飛行機雲と富士 忍野八海
私の部屋には忍野八海から写したモノクロの富士山の写真がある。これは私が学生時代に友達のお父さんからもらったものなのでもう40年近くになる。
忍野村からの富士
当時は水車小屋と富士山という構図がすばらしく、いい写真だと単純に思っていたが、長い間見ていると、この場所はどこにあるのだろうそこへ行ってみようと思うようになった。
はんのき資料館からの富士
この場所自体分からず「忍野八海」だと知ったのはしばらく経ってからである。今では友達のお父さんも亡くなってしまっているが、このパネルを見るたびに思い出すことがある。
学校の先生をしていたその友人のお父さんは、ハンチングの良く似合う写真愛好家で酒飲み友達の友人の家に行くと必ずその作品集を見せてくれ、個々の写真の説明をしてくれた。また、すばらしい撮影機材を見せてもらったものである。
はんのき資料館
当時は、自分ではとても手に出来るものではない違う世界のものだと思っていたものだが、今ではお陰さまで同じような機材を自分で使いこなすことが出来るようになっている。
忍野八海とは、延暦19年~21年(800~802年)の富士山延暦噴火により,宇津湖が山中湖と忍野湖に分かれた。後に忍野湖が乾き盆地になり、湧水口が池(泉)として残った姿が忍野八海であるといわれている。
「八海」とは、出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池の八池をいい、富士講の人々が富士登山の際に行った八海めぐりからきており、富士講では忍野八海のことを「元(小)八海」と呼んでいるといわれている。
底抜池
忍野八海の湧水については次のような説明がある。『霊水を飲んで健康を!水は生命の源であり人間はもとより、地上の生けとし生けるものにとって、欠くことのできない貴重な環境資源であります。
湧池
この忍野八海の湧水は、富士山からの伏流水に水源を発するもので、富士に積もった白雪は透水性の溶岩に浸み、神山富士の御身体を通り地下水となってここに滾々と湧きいずる訳ですが、それまでには79年間かかるといわれている霊水であります。
八海の中でも湧池は、一日あたり23万㎥という湧水量をほこり、春夏秋冬13度、飲用水として好適です。
この地方では八大竜王恵みの霊水といい「ミネラルウオーター」として、健康の水、清気の水として愛用されています。』とある。
飛行機雲と富士
藁葺き屋根の水車小屋が富士山をバックにモデル役をかっているが、最近の観光客の多さに昔の写真の光景は今はここにはない。
飛行機雲と富士・水車
白く雪をいただいた富士山の頂上を、東西にまっすぐ糸を引いたように飛行機雲がかかり、時間が経つにつれてそれが富士山の下の方にと流れていく。この上空はかなりの航空路線があるようで、いたるところで飛行機雲が見られる。
この近くに富士山の霊水で寝かせた、忍野ワインセラーがある。13度という水の中に多くのワインのボトルが寝ている。時々新物の案内が来るので取り寄せたりしているが、富士の霊水のワインかと思いながら口にするとまた、格別なものがある。今日の健康に感謝して乾杯することにする。
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