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旧城下町  一ノ関の街を歩く

仕事の関係で一関市にはたびたび行くことが多いが、ほとんどトンボ帰りが多い。長かった夏も終わり、朝の日の出は遅くなり歩くには涼しくしのぎやすくなってきた。

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                大槻三賢人

早朝に一関の街を歩いてみることにする。夜のネオンがついた街は知っているがすっぴんの街は知らないので興味がある。

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             これから冬鳥としてやってくる

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                 酒と肴が美味しい

夜の街と平行してにぎやかな通りがある。きれいに整備されレトロ調の街路灯が並び、間口を統一した昔の面影を残す商店街である。

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          間口三間半の店

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             時の太鼓シンボルタワー

大町の由来という説明がある。それによると『一関大町は、徳川時代の初期から宿場町として栄えてきたところです。その時代は仙台藩主・伊達政宗一門・留守正景が一関城主となり中心街を「大町」と名付け、以来、歴代の一関藩主田村氏に引き継がれ今日に至っております。

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                大町通り

大町は地主町と共に城や武家屋敷を守るため一戸あたりの間口は、三間半(6.3m)に区割りされて配置、道の中央には濠を流し奥州街道(大町通り)を行く諸大名や旅人にも多くの情緒を与え続けました。

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                朝の飲み屋

大町の戸数は寛文13年(1673)63戸、安永4年(1775)91戸、慶応4年(1868)3戸と着実に増え続けました。

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昭和22・23年(9147~8)の台風被害を克服し昭和55年(1980)から始まった都市計画にあわせ、商店街が団結し大町近代化事業が完成、名実共に一関の中心商店街として面目を一新しました。』とある。

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             先賢の路

一関市の名前の由来は、平安後期までの俘囚の長として奥州6郡を支配した安部氏が一の関、二の関、三の関と砦を築いた事によるといわれている。

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          沼田家武家住宅

中世では葛西氏が一関市周辺を含む胆沢、磐井一帯を支配し、一関城には家臣の小野寺道照が入った。その後、仙台の伊達領となり伊達政宗の十男宗勝が伊達藩から独立し一関藩三万石となった。

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               一関教会

その後、本家の伊達藩主の跡目相続問題から世にいう「伊達騒動」が勃発し、宗勝は首謀者の一人として改易され、岩沼から田村氏が三万石で入り明治維新まで続いた。

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          酒の民族文化博物館

駅を背にして磐井川に向かってきれいな歩道を歩く。歩道はインターロッキングといわれるコンクリートブロックの組み合わせで整備されている。歩道の両側には、先賢の路として郷土の先覚者8人のレリーフが自然石に刻まれている。

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          蔵元レストラン 世嬉の一

朝のすがすがしい空気を胸いっぱいに吸いながら、まだ人影の少ない町を歩いていると、小さな太鼓の櫓がある。「時の太鼓」である。

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             時の太鼓(ミニュチュア)

これについては、『江戸時代、全国の大名が領下に時刻を知らせるのは「時の鐘」をうつことと定められましたが、一関藩主・田村建顕公は幕府老中阿部正武の内意を得て太鼓を作り、貞亨三年(1686)から美しい余韻と共に藩内40ヶ村になり渡りました。

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                建部清庵像

城下に時を告げるために太鼓を用いるのは幕府と徳川御三家に限られていたので藩民は大いに誇りとし、道往く諸大名の羨望の的ともなりました。「一関に過ぎたるものは二つあり、時の太鼓に建部清庵」 と謳われ一関の雄渾な歴史の象徴として市内台町長昌寺に保存されています。』 と商店街組合の説明がある。

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            インターロッキング歩道

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               磐井川

磐井川の河原を走る学生たちの姿を見ながら、朝日の上り始めた一関の街並みを眺め、歴史の勉強と少子高齢化の進む地方での地域おこしの一端を覗かせてもらった。

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