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2011年5月

梅雨入り   うっとうしい季節

気象庁の発表によると、関東甲信地方が梅雨入りしたということである。平年より12日早く、昨年よりも17日早いらしい。

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         カメの甲羅干し

気象庁では、観測史上2番目に早い梅雨入りで今朝も朝から雨模様である。入ったばかりであるが、梅雨明けは平年だと7月21ごろ、昨年は7月17日ごろであった。

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         見附橋

それから考えると今年の梅雨明けは、7月1日ごろになるのだろうか、雨量は平年並みと言われているが雨での災害が起こらないことを祈りたい。

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               長池公園

梅雨の季節にはそれなりに雨が降らないと、夏の水不足の心配にもなる。何事もそうであるが多すぎてもダメ、少なすぎてもダメでほどよい適量が必要なのである。

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          ガビチョウ

「中庸」という言葉があるが、偏ることなく常に変わらないこと、過不足なく調和がとれていることが一番いいのであるが、世の中そうはうまくいかないからおもしろいのである。

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          エナガ

特に自然界はそう簡単にいかないのが常であるが、何事があってもそれに対応できるように常に準備をしておくことが肝要である。

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          カルガモ

家の中でじっとしていることが嫌いな私は、雨で外に出られないのはつらいことである。そういうときは本を読んだり、今習っている篆書の練習をすることが多い。

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                 キジバト

雨の多いこの季節に本腰を入れて、篆書、篆刻をマスターしたいと思う。漢字のルーツから中国史に興味を持ち、学生時代に読んだ本を引っ張りだして、「三国志」、「孫子の兵法」にはまっているこのごろである。

ハルジオン   人里に咲く山野草  

里山を歩いているといろいろな花が咲きだしている。普段目にも留めない花でも、じっくり見てみるといろいろな表情がある。いわゆる雑草にも風情があるなと思う。

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         ハルジオン

今を盛りに咲いているのは、ハルジオン、北アメリカ原産の多年草で、日本に入ってきたのは大正時代、観賞用に東京で栽培されたが最初だと言われている。

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これが野に逃げ出し、戦後になって都市周辺を中心に広がったらしい。いわゆる雑草になってしまったが、一面に咲くとこれがまた壮観であるし、一輪一輪見てみるとこれもまた違う表情を見せてくれる。

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                ハルノゲシ

誰も目をくれないがきれいに咲いている花である。花弁は白色または淡紅色で中心のしベは黄色をしている。夏に咲くヒメジオンとは良く似ているが、ハルジオンは可憐でやさしさがあるような気がする。

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                 ノアザミ?

雑草のごとく生きるとか良くいわれるが、以前は観賞用で人の手によって育てられていたものが自分で生きるようになって強くたくましくなった姿を見ることができる、人間世界では温室育ちとか草食系だとか言われるが、自然界ではおのずと鍛えられているようである。。

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               タツナミソウ

野鳥でいえば、ガビチョウも同じ運命をたどっている。中国原産の鳥で江戸時代に日本にはいってきたようであるが、今では、どこにでもいる野鳥である。これもかつては愛玩用に家で飼われていたものが、放鳥されたのである。現在のペットブームの将来も心配するところである。

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誰に見られるためにではなく、自分のためにたくましく生きる。その姿が美しく映るのである。「疾風に勁草を知る」 という言葉があるが、見る人が見ればわかるそんな人生を送りたいものである。

ホオノキ    大きな白い花

森の中を歩いていると、雑木林の木の種類を見分けるのは難しい。葉の形や大きさ、幹の樹皮の違いなどであるが、並んでいればわかりやすいが判断は難しいものである。

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              ホオノキ

その点ホオノキは、葉の形に特徴があるのですぐにわかる。ちょうど今頃ホオノキの花が咲いているころである。

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ホオノキは日本全土に分布する、落葉高木で、初夏になると大型の葉の間に、直径20cmもの大きな花をつける。

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公園の池のほとりにある大きなホオノキがその白い大きな花を咲かせていた。ちょうど見ごろの花もあれば、まだつぼみのものもある。そうかと言えばもう花弁が枯れ始めているものもある。

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ホオノキと言えば、大きな葉はかつては食器代わりに使われていたといわれる。今でも飛騨の高山のほお葉味噌が有名だが、こんなきれいな花を咲かせることは知らなかった。

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またいつの日か、飛騨の高山を訪れてあのほお葉味噌を食べてみたいと思いながら、新緑の雑木林のウォーキングを楽しんだ。

エゴノキ   さわやかな花

鳥たちが通りぬけてしまったようなので、里山を歩いてみることにする。天気予報では30度になるといわれているが、朝はまだ暑さはなく、さわやかで気い持ちがいい。

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間伐された緑一色の雑木林を歩いていると、白い小さな花がたくさん咲いたエゴノキがある。名前の由来は、果実の果皮をなめると、えごいのがその由来と言われている。”えごい”とはどういう意味なのか調べてみた。

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えごいはえぐいからきているようである。えぐいを調べると、えぐしへと飛ぶ。えぐしとは、あくが強く、のどをいらいらと刺激する味があり、えがらっぽいこととの説明である。

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小さな白い花は下を向いてたくさんの数がついている。少しずつ散り始めた花もあり。その花弁が地上にい落ちたり、また違う植物の上に落ちてあたかも、その植物の花のようになっている。

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ベンチに落ちたエゴノキの花一輪が何かさわやかな感じを与えてくれる。晴れた空からのお陽さまに照らされてその白さが一段と引き立っている。

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ほんとうに五月は山野や庭の新緑がまばゆい季節である。春の花と違って一気に咲くのではなく、その美しい緑をバックに咲く初夏の花が、次々と枝の成長に合わせて咲いてくれるのでうれしい。

コジュケイ  「ピープルプレイ」

早朝の公園にアシを踏み入れると、大きな声で聞こえてくるのがコジュケイの鳴き声。「チョットコイ、チョットコイ」 と聞こえるが、聞く人によっては違うらしい。

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「ピーチョッホイ、ピーチョッホイ」 と言う人、因みに英語では「ピープルプレイ、ピープルプレイ」 という。ウズラに似ているので、「ウズラに似ている鳥は何と言うんですか」 と聞かれることがある。

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ウズラよりは小さく尾羽はウズラより長い、丸い体はウズラに似ているが青味がある。原産地は中国南部、台湾原産の鳥である。年に2回産卵する繁殖力の強い鳥で、日本では狩猟用として放鳥された。

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聞くところによると、1912年に東京都と神奈川県に放鳥されたが、東京での元祖はこの公園だということである。

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集団で棲んでいるので、この公園でも場所によって縄張りがあるらしく、グループごとにいつも出没するところは同じところである。木々の下草刈りが行われるので、春先には隠れるところが少なくなって姿を現すことが多くなるのだろうか。

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木々の生育には下草刈りをせねばならず、鳥たちにとっては隠れるところがなくなり生命を脅かされかねない。

世の中矛盾が多いものである、人の世もそれぞれの立場からの主張はあるが、それをうまくまとめていくのが政治の力なのだろう。まさに、「ピープルプレイ」である。

朝露   早朝の輝き

昨夜からの雨があがり、明るい太陽の光が上り始めた。木々の間から差し込む光のコントラストがまぶしい。新緑の緑についた水滴が歩くごとに靴を濡らし,さらにズボンの裾まで湿ってくる。

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朝陽を浴びた森では鶯や、コジュケイなどの鳴き声が聞こえる。見上げると、先週よりも緑濃くなった木々の葉は、公園の遊歩道への陽の光をさえぎるようになってきている。

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一時滞在していた渡りの鳥たちも、もう通り抜けてしまったのかあまり鳴き声も聞こえなくなった。ないているのは、相変わらずのガビチョウやシジュウカラのさえずりである。ガビチョウはいたずらに他の鳥の鳴き声をまねることもあるが愛嬌のある顔をしている。

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水場を通り、整備された遊歩道を上りつめると、山の頂上に出る。ここではシメの群れが高い木の上を飛び交っているが、冬場にように地面には降りてこない。木の上の方に自分たちのえさを見つけられるのだろう。

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山道を下ってくると民家の畑があり、畑の中の草に昨夜の雨のつゆがたまり、それが陽の光に照らされて、ダイヤモンドのように光輝いている。スギナの群生についた水滴は細かく霧のように白く見える。

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一瞬の光景ではあるが、何とロマンチックな光である。良く見ると、つゆの光に周りの葉が映り、それが模様のように雨つゆの一つ一つに映っている。足をとめて座り込んで見入ってしまう。

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        クローバーの虫と露

太陽の陽が強くなるごとに、草花のつゆの光は消えてしまうが、早朝の一瞬のきれいな輝きである。今日の散歩は野鳥の姿はあまり見えなかったが、きれいな露の光を見ることができ、何となく得をしたような気分である。

アカハラ  赤ではなく橙色の鳥

日の出も4時半とか言われるようになり、暗いうちに起きていたころがうそのようである。最近の電力不足で、夏時間を設定するとかクールビズを早めるとか言われているが、わが社でもクールビズは5月中からおこなわれることになった。

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早朝散歩も明るいうちに出かけることができるようになり、陽が昇るのもかなり早くなっている。寒さもいいがやはり暖かいほうがうれしい。最近は汗ばむようになってきたので半袖短パンでも気持ちよ良く歩ける。

いつもの公園も夏鳥たちの中継地点になっているようである。早朝から、オオルリやキビタキの鳴き声が聞こえる。なかなか姿を見せてくれないが確かに鳴き声だけは聞こえる。

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秋の渡りのときは、水場に姿を見せてくれたのでじっくりと観察することができたが、初夏の渡りは緑の葉に邪魔されてなかなか姿を見ることはできないが、山で会うことを楽しみにしている。

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姿を見せてくれるのは、これから山に帰るシロハラやアカハラである。冬場にはあまり姿を見せんかった、アカハラが最近は良く鳴き声も聞こえるし、姿も良く見せるようになっている。

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鳴き声は「キョロン、キョロン、チリリ」と森の中に良く響き渡る声で鳴くのでわかりやすい。この公園ではシロハラはたくさん出会うがアカハラは少ない。それがこの春先は出会いの機会が多いのである。

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アカハラも留鳥なのか、いつでもいるような気がするが、やはり今は渡りの中継滞在なのかも。そういう意味では、今は渡りの途中のいろいろな鳥が声を聞かせてくれているのがうれしい。

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来月には、それぞれ山に向かって行ってしまうだろうから、私も遠征の準備をして山に出向いてみようと思っている。東北大地震で、景気の先行き、復興政策などで問題は多いが自然の営みは着実に進んでいる。復興事業も着実に進めていきたいものである。

松江城  天守閣を見上げる

塩見縄手を後にして、堀川にかかる稲荷橋を渡り、一般の民家が数件並んでいる坂道を上ると、城山稲荷神社がある。社は石段を登ったところにあり、参道や社殿の周囲におびただしい数のキツネ像が並んでいる。

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                城山稲荷神社

しばらく歩くと、護国神社がある。祭神は松平初代藩主・松平直政、松江開府の祖・堀尾吉晴、不味公こと松平冶郷、徳川家康で、本殿は寛永5年(1628)、拝殿は寛文元年(1661)に建造されたものである。

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          護国神社

松江城の敷地内には、民家あり、神社ありで一風変わっている。本丸の入口の一ノ門をくぐると前方にに大きな天守閣が鮮やかにそびえる。見上げると、5層6階の天守閣は、黒く厚い板で外壁を覆った、実戦本位の勇壮なすがたである。

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               石垣と天守閣

明治の廃城令で城内の建物は取り壊されたが、天守閣だけは残された。昭和25~30年に解体修理されたが、桐で造られた急階段や寄木柱など内部も往時の姿を今に残しているといわれている。

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          一ノ門

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          天守閣

見るからに落ち着いた歴史のあるお城である。見上げてもどっしりとした勇壮な姿である。ここでもときおり飛び回る鳥は”イソヒヨドリ”である。今回の旅行では先々でイソヒヨドリに出会う。久々の鳥である。

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整備された庭には、八重桜が咲き葉はでてきているものの、まだ花をつけているので狙ってみた。山陰では唯一現存する城郭建築ということで見ごたえは十分である。

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                名残桜と天守閣

松江城の展望台から、黄砂に煙る松江の町並みを眺め、古い石段を降りながら、往時をしのんで戻ると、何やらいいにおいがするので自然と足がそちらに向いていく、ぐるっと城の周りを歩き足が疲れてきたので一休みすることにした。

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          団子やさん

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         ぶぶ団子

雰囲気のいい団子やさんに入る。名物のぼてぼて茶とぶぶ団子、大ぶりの団子が串刺しになって炭火を囲んで焼かれている。メニューを見ると、抹茶と団子のセット、しじみ汁などがある。せっかく宍道湖に来たので団子としじみ汁をいただくことにした。

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ずっとながいこと歩いてきたので、腰をおろしてゆっくりするとなぜかホッとする気分である。また、このしじみ汁が美味しい。「たかがシジミ汁、されどシジミ汁」 普段は外でしじみ汁など食べることが少ないので格別である。

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         しじみ汁

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         煙る大山

のんびりと楽しんだ山陰の旅もそろそろ終わりに近づいてきた。行きには姿を見せなかった大山が帰りにはその姿を、黄砂の靄の中に見せてくれた。学生のころに登りたかった山の一つなので懐かしい、今日は登ることはできないが、その姿を見ることができたので満足である。さあ、これから元気を出して一路東京へと向かうことにする。

塩見縄手  武家屋敷街を歩く

城下町の風情豊かな塩見縄手を歩いてみる。松江城北側の内堀沿いの通りで、お堀沿いの老松の並木も風情たっぷりで、旅人の心を満足させてくれる。

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江戸時代には中・上級藩士の屋敷が立ち並んでいたといわれる。現在も500mほどの道沿いに、黒板塀と白壁の古い建物が続く。

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         塩見縄手

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         堀川

なお、「縄手」とは、あぜ道や真っすぐな道などの名前で、「塩見」は、一時、この地に住んでいた藩士・塩見小兵衛が異例の栄達を果たしたことに由来するといわれている。

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         武家屋敷

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         和服のお嬢さんが二人

出雲そばは、本当は松江が一番おいしいといわれている。「腹が減っては戦ができぬ」 とばかりに、塩見縄手の「八雲庵」に入る。入口には順番を待つ行列が長く続いているがせっかくなので、並んで待つことにした。

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         八雲庵

二階席の窓際に案内されたので、きれいな庭園を見降ろすことができる。朱塗りの浅目の器に蕎麦を盛り込んだ3段重ねの割り子蕎麦が690円とお手頃価格。薬味は、もみじおろし、海苔、カツオ節、ねぎでつゆを上からかけて食べる。腰があり歯ごたえがしっかりしておいしい。

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         割り子蕎麦

情緒豊かな庭園を眺めながら、出雲そばを満喫したところで武家屋敷街を散策。小泉八雲旧居や記念館を見る。

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         八雲庵 庭園

武家屋敷通りのバス停の近くに小泉八雲の胸像がある。小泉八雲は、作家、文学者、風俗学者で、英語名はラフカディオ・ハーンといい、後に帰化して小泉八雲となった。

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               小泉八雲 胸像

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        小泉八雲旧居

1850年ギリシャに生まれ、アイルランドで育つ。その後、アメリカに渡り、24歳で新聞記者になり、明治23年(1890)に来日して、島根県尋常中学校、五校、東大、早稲田大で教鞭をとり、この間に、日本の風俗や伝統文化などを著書を通じて世界に紹介した。明治37年(1904)に東京で死去した。代表作は、”耳なし芳一”で有名な「怪談」 「知られぬ日本の面影」 などがある。

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        堀川(北田川)

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古い街並みをゆっくりと歩きながら、堀川めぐりの船を橋の上から眺め、稲荷橋から松江城天守閣へと歩を進める。

水の都松江  堀川めぐり

出雲大社を後に431号線を一路松江を目指す。左側に一畑電車の線路を眺めながら宍道湖の湖岸を走る。松江宍道湖温泉と出雲大社を一時間で結ぶ情緒のあるローカル線、二両編成で30分から一時間おきに走る。

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         市内を走るレトロバス

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         北惣門橋

線路に沿って遊歩道が整備されて、その遊歩道を走っている人が多い、話に聞くとトライアスロンが盛んなところで、道路を走ったり、自転車で走ったりする人が多いのだそうである。

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         松江城石垣 その先は石垣がない

宍道湖は、周囲45kmで海水と淡水が混じる汽水湖で有名であるが、どんよりとした光景は黄砂の影響で今日も夕景はあまり期待できそうにはない。

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         水上からの塩見縄手

水の都松江では、まず、堀川遊覧船で城下町めぐりをすることにする。内堀をほぼ一周すると外堀に出て一回りして、また乗船場に戻ってくるという約50分のコースである。

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         新橋

船に乗ると、出発前に頭を下げ体を伏せる練習をする。それは頭上すれすれに橋をくぐっていくので、頭を下げてくぐり抜けなければならないからである。18か所ある橋のうち3か所は船の屋根を下げないと通れないという。

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          原生林のごとき樹木

大手前のふれあい広場から出発した船は、北惣門橋をくぐり左手に曲がっていく。松江城の石垣は、大阪城とか姫路城の石垣と比べるとザクロの実のようにきちんと積まれてなく、その上途中で石垣がなくなっている。

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その理由はお金がなかったのだろうとは、船頭さんの解説。間もなく北田川に入ると右手に老松と武家屋敷の街並みが見えてくる。塩見縄手である。

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         カラコロ工房

松並木の間に、水上から小泉八雲の銅像や記念館を見ながら、新橋、稲荷橋、亀田橋をくぐっていく。水上には大きな木の枝が張りだし、その枝ぶりが見事である。

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右側に、県立図書館を見て緑樹橋をくぐると左手に県庁が見えてくる。花園橋を通り、うべや橋はトンネル型で、屋根をたたんで通る。このとき乗船客は腰をかがめじっとしている。うべや橋をくぐると左手に曲がり京橋川に出る。幸橋を過ぎると左手にカラコロ工房が見える。

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         新米子橋

カラコロ広場は元の日銀の建物がある、ここでは船の乗船もできる。カラコロ広場と言うのは昔、下駄をはいた人たちがたくさん行き来してことからだという。京橋を過ぎ、東京橋、これは”とうきょうばし”ではなく、ひがし京橋と読む。

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          米子橋

まるで原生林のような樹木のトンネルの中を進んで行く。栄橋、甲部橋、新米子橋、ちょっと変わった造りの米子橋を通ると、また、屋根をたたんで体を伏せる普門院橋をくぐる。右手には普門院というお寺があり、橋は小さく舟幅もぎりぎりである。

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         小泉八雲の怪談

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北堀橋をくぐると松江城の石垣が次第に近づいてくる。宇賀橋をくぐり左手に曲がると出発地の大手前に戻ってくる。途中では、米子川から松江城の天守閣がきれいに見えるところがある。

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              松江城天守閣

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        宇賀橋から北堀橋

この川の水は水位が調節されており、船がスムーズに橋の下をくぐり抜けれるようになっているのだという。大きな橋の下をくぐるときは船頭さんが地元の民謡を歌ってくれるが、橋の天井に響き、自然のエコーで節回しの良い歌がさらに上手に聞こえる。至れりつくせりのサービスである。川面を渡る風は時間を忘れさせ、水の都を十分に満喫した”堀川めぐり”である。

出雲大社  平成の大遷宮との出会い

早起きは三文の得と言われるように、いつも早く行動する習慣は得をすることが多い。何と言っても名所の駐車場が確保できることである。縁結びの神様の出雲に来たのだから、三十路を越して、まだのんびりしている二人の子供たちのご縁を祈ることにした。

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        出雲大社本殿 今は工事中で見られない

せっかくの出雲大社も御本殿の御修造ということで、その姿を見ることはできないが、御修造過程を見ることができるというので整理券をもらって並んで待つことにした。

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         隣の出雲教

60年に一度の御修造ということは、私が生まれたときに行われたことが、今、目の前で行われており、私の今後の人生ではもう見ることができないことなのだということである。そういう意味では貴重なチャンスであるということである。

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物事を良い方に考える性格で、やはり出雲大社に来て良かったと思うのは私だけではあるまい。現在の御本殿は、延享元年(1744)に造営され、文化6年(1809)、明治14年(1881)、昭和28年(1953) に修理を加えて今日に至っている。

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昭和27年3月29日、国宝に指定され、古今を通じて日本第一の宮殿の様相を失わず、古くから、「天下無双の大廈」 ととなえられてきた御本殿の構造は、古代様式である「大社造」の典型で、屋根は切り妻、殿内へは妻入り、妻側の梁間が正面となっている。

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外で待つ間に、御本殿修復の説明を聞いて、順番に近代建築の建物で覆われた修理中の御本殿に入る。本殿の仮囲いは大きなビルのように囲っている。外観は情緒はないが、中に入ると何となく神々しい雰囲気である。足場の階段を上り4階部分から見下ろすことができる。

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御本殿の大屋根の面積は約180坪、軒先の檜皮は厚さ約1メートルにも及び、この大屋根には約64万枚という膨大な量の檜皮をもって葺き替えを行う。檜皮は伝統的木造建築の最高の屋根材として、古来より社寺を始めとする重要な建物に用いられてきた。全国から集めたものだという。

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一般的には2尺5寸(約75cm)の長さの檜皮を用いるが、出雲大社では3尺5寸(約105cm)・4尺(約120cm)という長い檜皮も使っている。

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これほど長大な檜皮を用いる建物は全国でも他に無く、どのような葺き方がなされているのか、専門家の注目を集めているところである。60年に一度ということは、今、屋根葺きをしている職人さんたちも一生に一度の仕事になるわけである。私も25年までに再び訪れるる機会がなければ、冥土の土産になるということである。

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足場で組まれた修理現場を見ると、随所で詳しい説明をしてくれるが、関心することばかりである。2尺5寸や4尺の檜皮を竹の釘で一枚一枚取りつけていく作業は見事と言うしかない。また、この職人さんたちの仕事は60年に一度であるから、人生で初めての出雲大社の屋根葺きであり、また最後の仕事になってしまうのだろう。

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このような場面に遭遇したということは、本殿の外観を見られなかったことは残念であるが、それ以上数倍の価値ある場面ににであったと言うことだろうか。この工事は平成24年度末までに完了して、平成25年5月10日の本殿遷座祭を迎えるとのことである。その時にまた、元気でここに来て、修復なった本殿を見ることができるこを楽しみにしている。

出雲大社  縁結びの神様を詣でる

出雲大社は、縁結びを中心に、幅広いご利益があるという古社、祭神は大黒様こと大国主大神(大国主命)である。「古事記」や「日本書紀」の出雲神話では、大国主命が天照大神に出雲の国を譲った際、見返りとして建てられたとされる。一般には「いずもたいしゃ」であるが、神社側では「いづもおおやしろ」と呼ぶと言われている。

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出雲大社の正しいお参りの仕方は、他の神社とは違うところがある。まず、手水舎での清め、左手を洗い、右手を洗う、口をすすぐところまでは同じだが、柄杓を立てて清めるところがポイント。水をもう一度左手にに流し、最後に柄杓を立てて、残った水で柄の部分を洗い清める。

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拝礼についてもここは違う、頭を下げておじぎをするのが「拝」、両手を打ち合わせるのが「拍手」、神社の拝礼には、「二拝、二拍手、一拝」が一般的ですが、出雲大社では「二拝、四拍手、一拝」で行う。

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               古い松に囲まれた参道

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        蛍の棲む川        

大国主命と言えば因幡の白ウサギを救ったエピソードが有名である。サメに全身の皮をむかれて真っ赤になった白ウサギに、大国主命の兄たちが、海水につかり風に吹かれていれば良くなると嘘を教え、白ウサギは、塩水がしみる痛さに泣いていた。

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          御慈愛の御神像

それを気の毒に思った大国主命は、川の真水できれいに体を洗い、がまの穂にくるまって風の当たらないところで寝ていると、痛みは取れると教えてあげたというお話である。

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               大国主命とウサギ

大国主命は、意地悪な兄たちのいじめに遭っていたので、弱者の痛みのわかる神様なのでしょう。ここの、ウサギと大国主命の銅像を見ると子供のころに教わった「因幡の白ウサギ」の話のその意義を改めて思い起こす。

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また、縁結びの神としてのルーツは ”もっとも恋多き神様” としても有名である。日本の神様の中で、多くの女神と浮名を流したプレイボーイの神様が大国主命なのである。

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               両手を広げた大国主命

たくさんの試練に遭うが、窮地に陥った時にはたいてい女神様に助けられている。結婚した女神様は6柱、兄弟と争って勝ち取ったヤガミヒメノミコト、須佐之男命の娘のスセリヒメノミコト、越後国のヒスイの清霊・ヌナカワヒメノミコト、宗像三女神のタギリヒメノミコト、コトシロヌシノミコトを生んだカムヤタテヒメノミコト、ヤジマムジノミコトの娘のトリミミノミコトである。

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         幸魂奇魂

大国主命の御子神は、181柱と、「日本書紀」 にあり、精力も絶大で多産な神様でもあり、縁結びの神様として祀られるのも当然のことだったのであろう。

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         拝殿

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        注連縄  長さ8m 重さ1.5t

銅鳥居と庁舎の間には銅製の神馬神牛が祀られている。馬は神霊を招く尊い動物と言われ、地元の人からは「かねおまさん」 と呼ばれ親しまれている。撫でれば子宝に恵まれるといわれている。

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                 神馬

神馬の頭はたくさんの人に撫でられて光っているが、日本の人口が減少していくということは、神通力が薄れてきたということだろうか。いや、そうでもなさそうである、結構早朝から若い人の参拝が多く見られる。われわれも、「むすび」 の御霊力を授かりたいものである。

宍道湖  夕景への挑戦

宍道湖の夕焼け、サンセットは有名できれいだ。私の携帯の待ち受けは真っ赤な宍道湖の夕焼けにカモの群れが飛ぶ光景である。この宍道湖の写真を見たときから、いつか自分の目で見てみたいと思っていた。

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今回はいい機会なので、石見 銀山を早めに引き上げて6時30分のサンセットに間に合うように、宍道湖の東岸を目指した。本来であれば、松江側の島根県立美術館がベストビュースポットだといわれている。

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宍道湖にある嫁ケ島をシルエットとして入れるのが一番のアングルになっている。この島は、その昔、姑にいじめられた嫁が身投げをしたとき、その嫁を載せて一夜にして浮かび上がったといわれている。

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ベストスポットまでは行くことはできなかったが国道9号線沿いの宍道湖を見渡せるところで日の入りを待った。やはり、あいにくの黄砂の影響で空はすっきりとせず、どんよりとした空であったが太陽ははっきりと見えるのでチャンスを待った。

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水面には、キンクロハジロやその他の水鳥が泳ぎ、黒いシルエットになっている。タイミングよく、鳥が沈む太陽を横切ったりしたがあまり良い写真にはならなかった。

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やはり、富士山を撮る人たちも一週間泊まりでチャンスを待っていると言っていたが、ここの夕日もそのぐらいの気構えでこないと良い写真は取れないのだろう。毎日が日曜日になったら、もう一度訪れてみたいものである。

大森の町  銀山で栄えた古い街並み

大森の町は往時の繁栄を伝える国指定の重要文化財の建物が多い。町を歩いていても整然と整備され、どこをのぞいても楽しくなる。ただ残念なのは有料のところが多い。確かに維持していくには大変だと思う。

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世界遺産に登録されても、観光客が多すぎると荒れてしまうことも多いので痛し痒しのところかも知れない。ただ、石見銀山の世界遺産登録のキーワード「環境への配慮」を大事にしたいと思う。

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町を歩くと、昔ながらの駄菓子やさんや古い民家の珈琲店、小ざっぱりした玄関など、そんなところにツバメが営巣をしている。

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やはり瓦の町でもあるのか石州瓦と書いてある。言われてみればどの家も茶系統の瓦屋根か黒色の瓦の家が多い。きちんとした鬼瓦やそれぞれの瓦に紋のようなものがあり、それぞれの家によって違っているようである。

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鉄、鋼の作品も軒先の出してある家がある。昔の鍛冶屋さんなのだろうか。街並みがきれいなのはゴミ箱がないせいかも知れない。それぞれ持ち帰りの習慣になっているのだろう。

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また、銀の町だけあって銀の店も数軒ある。のぞいてみると銀の首飾りや指輪などがたくさん陳列されている。デザインも多彩で銀製品作家の有名人の店もある。

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                  銀の店

途中の川にかかる橋が変わっている。”マディソン郡の橋”という映画があったが、それと同じような橋であるが、橋の上に屋根があるわけではなく橋の横に屋根があるという感じである。

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ぶらぶらとゆっくり歩いて大森の代官所跡までたどり着いた。ここは石見銀山資料館になっていて大正12年に閉山になった石見銀山の歴史資料を展示している。文化12年(1815)に建てられた表門などが残されている。

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          大森代官所跡

今日は一日ずいぶん歩いたので、バスで駐車場まで行き宍道湖のサンセットを見るべく松江方面へと向かうことにした。ただ心配なのは、今日の空、相変わらずの黄砂のそらである。スコールのような雨でも降ってくれれば、一気に空がきれいになるのだが、そううまくことが運ぶことはない。淡い期待で夕日を見るベくサンセットスポットへ向かう。

羅漢寺 世界遺産五百羅漢を見る

羅漢寺の本堂の天井には龍の天井絵がある。見上げると見事な双龍の絵である、龍というのは架空の動物であるがなぜこのようにリアルに描けるのか疑問になる。

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          石室山 羅漢寺

この天井絵の由来を見ると、『その昔銀山では、三百水を住居とする双龍が、毎夜村人を襲い困り果てていた。民の困窮を見かねた、高僧、月海浄印(羅漢寺の開祖)が「このままでは五百羅漢建立の妨げになる」と思い、真言密教の法力を用いて龍を退治した。

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              大宝筐印塔 国指定文化財

三日三晩に及ぶ壮絶な闘いだったと伝え聞く。後に羅漢寺建立の際、本堂の天井に護摩の灰で描かれ封印した。年月とともに灰も薄れ、龍の封印が解けそうになったとき、中島某という絵師(一説によると葛飾北斎の雅号という説もある)により描き直され今日に至る。』という説明がある。

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                反り橋

この本堂向かいの石窟には、高さ40cmほどの五百羅漢座像がぎっしりと並んでいる。銀山で働いてなくなった人や祖先の霊の供養のため、25年ほどかけて造られたとされる。全体が完成したのは明和3年(1766)のことである。

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石窟の中にあるため、全国に数ある五百羅漢像と比べて保存状態がよく表情が豊かである。いろいろな表情をしているので見ていて飽きない。女性は何人か、眼鏡をかけている人はいるかとそれぞれの表情をのぞいてみる。

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五百羅漢座像については次のように説明されている。『羅漢像は現在の温泉津町(ゆのつまち)福光の石工坪内平七、その子及び一門の人々が約二十年の歳月をかけて彫像したもので、それぞれ背面または裏面に寄進された人の名と年月が刻まれています。

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さまざまな表情と姿勢をされていますが、当時の人々はここにお参りすれば亡くなった父や母に会えるといって善男善女が近郷近在から集まったといわれています。

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なお、五百羅漢とは、お釈迦様に従っていた五百人の弟子のことで、世間一般の感情や欲望等葉全て超越しているが仏、菩薩の境地には未だ到達せず我々人間と仏との間の存在です。』という説明である。

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五百羅漢座像の表情を見ていると、ほとんど我々が日常行っている動作をすべて表現しているように見える。撮影禁止なのが残念であるがいつまで見ていても楽しいものである。

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石窟の前には、銀山川の支流が流れ三つの反り橋がある。この橋は石を組み合わせて造ったもので当時のまま現在まで至っているというが、三人以上渡らないでくださいという注意書きもある。

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また、ここには三百水という湧水があるという。説明はこうだ 『この地に五百羅漢が、建立されるはるか昔から流れ出る湧水で四百五十年余りの歴史を持ちます。

当時、土地の人々はこの水を桶で担いで銀山に「一荷三百文」で売り歩いたことから三百水の名が付けられました。

渇水時にも枯ることなく湧き出す清水は島根の名水にも選ばれている清冽無比の霊水です。』 ということである。

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最後に本堂の天井絵を再度眺めてから、往時の繁栄を伝える大森の古い街並みを散歩することにした。

石見銀山  龍源寺間歩を歩く

石見銀山がなぜ世界遺産に登録されたかという説明があり、それを聞いて納得した。「21世紀が必要としている環境への配慮」がすでにこの場所では行われていたということである。

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              龍源寺間歩入口

一般に銀山開発では、銀の精錬のために大量の薪炭用木材が必要とされたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されているという。_6727

龍源寺間歩 の入口の横に小さな石像が安置されている。その前で入場券を買って坑道に入る。「間歩(まぶ)」とは、坑道のことで、石見銀山には約500の「間歩」が残るが、内部を見られるのはここだけである。

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入口から約157mの坑道が伸び、さらに116mあまりの栃畑谷新抗を抜けると地上に出る。随所にノミの跡が残り、竪抗もみられる。

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                坑道

坑道の中は歴史が残したものか、植物が緑の色を見せてくれる。照明で照らされることによって衣服についていた植物の種が芽を出し始めたものだろうと思う。

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時折水滴が落ちてくる坑道は狭いが涼しい。当時は水対策は大変だっただろうと思うし、換気などもかなり苦労したものだろうと思う。

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関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、石見銀山所在地を幕府直轄領(天領)とし、石見銀山処刑場や大森関所などを設け統治力を高め犯罪に対し厳しい処罰がなされ治安維持に努めたと言われている。

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石見銀山は江戸時代前期には日本の膨大な銀需要を支えたが、元禄期になると次第に産出量が少なくなり、慶応2年(1866)6月の第二次長州戦争において、長州軍の進発を食い止めることができず、石見銀山の幕府支配は終わった。

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          新抗

新抗を抜けると出口に出る。出口には銀鉱石の原石が置かれ、近くには「香屋」があり、銀山香木師の店主が銀の製法などを解説してくれ、ここで売っている香り袋はクロモジの木を使って香りを出しているとのことである。

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          銀鉱石 原石

クロモジの木はそのままだと何の匂いもしないが軽くたたくといい香りを漂わせてくれる。目の前で実演して匂いを体験させてくれるのでうれしい。楊枝だけかと思ったら違う使い道があるのでちょっと得をしたような気になる。

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                佐毘売山神社

帰り道を下ってくると、右手に佐毘売山神社がある。祭神は鉱山を守る金山彦命で地元の人たちは「山神さん」と呼んでいるという。

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          高橋家

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               孟宗竹林

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        龍源寺間歩からの帰り道

龍源寺間歩を後にして後は下り坂なのでのんびりと下る。孟宗竹の竹林がきれいな光景をみせてくれている。上りの道とは違った雰囲気を下りの銀山では見せてくれる。途中出雲そばの看板が見えたので、一休みすることにした。腰がある蕎麦で元気をもらい、五百羅漢へと向かう。

石見銀山  清水製錬所跡を歩く

遊歩道を歩くと、安養寺を過ぎたところ左手に上り坂があり、160mぐらい行くと清水谷製錬所跡がある。

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苔むした石垣と製錬所跡の煉瓦などを見ると歴史の重みを感じる光景である。登り口のところに製錬所の説明板がある。当時の地図と建屋の写真があり、設備としてはかなりなものである。

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太田市役所の説明板によると、次のように書いてある。

『 徳川幕府が崩壊し、明治時代になると、石見銀山では、一部の既存の間歩(坑道)を利用した地元の人たちによる小規模な採鉱がかろうじて続いていましたが、本格的な銀生産の再開は、明治19年(1886)に萩出身の藤田伝三郎たちが起業した大阪の藤田組(現在の同和鉱業株式会社の前身)による採掘権(借区権)の入手を待ちます。

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 藤田組は、仙ノ山の南側の本谷地区の福石鉱床の金銀含有率と量に着目し、それによる銀生産を計画、明治27年(1894)武田恭作氏(当時東京帝国大学冶金学科学生)の設計による近代的な銀の製錬所の建設を開始し、20万円の巨費を投じて翌年に完成、4月から操業を開始しました。

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 この製錬所には写真のような施設群があり、福石鉱床で採掘した原料の鉱石は、新たに掘削した金生鉱と拡張した既存の蔵之間歩(くらのじょうまぶ)を通って製錬所の最上段までトロッコで運んでいた状況をうかがい知ることができます。

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 鉱石の品質が予想より悪く、また設備の銀の製錬能力も十分でなかったことから不採算となり、明治29年10月に、開始から1年半で操業を停止しました。

その後、藤田組は柑子谷に永久製錬所を新たに建設して、銅生産を中心に大正12年(1923)間で操業しました。』

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 鎌倉時代から発見されたといわれる石見銀山も、戦国の銀山争奪戦を経て江戸幕府による支配で最盛期を迎えたが、明治時代になり民間払い下げ後も価格の暴落や坑内の環境悪化などで閉山になり、昭和18年(1943)の水害で完全閉山となった。

 今は昔の面影を残した石垣と、雑草に覆われた工場跡地に当時も咲いていたのだろうか菜の花がきれいに咲いている。「国破れて山河あり」の製錬所跡である。

石見銀山  山沿い遊歩道を歩く

島根県太田市にある石見銀山は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた。当時ではゴールドラッシュならぬシルバーラッシュの夢の跡で、今では閉山されている、当時は日本最大の銀山であったと言われている。

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当時世界の銀の3割を産出したと推定されているが、地域的には採鉱ゾーンに当たる銀山地区と、行政・通商に携わる人々が居住していた大森地区とに分かれている。

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大森地区の銀山公園から銀山川沿いに遊歩道を歩いて行くと30~40分ぐらいで石見銀山遺跡龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)に着く。自然の山河を楽しみながら歩いてみることにする。

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川の対岸には車が通れる舗装された道路が並行して走り、観光の車は進入禁止で貸し自転車や三輪の人力車などが走っているが、坂道なので見ていると結構大変そうである。

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天気も良く河原には菜の花が咲き、青い空と澄んだ流水が気持よく、心身共に快適な遊歩道である。遊歩道は山道であるが、対岸には歴史のある建物や民家などが並んでいる。

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古い鳥居の豊栄神社が見える。これは毛利元就を祭神する神社で、境内には、幕末の長州軍ゆかりの遺構もあると言われている。

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          豊栄神社

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          西本寺

途中には、民家風のこぎれいな喫茶店などもあり、昔の街並みが豊かな自然の中に眠っている感じである。左側には廃寺への苔むした石段が残り大きな石の下には小さな仏像などが安置されている。

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清水谷製錬所跡を見ながら、川沿いを歩く。ここは明治28年(1895)、山すその傾斜を利用して造られた製錬所の遺構である。菜の花と緑に苔むした石垣が歴史を感じさせるとともにきれいに映っている。

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              龍源寺間歩への1.1kmの案内

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新緑の下を静かに流れる川音を聞きながら、さらに進むと左側に新切間歩が見えてくる。大きな石碑が立っているが、ここは正徳5年(1715)に開発がすすめられた間歩で、内部は非公開になっている。

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          新切間歩

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         内部は非公開

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         福神山間歩 内部は非公開

ここを過ぎると、舗装道路と合流して福神山間歩を右に見て、旧高橋家の前を歩くと龍源寺間歩の入口に到着する。かなりの上りを歩いてきたので、ここを見学すると後は下りになるので 「元気なうちにこの坑道まできた方が楽である」と、これはガイドさんの教えでした。

境港   水木しげるロードを歩く

JR境線の境港駅から水木しげる記念館まで続く道路は水木しげるロードとして整備され、舗道の両側に妖怪の像がいろいろな形で約120体ほど並んでいる。

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           水木しげるロード なんじゃもんじゃ通り

ゲゲゲの鬼太郎については、テレビドラマでかなり有名になったが、かみさんが「ゲゲゲの女房」が好きで、どうしても境港に行ってみたいということで実現した。

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          駅前の水木先生

駅前では、ネズミ男の実物が写真を撮ったりして観光客も連休のせいかかなり多い。常日頃このぐらいの人出があればこの境港も相当潤うだろうと思いながら、街をぶらぶらすることにした。

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                  ねずみ男

ネズミ男に二人の記念写真を撮ってもらったので、お礼に東北大震災義援金を投入して、妖怪たちの像をなでながら一つ一つの妖怪の名前を確かめて歩いた。こんなにもたくさんの妖怪がいたのかと、いまさらながら驚いたり感心したりしている。

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          鬼太郎のゲタ

カランコロン通りの交差点には、水木ロードポケットパークという小さな公園があり、水木しげるの銅像と 「なまけものになりなさい」 という言葉がある。

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                 水木ロードポケットパーク

大正川が流れるしげるさん通りの橋の欄干には、両側に鬼太郎と目玉おやじ、反対側にねずみ男がいる。どれも人が触ったのだろう顔や頭が光っている。

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                しげるさん通りのねずみ男

両側の商店街はすべて鬼太郎一色である。下駄やさんはもちろんであるが、酒屋さん、パンやさん、駄菓子やさん、本屋さん、コーヒーやさんなどなど。鬼太郎、目玉おやじ、ネズミ男、ねこ娘などのパンは食べるのがもったいなくなる。

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          下駄やさん

水木しげる記念館には、赤ん坊の鬼太郎と目玉のお父さんの像があり、鬼太郎には妻がいたなどの事実も明らかになる。

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         パン屋さん

手前の交差する道路が”なんじゃもんじゃ通りとなっている。木にもなんじゃもんじゃの木というのがあるが、昔の人は名前のわからないことを”なんじゃもんじゃ”と言ってごまかしていたようである。

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          妖怪饅頭屋さん

折り返して反対側の通りを境港の駅の方に歩くと、途中に妖怪神社がある。妖怪が宿る樹齢約300年のケヤキの老木と黒御影石かご神体があり、社務所では妖怪絵馬などを販売している。

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                 妖怪神社前

砂かけ婆を過ぎると、妖怪広場があり流れ落ちる水の中や岩の上にたくさんの妖怪たちがいる、公園を照らす白い外灯にも目玉おやじの絵があり、妖怪一色の公園である。

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          妖怪広場

店先には妖怪ドリンクが並び、妖怪珈琲、妖怪汁、目玉のおやじ汁、ネズミ男汁などがありネーミングからは美味しさは伝わってこないので遠慮することにした。

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          酒屋さん

境港と言えば漁港であり美味しい魚を食べることにして、一路海岸沿いにある皆生温泉へと向かう。二階にある露天風呂は、目の前に日本海が見え、眺望のよい温泉である。あいにく黄砂でどんよりとしているが疲れが癒される。

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風呂上がりは、海の幸で冷たいビールと地酒で乾杯、魚はのど黒、牡蠣、海鮮料理を満喫、かみさんの足元は少しふらついていたようであるが、顔を赤らめて満足していたようである。

足立美術館  日本一の庭園と横山大観

”どじょうすくい”の安来節で有名な山陰道安来インターを降りると、芽吹きだした山々のパステルカラーの薄緑を背景に、菜の花が咲く飯梨川に沿って上流に走るとどじょう会館という大きな看板のあるとなりの大駐車場のある建物が足立美術館である。

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中国の黄砂の影響で空はどんよりと曇り、車は白く汚れているがそれを我慢すればやはり五月の風、さわやかである。

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         創設者 足立全康と庭園日本一の案内

この美術館は、日本庭園のすばらしさで外国人の評価が高かったことで話題になり、最近は国内でも人気のある美術館になっている。今回の山陰旅行の目的の一つはこの美術館で横山大観を見ることと、ここの日本一の庭園を楽しむことである。

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          苔庭

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玄関に一歩足をふみいれると眼の前には枯山水の大庭園と借景の山々が織りなす深遠な調和美の世界が広がっている。背景に見える自然の山々と美術館の築山がきれいに調和していてその風情に感嘆する。

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         白砂青松庭

館内は1階が喫茶室や茶室がありゆっくりと庭園を眺められる「名園の時間」、2階は庭園美を味わった後美しい余韻を持って名画との出会いが始まる「名画の時間」となっている。

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           苔庭

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          木炭

数多く展示された明治、大正時代の蒔絵の工芸品を見ながら館内を歩くと、童画のコレクションに足を止められて見入ってしまう。林義雄や武井武雄、童画もまた芸術だと改めて思う。

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          枯山水庭

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茶室”寿立庵”の苔むした庭園の踏み石を進むと、青竹に清流が流れ、新緑のもみじの葉が逆光に浴びて、ひときわ鮮やかに見える。

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          茶室 寿立庵

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          苔むした庭園

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            新緑のもみじ

”生の額絵” 通路の窓からそれを見ると、その窓が額縁になり外の景色を一段と引き立たせる。こういう設定は各所に見られ、美術品を見る前に庭園を堪能できるようになっている。これもなかなかのはからいである。

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         生の額絵

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                生の掛軸

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               人がいなければ!

5万坪の庭園と言われているので、ゆっくり歩いて見ていても時間がかかるし疲れたので、近くの喫茶室で休むことにした。庭園の池につきだした喫茶室はコーヒーを飲みながら庭園を楽しめるようになっている。足元には大きな錦鯉が優雅に泳いでいる姿が見える。

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          喫茶室 大観

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                生の額絵

コーヒーのスプーンがまた変わっている。竹炭のスプーンを使うと味がまろやかになりさらにコーヒーの美味しさが増すのだという。この庭園の管理をしている職人さんの作ったものだという。一杯のコーヒーも心なしか美味しさが増したような気がする心遣いである。

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          竹炭のスプーン

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               庭園にイソヒヨドリ ♂

横山大観は明治元年、現在の茨城県水戸市に生まれた。「山海二十題シリーズ」などが有名であるが、山に因む十題はすべて富士山をテーマにしている。暗雲立ち込める中の雪を冠った富士山とか、霧雲が晴れあがっていく富士山、霊峰と真紅に燃え上がる旭日などである。

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            庭園からの亀鶴(きかく)の滝

また、海に因む十題は必ずしも二日本の海だけをテーマにしたものではないが、自然の美しさと海の厳しさを季節ごとにその表情を表現している。

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          枯山水庭

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              古井戸

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          中庭

かみさんのお勧めの足立美術館には大変満足した。まるで立体絵画のような観賞式日本庭園と、横山大観をはじめとした近代日本絵画のコレクション、庭園を楽しむムードある喫茶室、演出のコーヒーなどで優雅に過ごせた山陰のひと時であった。

メリケンパーク  「希望の船出」

今年のゴールデンウイークはどこに行こうかと考えていたが、東北大震災もあったのでかなり躊躇していた。何もなければ海外へと思いはあったが、最後まで決定せずに迷い、天気もよさそうだし質素に出かけることにした。

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早朝の1000円高速で山陰の旅にでることにする。この1000円高速も5月いっぱいで終わるというので、愛車で移動することにした。その浮いた分を各地で行われている震災募金に寄付をすることにして一路神戸へ。

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          復元帆船 サンタマリア号

最初の宿泊は神戸の三宮に泊まることにして、途中琵琶湖を眺めながら昼食をとり、三時ごろには神戸に着いた。

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            オルタンシアの鐘と神戸ポートタワー

夕食までは時間があるので、三宮の町をぶらぶらしながらメリケンパークに足を運んだ。神戸大震災から復興後5年にここに来たことがあるが、かみさんと二人で来たのは十数年ぶりである。

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          「希望の船出」 の像と復興なった神戸の街

きれいになったメリケンパークには、「希望の船出」の像がある。神戸から世界へ期待に胸を膨らませて旅立っていった当時をしのばれる。若い夫婦と男の子を真ん中に挟んで未来に向かって今にも歩き出しそうな銅像である。

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銅像の近くには移民の歴史が書かれてあり、当時の移民の状況が詳しく説明されている。日本の海外移住は、1866年の海外渡航禁止令が解かれてから、いわゆる鎖国令がなくなってからで、ブラジルへの移民は1908年に始まり約100年以上の歴史がある。

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ちょうど目の前に広がる青い海には、白い客船が出て行くところである。それを見送るように何組かの若いカップルの後ろ姿が見える。将来の夢を語り合っているのだろうか。

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当時、第一回の日本人ブラジル移民を運んだ船は「笠戸丸」で、「神戸 希望の船出」 と説明されているが、復興なった神戸を見ていると、神戸大震災のときもこの銅像が希望を与えてくれたのだろうと思う。

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                  オルタンシアの鐘

静かな青い美しい海を見ていると、東北大震災でこの海があの悲惨な姿を作り出したとは思えない。復興への道のりは遠く厳しく大変ではあると思うが”心の灯台” をともして希望の船出としたいものである。

聖ヶ丘今昔  桜ヶ丘公園を歩く

多摩ニュータウンは1971年に第一次入居が始まった計画都市である。戦後の高度経済成長に伴い東京区部の住宅難から比較的割安な多摩丘陵地域に34万都市を作ることで開発された。

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                桜ヶ丘公園

都立桜ヶ丘公園の近くに聖ヶ丘という地域がある。1984年入居開始の比較的一戸建ての多い高台にある住宅街である。「聖ヶ丘」という地名は公募で決まったといわれているが、近くに聖跡記念館があることに由来しているという。

バス通りに沿った歩道を歩いていると面白いものが公園の脇にある。タヌキの顔が3段になった彫刻がのぞいている。うっかりすると見過ごしてしまいそうなもので、聖ヶ丘の由来の説明がされている。

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説明板によると、『「聖ヶ丘」の町名は、昭和55年11月1日に新設された町名であり、大部分が連光寺(一部は関戸)であったところです。この地域一帯は、連光寺御猟場として明治天皇がうさぎ狩りなどをして楽しまれたところであることから、聖蹟の「聖」をとって「聖ヶ丘」と命名されました。

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以前、聖ヶ丘橋付近には、「天井返」(てんじょうがえし)という小字があり、また、聖ヶ丘小学校の北側付近には「つかんぼやと」などの珍しい地名があったようです。

現在、聖ヶ丘1丁目から5丁目まで設定されています。なお、この、彫刻は連光寺の地名で「むじながいり」など、むじなにちなんだ地名があり、むじなが多く生息していたと思われることから「むじな(たぬき)」をテーマにしたものです。』 という多摩市の説明がある。

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そして、当時の様子を描いたむじなの絵が埋め込まれている。多摩ニュータウンは、多摩市、八王子市、稲城市、町田市にまたがるベッドタウンになっているが、当時の丘陵地帯の風景が思い出されるモニュメントである。

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今では、立派なニュータウンになっているが20~30代で入居した人たちが40年を過ぎ高齢化の街になりいろいろな問題点も多い。最近では企業の誘致や若い人の入居も多くなってきたが、計画都市の矛盾点が浮き彫りになっている。今後の行政に期待したいところである。

一斉に咲く春の花  群生地を歩く

若葉の芽ぶき出した新緑の公園の木々の下には、春の花が一斉に咲きだした。一輪でもきれいな花ではあるが、それが群生しているとまた雰囲気が違って華やかさを感じさせる。

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           シャガ

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          ジュウニヒトエ

どこにでも咲いている花でもそれが群れていると、元気や勢いを見せてくれるので見ていても気持がうきうきしてくる。

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          タンポポ と ハナダイコン

それがタンポポであり、ハナダイコンであり何気なく歩いている足元に咲いているスミレであっても、違う一面を見せてくれる。特にイチリンソウなどは群生していた方が見ごたえがある。

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          イチリンソウ

イチリンソウは野山や田畑の縁、樹木の下などに群生する多年草で、花は日が当らないと元気がない、日が当たるときれいに開花するが曇天や夕がた早朝などは花を閉じている。

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                開花前のイチリンソウ

私が歩く時間帯は早いので、イチリンソウの群生地ではいつも花弁が閉じたり、下を向いていることが多い、中には早起きで元気な花を見せてくれるものもあるのでこれがうれしい。

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          スミレ

また、スミレは日本ではたくさんの種類があるが良く知っているのは、タチツボスミレぐらいで、じっくりと観察しないと一般には”スミレ”でかたづけてしまっている。日本はスミレ大国と言われるほどで各地に自生種がありその数は50種類以上と言われている。

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小さな可憐な花ではあるが、どんな厳しいところでも春先になるときれいな花を咲かせてくれる。一株でもきれいではあるが、これが群生していると足を踏み入れるのを躊躇してしまう。

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タンポポは、エゾタンポポ、カントウタンポポ、カンサイタンポポ、シロバナタンポポやセイヨウタンポポなどがあるが黄色い花は、シロバナタンポポ以外は同じで鮮やかな色を見せてくれる。

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          タンポポ

今の時期、一般にどこにでも咲いているのはどちらかと言うとセイヨウタンポポが多いのではないだろうか、日本に入ったのは明治時代で北海道で野菜として栽培したのが最初だといわれているが一番庶民的な花である。

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黄色の花がきれいに咲いていると思うと、そのそばで花が咲き終わり白くなったタンポポの実がふんわりとした感じできれいに並んでいる。白髪頭になった人間のような感じである。

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これが風に飛ばされてまた来年新たな花を咲かせてくれるのだろう。子供のころには、これをとって口で吹いて飛ばして遊んだものである。風かおる五月は本当に気持ちのいい季節である。春の花が目を楽しませて気持ちを和やかにさせてくれる早朝ウォーキングである。

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