野鳥たち

  • オオソリハシシギ
    野鳥たちの表情を表現できればと思っていますがショットが精一杯。

花たち

  • 姫扇
    気の向くままの足跡を紹介します

風景

  • 常陸海浜公園
    一期一会の心に残る風景

淡島の一日

  • 淡島から見るサンセット
    奈良の帰りに淡島に一泊。夕日と富士山がきれい。露天風呂から正面に富士山が見える。

四国・四万十川の旅

  • 金比羅宮
    2008年5月の連休の四国四万十川の旅

« 石見銀山  山沿い遊歩道を歩く | トップページ | 石見銀山  龍源寺間歩を歩く »

石見銀山  清水製錬所跡を歩く

遊歩道を歩くと、安養寺を過ぎたところ左手に上り坂があり、160mぐらい行くと清水谷製錬所跡がある。

_6632

苔むした石垣と製錬所跡の煉瓦などを見ると歴史の重みを感じる光景である。登り口のところに製錬所の説明板がある。当時の地図と建屋の写真があり、設備としてはかなりなものである。

_6637

太田市役所の説明板によると、次のように書いてある。

『 徳川幕府が崩壊し、明治時代になると、石見銀山では、一部の既存の間歩(坑道)を利用した地元の人たちによる小規模な採鉱がかろうじて続いていましたが、本格的な銀生産の再開は、明治19年(1886)に萩出身の藤田伝三郎たちが起業した大阪の藤田組(現在の同和鉱業株式会社の前身)による採掘権(借区権)の入手を待ちます。

_6641

 藤田組は、仙ノ山の南側の本谷地区の福石鉱床の金銀含有率と量に着目し、それによる銀生産を計画、明治27年(1894)武田恭作氏(当時東京帝国大学冶金学科学生)の設計による近代的な銀の製錬所の建設を開始し、20万円の巨費を投じて翌年に完成、4月から操業を開始しました。

_6648

 この製錬所には写真のような施設群があり、福石鉱床で採掘した原料の鉱石は、新たに掘削した金生鉱と拡張した既存の蔵之間歩(くらのじょうまぶ)を通って製錬所の最上段までトロッコで運んでいた状況をうかがい知ることができます。

Photo

 鉱石の品質が予想より悪く、また設備の銀の製錬能力も十分でなかったことから不採算となり、明治29年10月に、開始から1年半で操業を停止しました。

その後、藤田組は柑子谷に永久製錬所を新たに建設して、銅生産を中心に大正12年(1923)間で操業しました。』

_6655

 鎌倉時代から発見されたといわれる石見銀山も、戦国の銀山争奪戦を経て江戸幕府による支配で最盛期を迎えたが、明治時代になり民間払い下げ後も価格の暴落や坑内の環境悪化などで閉山になり、昭和18年(1943)の水害で完全閉山となった。

 今は昔の面影を残した石垣と、雑草に覆われた工場跡地に当時も咲いていたのだろうか菜の花がきれいに咲いている。「国破れて山河あり」の製錬所跡である。

« 石見銀山  山沿い遊歩道を歩く | トップページ | 石見銀山  龍源寺間歩を歩く »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 石見銀山  清水製錬所跡を歩く:

« 石見銀山  山沿い遊歩道を歩く | トップページ | 石見銀山  龍源寺間歩を歩く »