秋の気配 多摩丘陵を歩く
長く暑い夏が終わったかと思うと、朝晩の涼しさは9月の終わりの季節を通り越している。一気に晩秋の感じすらする。毎日うだるような暑さの中で過ごした日々はどこに行ってしまったのだろう。
朝日のよこやまの道
朝日の樹木の影
朝の日の出がずいぶんと南の方に下がってきている。いつも真上にある太陽が低い位置にある。朝日の照らす木の影が長く伸びるようになってきた。
初冠雪の富士(中央)
富士山では初冠雪があったという。平年より6日早く、昨年より12日早いらしい。暑さはかなり遅くまで残ったが、寒さはいきなりやってきているようである。植物の対応も遅れているようで、仲秋の名月にススキの穂が間に合わないという話もある。
夜明けのお月さま
今朝の空を見ると、秋の高い空の雲の隣に満月を少し過ぎた夜明けのお月さまが青い空に白く浮かんでいる。遠くかすんではいるが初冠雪の富士山も肉眼で確認できる。これからは雪をかぶった富士山の姿がきれいに見えるようになる。
ヒガンバナ
早朝に歩く山道の周りにはコスモスの花が咲き、川べりにはヒガンバナが咲き始めている。今年はヒガンバナの開花は一般的に遅いといわれている。これも天候のせいだろうか。
田んぼの稲も実りの時期になり、鈴なりの穂を黄金色にして頭を垂れている。鳥たちに食べられないように懐かしいかかしが見張り役として田んぼの畦に立っている。雨、風、鳥などの被害にあわないうちに早く刈り取りになり、新米になることを祈る。
豊作の田んぼ
稲を守る案山子
秋はいろいろな意味で収穫の季節である。稲とともに畑のナスも見事に実をつけている。”秋ナスは嫁に食わすな”と昔から言われているが、秋の末ごろのナスは味が良いといわれているところからきているようである。
秋ナス
どういう意味かと言うと、一般的には秋ナスはうまいので、姑が嫁に食べさせたがらないということ、また、食べると体を冷やすからとか、秋ナスは種が少ないので、嫁に子供ができないといけないからとも言われている。
ムラサキシキブ
どれが真実かはわからないが、当時の世相を考えてみると、どうも最初の理由のような気がする。後の二つはこじつけのような気がする。それだけその頃はナスというものが食べ物として大切なものだったのだと思う。
アサギマダラ
秋が来るとすべての生物は冬支度をする、厳しい冬を越すために南に渡るもの、葉の裏で春を待つもの、雪の下でじっと耐えるもの、いろいろであるが人間もしかりである。
我が国の経済はいつ明るさが見えるのか、じっと耐えている国民にいつ春が訪れるのだろうか。失われた10年と言われて久しい、もう20年になろうとしている。勢いのある発展途上国に押されて影が薄れていく日本、日が出る国日本を再現したいものである。
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