみなとみらい

1923年(大正12年)関東大震災により被災。その後、象の鼻波止場(東波止場)は直線に近い形状で復旧する。2009年(平成21年)横浜開港150周年を記念して、象の鼻波止場が明治中期頃の形状に復元され、「象の鼻パーク」として開園した。』と説明されている。

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           県庁方面のライトアップ

海のない県に生まれたこともあり、海の見える風景が好きだ。潮の匂いと白い波しぶき、この海が遠く外国にまで繋がっていると連想するだけで異国の風景を思いわくわくする。のんびりと歩く横浜港の夕暮れは、日ごろのストレスを一気に解消してくれる清涼剤のように感じる。

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