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2010年10月

いつもの鳥たち  多摩川を下流へ

土手沿いを川に沿って歩く。今朝は寒いせいか河原にはあまり人影は少ないが、堤防の上にはジョギングの人たちやウォーキングのカップルなどを見かける。

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            ハクセキレイ

静かな水面に首を突っ込んで餌を食べているカルガモたちの中に、アオアシシギと思われる個体がゆっくりと歩いている。「チョチョチョオー」という口笛のような澄んだ鳴き声を立てながら飛ぶ。

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          アオアシシギとハクセキレイ

アオアシシギの周りを二匹のハクセキレイが飛び回ってはまた戻ってくる。あのふざけ方はたぶんペアーなのか、それとも求愛をしているのか楽しそうである。

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             アオアシシギ

ハクセキレイは全長21cm、顔全体に白く見え黒い過眼線が目立つ、チチン、チチンと澄んだこえで鳴き、最近は繁殖力が旺盛でどこにでも集団でいる。

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             ハキセキレイのカップル

しばらくぶらぶらと歩いていると、チチチー、チチチーとカワセミの鳴き声が聞こえる。良く見ると中洲の小枝に青い羽根を見せて止まっている。

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            カワセミ

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           収穫なし

しばらく、水中に飛び込んで捕食をしていたが下流の方に飛んで行ってしまった。結構色のはっきりとしたきれいな翡翠である。

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            カワセミ ♀

その先にはキセキレイが尻尾を振りながら水辺を歩き、川の流れの中をうまく石伝いに飛び回っている。ハクセキレイはどこにでもいるが、キセキレイはあまり見かけないし黄色がきれいなので好きな野鳥である。

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             キセキレイ

2010_10_24__1714_edited1               よいしょっと

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京王電車の鉄橋の下の多摩川の堰にはイソシギが石の上に、その先ではアオサギが堰から流れ出る急流で魚を待ってじっと見据えている。

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             イソシギ

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             カワラヒワ

ここ多摩川は自然の宝庫であり、いろいろな野鳥も飛来し、たくさんの植物もある。雨で増水するたびに川の流れが変わり、中洲に渡ることができたり、河原を歩くことができたり、野鳥たちのねぐらになったりと自然の変化はあるが大事にしたい環境である。

こさぎ  多摩川を歩く

朝晩はめっきりと寒くなり、河原での鳥見も防寒具が必要になってきた。もう手袋がないと指先の感覚がなくなってくる。

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              トビ

先日の大雨で、多摩川の川の真ん中に大きな木が根こそぎ流れてきて横たわっている。そこが恰好の鳥たちの遊び場になっている。ムクドリやハクセキレイが集団で飛び回っている。

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            ムクドリ

近くの浅瀬ではこさぎが休んだり、採餌をしたりしている。そこにいきなりさぎの仲間が飛び込んできたりと早朝の河原はにぎやかである。

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             シラサギの群れ

こさぎは全長61cm、白鷺の仲間ではいちばん小さい、あしゆびが黄色く、嘴は長めで一年中黒い、水田、池、川、河口など水辺で白いサギを見つけたらたいていこのこさぎである。特徴はあしゆびが黄色いことで見分けがつく。

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魚やカエルを待ち伏せたり、追いかけたり、あしゆびを水中でふるわせたりして隠れている魚などを追い出して捕食をする。

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その姿は見ていると結構おもしろい。そろりそろりと歩いているように見え、すばやく魚を捕らえる。

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            見事にゲット

水辺の近くに三脚を立てていると、多摩川にはたくさんの魚がいるのがわかる。目の前で大きい鯉が飛び跳ねるかと思えば、澄んだ水の中には小さな魚の群れが見える。

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            あしゆびの黄色がコサギ

また、水草ががさがさと動くと思えばその近くには大きな魚が泳ぎまわっている。河川敷の芝生が水につかるぐらいに増水したときは、この魚たちはどうしているのだろうと考えてしまう。

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今日は、のんびりと多摩川の下流の方に歩いてみようと思う。河原にはセイタカアワダチソウが黄色の花をつけているが、これも枯れるころには冬鳥たちの餌になる。

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            黄色の花がセイタカアワダチソウ

足元にはアメリカセンダングサが花を終え実になり始めて、それがズボンやシャツなどにつく。ついたものを取り、地面に捨てるとそれがまた来年芽をだしてくるのである。人が植物の種を移動させていく。自然の摂理でそれぞれの生物が子孫を残そうと越冬の準備を始める季節になってきた。

最後のコスモス 多摩川河川敷を歩く

10月に入っても半そでで歩ける陽気の午後、多摩川の河川敷を上流のほうに歩いてみた。

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           多摩川を渡る京王電車

天気がいいので河川敷の公園では、ソフトボールをやる大人たち、水辺でバーベキューをやっているグループ、テニスに興じる若者たち、芝生でごろごろしている家族連れなどでにぎわっている。

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           走り回る犬

公園の中央にあるコスモス畑は、もう最盛期を過ぎて花びらが散り始め、実を結び始めているがまだきれいに見える。

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           四谷大橋遠景

秋風に花びらを揺らせながら最後の演出をしている感じである。近くのおばさんたちがまだきれいに咲いている花を摘んでいる。来週にはコスモスの花は全部茎ごと抜いてしまうらしい。

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ここでは、毎年10月10日にコスモス祭りをやるとのこと、「その頃が一番きれいですよ」、と教えてくれた。赤、ピンク、黄色、白と数種類の花が咲き乱れる姿はさぞかしきれいだろうと思う。

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           実を結び始めたコスモス

「良かったら花を摘んで帰ってください」、と親切である。河べりの土手にはすすきの穂が風になびき、青く澄んだ空に秋を感じさせる。

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            四谷大橋とススキ

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青い空にミサゴが飛び、時折ホバリングをしながら川面に向かって突っ込んでいるが収穫はなさそうである。

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           ミサゴのホバリング

今年はミサゴが多いと聞いているが、目の前で頑張っている。日本では留鳥として全国に分布している。全長は54~64cmで翼開帳150~180cmと大きい。体重は1.2kg~2kg。雌雄同色で背中と翼の上面は黒褐色、腹部と翼の下面は白色で、顔も白く、眼を通って首に達する太い黒褐色の線が走る。

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           ミサゴ

鷹などと区別できる特徴は足にある。魚を主な餌としているので掴みやすいようになっている。これはミサゴだけの特徴で足を見ればよく分かる。

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食性は肉食性で主に魚類が多いが、爬虫類、鳥類、貝類なども食べる。獲物を見つけるとすばやく翼を羽ばたかせてホバリングを行い獲物めがけて急降下し、水面近くで脚を伸ばし両足で獲物を捕らえる。

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ミサゴの傍らには、コサギが採餌中である。いわゆる白鷺といわれるもので、コサギ、チュウサギ、ダイサギがあり、コサギの特徴は足の指が黄色いことと、夏羽では頭に2本の長い冠羽が現れることである。

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               コサギ

餌は、魚類、カエル、ザリガニなどであるが、獲物を捕らえるときはそろりそろりと歩いて、足でつつくようなしぐさをして、物かげから獲物を追い出して捕らえる。天気がいいのでコサギの全身の白い羽毛がまぶしく映る。

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暑い夏から一気に涼しくなって迎えた今年の秋、確実に地球の気候の変化は起きている。花の季節が終わり実をつけ始めた最後のコスモスを眺めながら、チャールズ・ダーウインの [種の起源」 「適者生存」を思い出した。「生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知的なものでもない。最も変化に適応できる種が生き残るのだ。」

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            ツマグロヒョウモン

グローバル社会が進む中でで続く円高、人も企業も税金の安い国、住みやすい国へと動く。党利党略で国民を忘れた政党と国は生き残れるのだろうか。坂本竜馬伝で「死を覚悟して行動しなければ日本は変らない」といっている。変化に対応できない国は生き残れないかも知れない。

我は海の子  ブルーボトルの芋焼酎

出張での仕事が終わった後、空を見上げるときれいな満月が道路を照らす。新幹線で家にたどり着くことの出来る時間まで、駅前の居酒屋で一杯飲むことにした。

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一関駅の近くに雰囲気の良い蔵風の作りの居酒屋さんがある。店主のこだわりで厳選された酒が置いてある。くら(泡盛)、いいちこ(麦)、不知火(麦)、そしてコバルトブルーのボトルの”我は海の子”など。

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ドアを開けて入ると、蔵の中にカウンターがある感じでなかなか情緒がある。昔作りの急な階段を上る。独特の手すりにつかまらないと結構危ないが、二階はむき出しの梁の下で大人数の宴会が出来る広間がある。

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冷たい生ビールで喉を潤した後、我は海の子をロックで嗜む。見事なブルーのボトルに青いラベル、江戸切りこのタンブラーに氷を入れてゆっくりとまわしながら喉に流し込む。

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               我は海の子

芋焼酎ではあるが、あまり芋を感じさせない柔らかな香りとさわやかな甘さが心地よい。さっぱりとした味わいなのでロックか、ストレートが美味しい。

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この酒の特徴は、海洋酵母と海洋深層水ということで、ボトルの色が正にそれを表現している。海洋深層水は、水深200m以上の深海を回遊している海水で、ミネラル分を豊富に含んでおり、健康ブームの最近では話題の水である。

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最近の焼酎はクセがなく口当たりの良い、飲みやすい酒が多くなっているので、焼酎は芋か泡盛のようにいかにも焼酎という感じのほうが本来はうまい。

これは芋とは謳っているが従来の芋の感じとは違ってさわやかな感じのする芋焼酎であり、クセになりそうな酒である。製造元は薩摩酒造(株)で、あのさつま白波の蔵元である。

飲み物もいいが、つまみもまたお勧め。お通しの木綿豆腐にみようがの炒めもの、これがまたこの酒を引き立てる。酒に劣らずこだわっているのはここのメニューである。一押しは、”山田納豆ばっと”、山田さんという人が作ったという岩手の名物”ひっつみ”などに入れるすいとんの材料を納豆とあえたものであるが、これがまた美味しい。ちなみに「ばっと」とは、方言でこのすいとんの材料のことを言うらしい。

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ざっと、メニューを見てみると豆腐系7種、納豆系6種、卵系3種、ジャガイモ系4種、どれをとっても店主のこだわりで健康志向お客様主義でありがたいことである。

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               一関駅のカエル

「♪ われは海の子 白波の・・・・・♪」の歌を思い出す、海からの贈り物と地元岩手の創作つまみに酔いしれ、テーブル上の数本の青い空ボトルの蔵に後ろ髪を引かれながら、はやてのいすに身を沈め一関を後にした。

宮ヶ瀬湖    シーズン前の賑わい

神奈川の水源地宮ヶ瀬湖に行く。紅葉にはまだ早いのでシーズン前の静けさを期待して出かけたが、予想に反して家族連れでにぎわっていた。

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            宮ヶ瀬湖

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                          宮ヶ瀬ダム

駐車場にはスムーズに入ることが出来たが、何と駐車場内はあのイギリスの車モーリスミニクーパーでいっぱいではないか。聞いて見ると同好の士の会合があるらしい。この車は、横置きエンジンの前輪駆動車、トランクは独立型でなかなか味のある車である。

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           どこもミニクーパー

何だかんだといっても200台ぐらいはあっただろうか、バーベキューをやったり、それぞれの車自慢をしているのだろう、ボンネットを開けたりにぎやかに楽しんでいる。

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    黄色になり始めたいちょうと水の郷大つり橋

水の郷商店街から宮ヶ瀬湖を見下ろすと広い芝生と大きなもみの木が中央に聳え立っている。これはもう少しするとクリスマスイルミネーションできれいに飾られる。

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        昔懐かしいボンカレー、オロナミンCなどのレトロCM

以前に来たときは、ここから見下ろす眼下には一面のコスモス畑が広がっていたのであるが、今ではコスモスはごく一部の庭園に少し咲いているだけである。

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           水の郷 大つり橋

年末のイルミネーションの時季には光のトンネルができる、140段のステージ階段を下りて広い芝生を横切り、水の郷大吊り橋を見上げながら湖畔へと歩く。水源だけあって湖の水の色はきれいな青い色をしている。

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                下から見上げるつり橋

つり橋の下に遊覧船がある、切符売りのおじさんに聞いてみるとすぐに出るというので急いで乗り込む。30分で宮ヶ瀬湖を一周する、定員80名に対して30名ぐらいなのでゆったりと坐れ周りの眺望も愉しむことが出来る。

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湖畔には「宮ヶ瀬湖憲章」なるものがあり次のように書いてある。

●清らかな宮ヶ瀬湖の水を、みんなで大切にしよう

●美しい宮ヶ瀬湖周辺を、みんなで守ろう

●宮ヶ瀬湖周辺の自然を、みんなで育て利用しよう

●宮ヶ瀬湖の意義・歴史を忘れず、みんなで後世に伝えよう

というもので、平成10年4月29日に制定されている。一文一句にこれが出来た経緯や意義が多く含まれているような文章である。群馬県の八ツ場ダムの問題が解決されていないが、同じような問題をクリアーして今のこの景観があるのだろうと思う。

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              宮ヶ瀬 虹の大橋

湖岸の木々の間にミサゴを発見、船の音に飛び立ち湖面上を一周してまたもとの木に止まった。レンズの交換をする間もないので280mmで追いかけてみた。

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                              ミサゴ

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              かわう

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             蒼サギ

湖上の浮島にはカワウ、アオサギ、カルガモなどが日向ぼっこをしている。宮ヶ瀬虹の大橋を眺めながら、少し色づき始めた山々を見ていると、後半月もしたらさぞかしきれいなパノラマが広がるのだろうときれいな紅葉を想像しながら船を下りた。

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             蕎麦処 山登

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              皿そば 

帰り際に、水の郷商店街においしそうな蕎麦屋があったので休んでいくことにした。皿そばといって5枚の皿に蕎麦が盛られている。普通は竹で編んだざるが多い、薬味が数種類あり、歯あたりがよく美味しいそばであった。やはり日本人には日本そばが一番口に合うと思った瞬間であった。これからは新そばの季節、楽しみが続くこのごろである。

いつもの鳥たち  いつもの公園

早朝ウォーキングにはいい季節になってきた。今までは短パンにTシャツでも汗びっしょりになっていたが、長袖シャツとスポーツウェアーで歩けるようになった。

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               コゲラ

そろそろ、渡りの鳥たちが骨休めをする森を歩いてみることにする。公園には早朝から犬を連れた人たちが多い。犬は毎日散歩をさせないといけないと聞いているが、させるほうは大変だと思う。

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              シジュウカラ

毎日天気のいい日ばかりではないだろうから、雨、嵐が続いたときは家の中で運動をさせるのでしょうか。物事すべてにあまり好き嫌いはないほうであるが、どちらかというと犬、ネコは少し苦手である。

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すべて子供のころの経験がそうさせているのだが。犬については、今のように座敷犬みたいなものは少なく、ほとんどの家では番犬として大型の犬を飼っていた。その犬が家の縁側の下に横になっていることが多く、それを知らないで近づくといきなり吠えかかるのである。

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               ヤマガラ

もちろん番犬であるから綱で結んであるところは少なく、結んであったとしても長い綱で結んである。子供であるから犬が以外に大きく見えた、もちろん子供だから逃げるのだけれど、犬は多分面白がってだろうがそれを追いかけてくる。

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相手は遊び半分でもこちらは真剣、そのときの恐怖心が犬嫌いにさせている。犬に対するトラウマが抜け切れないのである。幸い、私は家にいるより外に出るほうが好きなので、留守にすることが多くそういう意味では良かったのだろう。

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              キビタキ ♀

因みにかみさんは犬が大好きであり、いつも言っているのは「あなたがいなくなったら犬を飼うんだ」 と口癖のように言っている。だから長生きをしようと頑張っているのは意地悪でしょうか。

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             シジュウカラ

朝の日の光があたりだした公園の木々には野鳥たちがたくさん集まってくる。いつものシジュウカラ、ヤマガラなど、朝の採餌なのか集団でにぎやかに渡り歩いている。

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             ヤマガラ

その中に突然アオゲラの姿、これも傍若無人(無鳥)に木の穴に頭をつっこんでいる。アングルは悪いが姿はよく見える。

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               アオゲラ

しばらくゆっくりと眺めていると、にぎやかな鳴き声はガビチョウである。相変わらず低木を渡り大きな声で鳴いている。鳴き声は悪くはないがいささか声が多き過ぎる、これが篭脱け鳥になった原因の一つなんだろうと思う。

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最近のドラマで「獣医も商売なんです」 というフレーズを聞いた。最近のペットブームで、さぞかし商売繁盛なのだろうと思う。街の中でも赤ちゃんを連れて歩いている人よりも、犬を連れているほうが多いような気がする。

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             キビタキ ♀

多分育てる経費は人間と同じぐらいかかるのだろう、景気浮揚の一助にはなるのだろうが日本国の将来を託すことは出来ない。

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            キビタキ ♀

新政権はスタートしたが「民主不況」なることも言われるようになった。原因は「民主不協」、ねじれ・・・・、とかいろいろ言われているが民間企業では当たり前のことである、それをまとめていくのがリーダーなのである。世の中のスピードはドッグイヤーといわれているが、スピードをあげて景気浮揚策、成長戦略を実行して欲しいものである。

夕焼け空  ゆうひの丘を歩く

 秋の空は、空気が澄み空高く筆で流したような雲と共に夕焼けが美しい。昼間の長かった夏から日没が早くなってゆく冬への移り変わりである。夢中で鳥を追いかけているといつの間にかあたりが暗くなってくる。

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夕焼けの時間は比較的短い、明るい昼間の時間から夜のやってくるつかの間の美しい光景である。ここ多摩丘陵にはところどころに夕日がきれいに見えるスポットがある。

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ゆうひの丘は桜ヶ丘公園にあり、多摩市から府中市遠く新宿の超高層ビル群、西のほうは丹沢山塊、奥多摩の山々が一望できる小高い丘になっており、格好のデートスポットになっている。

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子供のころは「夕焼けの翌日は天気がいい」 といわれ、また、夕焼け空になってくると子供たちは家に帰る時間だといわれて育った。今でも、多摩市の各地域にある防災などの連絡用の拡声器では「夕焼け小焼け」 のメロディーが流れ子供たちの帰宅の合図になっている。

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夕焼けの時報が流れると、子供の頃に友達と外で遅くまで夢中になって遊んでいて、家に帰るときにきれいな夕焼けを見たことを思い出す。

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また、夕焼けの話しでは、「夕焼け小焼け」 の発祥の地は近くの八王子にある。日本の代表的な叙情歌であるが1919年(大正8年)に発表された中村雨紅作詞、草川信の作曲によるものである。

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             夕焼け小焼けの石碑

彼の生家の近くには「夕焼け小焼けふれあいの里」があり、「夕焼け小焼けの」 の石碑が建っている。多摩に住んでみて身近なところにあることにノスタルジーを感じるこのごろである。

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この歌の情景としては、「カラスと一緒に帰りましょう」 と美しくちょっぴりさびしげな、きれいな秋の空にカラスが飛んでいる黒いシルエットを思い浮かべるが、現実をみて見ると、都会に棲みつき知恵を使う今のカラスにはこんな叙情は見られないような気がする。

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自然環境の保護運動とその意識が広まる中で、夕焼け空を眺めながら昔のギャグを思い出す。「俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さんが胸やけで、母さんが霜やけだった。・・・・・・」 というのがあった。懐かしい情景である。

キビタキ   渡りの途中の出会い

夏の間は重い機材を担いで奥多摩の都民の森まで出かけてシャッターチャンスをねらったキビタキが、近くの公園に来ていると聞いたので昼頃に行ってみた。

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              キビタキ ♂

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水場にはすでに5~6人のカメラマンが大きなレンズを向けている。話を聞くとメスは良く来るが雄はなかなか姿を見せないとのことである。

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そんなわけで、メスが来てもよっぽどよいアングルでない限り誰もシャッターを押さない。可愛そうなメスである。この辺は人間の世界との違いである。

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               キビタキ ♀

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三脚を立てレンズを設置してカメラをセットしてイスに坐ったとたんにキビタキの雄が目の前に横たわる枝に止まってくれたので、ラッキーとばかりにしばらく連写。

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長らくお待たせしましたといわんばかりに長い間ポーズをとってくれた。となりの人がいうには「私は二時間も待っているんです」といいながら、これもまた連写である。

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キビタキはスズメ目ヒタキ科ヒタキ亜科に分類され、日本では夏鳥として全国の山間部で普通に見られる。

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全長13~14cmで雄は頭部から背面にかけて黒く、眉斑、腹部と腰は黄色で翼に白い斑がある。喉は鮮やかな橙黄色であり、鳴き声はきれいな声で鳴く。

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雌は上面は褐色で、腹部は褐色がかった白色であまり目立たない。また、幼鳥の雄も雌に良く似ているので幼鳥の性別判断は難しいといわれている。

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いつもは、山地の明るい雑木林に住んで、昆虫類、節足動物等を捕食するが時々空中捕食や地上採食もする。とにかく黒い羽と黄色の胸がきれいな野鳥である。

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             キビタキ ♀ 水浴

つい最近までは、苦労して山の中に行かないと見られない鳥が、イスに坐りながら見られるということはありがたいことと感謝しながら、さらにもう少しよいアングルのところに行ってくれないかと欲を出してしまう。

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それにしてもセッティングすぐさま撮影できたので一安心で、次のタイミングまで余裕を持って待つことが出来る。次の渡りの鳥たちにもと期待を膨らませているところである。

つかの間の鳥見   いつもの公園

最近は鳥の動きが違うようだといわれているが、特に今年はいろいろな鳥が珍しいところにあらわれているようなので楽しみである。

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               キビタキ ♀

夕方時間が空いたので珍しいものを期待しながら、いつもの公園を歩く。紅葉にはまだ早いが鳥たちの鳴き声は元気良く聞こえる。相思鳥の声も聞こえるのでそろそろこの森にも入ってきているようである。

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木製のベンチに坐っていると、昨夜からの夜露が木にしみこんでいるのか、お尻が冷たくなってくる。熟し始めた木の実を食べに小鳥たちがやってきている。まだ緑の葉が多いのでなかなかうまい具合に姿を捉えられない。

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               ヤマガラ

シジュウカラ、ヤマガラの群れが木の皮をつついたり、木に生えている苔を取ったりしている。結構忙しく動くのでじっくりと観察する。

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              ヤマガラ

公園を一回りして水場でしばらく待つことにする。石のベンチに腰を下ろして待っている間に頻繁に来るのは鳥ではなくやぶ蚊である。皮膚の出ているところはところかまわず攻めてくる。コレステロールの多い血は美味しいのかすぐに大きく腫れ上がる。

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              キビタキ ♀

 蚊に刺されたときは一番効果があるのはムヒ、私はこれが一番効くと思っている。本当は蚊に刺されないように事前に予防することが大事なのである。

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               キジバト

仕事でもそうであるが、危険予知や予想される課題は事前に手を打つ必要がある。この場合は、蚊取り線香を持つとか防虫スプレーを用意することになると思うが、自然愛好家としてはそういうことには今一つ乗り切れないのである。

美味しい酒「いのち」 会津の酒を愉しむ

先日、息子が誕生日のお祝いだといって酒を持ってきてくれた。会津に一緒に行ったとき、会津蔵の街を歩いて大和川酒造の蔵を覗いたことがある。

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              大和川酒造

たくさんのお酒は試飲が出来たが、この純米大吟醸「いのち」の試飲は一献400円なりの有料だった。せっかくここまで来たのだからと口にしてみた。口あたりが良く飲みやすい美味しい酒であった。

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他の地酒を手に入れていたので、そのときは残念ながら持ち帰らなかった。後日、「あれは美味しかったね」、と話にしていたらそれを届けてくれたので感激であった。

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                いのちの水

このお酒の「いのち物語」がまた感動を与えてくれる。「いのち」誕生の話である。

いのち物語によると、『「純米大吟醸いのち」の原料となる酒造好敵米は、熱塩加納村の山間から流れるきれいな水と地味肥えた水田に恵まれた水田で大事に栽培される。

 「命の観念が底にないと本物は出来ない。」当時、熱塩加納村農協の営業部長だった小林芳正氏は、米を作るとき、命をまず考えよといい続けてきたひとである。小林氏はこの理念を軸にして、安全で力強い有機米作りを広め、農薬や化学肥料によって生産を高める近代農業から決別した。米は人間にとって正に命で、安心して食べられるかどうか、正に農業は命の産業だと語る。

 初夏に苗を植えて天候を心配しながら夏の作業をし、秋を待ち、期待しながら稲を刈る。幾年もの間に自然界のいろいろな命が関わって稲の命は育ってきた。太陽の命、水の命、微生物の命、いろいろな命が複合的に絡み合いそして稲は実る。まして無農薬米となると人の手による除草といった労働が欠かせない、人の命も取り込む。

 さて、会津では田植えのころ、山の棚田から始まって盆地の中央に向かい、田んぼの中にだんだんと水が入っていく。田んぼの全域にたっぷりと水が広がると町に住む者は、はっきりと気温が低下するのが分かる。そしてまた田んぼの水は一面にキラキラ光って、会津が水の国だということが分かる。町や村は輝く水に浮かぶ島となる。五月の頃の美しい風景である。

 1980年代、日本酒の業界にも地酒、吟醸酒と少量で個性のある酒を求める風潮が広がりはじめた。大量に作るのではなく少量でも個性が光っている美味しい酒だ。

 その頃蔵元にも米からはじめよう、水からはじめようと思っていた男がいた。当時大和川酒造の専務だった佐藤芳伸である。本物の酒を造りたい。最高の米が欲しい。気合の入った百姓はいないのか。この時の小林氏との出会いは運命的であった。

 さて小林氏の指導のもと、各農家は心血を注いだ。また、小林氏は丹精こめた米がどんな酒になってくれるか気になって大和川の蔵に日参した。命がけの米である。ロクな酒にしたら承知しないぞという気迫をもって3年通った。米作りの生きがい、米作りのプライドだった。

 「純米大吟醸いのち」は小林氏が農民の命をかけて命名し、こだわりの酒として誕生したのだ。農民の熱き思いと杜氏の技、そして蔵元の心意気が見事に合体した酒なのである。』

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 このいのち物語は短い文章の中に、たくさんのいのちのためにたくさんのいのちを取り込んでいる。自然を相手にする仕事は人を相手にする仕事以上に苦労があることが良く分かる。

 ちなみに2010年は国連の定めた「国際生物多様性年」であり、名古屋でCOP10の会議が行われ世界から約190ヶ国、7,000人が集い地球環境の将来について議論が交わされている。この美味しい酒を飲みながら生物多様性とビジネスを考えてみたい。

布多天神社と大正寺  調布を歩くⅡ

天神社参道を歩いて新甲州街道20号線を渡ると正面に布多天神社の森が見える。その手前の右側参道沿いに大正寺というお寺がある。

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                   山門

大正寺は大正4年、上布田の栄法寺、小島の不動院、下布田の宝性寺の三つの寺院が合併して出来た真言宗系の寺院で寺号を開山時の年号にちなんで大正寺とした寺である。

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             山門より本堂を望む

ちょっと入りにくい寺であるが、良く見ると囲んだ塀の木戸のところに内部参拝希望の方はインターホンでご連絡くださいと書いてある。

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             本堂

入ってみると、あまり多くの人を入れないので踏み石は苔生し、鬱蒼とした樹木と深い竹林が丁寧に手入れがされていて、雨上がりの石を踏みながら歩くのは心引き締まる思いがする。

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                   供養塔

正面の本堂は、本尊大日如来を安置する。山門および本堂は文政10年(1827)の建築で、旧栄法寺より移築されたものである。この古い本堂と比べると、山門は真新しい色の建造物であり、これは平成二十年唐風に再建されているという。

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            御地蔵様

境内には三ヶ寺より移植された老樹銘木が生い茂り、静寂な空間が創りだされている。古い樹木の下には涅槃像をはじめ、庚・申・地蔵・供養塔など70余基の石仏が配置されていいてゆっくりと眺めながら歩く。

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                   涅槃像

境内に細長く広がる池の左端に調布七福神の一つ、恵比寿神を祀る祠がある。景観保護のためか近くには行くことは出来ないが、この恵比寿神は背中を向けて鎮座しているという。

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             恵比寿神

池の手前にある版木を木槌でたたいて、参拝者が来ていることを知らせてからお参りするといった仕掛けになっているらしい。中だけを歩いていると隣に甲州街道が走っているとは思えない静かさである。

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            布多天神社

山門の脇の木戸をくぐり、参道を布多天神に向かう。休日でもあり観光ツアーのお客様が多い。布多天神の創建はかなり古い。延長五年(927)に制定された「延喜式神名帳」に記載があるという多摩地方有数の古社で、社伝では第11代垂仁天皇の御代約1940年前の創建といわれている。

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            本殿

江戸時代、甲州街道が整備され、上石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿が出来、布田五宿と呼ばれ、当事、布多天神社は布田五宿の総鎮守であり、五宿天神と呼ばれて地域の信仰を集めていたところである。

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               調布市保存樹木 シラカシ 

その後、布田五宿は、明治二十二年に飛田給、上ヶ給と合併して調布町となって、調布町総鎮守となったといわれている。

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           本殿の隣の神社

本殿は宝永三年(1706)に再建されたものといわれているが、手前に一対の狛犬が建立されている。この狛犬は、布多天神社境内に開かれる市の繁栄と商売繁盛を祈願して、寛政八年(1796)に建立された市内で最も古い狛犬といわれている。現在でも毎月二十五日に市が開かれているらしい。

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                  狛犬

天神様というと菅原道真が合祀されているが、菅原道真と牛は必ずセットになっている。ここの牛も参拝者のご利益に役立っているようで牛の鼻から頭にかけてツルツルと光っている。私もあやかって、いまさらながらの学問成就と健康を祈願しながら鼻をなでる。

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              御神牛

境内は、赤ちゃんのお宮参り、ちょっと早い七五三などでにぎわっているが、幹が苔むした老樹木が創りだす静謐な凛とした空間は、常日頃殺伐としたビジネス空間に身をおいている自分にとっては一服の清涼感を与えてくれる心地良いところであった。

ゲゲゲの街  調布を歩く

最近は、祝日を月曜日に設定して連休になるようにとの国の配慮で三連休が多い。実にありがたいことであるが、10月の最初の三連休、初日は雨であった。例年体育の日は晴れることが多い。

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                 ゲゲゲストリート

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雨が上がったので、話題だった「ゲゲゲの女房」の調布に出かけることにした。調布の街はちょうどお祭りもあり、人出が多く賑わっている。

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                 ゲゲゲの鬼太郎

調布駅北口の駅前から旧甲州街道に出ると一本右側の通りが天神通りである。調布の古社である布多天神社の参道で「ゲゲゲの鬼太郎」のモニュメントが置いてあるという有名な商店街である。

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美味しそうなお店がたくさん並んでいて、人気のある店は行列を作っている。「ゲゲゲの鬼太郎」のモニュメントは7体の人形が通りのあちこちにある。

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                   塗り壁

天神通り商店街以外の商店街でも水木しげるのマンガのパネルが店頭に並べられている。鬼太郎のトレードマークの下駄がぶら下がったパネルがいたるところのお店の前に置かれ、地元の人は通り過ぎてゆくが、観光客と思しき人は足を止めて見入っている。

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                 ねこ娘 一反もめん

水木さんのマンガは私もよく読んだ方であるが、特異な世界を独特の感性で描く、「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」など世界の妖怪たちを畏怖と親しみをこめて表現している。

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             店頭のパネル展

大正11年(1920)に大阪府で三人兄弟の二男として生まれ、3歳まで言葉を発しなかったという。7歳で小学校に入学、自分の名前を「げげる」としか言えず「ゲゲ」と呼ばれるようになったと言われている。

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             ゲゲゲの鬼太郎おみくじ

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             ネズミ男

21歳で召集されラバウルの最前線に送られ、22歳のとき寝ているところに焼夷弾が落ち、左腕切断をして左腕を失い、死線をさまよったと言われている。このときに「塗り壁」と思われる妖怪に遭遇したとも言われている。

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こういった戦争体験を作品にして、戦争の恐ろしさ、悲惨さを漫画という形で数多く発表されている。テレビでは、見合いから挙式まで5日間というスピードで結婚したといわれる奥さんが主人公であるが、かなりのご苦労があったことは推察できる。

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水木さんのモットーは、「よく食べ、よく寝て、好きなことをすること」だという。極貧の時代にこれを支えてきた奥さんの苦労は計り知れない。そんな奥さんへのほめ言葉は「いつも隣にぼーっと立っていたな」 ということらしい。夫唱婦随の姿が思い浮かぶ。

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水木しげるさんは平成20年に調布の名誉市民になっておられるが、鳥取県の境港市が生まれ故郷である。ここにもたくさんの人が訪れ地域活性化になっていると聞く。私もいつの日かその生誕の地を訪れ、水木さんのパワーをいただきたいと思う。

旧城下町  一ノ関の街を歩く

仕事の関係で一関市にはたびたび行くことが多いが、ほとんどトンボ帰りが多い。長かった夏も終わり、朝の日の出は遅くなり歩くには涼しくしのぎやすくなってきた。

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                大槻三賢人

早朝に一関の街を歩いてみることにする。夜のネオンがついた街は知っているがすっぴんの街は知らないので興味がある。

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             これから冬鳥としてやってくる

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                 酒と肴が美味しい

夜の街と平行してにぎやかな通りがある。きれいに整備されレトロ調の街路灯が並び、間口を統一した昔の面影を残す商店街である。

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          間口三間半の店

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             時の太鼓シンボルタワー

大町の由来という説明がある。それによると『一関大町は、徳川時代の初期から宿場町として栄えてきたところです。その時代は仙台藩主・伊達政宗一門・留守正景が一関城主となり中心街を「大町」と名付け、以来、歴代の一関藩主田村氏に引き継がれ今日に至っております。

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                大町通り

大町は地主町と共に城や武家屋敷を守るため一戸あたりの間口は、三間半(6.3m)に区割りされて配置、道の中央には濠を流し奥州街道(大町通り)を行く諸大名や旅人にも多くの情緒を与え続けました。

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                朝の飲み屋

大町の戸数は寛文13年(1673)63戸、安永4年(1775)91戸、慶応4年(1868)3戸と着実に増え続けました。

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昭和22・23年(9147~8)の台風被害を克服し昭和55年(1980)から始まった都市計画にあわせ、商店街が団結し大町近代化事業が完成、名実共に一関の中心商店街として面目を一新しました。』とある。

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             先賢の路

一関市の名前の由来は、平安後期までの俘囚の長として奥州6郡を支配した安部氏が一の関、二の関、三の関と砦を築いた事によるといわれている。

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          沼田家武家住宅

中世では葛西氏が一関市周辺を含む胆沢、磐井一帯を支配し、一関城には家臣の小野寺道照が入った。その後、仙台の伊達領となり伊達政宗の十男宗勝が伊達藩から独立し一関藩三万石となった。

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               一関教会

その後、本家の伊達藩主の跡目相続問題から世にいう「伊達騒動」が勃発し、宗勝は首謀者の一人として改易され、岩沼から田村氏が三万石で入り明治維新まで続いた。

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          酒の民族文化博物館

駅を背にして磐井川に向かってきれいな歩道を歩く。歩道はインターロッキングといわれるコンクリートブロックの組み合わせで整備されている。歩道の両側には、先賢の路として郷土の先覚者8人のレリーフが自然石に刻まれている。

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          蔵元レストラン 世嬉の一

朝のすがすがしい空気を胸いっぱいに吸いながら、まだ人影の少ない町を歩いていると、小さな太鼓の櫓がある。「時の太鼓」である。

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             時の太鼓(ミニュチュア)

これについては、『江戸時代、全国の大名が領下に時刻を知らせるのは「時の鐘」をうつことと定められましたが、一関藩主・田村建顕公は幕府老中阿部正武の内意を得て太鼓を作り、貞亨三年(1686)から美しい余韻と共に藩内40ヶ村になり渡りました。

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                建部清庵像

城下に時を告げるために太鼓を用いるのは幕府と徳川御三家に限られていたので藩民は大いに誇りとし、道往く諸大名の羨望の的ともなりました。「一関に過ぎたるものは二つあり、時の太鼓に建部清庵」 と謳われ一関の雄渾な歴史の象徴として市内台町長昌寺に保存されています。』 と商店街組合の説明がある。

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            インターロッキング歩道

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               磐井川

磐井川の河原を走る学生たちの姿を見ながら、朝日の上り始めた一関の街並みを眺め、歴史の勉強と少子高齢化の進む地方での地域おこしの一端を覗かせてもらった。

天祖神社   大塚駅を歩く

仕事の拠点が大塚に移った。今まで日常の仕事ではほとんど下車する場所ではないのであまり地域を知らない。但し地名が「大塚」であるから何か歴史的にありそうな気がする。

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           下り 早稲田方面

興味を持ってしらべてみると、大塚の由来は、本来茗荷谷北方の大地の通称で、「大きな塚」があったことによるといわれている。しかし、その大塚についてはいろいろな説があるらしい。

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「塚」とは本来は「盛土した墓」のことで、この大塚は、古墳説、大田道灌の物見台説、水戸邸内の一里塚説などがあるというが、いずれにしてもその大塚は昭和初期に削土されたらしいので残っていないとのことである。

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                上り 三ノ輪橋方面

但し茗荷谷駅前の三井住友銀行の研修所内に「地名『大塚』発祥の地」なる碑があるといわれているがまだ確認はしていない。

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                天祖神社 大鳥居

また、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の主人公犬塚信乃戌田孝の故郷”大塚の里”はこの辺りを言うといわれている。

本来の大塚は文京区大塚で小石川大塚が本当らしい、JR大塚駅も駅名は大塚であるが住所は豊島区南大塚にある。そのいわれもいろいろあるようである。

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                 手水所

本来はこの大塚駅周辺は「巣鴨」、昔の巣鴨村であるとのことである。実際大塚駅前に巣鴨警察署がある。大塚駅のホーム下には都電荒川線の大塚駅前停留所があり、西側の線路に上り、三ノ輪橋方面、東側に下り、早稲田方面の電車が発着している。

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               本殿

路面電車は、エコカーとして最近世界的に注目されるようになってきたが、見ているだけでものんびりして心が和む風景である。子供のころはちんちん電車といっていたが線路を渡るときは必ず電車が止まってくれる。

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                 大銀杏

そういう観点から見ると大塚駅前には、こんもりとした緑のある天祖神社がある、南口を出ると目の前に鳥居が見える。いかにも昔の巣鴨村という感じを残している。

天祖神社は今からおよそ六百数十年前、元亨年間、当時武蔵国豊島郡の領主であり、豊島氏中興の祖といわれた景村のとき、巣鴨鎮護の神として祀られたといわれている。

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                  本殿

毎月七日、十七日、二十七日は縁日としてにぎわっていたらしいが、第二次大戦の終わりごろ昭和20年4月の大空襲により焼失し、その際境内にあった樹齢五百年を数えるご神木夫婦銀杏も戦火を被り、近年ようやく芽吹いて繁茂するようになり駅前に緑の森が目立つようになってきたそうである。

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               戦災にも負けない夫婦銀杏

最初は知らない街で不便だと思っていたが、住めば都で、最近は美味しいお酒を飲ませてくれる店なども開拓できるようになり、何か新しい発見がないかとそれなりに楽しんでいるこのごろである。

横手山ドライブイン 大パノラマ

丸池をあとに292号線をさらに上ると、木戸池を右に見て硫黄の匂いと共に温泉の水蒸気が吹き上がる平床大噴泉が見えてくる。いたるところから温泉の蒸気が吹き上がっている。

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          御飯岳方面

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              眼下の紅葉

紅葉が始まっている七曲を登ると、標高2、305mの横手山の頂上直下に横手山ドライブインがある。ここでも標高は2,172mである。

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眼下には志賀高原の大自然が広がり、遠く北アルプスや戸隠、飯縄などの北信五岳が眺められる。

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            笠ヶ岳

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目の前の御飯岳2,160mの周りは雲海で真っ白になっている。低気圧の接近か雲が重く垂れ下がってきている。

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           北アルプス方面

横手山ドライブインの展望台レストランに入ると、ガラススクリーンの向こう側に志賀高原の大自然の大パノラマが迫力を持って広がる。

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           白根山

食事をしながら雲の間に遠く北アルプスを眺めていると、ぼんやりとした雲間にシルエットとして、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳などが見える。

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手前の笠ヶ岳2,076mの右手向こうには、北信五岳の飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山などが見える。

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           白根山

ここは信州のサンセットポイントといわれているようで、写真ではきれいに北アルプスが見えている。たぶんこれからの季節は空が高くなるのできっといい大パノラマ、サンセットなどが見られるのだろうと思う。

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            ななかまどの紅葉

志賀草津ルートを白根火山のふもとを通って渋川インターチェンジに向かう。白根山から草津温泉への道はほとんど霧の中を走ることになった。途中視界が悪い中、硫黄の匂いだけが鼻を突き、温泉場を通っているのだということを教えてくれた。

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時間があれば草津温泉にでも入って帰りたかったが、思いつきでの志賀高原だったのできれいな紅葉を見ることが出来ただけで満足として関越自動車道を東京へと向かった。

一沼の紅葉  志賀高原を歩く

志賀高原へのアクセスは長野オリンピックが行われた関係で以前に比べたら格段と良くなっている。

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             一沼

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18回の冬季オリンピックは1998年2月に行われ、冬季五輪史上初の二桁の10個のメダルを獲得したところで日本選手の大活躍したところである。

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長野は冬季オリンピックとしては、今まで最も南に位置する都市で行われたといわれている。長野県では北のほうに位置しているが世界では最南端になる。

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上信越自動車道の信州中野インターチェンジを降りて、国道292号線オリンピック道路を志賀丸池を目指す。湯田中・渋温泉郷や上林温泉を左手に見ながら、温泉に浸かる猿で有名な地獄谷温泉との分岐点を右に行く。

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整備されたループ式の道路を登りきったところの山肌に、スキーのリフトの鉄塔が並ぶスキー場が見えてくる、丸池スキー場である。丸池の手前に小さな池があり「一沼」という。

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秋の青い空と緑の木々の間に真っ赤に染まった紅葉の葉が水面に映る。睡蓮の葉の浮かぶ一沼のまわりがきれいに紅葉している。

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まだ、シーズン前の丸池スキー場の駐車場に車を停めて少し歩いて戻ると沼に向かう木道に出る。秋のさわやかな風と足の裏に心地よい踏み板の感触を楽しみながら木道をのんびりと歩く。

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           ウルシの葉

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ウルシの木の葉が真っ赤に色づいて、高原の澄んだ空気と空の青さに良く映えてちょうど見ごろである。

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天気予報では朝から雨だといわれていたが、朝の冷え込みとはうって変わって、風はさわやかで半そでのシャツでも十分気持ちよく歩くことができる。

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まだ紅葉は早いと思っていたがきれいな赤い葉と緑のコントラスト、湖畔の白樺に絡む赤く染まったツタの葉が白樺の白に映える。

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            水面に映る紅葉

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見上げた青い空と雲のバランスが心を和ませてくれる。学生の頃はこの志賀高原にはスキーに良く来たものだ。長野県のスキー場では雪質のいいところの一つである。これからスキーシーズンになる、その前に目を楽しませてくれた志賀高原であった。

秋の気配   移りゆく季節

通勤途中駅までの歩く時間、どこからともなく漂う金木犀の香り。この甘いかおりが漂うようになると秋が来たのだなと思う。

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長い夏があり、暑さが厳しかったせいで急激にひえこんで来ると体調の維持が難しい。朝晩の冷え込みは季節の移り変わりを如実に表している。

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           栗

遅れていたすすきの穂も秋の風になびき陽の光を浴びて光っている。食欲の秋といわれるほどにあらゆる植物が実をつけ始める。

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                         柿

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          野菊

栗の実がイガを破り地面に落ちそうになってぶら下がっている。色付き始めた柿の実も朝の陽に輝いている。熟す頃には鳥たちの餌になってしまうが、今年はあまり豊作の年ではなさそうである。

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                 百日草

柿の木は実がたくさんなる年とならない年がある。天気によるのだろうか、甘さもすごく甘い年と甘味が少ない年がある。

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          秋空の下のりんご

りんごの木もたくさんの実をつけて、早いものはすでに真っ赤に色づいている。これからさらに良く色をつけるために、葉を落とし、地面に陽の光を反射させるシートを敷く。それにより陽の当たらないりんごの下の部分もきれいに色がつくのである。

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                 りんご 

願うのは、この時期に台風のような災害がないことである。春先から枝の剪定、花摘み、袋かけ、消毒などと数々の手を加えて育てたりんごが、一夜の台風で落ちたり、傷がついて商品価値が下がってしまうことがある。

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                 赤ピーマン

自然を相手にすることは、仕事でも遊びでも何でもたいへんである。いわゆる命がけで取り組むことになる。命がけでやらないと負けてしまうのである。

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                路傍の馬頭観音

最近の天候は私が経験してきた天候とは少し違ってきている。それでもこれからこの山々の木々が朝晩の冷え込みと共に色づいてくるのである。ここのところ落葉、、朽ち葉になる前に葉が落ちてしまうことがあるがこれも天候異変か。

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            ミゾソバ

今までは、冬支度をする植物の最後のメッセージのようにきれいな紅葉を見せてくれていた。紅葉はちり際が一番きれいだといわれ、その後に厳しい冬を迎えるのである。

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                ススキの穂

実際にきれいな紅葉を見せてくれるのは、たぶん10月後半から11月の上旬ぐらいになるのだろうが、今年の猛暑はどんな秋の彩を見せてくれるのか楽しみである。

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                秋空の百日草

木の葉は最後のきれいな紅葉を見せて散り、それが長い冬を越して次の春に芽を出してくる新しい命の肥やしになっていくのである。人間も同じで内心は心配ごとや気がかりな事があっても、己のことよりも子供の幸せを一番に考えるのが親なのである。「子を持って初めて分かる親心」、自然を眺めながらそんな秋の気配を感じている。

コスモス  秋桜としての花

秋になると赤、白、桃色などの花を咲かせる。原産地はメキシコの高原地帯で、18世紀末にスペインの植物園に送られコスモスと名づけられたといわれる。日本には明治20年ごろに渡来したらしい。

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日当たりと水はけが良ければ、やせた土地でも生育するので道路わきに景観植物として植えられ、コスモス街道などといわれて見る人の目を楽しませてくれる。

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1977年(昭和55年)に山口百恵が唱って大ヒットした曲が「秋桜」、これをコスモスと読ませる。歌手が良かったのか、曲が良かったのか、歌詞が良いのか、とにかく耳に心地よく聞こえるいい歌である。

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実はこの歌の作詞・作曲はあのヒットメーカーの”さだまさし”なのである。彼の歌はひじょうに詩情豊かで心に訴える歌が多い。

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『♪ 薄紅の秋桜が秋の日の  何気ない陽だまりにゆれている 

この頃涙もろくなった母が 庭先で一つ咳ををする 

縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を 

何度も同じ話繰り返す 独り言みたいに小さな声で 

こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさが浸みてくる 

明日嫁ぐ私に苦労はしても 

笑い話に時が変えるよ心配いらないと笑った ♪ 』

田舎の庭先を出たところ一面にコスモスの花が開き、風に花を揺らせて近くには秋のトンボがゆれる花に止まろうとしている。

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青い空に桃色の花が透けて見える。小春日和というのは秋の良く晴れた 暖かい穏やかな日をいう。春ではなく秋の季語である、厳しい冬に向かう秋の暖かな一日のことである。

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明日嫁ぐ娘を思う母親が縁側の暖かい陽射しを浴びて、昔のアルバムをめくり成長の過程を懐かしんでいる姿が目に浮かぶ。

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『♪ あれこれと思い出をたどったら いつの日も一人ではなかったと

いまさらながら我がままな私に唇噛んでいます

明日への荷づくりに手を借りて しばらくは楽しげにいたけれど

突然涙こぼし元気でと 何度も繰り返す母

ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに

こんな小春日和の穏かな日は

もう少しあなたの子供でいさせてください ♪ 』

私は、男兄弟3人なので母親はこのような嫁ぐ娘の心境はわからなかっただろうが、孫娘が二人嫁いでいる。最近長男の息子に女の子ができた、母親にすれば最初の曾孫だ。

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まだ生後一カ月ほど、首も据わっていないし目は開いているが見えてはいない。それでも指を差し出すと紅葉のようなかわいい手が指を握り返してくる。肌は赤くやわらかい本当に「赤ちゃん」という言葉がぴったりである。

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児童虐待などの多い昨今では子育ては大変だといわれている、核家族化が進み、昔のように大家族で子供を育てることが少ないのでお母さんにかかる負担は大きくなるのだろう。あるアンケートによると若い母親の44%がそういう気持ちになるというデータがあって驚いている。

”秋桜”のメロディーを聞いていると二十数年てしおにかけて育てた娘が、明日嫁いでいく光景が目に浮かぶ。コスモスは、日当たりがよく水はけがよければ痩せた土地でもよく育つといわれている。

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新しいところに嫁いで、また母親になりそこで子を育てていく姿を思い浮かべる。青空に秋桜の花が風にそよぐ姿をを見ながら小春日和の穏かなやさしさを感じているこのごろである。                       

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