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2010年11月

白鳥の湖  安曇野犀川のほとり

年末も近くなると白鳥の飛来が話題になる。ここ、安曇野の犀川に白鳥湖といわれるコハクチョウの飛来地がある。湖といっても犀川をせき止めたダム湖である。

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ダム湖といっても大きなダムを想像してしまうが、どちらかというと堰といった感じである。甲信越自動車道の豊科インターを降りて5分ぐらいのところにある。丁寧に案内の看板があるのですぐにわかる。

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10月頃から飛来し始めて、越冬をして3月末頃に北方に帰る。鳥の数は1月が一番多く約1000羽以上が飛来するといわれている。白鳥だけでなく鴨類も多く見られるので楽しい。

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コハクチョウは鴨科の水鳥で、体長120cm、翼を広げると190cmにもなる。普通はシベリアで夏を過ごし、6月頃に産卵をして子育てをし、湖沼や地表が凍る9月に親鳥と幼鳥が共に暖かい南の地へと旅立つ、北海道や新潟では一回り大きなオオハクチョウも見られるが、日本の湖沼を経由して、新潟の瓢湖やここ犀川で冬を過ごす。

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白いコハクチョウの親鳥に混じって翅が灰色の白鳥は、夏に生まれた子供であるが生後3ヶ月で5000kmもの距離をわったって来るのである。たくましい白鳥の子供たちの姿、日本の子供たちも見習ってほしいものである。

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           白鳥の子供と首を突っ込んだ親白鳥

去年は、白鳥を見に来たがここ白鳥湖に九時ごろに着いたのでもう、白鳥は近くの田んぼへ出かけてしまった後だった。白鳥は、朝夕は田んぼで餌をとるのでねぐらにはいないのである。だから、安曇野のアルプスをバックに白鳥の写真を撮るには田んぼへ出かけたほうがよさそうである。

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今年は元気を出して早朝というより深夜といったほうがいい時間に出てきた。現地には6時半には到着、先客は一組の夫婦だけ。やっと陽が出てくるところであり、遠くのダム湖に数羽の白鳥が見えるがかなりの距離である。

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ここでは、餌付けをしているとのことで近くにいたおばさんが、「もう少しすると目の前に飛んできますよ」 との言葉。機材の準備をして待つことにする。

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白鳥飛来の歴史を見ると、安曇野での白鳥の飛来を初めて確認したのは、1984年(昭和59年)12月31日だという。確認されたのは白鳥の一家5羽で、その2日後に餌付けに成功し、地元のボランティアによって白鳥の保護や観察、湖の自然環境の維持が行われているという。

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餌まきが始まると、遠くにいた白鳥たちが一斉に飛び立ち上空を旋回し、大きな羽を広げて水辺に下りてくる、見事なものである。すでにいる鴨たちと餌の取り合いで一気ににぎやかになる。

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上空では、2~3羽のトビがあわよくば餌にありつこうと旋回しながら急降下してチャンスをねらっているが、思うようには行かないもので、あきらめて河原の流木の枝に止まって次の機会をねらっている。

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           トビ

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犀川の水辺ではコハクチョウの親子が餌の奪い合い、食事時の喧騒を見ているととても「白鳥の湖」という音楽のイメージはわかないが、良く見ると可愛い目をして愛嬌のある顔である。

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           親子

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しばし、朝食の白鳥たちの姿を観察していたが、翅の灰色の子供たちも真っ白な羽根の親鳥に成長して、また来年もここに戻って来てくれる事を祈りながら犀川を後にして、りんご採りをするために実家へとむかった。

イルミネーションの季節  多摩センター

年末が近くなってくると各地でイルミネーションのイベントが行われるようになる。ここ多摩でも恒例の多摩センターパルテノン大通りのイルミネーションが点灯した。

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           センターツリー

11月の13(土)日のオープニングセレモニーから来年の1月7日(金)までいろいろなイベントが計画されている。今年で10年目といわれているが、昨年は210万人を動員したとか年々にぎやかになってきている。

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           光の水族館

駅を降りて改札を出るとすぐそこから、メインのイルミネーションのパルテノン大通りになる。両側に植えられた58本の楠木にLEDの温かみのある光が続く。

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            光の魚たち

改札を出て少し階段を上ったところにあるのが光の水族館で、ドームになった天井には光輝く魚たちが泳いでいる。

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           シナモロール

多摩センターにはサンリオピューロランドがあり、キティちゃんのふるさとなので今年はキティイルミネーションが3体登場している。子供たちをはじめ大人たちにも大人気である。いわゆる「キティラー」たちの集まるところである。

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            サンリオピューロランド

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           ハローキティー

光の水族館をぬけると、シナモロールのイルミネーションを見ながら、なだらかなパルテノン大通りのスロープを登ると中央に大きなツリーが見えてくる。折からの満月に近い丸く明るく輝くお月様とのコラボが見える。

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                 月とツリー

このツリーのもみの木は、多摩市と友好都市である長野県の富士見市からの寄贈だと聞いている。大きさ枝ぶりといいみごとである。

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           クリスマスストリート

中央のツリーから東はサンリオピューロランドから東西に繋がるロードにはグリーンのLEDが飾られ木の緑をさらに引き立てている。

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今年のイルミネーションもきれいに盛大に飾られ、きらびやかで華やかなクリスマスストリートになっている。光の中を歩いていると日本の経済の閉塞感も忘れ、夢や希望が湧いてくる。

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            パルテノン大通り

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今年も無事新年を迎えられそうな気分になってくるが、これが、平和ボケなのかも知れない。となりの国では、北朝鮮が国境の島に砲弾を撃ち込んできている。それぞれに言い分はあると思うが、これが六十数年まえであれば即戦争になっていただろうと思う。

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身近にあのような映像を見ると、辞任した法相のようにジョークなど言ってられるはずがない。となりにそういう国があるのだと自覚して、グローバルな目線で日本の将来を考えてあのようなジョークを言える国を造りたいものである。

いつもの鳥たち  早朝の多摩川

少し増水している多摩川、中州の植物が水に洗われているが冬鳥たちがやってきてにぎやかになってきた。

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           多摩川 と 四谷大橋

中州の樹木にトビが二羽翅を休めてじっとしている。トビはタカ目タカ科に属する猛禽類の一種でトンビとも言われる。日本では最も身近な猛禽類である。

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           トビ

タカ科のなかでは比較的大型で、全長は60~65cmほどありカラスより一回り大きい。翼開長は150~160cmになる。鳴き声は「ピーヒョロロロロ・・・」と鳴くので分かり易い。

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主に上昇気流を利用して輪を描くように滑空し、羽ばたくことは少ない。視力が非常に優れていて上空を飛翔しながら餌を探し、餌を見つけるとその場所に急降下して捕らえる。

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餌は、猛禽類では珍しい雑食性で動物の死骸やカエル、トカゲ、ヘビ、魚などの小動物を捕食する。海の近くでは樹上に営巣して集団で群れを作っていることがある。

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            トビのペア

海沿いではカモメと餌を取り合っていることがあったり、カラスの集団にちょっかいを出されて追い回されている光景も見ることがある。

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            カルガモ

トビは本来は警戒心が強く人間にはあまり近寄らないことが多いが、最近では弁当や肉まん、ハンバーガー、アイスクリームなどをねらうトビも多くなってきている。観光地では「鳶に用心」の注意書きを見ることもある。

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           ミサゴの飛翔

そういえば、昔から「鳶に油揚げをさらわれる」という諺があるとおり、人間になれたときには隙をねらって人間が手に持っている食べ物を飛び掛って奪うことがあるようである。

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           ヒドリガモ飛翔

鳶に限らず最近は野生の生物の生態系が少し変ってきているのかも知れない。人里に近づく猿や熊、カモシカ、猪なども人間になれてきているのだろう。自然に優しくした結果、人間に近づき捕獲されたり、射殺されたり、感電死したりする。お互いの領域を守ることが必要なのだろう。

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           ヒドリガモ

中州の水草周辺では水鳥たちが忙しそうに採餌中である。マガモ、ヒドリガモ、カルガモなどで中には冬鳥が混じっている。

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          カルガモ

それぞれ縄張りがあるのか追いかけたり、飛び立ったりと結構忙しそうに見える。周りでにぎやかなのはモズでこれも縄張り宣言をしているようである。

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            マガモ ペアー

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            コサギ

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             モズ ♂

日本国も鳥類の縄張り宣言ではないが、四方海に囲まれて陸地で国境を接していない国なのでその辺の関心がうすいのかも知れない。内政ももちろんであるが隣国になめられないように外交も真剣に取り組んで欲しいものである。

メタセコイア通り   多摩の鶴牧を歩く

早朝の鳥見で近くの公園を歩いてみたら、朝日に輝くメタセコイアの紅葉がきれいである。ここには数本の木しかないがすっと伸びた幹に小さな葉が黄金色になり日の角度によりきらきらとまぶしい。

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小春日和の休日の午後、鶴牧の「メタセコイア通り」がそろそろきれいに紅葉しているだろうと出かけてみる。我が家からは車で10分ぐらい西の方面に向かったところにある。

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「メタセコイア通り」は、鶴牧四丁目の交差点から西のほうに緩やかに上り、さらに南のほうに緩やかに曲がって少し下る感じで走る道路で、鶴牧六丁目の交差点で「尾根幹線」に繋がる。

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この道路の両側に約100本ぐらいのメタセコイアが植えられ、きれいな並木になっている。多摩ニュータウンの開発を考えると、樹齢は20~30年ぐらいになるだろうか、樹形は針葉樹の仲間らしく幹がまっすぐに伸びて端正で美しい。

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メタセコイアは、スギ科メタセコイア属の針葉樹で日本の気候にはよく合い、生育が早いので街路樹として各地で植えられている。

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和名はアケボノスギ(曙杉)、イチイヒノキなどといわれているがあまり流布せず、メタセコイアと呼ばれることが多い。

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新緑の頃もやわらかい緑の葉がきれいであるが、唐松と同じように葉は枝に対して対生して複葉のように見える。秋にはきれいに紅葉して落葉性の針葉樹であるので、その姿もまたきれいである。

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快晴の青い空に輝く太陽がメタセコイアの並木を照らし、美しい紅葉をいろいろな角度から見せてくれる。濃いオレンジに染まった葉が光の具合によって黄金色や深紅に輝いて見える。

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1939年に日本で常緑種のセコイアに似た、落葉種の植物遺体が発見された。発見者の三木博士により「メタセコイア」と命名されたといわれている。

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当初は、「化石」として発見されたために絶滅種とされていたが、1945年に中国四川省の「水杉(スイサ)」が同種とされ、現存することが確認されたことから「生きている化石」と呼ばれることが多い。

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日本でも300万年前から100万年前ごろまではたくさん生えていたらしい。実際に八王子市楢原町の浅川の河原にはメタセコイアの切り株の化石が多数露出した場所があるという。「メタセコイア化石林」として、学術的にも貴重なものだといわれている。

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メタセコイアの木は新緑、紅葉と我々の眼を楽しませてくれるが、落葉の跡もまた端正な姿でまっすぐ伸びた幹や枝ぶりを見せてくれる。四季を通じて、この通りを歩く人々を楽しませてくれる生きた化石である。

太閤さんのお城  大阪城公園を歩く

大阪の夜明けは遅い、六時半に目が覚めても外はまだ暗く外灯の灯りがまぶしく光っている。今頃が一番日の短いときなのだろう。

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                         一番櫓 南外堀

早朝散歩は大阪城公園を歩いてみることにする。大阪城は、上町台地の北端に位置する。かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れていた。

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           千貫櫓

大阪城は、安土桃山時代に上町台地のほぼ北端、石山本願寺の跡地に1583年(天正11年)、豊臣秀吉が築城を開始した城である。

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           大手門

地下鉄谷町四丁目駅で降り、谷四交差点から近代的な高層ビルのNHK大阪放送局と大阪歴史博物館の前を通り、大阪城のお濠を見ながら大手門へのスロープを登る。

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                大手門から大阪NHK

鏡面のようなお濠の水面に堅牢な石垣の姿を映す一番櫓の下には、鴨が静かに泳いで水面にきれいな円い波紋を残している。

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           多聞櫓

江戸時代、1614年(慶長19年)に大阪冬の陣で外堀を埋められ、大阪城は内堀と本丸のみを残す裸城にされてしまう。

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                 石垣

伏見城から大阪城へ移った秀頼は、濠の再建を試みたために家康との講和条件破棄とみなされ、冬の陣から4ヶ月後の1615年(慶長20年)、大阪夏の陣で大阪城は落城し、豊臣家は滅亡した。

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そんな歴史を思い出しながら、大手門から桜門へと歩くが見事な石垣である。江戸時代の石垣石は、瀬戸内海の島々(小豆島、犬島、北木島など)や兵庫県の六甲山系(徳川大阪城東六甲採石場)の石切丁場から採石されたといわれている。

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           見事な石垣

また、遠くは福岡県行橋市沓尾からも採石された。石垣石には、大名の所有権を明示するためや作業目的など多様な目的で刻印が打刻されている。

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           内濠

桜門が見えてくると水がなくなって雑草が生い茂る内濠が見えるが、やはり濠には満々と水が湛えられている風景がお城には似合う。当時家康の大軍に攻められた秀頼の苦戦の光景が目に浮かぶようである。

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           大銀杏から天守閣

天守閣が見える広場に来ると、右手に旧第四師団司令部の建物が見えてくる。黄金色に輝くいちょうの葉をつけた大木の近くに、菊で作られた築山がある。「太閤おろしの滝」とある。

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          太閤おろしの滝

『この滝の滝名は太閤秀吉が会津討伐の帰り、ここにさしかかり、この滝の美しさのあまり、馬をおりて見入ったことに由来しているとのことで、二段にわたる美しい滝である。・・・栃木県日光市鬼怒川支流野沢川本流瀑』

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                  広場より天守閣

江戸末期、慶応3年12月9日(1868年1月3日)に発せられた王政復古の大号令の後、二条城から追われた前将軍徳川慶喜が大阪に移り、居城していたが、慶応4年1月3日(1868年1月27日)旧幕府軍の鳥羽・伏見の戦いでの敗北によって慶喜は船で江戸へ退却し、大阪城は新政府軍に明け渡された。

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                天守閣(南西面)

大阪城は、姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えれているが、天守閣は豊臣初代天守と徳川大阪城、復興の天守閣と改修が行われ変遷している。しかし、現在の天守閣も徳川時代の風の白漆喰壁と五層目の豊臣時代風の黒漆に金箔で虎や鶴の絵を描いている。

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           紅葉の外濠

大河ドラマ「龍馬伝」も残すところ二回となってきたが、日本の夜明けといわれる幕末の大きく時代が動く歴史がここにもあったのかと思うと、早朝の散歩も感慨深いものがある。

夕方の多摩川  久々のMTB

しばらく乗っていなかったMTBを引き出して、夕方の多摩川土手を走ってみた。17年間使っているMTBは少しくたびれてきている。

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          送電線のカワウ

少し前までは磨いたり、手入れをよくしていたが、ここのところほこりにまみれている。年末の掃除の時期が近づいてきて、自転車置き場の整理もおこなわれるので調子を見るために点検をした。

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           モズ

汚れをきれいにふき取り、油で磨くところは磨いてみる。少しはきれいになったが、サイクリングロードを走るすばらしいMTBを見ると見劣りがする。

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           ホオジロ

乞田川沿いから大栗川、多摩川の土手を上流に走りモノレールの下で浅川を渡り根川の橋を渡るとまた、多摩川の土手に出るが走りはまだまだ大丈夫そうである。

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          チュウサギ

土手に自転車を置いて、河原の林の中を歩く。ツグミの群れやヒヨドリが上空を行きかうなか河原に出ると、四谷大橋の手前の送電線にたくさんのカワウがきれいに並んでいる。

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           ミサゴ

最近はここをねぐらにしているとも聞くがかなりの数である。これだけの数がいると多摩川に放流された鮎などもかなり影響を受けると思う。野鳥の保護の看板も見ることが多いが、立場が変わると公害問題になる。

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            コサギとアオサギ

午後の河原には、相変わらずサギの群れが多い。双眼鏡で眺めていると突然猛禽類が河原に下りてくる。オオタカの幼鳥のようであるが、近くにはコサギの群れがいるがコサギも逃げようとしない。

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           オオタカの幼鳥

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オオタカの幼鳥は何か獲物を見つけたようで、それに一生懸命である。それをコサギも知っているのか警戒心が薄い。周りで見ているほうがはらはらするが、ハプニングを期待しながら待つ。

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鳥も人間と同じで、食事をしているときと寝ているときが一番無用心なのかも知れない。誰でもそうだが何かに夢中になっているときは隙ができるもので、そのときがチャンスである。だから決定的ないい写真を撮ることが出来るのは鳥の捕食中などが多いことがよく分かる。 2010_11_06__2892_edited1

                        モズ

「秋の日はつるべ落とし」 というが暗くなるのは早い。西に沈む太陽が空に浮かぶ雲を赤く映しだし、多摩川の川面に光を残して山の端にしずんでいく。

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            多摩川の夕暮れ

愛着のあるMTBであるが、走っている途中でペダルのギアをチェンジするワイヤーが切れてしまった。やはり来たかという感じである。とりあえず変速は後輪だけですることにして帰途に付くことにしたが、もう限界のような気がする。金属j疲労も心配なので残念だが廃車を考えることにした。

いつもの鳥たち  多摩川を歩く

最近は日課のように早朝は多摩川へ足を運ぶことが多い。雨の後は増水で川の流れが変り、長靴を履いていれば渡れる中州も渡れなくなる。

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          コサギの群れ

陽が上り、あたりが明るくなり始めるが秋の陽は低いところにあるので、陽の当たるところと当たらないところのコントラストが大きい。

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今朝は、大栗川にサギの群れが見える。その向こうの崖の木の上にはいつものミサゴが、ジッとそのサギたちがねらっている魚をを見つめているのか、白と灰褐色の姿が見える。

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            蒼サギ

サギの群れが少数になったときにあわよくばその捕食の瞬間がみられるのでないかと淡い期待を持って待つことにした。

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           モズ ♀

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多摩川の向かいの低い樹木の枝にはオオタカと思われる姿も見える。それぞれ鳥たちも朝食の時間なのでゆっくりと観測をすることにする。

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           カワラヒワ

土手下の枯れ草のにはもずやカワラヒワなどが止まり、川の水の流れの近くではカワセミが「チッチッチー、チッチッチー」と鳴きながら飛んでいる。川の真ん中にある石の上に止まりジッと魚をねらっている。

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            カワセミ ♂

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ちょうど背中を向けてくれているので、きれいな鮮やかな青い姿が良くみることが出来る。何時見てもきれいな鳥なのでうれしい。

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土手の後ろの民家の庭の柿の木に、ツグミが来て熟した柿の実をつついて嘴の周りを柿の実で汚している。子供がケーキにかじりついているような光景である。

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          ツグミと柿

期待のミサゴはなかなか行動を起こさない、ジッと長い時間翅を休めたままである。オオタカなどもそうであるが、一時間以上も同じところにジッとしていることが良くある。

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             モズ ♂

待っているほうにしては、何とか行動して欲しいと思っているが、なかなか思うようにならないのは世の常と同じである。だから、猛禽類の捕食の決定的瞬間を撮ったすばらしい写真を見ることがあるが、根気と粘りと偶然性とタイミングの問題なのかと思う。。

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今日も平凡ないつもの鳥たちの日常に接して、そろそろ引き上げることにする。また、明日の天気と鳥たちに期待して撤収を開始した。

日本庭園の紅葉  立川昭和記念公園

昭和記念公園のゲートに行く手前に昭和天皇記念館がある。記念館と言うから立派な建物を想像する、広い地形に合わせて建物の近くは階段になっているが長いスロープで公園に向かうようになっているので、うっかりすると見落としてしまいそうである。

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内部には、関東大震災から終戦、その後の研究生活など昭和天皇87年の歴史が展示されている。太陽の日に光り、風になびくすすきの穂を見ながらスロープを登り、大きな橋を渡ると眼の前に広がるのは、黄色に色づいたいちょう並木が並ぶ昭和記念公園である。

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水鳥の池には、天気がいいのでボートがたくさん出ている。バードサンクチュアリ、ハーブ園をぬけると、家族連れや子供たち、若いカップルがそれぞれに遊ぶみんなの原っぱに出る。

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広い芝生を右手に見て、今が見ごろの木々の紅葉を眺めながら日本庭園の入り口へと向かう。このあたりはつい最近までコスモスでにぎわっていたところである。

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この公園のよさは、広いことといつも四季おりおりの花を見せてくれることである。これからは、サザンカ、ヤブツバキ、ボケ、コウテイダリア、レオノチス、ニホンスイセンなどである。

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日本庭園は、今が盛りの紅葉で人出もいっぱいである。入り口の赤や黄色の葉は西に傾き始めた弱い日の光を通して真っ赤に燃えている。また、ブナ系の木々は黄色の葉に太陽をすかしてさらに輝きを増している。

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池の水面に映る紅葉した木々の姿が鏡面のような水の上に静かに影を落としている。近くでは、エナガの群れがさえずりながら色づいた木々の間を飛び回り、紅葉と小鳥の絵を想像させてくれているがなかなかうまい構図に収まってくれない。

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陽を受けての紅葉した葉はきれいに見えるが、落葉した色づいた葉もまた別の秋の味を楽しませてくれる。欲を言えば、もう少し空が青かったらよかったのにと思うところである。

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赤い色のきれいな紅葉は京都が一番だろうが、ここ立川の日本庭園の赤い紅葉もそれに劣らずきれいである。しばらく京都の紅葉を見ていない私にとっては、満足の行く風景であった。

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これから、さらに近くの山々の色づきもピッチを上げていくだろう。毎週、毎週紅葉狩りの日々が続きそうである。

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今年の夏の暑さを見ていると日本の四季にも異変があるのかと思わせるところがあったが、自然の営みは着実に進んでいる。都心よりちょっと早めの秋の深色がここでは楽しむことができる。

イチョウ並木の黄色 昭和記念公園

青空に黄色のイチョウの葉が一番きれいに映るが、あいにく天気はうす曇。昭和記念公園のイチョウもそろそろかなと思いながらモノレールに乗り立川方面に向かう。

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駅でモノレールを降りて階段を下っていくと奇妙な乗り物が待っている。「プープー」と昔の豆腐やさんの吹いていたラッパのような音を鳴らしながら、人ごみを掻き分けて走る。前の席にお客さんが乗り、後ろのペダルでこぐ三輪の人力車である。

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百メートル100円の運賃でどこまでも行きますと書いてある。そうは言っても限度があるのだろうが、この警笛音がなんとなく郷愁を誘う。老夫婦が乗って公園の周りの歩道の秋をたのしんでいる。

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公園の入り口のゲートをくぐると、真ん中の噴水を囲むように両側のイチョウの並木がきれいに黄色く色づいている。通路に落ちた黄色の葉の上を歩きながら、一面のイチョウのトンネルを愉しむ。

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イチョウの名前の由来については、葉の形をアヒルの足に見立てた中国語の鴨脚(イァチャオ)から来ていると聞く。そういえば確かに中国の農家の庭には必ずアヒルがたくさんいる。

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イチョウの木は原産は中国の落葉樹で高さは20~30m、葉は扇形で葉脈が付け根から先端まで伸びている。また、葉の先端部が浅く割れていて、厳密には広葉樹にも針葉樹にも属さないらしい。

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木としては長寿で巨木になり、街路樹として植えられているところが多い。木材としての価値も高く、カウンターや家具、建具などにも使われる。材質としては、油分を含み水はけがよく加工性に優れ、狂いが少ないので碁盤や将棋盤などにも適材といわれ、特にイチョウのまな板は高級品と言われている。

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イチョウの実は銀杏と呼ばれているが、これは「銀杏」(ぎんあん)が本来で、”ぎんなん”となまったものだといわれる。種子は熟すると半透明の鮮やかな緑色になり、ヒスイのような色をしている。あまかわを剥いて塩をつけて食べると美味しい。

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独特の苦味があり、茶碗蒸しや酒の肴としては美味しいたべものであるが、木になって熟してくると肉質化した外皮が異臭を放つ、この臭いがまた強烈なのである。だから銀杏は食べるのはいいのだが、食べるようにするにはいろいろな労力がかかっているのである。

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          たわわに実るイチョウの実

銀杏はまた、漆などのようにかぶれや皮膚炎を起こすこともある。イチョウの葉エキスはドイツなどでは医薬品として認証されており、イチョウ葉は日本からドイツやフランスに輸出されていると聞く。2010_11_13__3046_2

日本ではまだ医薬品としては認可されていないが、数々の臨床試験において、イチョウのさまざまな有効性が報告されている。昔から、茗荷を食べると物覚えが悪くなるといわれているが、イチョウは認知症の改善、記憶改善、脳機能障害の改善、末梢循環障害の改善などに効果があるといわれている。

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私は茗荷が好きなので、そのせいかどうかわからないが、最近顔は分かっているのに、その人の名前が出てこなくて困ることがある。そろそろ、イチョウ葉エキスが必要なのかも知れない。

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イチョウの木は色づいたときの美しさから、街路樹として植えられることが多い、東京の明治神宮外苑、八王子の甲州街道沿い、大阪の御堂筋の並木道は有名である。また、都道府県の木としては、東京、神奈川、大阪府が制定しているし、また東京大学、大阪大学、熊本大学が大学の木として制定している。

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この近くの八王子追分町から高尾駅入り口の甲州街道の両側には、4kmにわたって約770本のイチョウの木が植えられている。80年の歴史があり30万人の人出でにぎわう八王子いちょう祭りは、今週の土曜、日曜(20,21日)にあり各種の催し物が行われる予定である。

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雌雄の株できれいな街並みを見せてくれるイチョウの木は、種子になっても人の役にたち、落葉した黄色の葉もそれなりにきれいな光景を見せてくれる。我々もイチョウのような人生をおくりたいものである。

秋の花を探して 最近思うこと

多摩センターまで行くとついつい足が向いてしまうのが多摩グリーンライブセンター、いろいろな季節の花がきれいに咲いている。きちんと手入れがされ、ゆっくり草花を観賞出来る庭園になっている。

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                赤、黄、緑

風の便りに聞くと、ここが閉園されるといううわさが流れている。まさかと思っているのですがもしそうだとすれば非常に残念である。

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               アンスリューム

多摩市の仕分け対象になってしまったのだろうか、そうだとすればその前にやることがたくさんあるのではないかと思う。まず、全国一番高いといわれている市職員の給与、民間は長期のデフレ、円高の中窮乏生活を余儀なくされている。

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              セスキナンサスペキオヌス

民主党政権になって政党政治から脱却して国民のための政治と、口では言っているがやっていることは自民党政治とたいして変らない党利党略の構図である。

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          セザンヌ(小菊)

最近話題になっている尖閣列島の中国船のビデオ流出問題。テレビのニュースで見る限り、どうしてあの映像が最初に公開されなかったのか分からない。あれが事実であれば国民に隠す必要はまったくない内容である。

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          イチゴの木

ただ、事前に中国側と外交戦略上何らかの取引があったとすれば、公開はまずいだろうし、また管理ももっと厳重に行われないと問題になる。

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          ホトトギス

多分、当時の中国側とのやり取りを見ていると、あのビデオ画像をみている人は、いち早く公開すれば問題は解決すると思ったに違いない。あの映像が事実であれば当然そう思うし、中国側の賠償責任などという言葉は出てこないはずである。

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                 レッドセージ

正義感のある人であれば、国の対応の仕方や大阪の特捜問題などでのトップの対応を見ていると黙っていられなかったのではないだろうか。

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グリーンライブセンターのロマンチックガーデンを歩くと、秋の小さな花たちが可憐な花びらを秋の青い空の下、きれいに見せている。ガーデンを取り囲む木々の間ではシジュウカラやヤマガラの鳴き声が聞こえ、コツコツと木にぶつけて食べるヤマガラの姿が可愛く見える。

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朝夕の冷え込みがかなり厳しくなってきているが、昼間の陽射しは暖かく少し汗ばむような気候である。このような天気になると、樹木の紅葉は一気にすすんで、赤や黄色の葉の色が一層引き立ってくる。2010_10_31__2275

季節の移り変わりも速いが、時代の変化も速く日本を取り巻く経済環境は大きく変わってきている。グローバル化の進む世界で、かつてアジアの優等生だった日本は、今、大きな転機にさしかかっている。先進国が高齢化している中で、アジアも含めて新興国への投資が進んでいる。

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中国、インドを含むアジア太平洋地域の発展は眼をみはるものがある。アメリカもなんだかんだといっても、年間300万人の人口増加がある。今の3億人は30年もすれば4億人になる。白人社会が有色人種の社会に変わっては行くだろうが、成長の基盤である人口の増加が見込まれる。

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                エリカ

人口が減少していく日本、グローバルということは物事を地球儀で考えないといけないということになる。第三の開国といっている人もいるが言葉ではなく行動で示して欲しいものである。

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          色付きはじめた柿の葉

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携帯電話がそうであったようにアジアで通用しないものは、日本でも通用しない時代になっているのである。日本は技術で勝ってビジネスで負けたといわれている、いわゆる「ガラパゴス現象」である。APEC、G20など日本外交の腕が試される世界会議がある。内政外交とも新成長戦略の実行に期待するこのごろである。

江戸東京たてもの園 小金井公園を歩く

「新そばが手に入ったので」という連絡で、新座に住む弟の家にそばをご馳走になりに行く。早めに家を出たので、昼食時間にはまだ少し間がある。おなかを空かせて美味しく食べるために、小金井公園を散策する。

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駐車場には大型の観光バスが何台か止まっているので、なにかイベントでもあるのかと興味津々で中に入り、紅葉にはまだ早い樹木の下をビジターセンターへ足を向ける。

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                旧自証院霊屋

公園内は家族連れやジョギングをする人、犬の散歩をする人などで結構にぎわっている。ゆっくりと歩いてみるとなかなか広い公園である。

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                  同内部

ここには東京都が、1993年(平成5)に江戸東京博物館の分館として、敷地面積7haを擁する「江戸東京たてもの園」を建設した。

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            高橋是清邸玄関

入り口の展示室には、無土器文化時代から始まって縄文式文化、弥生式文化、古墳文化時代の民俗資料や歴史的資料が展示され、武蔵野の生い立ちから武士の起こり近世の江戸の出土品までが展示され、それぞれの時代の生活を再現している。

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            高橋是清邸

展示室を出ると、復元建造物が生い茂る樹木林の中にたくさん建っている。ここでは都内に存在した江戸時代前期から戦後までの文化的の価値の高い建造物が復元されており、建物の内部には生活民俗資料が展示されそれぞれの時代の生活や商いの様相を再現している。

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             同庭園

西ゾーンは、農家や田園調布の家、八王子千人同心組頭の家などがある。センターゾーン正面にあるのは、旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)であり、これは三代将軍徳川家光の側室お振りの方の霊廟である。

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           伊達家の門

都指定有形文化財に昭和35年2月13日に指定されている立派なたてものである。外観を漆と極彩色で飾られ、休日には表の扉が開放され内部の飾りを見ることが出来る。幸いに今日は扉が開かれていてじっくりと見ることができた。

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             伊達家の家紋

高橋是清邸やその庭園を見て、伊達家の門をくぐる。旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門である。総欅造りで、門柱の上に架けられた冠木には宇和島藩伊達家の木彫りの家紋がある。仙台伊達藩と同じ雀の家紋である。

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                皇居正門石橋飾電燈

整備された玉砂利の道を東ゾーンに向かうと、欅の林がある石橋の袂に、皇居正門前石橋飾電燈があり、橋を渡ると万世橋交番がある。懐かしい風景が見えてくる、昔、神田の万世橋のたもとにあり、当時の名称は須田町派出所である。中を覗くと昔の流しがそのまま置かれている。今では、「KOBAN」 という名前は世界共通語で通じるようになっている。安全都市東京のシンボルである。

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            万世橋交番

上野消防署(旧下谷消防署)の望楼の上部が置いてある。本来は20mの高さのものであるが上部だけがあるので、説明を見ないと何だろうと思う。けんかと火事は江戸の花といわれていたらしいが、過去の英雄の姿である。目の前にはこれも昔の英雄「ちんちん電車」がある。懐かしい都電を見て左手に折れていくと、下町仲通りに出る。

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              上野消防署望楼上部

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            都電7500形

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             小寺醤油店

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           同内部

昔の下町の商店街が突然出現する。花市生花店、荒物屋の丸二商店、文具店の武居三省堂などが並ぶ。植村邸の内部では江戸刺繍や東京手描き友禅の実演が行われていて見事な手さばきや技法とその精密画にしばし見入ってしまう。

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           川野商店(和傘問屋)

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            東京手描友禅 (大槻 明彦氏)

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                狸への想い

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正面には、これもまた昔懐かしい銭湯「子宝湯」が見える。東京の銭湯を代表する建物である。宮崎駿の「千と千尋」のモデルの一つといわれており、神社仏閣を思わせる大型の唐破風や、内部にある玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の格天井など贅をつくした造りである。

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                 子宝湯

そのとなりに居酒屋の「鍵屋」がある。これは台東区下谷の言問通りにあった居酒屋である。1856年(安政3)に建てられ、震災や戦災をまぬがれた建物と伝えられているが、ここにあるのは1970年(昭和45)頃の姿で復元されている。

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           鍵屋 と 子宝湯

この居酒屋は思い出の店である。学生時代台東区の根岸に下宿をしていた私は、この「鍵屋」に友達とよく飲みにいったものである。一斗樽のイスが懐かしい、五時から九時までの営業で、五時には店の前に行列が出来る。

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                鍵屋

店主はお客様とは注文以外の言葉はいっさい交わさない。なぜかというとお客様に公平に接することと、接客に忙しいのである。当時は奥さんとお手伝いの三人でやっていたと思う。

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           鍵屋の内部

お客様には結構有名人が多く見えていた。作家、相撲取り、棋士、お坊さん、役者さんなど多種多彩、貧乏学生の我々には雲の上のような人たちばかりである。忙しいお店なのであまり長居は出来ない。待っている人が居るので阿吽の呼吸でそれぞれ入れ替わる。

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                鍵屋の内部

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            天明家(農家)

今考えるといい時代であった。飲むほうも気を使いながら飲んで程よく酔っ払う、今現在は、この「鍵屋」さんは息子さんの代になって、鶯谷の駅の近くで営業している。何年か前に近くに行ったので寄ってみたが相変わらず多くのお客さんでにぎわっていた。ずいぶんと時間が経過したものだと思うが、懐かしい風景に逢うことが出来たし、美味しいそばもごちそうになりうれしい休日であった。

札幌の秋  北大構内を歩く

冬型の気圧配置になると関東は晴天、雪国は雨か雪である。いつもよりやや暖かめの朝、東京ではまだ、コート姿のサラリーマンを多く見かけない早朝の電車で、新装なった羽田空港から札幌への飛行機に乗る。

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定刻に離陸した飛行機は一気に厚い雲間を急上昇する。水平飛行に移ると眼下に見える雪雲の上は一面の青空である。約一時間半の雲の上の旅を楽しむ。

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空港に降りると、すがすがしい空気と山の頂に見える雪、紅葉した樹木が北国への訪問を歓迎しているようである。

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              サクシュコトニ川に映る紅葉

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北国の夜明けも六時半を過ぎないとまだ暗い。薄日が射し始めた早朝、紅葉がきれいな北大の構内を散歩することにした。

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昨夜の酒もすっかり抜け、ほほに当たる冷気が心地良く感じる。北大の正面入り口には今年度ノーベル賞受賞の鈴木章名誉教授を祝福する垂れ幕が飾られている。

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まだ人影の少ない早朝の構内は色づき始めている広葉樹と緑の針葉樹のコントラストがみごとである。道路に落ちた色とりどりの葉の上を、運動部選手と思われる数人の学生たちが駆け抜ける。

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赤と黄色の葉がみごとである。まだ明りが灯っている外灯が、煉瓦の建物に生えているツタの紅葉をバックに光っている。まさに夜明けのガス灯という雰囲気である。

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構内をのんびりと歩いていると、正面に頂に雪をかぶった山が見えてくる。手稲山だろうか、これも後一カ月もすると真っ白な雪景色に変わってしまうのだろう。

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右手に、新渡戸稲造の胸像がある。北大は札幌農学校を前身とするが、札幌農学校と言えばクラーク博士である。あの有名な言葉、「青年よ大志を抱け」 である。

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           新渡戸稲造 像

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クラーク博士が札幌に来たのは1876年(明治九年)で、その在任期間はわずか一年足らずであったが、そのキリスト教的フロンティア精神は、新渡戸稲造や内村鑑三らに受け継がれ、今なお若者の胸の中に生きている。

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                  ポプラ並木

早朝に、構内でランニングをしている若者の姿にそんな雰囲気を感じ、今の自分があの時の時間に戻れたらなあと考える、エルムの大樹を見上げながら北海道開拓当時の光景を想像して新しい夢に向かう若者を見る。

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第一農場の手前に来ると、あの有名なポプラ並木が見えてくる。北大ポプラ並木については、次のように説明がある。『ポプラが北アメリカから北海道に入ったのは明治の中ごろで、主に牧場の境界線として植えられた。

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       農学部肉製品製造実習室 1937年(昭和12年)築

この並木は、明治45年(1912年)に札幌農学校の林学科の学生たちにより農場内に植えられたものである。現在では、北海道を代表する牧歌的風景として全国に知られている。』と。

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                 鏡面のような川

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枯れたススキの穂の上に高くそびえるポプラ並木は異国情緒を感じさせる。札幌は歴史が新しいだけに近代的なビルが立ち並ぶ美しい都市ではあるが、この構内を歩くと緑の木々の間にきれいな紅葉をみて、すがすがしい空気に触れ、北大の歴史を物語る建物を見ることで開拓精神によって生み出された新しい夢を感じるのである。

ゲゲゲで賑わうお寺  深大寺を歩く

やっと秋らしくなって、休日は陽だまりにいると何となく外に出たくなってくる。前回、思いつきで行ったがあまりの混雑で、そのまま素通りをしてかえってきてしまった深大寺のお参りを兼ねて、おそばを食べに行くことにした。

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昼時を少しずらして行ったが相変わらずの混雑、かなりの人が出ている。バスの停留所はバスを待つ人で長蛇の列。いろいろな所に長い列ができているが、たぶん行列のできているところは有名な蕎麦屋さんであろうと思う。

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我々は、空いているすぐ座れる蕎麦屋さんにした。深大寺という名は水神の深沙大王に由来しており奈良時代、天平5年(733)に満功上人が開山したといわれている。

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                 深大寺山門

深大寺には「深大寺縁起」のロマンチックな恋物語があることにより、縁結びのお寺として有名になっている。そう言われて周りを見てみると若いカップルが多くみられる。

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           本堂

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早速深大寺ソバのてんぷら付きを食べることにした。深大寺の蕎麦の由来については、江戸時代、深大寺周辺の土地が米の生産に向かないため、小作人は蕎麦を作り、米の代わりにそば粉を寺に納め、寺では蕎麦を打って来客をもてなしたのが深大寺そばの始まりだといわれている。2010_11_03__2451

            フォックスフェース キツネの顔に似ている

お昼の時間をずらしている割合にはお店にはお客様が多い。カラッと揚がったてんぷらとおそばの味はとても美味しい。欲を言えば、蕎麦つゆの味が私の舌には少し甘さが強かったような気がするが、そんなことを言いながら大盛りをたいらげてしまった。

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           深大寺そば

蕎麦屋さんの裏口を出るとお寺への参道になる両側には、お土産屋さんや団子、おまんじゅうなどのお店が軒を並べている。ひやかしや試食などで賑わう中を、人が多いのでぶつかりながら、道のわきを流れる小川に沿って山門に向かう。

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山門の石段を登り門をくぐると右手には鐘楼と梵鐘がある。ここの梵鐘は鎌倉末期1376年の鋳造といわれ、都内では三番目に古く、鋳造以来実際に撞き続けられた梵鐘としては最古のものと言われている。

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常香楼で煙を手ですくい、頭や足に願をかけ、正面の本堂でお参りをする。この本堂は平泉の中尊寺、長野の善光寺などと同格といわれほどの建物であるということである。

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                 なんじゃもんじゃの木

五大尊池を見てなんじゃもんじゃの木の下を通る。なんじゃもんじゃの木というのは、その地方のめずらしい樹種や巨木をさしていうことで深大寺のそれはヒトツバタゴである。春先には白い花を咲かせるという。

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            元三大師堂

その先の石段を登ると、元三大師堂がある。今ではこの元三大師が深大寺の信仰の中心となっており、元三とは慈恵大師の入寂が正月三日だったことによるといわれている。

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          元三大師堂

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                 紅葉前のもみじ

お堂の左階段の下に”おびんずる”さまが安置されており、自分の体の悪いところを直してくれるといわれているので、ご利益にあやかって祈願をする。

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釈迦堂と白鳳仏を見て表の参道に出ると、またまたたくさんの人だかりで賑わっている店がある。あのゲゲゲの女房で有名になった「鬼太郎茶屋」である。

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            鬼太郎茶屋

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                 鬼太郎とネズミ小僧

この秋の文化の日に、文化勲章を授与された水木しげるさんの影響は、本来の漫画はもとより、その生き方人生観、それを支え続けた奥さんの苦労は図り知れないものがあると思う。

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                 ここにも鬼太郎

いつもテレビなどでは夫婦ともに茶化しているが、生まれ故郷の境港市も大変な人気だと聞いている。好奇心旺盛な私としてはぜひ近い将来に訪ねてみたいと思っている興味のある街の一つである。

ミサゴとカラス  たま川合流点

11月に入り陽が短くなり日の出は6:05分、日の入りは4:44分になり季節は着実に進んでいる。読書の秋と言うが本当に夜が長く持て余してしまいそうである。

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           多摩川土手より都庁、スカイツリー

早朝から多摩川の土手に行ってみる。多摩川は正式には「たま川」、これが河川の名称である。多摩川は単なる地名で河川名ではない。

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先日来の雨で川の流れが大きく変わっている。夏場の水の少ないときは楽に中洲まで歩いていけるのに、今日は河原の踏み跡はすでに水没して、勢いの良い水の流れの下になっている。

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           証拠写真程度のミサゴ

合流点の土手に三脚をセットして空を眺める。周りを双眼鏡でぐるっと眺めると、遠く新宿の都庁の建物の真ん中に東京スカイツリーの頭が見える。一番上に立っている二本のタワークレーンが両側に手をあげてばんざいをしているように見える。

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           カラスがちょっかいを出している

10月30日現在の高さは497mまで上がったようである。完成時の634mまでは、あと百数十m、多摩川からも見えるようになってきた。完成すると見事なタワーになるのだろうと思う。

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最近東京スカイツリーの公式キャラクターがきまったようである。名前は「ソラカラちゃん」生まれは宇宙にある「とんがり星」、黄色の星の形をした髪型で望遠鏡を持っている。ある日空から東京スカイツリーに降り立ったと言われている。

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建築中から人気のある東京スカイツリー、「ソラカラちゃん」の登場でさらに多くのニュースを送りだしてくれるくれることだろう。楽しみである。

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           逃げるミサゴと追うカラス

さらに、双眼鏡で切りたった崖の森の方を見ると、大きな木の枝に白い胸元が目立つ鳥の姿が見える。ミサゴのようである。

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しばらくじっとしていたが、カラスの鳴き声がにぎやかになると飛び出した。カラスとのバトルである。カラスは二羽でちょっかいを出している。

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何となく見ていると、ちょうど大人が子供をからかいながら遊んでいるような光景である。ミサゴも魚類を中心に捕食する鳥であるが、カラスもその対象になるといわれているので心配だ。最近の研究発表ではカラスは人間の男女を見分けられるという、弱いと見た者には攻撃するらしい。ますます進化するカラスでもある。

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しばらくの間空中で遊んでいたが、しつこいカラスに嫌気がさしたのか、上流の方に飛んでいってしまった。

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            モズ

この上流には、つい最近まで白いチョウゲンボウが出現してにぎわったところである。話によると多いときで100人ぐらいのカメラマンが集まったとかいわれている。さぞかし近所の鳥に興味のない方は迷惑をしたのではないだろうかと思う。

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            ホオジロ

長玉で遠くから見ている分にはいいが、最近は300~400mmぐらいが手持ちで振り回せるので便利に使われている。どうしても被写体に接近するので、鳥にも人にも迷惑をかけることになる。趣味を楽しく長続きさせるためには鳥や人様に迷惑をかけないようにしたいものである。

ハロウィンを愉しむ 多摩センターを歩く

台風一過とはいえない台風の過ぎた翌日、多摩センター駅前でハロウィンの行事が行われた。前日のハロウィンの催しが台風の雨に邪魔をされて曇り空ではあるがかなりの人出である。

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多摩センター駅の正面の小高いところにある、パルテノン多摩の最上部から見下ろすと仮装をした子供たちや、大人たちがパルテノンストリートをいっぱいに埋め尽くしている。

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ハロウィンはヨーロッパを起源とする民族行事で、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前の晩(10月31日)に行われるといわれている。

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ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。

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これから身を守るために仮面を被り、魔よけの焚き火を炊いていたといわれる。31日の夜、カボチャをくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン」を作り、魔女やお化けに仮装した子供たちが「トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」と唱えて近くの家を1軒ずつ訪ねる。

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黒とオレンジが伝統的なハロウィンの色である。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちはもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりするそうである。

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行事の中央ステージでは、ハロウィンの仮装をした子供たちが元気に踊りまくっている姿が、見ているだけで楽しそうである。特に最近の子供たちはリズム感や表情が豊かで見ていても楽しい。

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日本では、この行事は青少年・児童向けの英語教材やアメリカの映画・テレビドラマなどを通じて、アメリカの子供たちの行う行事として知られていたが、最近では各地で恒例の行事として人気を集めている。東京ディズニーランドでも最も人気のあるイベントであるということである。

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特に日本では、宗教観に関係なく商業界で菓子メーカーが行事として重要視して、ハロウィンの特別な菓子などを発売して盛り上げているのである。

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各家庭を回るということで、十数年前にはアメリカで日本の留学中の高校生がピストルで撃たれて死亡したこともあった。玄関前で「フリーズ(freeze)」といわれたのを「プリーズ(please)」と間違えたとも言われているが、こういう事故が起きてもアメリカではイベントそのものを問題視することはないらしいが、この点においては国民性の違いを感じる。

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いずれにしても、経済や外交問題、天候などいろいろな面で閉塞感のある日本で、地域的に少しでも明るいことや話題があることがなぜか心を和ませてくれる。地域社会の活性化のために宗教観に関係なく何でもイベントにしてしまう日本人はすばらしい人種である。

空中戦  空を見上げる

木枯らし第一号との報道があり急に寒くなってきた。きれいな紅葉も見ないうちに12月の陽気だとか言われている。

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             トビ

いつも多摩川の中洲を歩くのだが、今日は合流点でイスを構えてじっくりと観察することにする。遠く秩父山系が青い空の下に濃いブルーにその山系を写し、水量の多い川の流れは勢いがある。

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冬型の気圧 配置で北風の吹き出しが強い。土手の上に座っていると冷たい風がもろに当り、手袋のない指先はすこし感覚が薄れる。

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            カラスに追いかけられるトビ

双眼鏡で周りを見るとトビとカラスの空中戦が行われている。どちらかと言うとトビとカラスは同じ雑食系に属するので仲が悪いのだろうか。とにかくカラスは自分より強い鳥でもちょっかいを出していることが多い。

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            トビとオオタカ

数の論理で攻めているようであるが、そのカラスも一匹になると餌のないときはオオタカなどの餌食になることがある。

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            サギの群れ

トビは逃げ切り、のんびりと空に輪を描いて飛んでいたが、今度はオオタカの幼鳥らしきものとの追いかけっこである。トビは体は大きいがどうもいじめられやすいようである。

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上流の方からはサギの群れが飛び立ち青い空に白い鳥たちが良く映える。雁行陣と言うがサギはあまりその体形は取らない。昔はテニスで良く雁行陣をとるといったことを思い出した。

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サギはオオタカの恰好の獲物であるがなかなかその狩り場を見ることはない。時間が許すならこういうところで一日待っていればそういうチャンスにも会うことができるのだろうと思う。

冷たい風の吹く多摩川土手で、空を見上げているといろいろなことが見られる。青い空に銀色に輝く飛行機が一機西の方向に飛んでいく。

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            こんな鳥も

羽田空港が拡張されて国際線が新たに増便されて海外に行くにも便利になった。鳥の飛ぶ姿を見て空を飛んでみたいと思った人間が、あの大きな金属の塊を空高く飛ばせるようになった。「成せばなる、なさねばならぬ何事も」でしょうか。年末まじか、今月も頑張ろう。

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