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2011年11月

長瀞  舟下りと岩畳

奇岩の多い河原から川沿いを下流へと歩いて行くと、舟下りの船が数分沖に下ってくる。途中急流があり波しぶきを上げながら、船頭さんがうまくかじ取りをしている。大きな声でガイドをしながらの操舵はかなりの熟練が必要なのだろう。

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しばらく急流で対岸の紅葉と川の流れを見ていると、カヤック遊びの若者がオールをうまく操りながら急流を下る。みていると結構面白そうなのでやってみたい衝動にかられるが、実際は大変なのだろうと思う。カヤックやラフティングは急流をうまく乗りこなすのが醍醐味なのだ。

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この急流を過ぎると荒川は静かな流れになり、青く淀んだ瀞となる。川べりも大きな岩になり、荒川の浸食と隆起した結晶片岩が文字通りの岩畳となって広がる。

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岩畳の上から見下ろす荒川は対岸の秩父赤壁といわれる絶壁と岩畳の間をゆっくりと流れる。少し手前の急流が嘘のように青い水をたたえてまた違う風景をみせてくれる。

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         岩畳

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舟下りの乗客も急流では水しぶきを避けるために、ビニールシートで頭を覆っていたが、ここではゆったりとした流れで周りの紅葉や奇岩をゆっくりと観賞することができる。

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以前来た時は舟下りを楽しんだが、今回は川沿いをゆっくりと歩くことにしたので、また違った光景を楽しむことができた。船での眺めもいいがやはり足で歩くほうがいろいろなところを見ることができ、新しい発見があるので楽しい。

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        白鳥島

駐車場の案内のおじさんが「5分ぐらいで岩畳までは行けますよ」と言われて歩いてみたが、そうでもなく充分に歩くことで到達できた。また、戻らなければいけないので、とにかく腹ごしらえをしてからもどることにする。近くの美味しそうな蕎麦屋の「舞茸天そば」を頼んで落ち着くことにした。

紅葉  長瀞の名残もみじ

荒川の河原へ下りていく土手から下流へと、川べりを歩くところにもみじの木がきれいに多くの葉を染めているが、少し見ごろを過ぎたという感じがする。

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河原での岩と水の流れを楽しんだ後、もみじの木の下で上を見上げると、太陽の光を受けて赤や黄色に染まった紅葉の葉が重なりあって色の濃淡を演出して私を喜ばせてくれる。

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ブラブラと歩きながら、真っ赤に燃える紅葉の木の下に来ると、近くを野鳥たちが飛び交う。よく見るとメジロである。忙しく動き回っているが、赤い紅葉の枝に来てくれないかと、頭の中で構図を練ってしばらく待ってみたが、期待外れで思うように行かない。

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        メジロ

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時間があればこの場所に一日いれば、いいアングルでレンズに収まってくれるかも知れないが、なかなかそうもいかないのであきらめて歩を進める。

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公園の真ん中に、虚子の句碑がある。「ここに我句を留むべき月の石」 ”月の石紅葉公園”という名前はここからきているのかと思いながら眺めている。

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        虚子句碑

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朝は空いていたこの公園も人の数が時間がたつにつれてだんだんと多くなってきた。それぞれカメラを持っている人が多く、人影に邪魔をされるようになってきたので、川沿いを下流の岩畳の方向に歩いてみることにする。

長瀞  舟下りと奇勝奇岩

今年の紅葉狩りはどこがいいかと迷っていると、長瀞の紅葉がきれいだというので行ってみることにして、早朝に出発して一路秩父路へと向かう。

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国道20号線を下り青梅から成木街道を長瀞に向けて走る。途中七曲の狭い林道を抜け峠を越えて秩父郡を通り、荒川の流れる長瀞町に出る。

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舟下りの乗り場の少し下流が月の石もみじ公園で、夜間はライトアップされているようである。あさも早い時間に着いたので駐車場は空いていてすんなりと止めることができた。

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天気はいいので紅葉狩りとしては最高である。朝方はひんやりとした空気であったが、陽が出てくると暖かくて過ごしやすいもみじ観賞日和である。

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少し遅い感じのする紅葉であるが、赤や黄色に染まった紅葉の木の下を歩きながら河原へと向かうと、目の前に奇勝、奇岩が広がる。

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河原では隆起した岩が荒川の流れに削られて、岩肌がいろいろな模様や姿を見せてくれる。その上をゆっくりと流れる川の流れを見ながら渡り歩く、奇岩が多く非常に興味の持てる風景である。

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この岩ができた当時の激しい地殻変動がいかにすごいものなのかが想像される。ここには、「地質学発祥の地」という石碑がある。

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「発祥の地」の由来はこうである。『明治10年東京大学に地質学科が創立され、近代地質学が初めて日本に導入されると翌年には、初代教授ナウマン博士が長瀞を調査している。

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             日本地質学発祥の地の石碑

以来、長瀞一帯は、我が国地質学上重要な研究の拠点となり、多くの地質学者を育て、日本地質学の発祥の地といわれるようになった。』

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県立自然の博物館の脇には、いろいろな岩石が並べられそれぞれ名前が書かれている。安山岩とかよく知られた岩石はすぐにわかるが、見ていると知らない名前の方が多い。岩石にもさまざまな種類があるものだと改めて感心する。

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奇勝、奇岩の河原を歩きながら考えると、地質学とか考古学、天文学などは長い時間の研究なので時間の誤差も大きいが、そういう時間に浸ることは面白いだろうなと、思いながら河原の奇岩の上を渡り歩いている。今度生まれ変わったらこういう分野の研究者になるのも一つの選択肢だなと考える。

谷川岳  日本百名山と源水仕込み

地酒「谷川岳」を味わい、その酔いに懐かしい学生時代の思い出を語り合った汪泉閣の一夜、外は雨上がりで空を流れる雲の動きも早い。時々青空を見せるが低く黒い雲がそれを隠してしまう。

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                 谷川岳ロープウェー「フニテル」

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         天神平

普段の行いを信じて昨日見ることが出来なかった谷川岳を見て帰ろうということになった。天神平は霧に隠れているが、とりあえずロープウェイで上ってみることにした。時間も早いので待つことも無く貸しきり状態で乗ることが出来た。

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       笠ヶ岳、 朝日岳、白毛門

10分ほどで標高1,319mの天神平についた、冷たい風と辺り一面の雪景色、2、3日前に降った雪が残っているという。約20cmほど積もったが昨今の暖かさで融けてしまい、今日はまだ暖かい方だという話である。

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        笠ヶ岳、朝日岳、白毛門

冬はスキー専用のリフトになるが、ここからリフトに乗ると標高1,502mの天神峠まで上ることができる、見上げると濃いガスに包まれているのでコーヒータイムをして晴れるのを待つことにした。

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       谷川岳山頂(ロープウェーより)

日本百名山に数えられる谷川岳も標高1,977mとそんなに高い山ではないが、全国の登山家から熱い視線を注がれ数々の山岳小説の舞台にもなっている。

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         一ノ倉沢出合

学生時代にむさぼり読んだ山岳小説を思い出す、この山は日本のロッククライマーにとっては忘れられない山であり、この国のロッククライミングの歴史そのものといっても過言ではないところである。

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              一ノ倉沢

しばらく待ったがガスは消えそうにもないので山を降りることにしたが、ロープウェイの中から途中一瞬ガスが晴れて谷川岳の山頂を見ることができた。天気がよく360度のパノラマが見えたら素晴らしいだろうと思いつつ土合口駅に着いた。

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             衝立岩付近

上るときはがらがらだった1000台収容の駐車場もかなりの車が入っている。土合口を後に狭い林道を一ノ倉沢出合いへと向かう。車1台がやっと通れる道路なのですれ違いは広いところで対向車を待って譲り合いながら上っていく。

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           一ノ倉沢と天然水の流れ

マチガ沢出合いから一ノ倉沢出合いへと向かうと、正面に頂上がガスに覆われた衝立岩が見えてくる。ところどころに雪が残る急峻な沢を雪解け水が白く糸を引いたように流れ落ちる。学生時代に登ったったという友の話に耳を傾けながら雄大な山容を眺める。

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        マチガ沢出合

足元を流れる川の水は透き通ったきれいな水で、勢いよく流れる水に手を浸すとひんやりとした感触が伝わる。この天然水の源水仕込みが昨夜の純米大吟醸「谷川岳」なのかと改めて思いながら一ノ倉沢を見上げる。

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       笠ヶ岳方面

谷川岳の反対側にそびえる笠ヶ岳や白毛門はガスも消えて山頂が朝日に輝いている。一瞬でも山頂が見えないかと思い一ノ倉沢を眺めているが、こちらの方はなかなか晴れてくれそうもない。

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        谷川岳山頂

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後ろ髪惹かれる想いで山を降りることにした。帰り際に水上駅の近くの”酒のたきざわ”で源水仕込み「谷川岳」を入手し、家で待つかみさんへのお土産とした。最近の酒はさらっとして飲みやすくなっている酒が多いが、久々にこれはコクがありいわゆる酒という感じのする美味しいお酒である。

大露天風呂  宝川沿いに広がる湯けむり

宝川温泉「汪泉閣」は歴史を感じる建物で、川沿いに第一別館、旧館、本館、東館と繁栄と共に増築してきた感じのする造りである。内湯も宝川の渓流が見える源泉かけ流しの快適なお風呂で、24時間いつでも楽しめる。

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内湯もいいがやはりなんといっても大露天風呂である。本館から階段を降りて1階に出て旧館を通り、つり橋を渡ってお風呂に向かう。あいにくの小雨であるが雨の露店風呂もまた風情があっていい。

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水かさの増した川の流れを下に見て、つり橋を渡ると左側に熊園があり、月の輪熊が5頭檻の中にいる。

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この温泉の名物は「熊汁」と「魚料理」であるが、まさかこの熊ではないだろうなと思いながら、もみじの葉が落ちている石畳を歩く。

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露店風呂の入口に、民具や農工具など古い道具が並んでいるので、昔懐かしく眺めながら見ごろの過ぎた紅葉の林の中を露店風呂へと石段を降りる。

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         摩訶の湯

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まず最初にあるのは、混浴「摩訶の湯」、100畳の大きさがあり散り際のもみじの枝の間に湯船が見える。石段を降りると更衣室が男女別にあるが、風呂は混浴である。

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        摩訶の湯

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       子宝の湯

その隣にあるのが、川沿いに手すりがついた「般若の湯」これも混浴で約50畳の大きさで、若い女性がたくさん入っているので、後から入るこちらの方が圧倒されそうである。

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        般若の湯

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普通、混浴というと昔若かった女性を想像するが、ここは大胆にも現役の若い女性や、若いカップルが多いのに驚き、時代も変わったものだと感心する。

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       摩耶の湯の前から子宝の湯を見る

子宝の湯の上屋には武尊神社(ほたかじんじゃ)が祀られている。そのせいか若いカップルの姿が目立つ。子宝に恵まれて幸せな人生をおくられることを陰ながら祈る。

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       子宝の湯と宝川の濁流

宝川の激しい流れの川沿いにさらに下ると、女性専用の「摩耶の湯」、約100畳でよしずで囲われて湯船は見えないようになっている。その前を通り、つり橋で川を渡ったところにあるのが「子宝の湯」、これも混浴で約200畳のかなりの大きさである。湯につかりながら川の流れや目の前に広がる風景をゆっくりと眺めることができる。

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        子宝の湯

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宝川を挟んで両側に4か所のお風呂があるが、源泉かけ流しの24時間入浴可能である。泉質は弱アルカリ性単純泉無色透明で、湯量は豊富である。湯温は43度から70度で快適な入浴を満喫できる。広い湯船なので入り口付近はいい湯加減であるが、川べりにいくとぬるくなるので、肩まで浸かって温まる。

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        摩訶の湯と名残もみじ

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        早朝の子宝の湯

昼、夜、早朝と大露天風呂につかったが満足のいく温泉であった。もう少し時期が早ければきれいな紅葉の下での湯浴が楽しめたのだろうなと思いながら、湯船に落ちてくるもみじの葉を眺めながら湯けむりを楽しむ、この風景で一献傾けたら最高の雰囲気だろう。春夏秋冬楽しめる温泉である。

宝川温泉  天下一の混浴露天風呂を楽しむ

せっかくの週末なのに朝からあいにくの雨模様、気温は高く暖かではあるが地面に落ちた落ち葉をぬらしている。今日は年に一度の学生時代の友達との温泉めぐりの日である。

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         汪泉閣東館

今回は、群馬県水上の宝川温泉である。最近の温泉ブームで結構人気のあるところだといわれていたのでこの日を楽しみに待っていた。

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 小雨の降る関越自動車道を一路水上へと進路を向ける。今回の幹事は地元群馬県の友達で二年ぶりになる。天気がよければ、谷川岳を見てゆっくりと温泉につかり美味しい酒を飲み明かそうと言うコンセプトであった。

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 ところが天気予報によると午後からは雨脚がひどくなりそうと言うので、まっすぐに旅館に向かうことにした。途中前橋で友達を拾って、美味しいと言われる地元のそばで腹ごしらえをして、雨男は誰だと究明しながら思い出話に盛り上がる。

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         露店風呂方面

 旅館での時間をもてあましてはいけないと、なじみの月夜野の酒屋さんによって地元のお勧めの地酒を入手。水上インターを降りて水上駅の近くではSLの姿もみえ、蒸気機関車の警笛を聞きながら藤原湖を目指して奥深く入っていく。

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        露店風呂への吊り橋

雨でにごった薄緑色の満水の藤原ダムの上をわたり、ダム湖の周りをめぐる道路を走る。周りはすっかり紅葉も終わり、冬を迎える準備をし葉を落とした木々たちが立ち並んでいる奥利根の自然の中の上り坂を右に左にカーブを切りながら走りぬく。

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一時間ぐらい走ると、宝川温泉入り口の看板があり、大手門をくぐり今度は川底に向かっての下り坂である。雨で増水した流れの速い川沿いに旅館の建物が第一別館、旧館、本館、東館と並んで建っていて、一番上流の新しい東館が旅館の玄関になっている。

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橋を渡り、玄関横に車をつける。まだ昼の12時を過ぎたばかりではあるが、雨が激しいのでチェックインできるか交渉をすると、気持ちよく受け入れてもらえたので荷物を降ろしてフロントへ向かう。

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 眼下に宝川の渓流(本日は濁流)が見えるカフェで宿帳を記入しながら、部屋ごとに親切に説明をしてくれる。ここで、たくさんある浴衣の中から自分にあった柄やサイズの浴衣を選んで部屋に向かう。

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 廊下のところどころに、きれいな生け花や大きな木彫りの置物がアンティークな雰囲気を漂わせて、ピカピカに光った板の間の廊下を歩くと歴史のある温泉旅館が我々を歓迎してくれているように見える。

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                   廊下にある火鉢

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             露店風呂の入口

 窓の外には雨だれが白く光って落ちているが、お好みの浴衣に着替えてまず軽くのどを潤し、楽しみにしている天然温泉賭け流しの天下一の混浴露天風呂を堪能してみようと思う。

オオジュリン  多摩川の蘆原で

早朝の河原を歩くと、天気がいいので釣り人も多い。水辺で釣り糸を投げている人が川を渡りこちらに向かってくる。

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浅瀬を通ると腰までは水につかるが、釣り用の腰まで入る長靴の様なものをはいていると簡単に川向こうからこちら側に渡って来られる。

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私はと言えば中洲の砂のところで三脚をセットしようと思ったら、その隣まで来て釣りざおを投げる練習を始めたではないか、鳥たちは逃げてしまうので私も距離を置くべく離れることにした。

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なぜあのようなことをするのかわからないが、振り返りながら様子を見てみたがどうも理解できない行動である。、水辺から離れて蘆原の中を歩くと、アシの枝で遊ぶオオジュリン達に出会った。

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葦原の中に入ってなかなか出てきてくれないが、しばらく待っているとススキの穂や葦の枝に止まったりしながら出てきてくれたが、それでも動きが早くなかなかよい被写体になってくれない。

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そのうちに少しの間ポーズをとってくれるオオジュリンが来てくれた。オオジュリンは北海道や東北北部で数多く繁殖し、秋に関東以南の暖かいところに移動してくる。

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繁殖期はおもに海岸付近の湿原で見られるが、非繁殖期になると湖沼や河口付近の蘆原で生活することが多い。

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非繁殖期は葦の茎に縦向きに止まり、上下にずれるように動いたり、2本の茎にまたがったりして、葦原の中を器用に移動する。

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秋の朝日は低いところから出るので、太陽を背にして野鳥を見ていると鳥の姿がよく見えるが、その反面鳥たちが反対側にいってしまうと逆光になって黒いシルエットにしかみえなくなってしまう。

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オオジュリンの他には、ホオジロやアオジなども姿を見せる。オオジュリンの名前は鳴き声からきているようであるが、漢字で書くと当て字では「大寿林」と書くようである。大きな寿の林と解けば、いいことがあるのかも知れない。これも早起きは三文の得というところか、天気がいいのでもう少し河原でのんびりと鳥を眺めていることにする。

天高く   秋雲の多摩川を歩く

 早朝から青空の多摩川、空高く秋の雲が刷毛で白いペンキをスーッとなでたように流れている。気温が下がり空気も澄んで遠くの山々も青空の下にきれいに見える。

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        多摩川関戸橋を望む

 枯れ始めたススキの間を抜け河原に出ると、今日は河原の石ころの間にたくさんのハクセキレイが遊んでいる。近づくと少し飛んではまた降りてきて、私との間に一定の距離を保ちながら飛び回る。

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        ハクセキレイ

 多摩川の中洲の広いところに出ると、石ころと保護色になっているようにイカルチドリがいて、近づく人影に敏感に感じて先のほうへと逃げる。

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                   イカルチドリ

対岸の土手の上には、ジョギングをする人、サイクリングの人たちが青い空を背景に気持ちよさそうに並んで走っている。

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       秋の雲        

 河原には、砂地のところに水がたまり鏡面のように空の雲を写して、そのほとりの石の上にちょこんと止まっているのはタヒバリ。

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        タヒバリ

 水深の深そうな稲城の堰の水面にはカイツブリが数羽、水にもぐったかと思うといつの間にか違うところに顔を出して、見ている者をからかっているように遊んでいる。

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         カイツブリ

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         アオサギ

 それにしても空の青さがきれいだ、秋の雲は巻雲とか絹雲とも言われ細い雲が集まって陰影があまりないのが特徴的である。その青さの中を気持ちよさそうにユリカモメやアオサギがゆっくりと飛んでいる。

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        ユリカモメ

 夏の入道雲のように力強さはないが、繊細で透き通るようなこの雲の流れが好きだ。ときおり上空を飛行機が飛んだ後に飛行機雲ができるのもこの季節が多い。

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 青空に流れる巻層雲、枯れゆくススキの穂に止まる野鳥たちの姿を見ていると絵筆を取りたくなるような雰囲気になる。秋の空を眺め雲の移り変わりを楽しみながら、もの思いにふけるのもまたいいかなと思う。

オオバン  朝もやに煙る河原

朝晩はかなり冷え込むようになってきたが、まだその冷え込みが足りないのか街路樹の紅葉が遅いような気がする。

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                  多摩川と大栗川の合流点方向

 久しぶりに多摩川へと足を向けてみた。朝露にぬれる土手の草葉を踏み分けて河原へと降りてみると、気温が低いせいか川面からはうっすらと水蒸気が昇り、あたり一面朝もやに煙る幽玄的な雰囲気である。

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        大栗川上流方面

 今年の夏のゲリラ豪雨の増水の影響で、多摩川の水の流れも春先の流れから大きく変わっている。大きな草や葦の原もすっかり流されて、大きな石や小さな丸い石ころが一面を覆い、たまに根こそぎ倒された樹木も姿を見せる。

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          大サギ

朝露を浴びた葉の中を歩くと数歩も歩かないうちにズボンがびしょぬれになり、肌にへばりついてくる。見渡すと、多摩川に合流する大栗川の流れが堰き止められた水面のもやの中を、静かに動くオオバンの姿が見える。

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         オオバン

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 黒い体に白い嘴と白いおでこと言うモノトーンのスタイルは、しゃれた配色でこのあさもやの中には良く似合う。静かな水面を、周りに幾重もの波紋を作りながら泳ぎ、ときどき水中に嘴を入れて水草を採る。

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「水鶏」(みずにわとり)と書いて、クイナと読ませる。ツル目クイナ科オオバン属に区分される。名前のとおり水草や葦の中で生活する。全長39cmほどで全体は灰黒色で嘴と額が白色で脚は暗い緑青色、カモ類の水かきと違った木の葉状の特殊な水かきで水上をすばやく泳ぐ。

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 静かな早朝の川面には他に、水中に顔を突っ込むのが忙しいカルガモ、じっと獲物を狙うアオサギ、抜き足差し足で歩く大サギなどの姿が見える。

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        カルガモなど

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         カワセミ ♂

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 対岸の水辺の草木にはカワセミが飛び交い、たまに「ヒッ、ヒッ、ヒッ、ヒッ」とジョウビタキの鳴き声が聞こえる。まだ用心深くなかなか近くには来てくれないが、もうそんな時期になったのだと改めて思う。

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             稲城の清掃工場の煙突

 陽が上るにつれ幻想的な風景は消えていくが、朝もやの河原を歩くのもいいものである。水墨画を思わせる光景は心が安らぐ。これからは日増しに冬鳥たちが増えてくることだろうと思いつつ、下流に飛んでいく上空のオオタカらしき姿を双眼鏡で追いかけて見る。

人参祭  高麗ニンジンの山

 カタツムリの化粧品が女性の話題となっていると言うので、ロッテデパートの免税店で購入した明洞(ミョンドン)からの帰り、天気がよい一日なので街をぶらぶらしながらホテルに帰ることにした。清渓川の遊歩道を川沿いに歩いていくと清渓川広場でなにやらイベントをやっている感じ、喉も渇いたので覗いてみることにする。

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 正面の巻貝のモニュメントの前はステージになって、若い女の子がリズム感良く腰を振りながら踊っている。いわゆるKARA風の雰囲気で、音楽のボリュームも最高調でにぎやかである。

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仮設テントの店舗はすべて朝鮮ニンジンのお店ばかりで、店頭には朝鮮ニンジンが山のように積み上げられている。看板を見るとニンジンの生産者が販売する高麗人参祭が行われているようである。

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        高麗人参

店を覗きながら歩いていくと、朝鮮ニンジンのてんぷらの揚げたてを売っていたので、いくらか聞いてみると1000ウォンだというので買ってみた。日本円で70円ぐらいだから安いと思う。柔らかく揚がって苦味はあるが、結構美味しいので滋養強壮に効きそうな気がする

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 韓国の人たちには、この高麗ニンジンが欠かせないという。聞くところによると韓国料理の基本には五味五色の食文化があるといわれている。五色とは、「赤、青(緑)、白、黒、黄」であり、高麗人参、にんにく、ごま、唐辛子、生姜、松の実、ナツメ、トラジなどである。

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 滋養強壮にいいとのキャッチフレーズ、この材料を料理に取り入れて病気を予防するという考えであり、女性に嬉しい美肌の秘訣でもあるらしい。食べ物ではキムチ、チゲ、サムゲタン、チャプチェ、ビビンバなどに使われ人気の食べ物である。

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        高麗人参のてんぷら

韓国料理が美味しかったり、韓国女性の肌がきれいなのはこんなところに秘密があるのかも知れない。

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 いろいろな店をひやかしながら歩いていると、表通りがにぎやかになってきたので見てみると、景福宮の衛兵の都心を歩く巡察パレードが始まりこちらに向かってくる。カラフルな衣装がきれいである。

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 光化門を背に南の方向にパレードは進んできて、すぐの信号のところで出会うことができたので、信号待ちの間に衛兵と記念に写真を撮ってもらった。

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早朝の清渓川は人も少なくのんびりと歩くことができたが、やはり市民の憩いの場と言われるだけに昼間は人通りも多くにぎやかである。川べりに座る人、水に入って遊ぶ子供たち、大道芸を演じる人、楽器を奏でる人たちなどでいっぱいである。

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短期間のソウルではあったが、結構楽しむことができた。陽が沈み始めた夕闇の空港に向かう漢江(ハンガン)を渡る高速道路の空には三日月がきれいに光っていた。

 韓国は二時間ぐらいのフライトなので国内旅行の感覚で海外を楽しめる近くていいところである。たべものも美味しいし、歴史的な遺跡も楽しめ言葉の不自由さも少なくもう一度ゆっくりと訪れてみたい国である。それではまた会う日まで・・・ 안녕히 계세요  アンニョンヒケセヨ・・・・

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清渓川(チョンゲチョン) 復活した清流を歩く

 年よりの性か外国に旅行をしていても朝起きるのは日本と同じで早い、ソウルは日本との時差がなく日本と同じではあるが東京より夜が明けるのが少し遅い感じがする。

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             巻貝のモニュメント(スプリング) 

 早朝散歩をどこにしようか考えていると、だんだんと空が明るくなってきた。窓から外をのぞいて見ると何やらイベントの風景が見える、ホテルの目の前にある清渓川を歩くことにした。キャッチフレーズは”復活した川”とあるので興味深いところである。

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       清渓川の始まり(1日約5.6万トンの水を流す)

 ”復活した川”のいきさつはこうだ、『清渓川は1394年に朝鮮王朝の都がソウルに定められて以来、都城の中部を地理的に分け、そして政治、社会、文化的に区分する象徴的な境となっていた総延長10.92kmの都市河川であり、ソウルの中心部を流れていた川であるが、20世紀の半ば、急激な経済発展の中、5.4kmにわたって高架道路がかけられ、ふさがれてしまっていた。

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        毛塵橋(モジョンギョ) 

 2002年のソウル市長選に出馬した李明博(イ・ミョンバク)氏(現在の韓国大統領)が選挙公約の一つとして、「清渓川の復元」を掲げ、2003年7月に着工すると、わずか2年半という短期間で、実現してしまった、その思い切りの良さと、スピード感には驚くばかりである。

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      毛塵橋(モジョンギョ)下流より 

 要するに一度埋め立ててしまった川を、人工的にもう一度作ってしまおうということであるが、水深40cm,毎秒0.25mの流れを維持するためには、1日12万トンの清水を供給する必要があり、15km下流の漢江(ハンガン)から10万トンを、地下鉄のトンネル経由で2万トンを引いて、適正水質になるまで浄化した上で、上流、および、噴水や滝のかたちで途中から放水している。』と言う説明がある。

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        広通橋(クァントンギョ)

 朝鮮時代の1410年に作られた都で一番大きな橋、清渓川では一番古い橋で川の復元と共に復元され、周りはソウルの中心的なビジネス街になっている。 

それにしても大胆なことを短期間でやったものである。早速清渓川を歩いてみることにする。巻貝のモニュメントがある清渓広場から河原に降りると、始発点は勢いよく流れる滝が清渓川の始まりである。

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        広橋(クァンギョ)

    橋の下は水深が浅く子供達でも水遊びができる。

下流に向かって歩くと大きなコンクリートの橋が見えてくる、毛塵橋(モジョンギョ)の下をくぐり川の流れの中にあるモニュメントを眺めながらゆっくりと歩く。清渓川には全部で22の橋がかけられているという、これらの内12の橋は歩行者専用となっているので安心である。

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        夜にはライトアップされる人形たち

 川の両岸には緑の木々や植物なども植えられて、流れる水の中にはよく見ると小さな魚がたくさん泳いで^いる。ひょっとするとカワセミなども飛んでくるのではないかと思ってしまう。

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 しばらく歩くと長通橋(チャントンギョ)の前後にわたって描かれている大きな壁画が目に入る。これは1795年、正祖が母親の恵慶宮洪氏の還暦に合わせて華城(現在の水原)にある顕隆園(ヒョンニュンウォン)までの行次図を壁画にしたものだという。1779人の随行員と779頭の馬が続くこの壁画は、幅2.4m,長さ192mと世界でも稀に見る大きさだといわれている。

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        正祖斑次図

 さらに下っていくと右側の壁には垂直に落ちる滝の流れが見える。流れの奥は三角になっていて水をくぐると中に入れそうで、三角洞には何があるのか興味深々である。足元は歩道になっているので濡れることはないが、飛び散る水しぶきは清涼感とさわやかさを与えてくれる。

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        三角洞ウオータースクリーン 

 この川は東大門付近にある五間水橋まで続いているので、あまり下流に行っても帰れなくなると困るので、水標橋があるところで反対側に川の中にある飛び石を渡りもどることする。上流へ向かう景色はまた違うものをみせてくれるだろうことを期待しながら足元に注意して対岸に渡る。

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         3D画面で魚がとびだしているように見える。

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       水標橋(スピョギョ)

 日本でも日本橋にかかる高速道路をなくして、日本橋界隈を整備しようという話もでているようであるが、異国でのここ清渓川の成功例を参考にしながらぜひ実現してほしいものである。高度成長の時代からスローライフへ日本でも時代に合った街づくりが必要なのではないだろうか。

華城行宮(ファソンヘングン) 王の別邸を歩く

 華城の華虹門を後にして華城行宮へ向かう。11時より武芸24技の公演があるという、これを見ないとここに来た意味がないといわれたので急いで行くことにする。

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         新豊楼(シンプンヌ)

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         武芸24技公演

 新豊楼(シンプンヌ)には公演がちょうど始まるときに滑り込みで間にあった。新豊楼は華城行宮の正門で、新豊とは王様の新しい故郷という意味で、二階建ての楼門である。1階には3つの板門がかかった通行門があり、2階は楼閣になっている。

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         しんけんな演技

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           目の前に真剣が来る日本刀での演技

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 武芸24技公演は、正祖大王の時代に体系的に整えられた民族伝統武芸の再現公演で、朝鮮伝統の武芸と、中国、日本の武芸のすぐれた技を積極的に取り入れ、24種の実践武芸で構成されている。

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        左翊門

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         執事庁(ジプサチョン)

その時代の武器、衣装などを再現し、すぐ目の前で演じてくれるので迫力がある。真剣で切り落とす藁や竹は一太刀できれいに倒れ、突きさす槍は目の前に来るので思わず身をそらしてしまう。

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       中陽門(チュンヤンムン)

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        奉寿堂(ボンスダン)

 行宮とは、王が地方に行く際に臨時に宿泊したところや、戦乱、休養、陵園参拝などのために地方に別途の宮殿を準備した臨時の住まいのことで、その用途により大きく3種類に分けられるという。

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         奉寿堂内部(王の間)    

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          王と王妃 

水原の華城行宮は、韓国の行宮の中でも最も規模が大きく、美しいといわれている。建立当時は600あまりの堂があったそうだが、日本統治時代におもな建物である奉寿堂が医療機関として使われるようになると、ほとんどの施設が壊されてしまったらしい。

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         長楽堂(ジャンラッダン)

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この奉寿堂(ボンスダン)は、王の行幸の際、正殿として使われた建物。日本統治時代に撤去されたものを、1997年に復元されたものだそうである。

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         奉寿堂(ボンスダン)

 ちなみにこの「奉寿堂(ボンスダン)という名前は、万年の寿を願うという意味で、正祖が母親である王后(恵慶宮洪氏)の長寿を祈願してつけたと言われている。

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                米びつ(中に入ることができる)

 韓国ドラマ「イ・サン」(朝鮮第22代正祖大王)での父思悼世子(荘献世子)が、その父である英祖(朝鮮第21代英祖大王)にこの中に入れられて亡くなった米びつのレプリカが置かれている。

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         維与宅(ユヨテク)

 韓国のどの歴史的施設に行っても、必ず出てくるのは過去の日本統治時代にいくつもの破壊された旧跡があることで、しかもそれを多額の費用と時間をかけて必ず復元していることである。そして、朝鮮の人々は特に日本人にそれを見てもらいたい場所にしているのだろうと思う。

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         外整理所(エイジョンリソ)

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        西将台(ソチャンデ)    

 我々は歴史の事実として過去日本が朝鮮半島に対して行った行為を知っているし、また後世にも真実は伝えていかなければいけない、グローバル化した世界、同じアジアの隣国同士で、今後、若い世代の日本と韓国がどのようにしてつきあっていくかを歴史認識を踏まえたうえでそれを乗り越えて行くことが重要になってくる。

水原華城(スウォンファソン) 世界文化遺産を歩く

 昨日の雨模様とはうって変って青空の広がる最上の天気である。ソウルからの車は高速道路に乗って水原市を目指す。高層のマンション群の街並みを見ながら朝鮮王朝時代の城塞都市「水原華城」にバスは快調に飛ばしてゆく。

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         東北空心墩(トンブクコンシムドン)

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 この京釜高速道路は片側5車線の快適な道路である。韓国の高速道路は非常時には滑走路としても使えるようになっているので広い。当時の朴大統領が提唱して1970年2月、2年の歳月をかけて完成したもので、旧盆の帰省時には日本と同じで大渋滞となるらしいが今日はスイスイと快適に走っている。

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        きれいな石垣の城壁

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             東北弩台から東北空心墩を望む    

 水原市の町は快晴で青空の下すがすがしい空気である。緯度的には日本の仙台あたりと同じ気候になるのだろうか。高速道路から降りると水原華城の城壁が見えてきて、その城壁の下を道路が抜けており、それをくぐると街全体が城壁で囲まれた城壁都市の中に入る。

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         東将台(トンチャンデ)

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        東北空心墩(トンブクコンシムドン)

 広さ40万坪と言われる広大な領域を石垣とレンガで囲い、中にはいくつもの村があり、要所要所には大砲や見張所を配し、城壁には鉄砲の攻撃に備えた近代的な城郭になっている、ところどころにあるのぞき穴はそれぞれ角度が違って、矢と槍と剣を防御しやすくなっている。

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 中に入るとその城壁は、規模は違うが中国の「万里の長城」を思わせる雰囲気である。朝日の当たる城壁沿いに整備された一面の芝生と、石畳の通路を歩くと石とレンガの調和のとれた壁がきれいに見える。日本と違い大陸文化を思わせる光景である。

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 華城の案内によると、『18世紀末に李氏朝鮮第22代国王・正祖が老論派の陰謀により非命に倒れた父(思悼世子)の墓を、楊州から水原の顕隆園に移し、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護をかためた。これが華城である。

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             東将台(トンチャンデ)

当時の朝鮮の城塞建設技術の粋を集め、そこに西洋の技術ををも合わせたのは、設計を行った朝鮮後期の実学者・丁若鏞の功績であった。

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 華城建築には、1794年より1796年まで2年を超える月日と37万人の労力が投入された。華城は老論を排除し実学を重視した正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されたが、華城完成直後に正祖が死亡したため遷都は見送られた。

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             城壁から近代的な街並みを覗く

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 城壁の長さは5.8kmで水原の街をぐるりと囲み、中国から西洋築城技術を輸入し、東洋と西洋の技術を融合させている。城郭の築造に石材とレンガが併用されている点が特徴的である。

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              東暗門

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 朝鮮戦争の際に一部が破損するが、1975年から5年間を掛けて「華城城役儀軌」という築城記録をもとに修復・復元工事が行われた。現在、城郭内部は市街地化している。築城時に48あった建物のうち、41ヶ所が残っている。』という説明がある。

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        蒼竜門(チャンニョンムン)

 城郭にそって旗が立っているが、南は赤、西は白、北は赤、東は青と決まっていて華城行宮には黄色の旗が立っている。城内を歩く目印にするといいらしい。

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 東将台(トンチャンデ)の天井などのきれいな模様と造りを見て、ぐるりと周りを見まわすと城壁の屋根に雀が数羽止まっている。日本ではあまり見向きもしない雀だが。なぜかここで姿を見るとほっとする。東将台を後に城壁から近代的なマンションが建つ街並みを眼下に眺めながら東北空心墩(トンブクコシムドン)へと塀ぞいに歩く。

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         蒼竜門(チャンニョンムン)

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             華城列車 と東将台(トンチャンデ)            

 華城内を約半周する観光用列車であるが、乗ってみたい気もするが天気がいいのでのんびりと歩いて城郭を見ることにする。

 東北空心墩(トンブクコシムドン)に着くと、小さな入り口から暗い渦巻状の回楼をぐるぐる回りながら上ると街並みを見渡せる見張り台に出る、見渡す青空に少し肌寒い風が吹いてくる。ここからは華城全体が一望できる。城壁が続く東北弩台を通り蒼竜門(チャンニョンムン)へと向かう。眼下には広い芝生で行われている国弓の弓射り体験場が見える。

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        蒼竜門(チャンニョンムン)

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     訪花隋柳亭(パンファスリュジョン)   

東暗門から北暗門を通り、東北角楼(訪花隋柳亭)に出る。ここから見下ろす龍池は、近代的なビルが建つ町並みを背景に青空と緑の木々を映して青くきれいに見える。

訪花隋柳亭(パンファスリュジョン)は見張り台で兵士などが休息するところであるが、眺めがいいので正祖大王が酒宴を開いたところだともいわれている。

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        訪花隋柳亭(パンファスリュジョン)と龍池

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        北暗門の上より訪花隋柳亭(パンファスリュジョン)

 華虹門(ファホンムン)は華城を南北に流れる川の北の水門で、7つのアーチ型の門の上にに楼閣がある。本来は澄んだ水が流れ、名前の通り虹がきれいに見えるらしいが残念ながら水門は閉じられていて水は流れていなかった。

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        華虹門(ファホンムン)

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       水原川(スォンチョン)と華虹門

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 華城は広い、これでもまだ半分しか歩いていない、全部歩くには2~3時間ぐらいはかかるという。1997年に世界文化遺産に登録された華城は、城郭建築でもすばらしいもので、日本にはない大陸的な城郭の造りをみて、あらためて民族とその歴史やなりたちについて深く考えさせられるところがあった。ここだけでも1日かけて見てみたい場所である。

古民家  トルハルパンを拝する

国立民族博物館の五重の塔を見ながら歩いて、上ってみたいなと思いつつ石段を見ると鎖が掛けられており、入ってはいけないのだなと理解した。その前に古い民家が目に入ったので表に廻り入ってみることにした。

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内部は昔の日本の農家と同じような作りであるが、床はオンドルを使うせいか高く板の間になっている。入口からぐるっと囲むように部屋が並んでいる。これを見ると日本の文化はその昔、やはり大陸から朝鮮半島を渡ってきたのだなと思うように似たところがある。

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入口の道路には、トルハルパンと言われる石像が立っている。説明によると、「トルハルパンは韓国の南方にある済州島(チェジェトウ)で信仰の対象とされている石でできた長生(チャンスン)(伝統の守り神)の一種である。」ということである。

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              トルハルパン

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トルハルパンは元来城門の前に立てられ、立ち入りを統制する役割を担い、守護神として城内の安全を守る機能を果たしたものらしい。目と帽子にどこか威厳を感じる。

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それゆえ、村の人々はトルハルパンを神聖視して前を通る時は馬から降りて通り過ぎ、また形態が仏像に少し似ていることからトルプチョ(石の仏像)とか弥勒と言う名でも呼ばれ、仏教徒の中にはトルハルパンにお祈りを捧げる人もいる。

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       伝統の守り神  長生(チャスン)

また済州島を訪れる新婚夫婦の間では新婦がトルハルパンの鼻を触ると男の子を授かるという俗説もあるそうである。聞くところんよると韓国も日本に劣らず少子高齢化が進んでいるとのこと、女性は大いに鼻を触ってほしいものである。

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          国立民族博物館と古民家

この周りには伝統の守り神がたくさん置かれてあり韓国のパワースポットの様な気になる。幸せを運ぶ鳥にあったり、御利益のあるトルハルパンを拝することもできたのできっと何かいいことがあるのだろうと思いながら建春門を後にした。

韓国の鳥たち  スズメとカササギ

 異国での鳥たちとの出会いは非常に興味があるものである。時間が取れればゆっくりと、いろいろな地域で珍しい鳥にあえるかもと言う淡い期待も持っていた。

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 韓国の場合は、それが意外と日本のようにどこにでも鳥がいるものではないと思うほどあまり出会わない。野鳥はいないのかと思っていたら、景福宮の慶会楼の周りを飛び回っている鳩ぐらいの大きさで尾の長い鳥がたくさんいるではないか。

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 日本で言うカササギで、スズメ目カラス科の鳥である。地元の人に韓国ではなんと呼ぶのか聞いてみると、韓国では”カチ”と言われ幸福の鳥といわれているらしい。カチと言う名前は鳴き声からきている、日本でいえばカラス的存在でどこにでもいるとのことである。

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 ”カチ”は古くから、作物の豊穣と幸福をもたらす鳥とされていて、「カチガ・ウルミョン」(カササギが鳴く)と聞くと何かいいことがある、家の近くでカチが鳴けば「今日は待ち遠しい人が来る」と言う知らせだと言われているらしい。

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 日本ではカササギと言われ、佐賀県の県鳥になっている。海を渡ってきたとか、豊臣秀吉の朝鮮征伐で九州の大名が持ち帰ったとか言われているが、日本名はいろいろある。

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 カチガラス、朝鮮烏(ちょうせんからす)、高麗烏(こうらいからす)、唐烏(とうからす)、筑後烏(ちくごからす)、備前烏(びぜんからす)、烏鵲(うじゃく)、喜鵲(きじゃく)などであるが、いずれも日本では北九州に多い鳥である。それでも最近では、生息地がかなり拡大されているようである。

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 魏志倭人伝には「無、牛馬虎豹羊鵲」と書かれているらしい。女王卑弥呼の3世紀ころの日本には「ウシ ウマ トラ ヒョウ ヒツジ カササギ」はいなかったのだろう、その後何らかの方法で大陸から持ち込まれたと考えられる。

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 なんだかんだといっても、幸福の鳥に出会えたのだからいいことがあるのだろうと期待をしながら、カチの行動を観察してみると、意外と近づいても地面の餌とりに忙しく逃げないようである。

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 そのほかの鳥では、水原(スウォン)にいたのはスズメ、韓国語ではチャムセというが日本のスズメとほとんど同じであるが少し太っているようにも感じる。

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 スズメに関していうと、韓国では、スズメの焼き鳥を食べるともの忘れが多くなると言う話があるらしい。軽い失敗や記憶があいまいだったり忘れ物をしたときは、”スズメの肉を食べたのか?”と言われるという。日本で言う”ミョウガを食べると物忘れが多くなると同じだろうか。また、完全に忘れたりすると”カラスの肉を食べたのか?”と冗談を言われるそうである。

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 韓国でスズメは食べなかったが、最近、人の名前を思い出せないことが多いのは赤提灯でスズメを食べたせいなのかなと反省しきりである。年はとってもカラスの肉だけは食べないようにしようと心に決めた。鳥を見ながらの異国での学習でした。

景福宮  国立民族博物館(クンニブミンソクパンムルグアン)

 景福宮は広く見どころはいろいろあるので、時間をかけてゆっくりと見る方がよさそうである。のんびりと歩きながら回っていると、国立中央博物館や国立民族博物館の前にでた。

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       国立民族博物館

 広い芝生の庭園には、野鳥たちがのんびりと餌をついばんでいる。カラスとともに黒と白と青い翅の鳥である。鳥の名前を聞いてみると韓国では「カチ」という鳥らしい、よく見ると日本で言う「カササギ」である。

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韓国で鳥を追いかける時間はないだろうと、望遠は持ってきてないが意外と近くに寄ってくるので、280mmズームで狙ってみた。鳴き声は[カシャカシャカシャ」となくので,[カチ」という名前は鳴き声からきているのだろうと思う。。

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         古民家

 静かに近づいているところに、こどもたちが大声を出して鳥を追いかけだしてしまったので、残念ながら良い写真は撮ることができなかった。

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 博物館の前まで来ると、十二支の石像があったので自分の干支の前で記念に写真を撮ることにした。それぞれが自分の干支と一緒に写真を撮っているので、なかなか私の干支の場所が空かない。干支の前での写真撮影をしている人はたぶん自分の干支と一緒に写しているのだろうからと思ってみるとそれぞれそれなりの年格好である。

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        十二支の石像

韓国はこういう歴史的な建物を大切にしているところだと思う。朝鮮戦争などで破壊されたものでも復活させてそれを後世に伝えようとしている姿がみて取れる。

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        国立民族博物館

ソウルの街並みがきれいなのも、朝鮮戦争で焼け野原になった後の計画的な復興があったからだともいわれている。日本の東北大地震の早期復興も、将来への展望と歴史的な遺産を残す考え方を期待したいものである。

景福宮勤政殿(キョンボックンクンジョンジョン) 朝鮮王朝の王宮

典禮門をくぐると正面に勤政殿がでんと構える。一面の石畳はきれいに整備されて、休日とあってか小学生や団体などたくさんの人たちで賑わっている。

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                 典禮門

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        勤政殿から典禮門

景福宮の正殿である勤政殿(クンジョンジョン)は、李氏朝鮮時代初期から歴代の国王の即位式や朝賀を行ったところで、現在残っている木造建物のうちでも韓国最大のものであるという。

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         典禮門

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         勤政殿

因みに、勤政殿の勤政とは「勤勉であって初めて国民を統治できる」という意味であり、建物の柱や天井にはきれいな色が使われて塗り分けられている。

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        勤政殿

 内部には今でも王の玉座が残っていて外からも見ることができる。内部の天井や柱、壁などの絵を見ていると、小学生が「アジョシ、アジョシ」と声をかけてくる。

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 最初は他の人かと思っていると、どうも私に声をかけているようである。そういえば、アジョシは”おじさん”という意味だと思いだして、「チョヌン イルボン サラムニダ」(私は日本人)と言ったら、走って行ってしまった。外見は日本人も韓国人も変わりがない、観光客で多いのはやはり中国人、一般的に背格好や顔立ちでは見分けがつかない。

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         王座

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        勤政殿内部

少し覚えたハングルが役に立ったのかどうかはわからないが、ここソウルではどこでも日本語が通じるのでハングルを使う機会がなかったが、ここで初めて使うことができた。

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       勤政殿から北岳山

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       守護獣

 古い瓦屋根越しに銀杏の葉が黄色く色づき始めているので、そちらの方に向かうと宮殿の西側に水上に立つ、慶会楼(キョンフェル)があり、48本の花崗岩の石柱が使われている見事な建物である。

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       慶会楼

池には2つ四角い島があり、東側にある四角い島に慶会楼がある。慶会楼は国王と臣下が出会いを楽しむ場所という意味から名づけられた名前で景色のいい場所である。

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        石積みと煉瓦に特徴がある

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       カチ(カササギ)

屋根の上を見ると、寄棟の軒の上の動物の魔よけがあるところに野鳥が一羽止まっている。少し大きめの鳥で飛び方は、日本のオナガに似ている。色は黒とブルーと白である。韓国の野鳥はどんなものがいるのだろうと思っていたが、初めてであった。後で名前を調べてみようと思う。青い空があればいいのだが白抜けになってしまうのが残念である。

景福宮(キョンボックン) 王宮守門将交代儀式

光化門をくぐって中に入ると、正面に勤政殿が見えるその手前に広場があり、たくさんの人だかり、何があるのかと聞いてみると、これから守門軍(スムングン)の交代儀式があるという。

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朝鮮時代の王宮には、王宮門の開閉や警備を担う「守門軍」という軍隊があり、その交代儀式が1日3回(11:00、14:00、15:30)行われている。ちょうどその11:00の儀式がこれから行われるところであった。

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        厳鼓手(オムゴス)

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話に聞くと、イギリスの近衛兵交代儀式に負けず劣らずの華やかさと拡張の高さがあるということである。楽しみである。

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時間になると、入口の近くの大きな太鼓が打ち鳴らされてスタートする。これは、厳鼓手(オムゴス)と言われるもので、交代儀式の進行を知らせる厳鼓(オムゴ)という太鼓を鳴らし、儀式の流れをリードするものである。

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「王宮守門将交代儀式」は、王宮門の守衛儀式と、守門軍の交代儀式と言う2つのパートで構成されている。衣装や装飾品はカラフルで見ていても十分楽しめるものである。

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西門、東門から入ってきた守門軍がそれぞれの広場をい1周して中央の王宮門前で整列して交代の儀式を始める。ゆっくりと見ていたかったのあるが、時間の関係もあるので、典禮門をくぐり勤政殿へと足を向けた。

光化門(クワンファムン)  世宗路(セジョンノ)を歩く

 あいにくの早朝からの雨模様、ソウルの朝は東京より約30分ぐらい遅い。その上小雨が降っているせいで夜明けが遅いような気がする。

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        光化門

片側8車線の広い道路、世宗路を光化門に向かって歩く。この道路の近くには、日本大使館やアメリカ大使館などがあるソウルの中心部である。

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         北岳山と光化門

 世宗路は光化門を起点とした道路で長さは約500mほどの広い道路で、その南端の中央分離帯に忠武公李舜臣(イ・スンシン)の銅像が建っている。

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この広い道路は、日本の植民地時代には光化門通りと呼ばれていたようである。李舜臣は韓国の英雄で豊臣秀吉の朝鮮出兵時に水軍を率いて日本軍に勝利したと言われ、今でも南の方面の日本をにらんで立っているような雰囲気である。

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              李舜臣の像

広い中央分離帯を歩いて行くと正面の光化門に着く。光化門は1394年に初めて建設されたのち、何度かの焼失・移動・復元工事を経て、2010年8月に最新の門が出来上がった。

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      世宗(セジョン)大王 1446年ハングル文字を創製

       大王の像の裏側がセジョンイヤギへの入口

 李成桂による漢陽遷都(1394年)の際に、景福宮の正門として建設され、1553年の大火で焼失。1592年、豊臣秀吉の文禄の役の際、朝鮮民衆に放火され再び焼失。

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19世紀に再建されたが、1950年の朝鮮戦争で焼失してしまった。その後、1972年に朴正煕大統領の時代に鉄筋コンクリートで再建された。

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光化門の奥の景福宮の後ろに見える北岳山のふもとには、大統領官邸の青瓦台(チョンワデ)がある。入口で入場料を払って景福宮(キョンボックン)の中に入ってみることにする。

明洞(ミョンドン)  東京の「渋谷」[原宿」に似る

 ソウル市内で最も有名な繁華街とされている明洞、ホテルから歩いて10分ぐらいのところにある。地下道を通りにぎやかな地下商店街をしばらく歩くと明洞の入口に出る。

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 ソウルのメインストリートは片側5車線もあるので、横断歩道より地下道が多い。地下道には日本にも多いがホームレスの姿もみえる。

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 明洞の繁華街には高級ブティックやカラオケボックス、メガネ店、ファーストフード店、化粧品店、屋台や露店などが数多く立ちならんでいる。

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歴史を見ると、李氏朝鮮時代には「明禮洞」と呼ばれていたが、略して「明洞」になったといわれている。日本統治時代には「明治町」と呼ばれ、日本人居住区・商業中心地として発展した。

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韓流ブームで日本人観光客にも人気の高いスポットの一つで、どこに行っても日本語が通じる。店の看板も日本語で書かれたものが多く、お店の従業員も日本語が上手である。

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 聞いてみると、日本に行ったことはないけど日本語が話せるとのことである。どこでも日本語が話せることと、顔だちが日本人に似ているので外国に来ているという実感がわかない。ハングルを勉強してきたが、考えているうちに相手が日本語で話しかけてくる。

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昼間の人通りも多いが深夜になってもにぎやかで、日本の東京で言う「渋谷」や「原宿」ににて若者の姿が多く見られる。どことなく韓国の女性は肌がきれいで、男性はやさしそうな顔立ちが多い。

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 韓国はやはり焼き肉、早速焼き肉のお店を探して入ることにした。店内は混雑していてにぎやかである。分厚い豚肉を焼いてハサミで切って野菜に包んでほおばる。韓国のビールと共に本場の味を楽しんだが、やはりビールは日本のビールの方がうまい。

ソウル  漢江を渡る

 羽田空港の国際線ターミナルを昼ごろに離陸した飛行機は二時間ほどで韓国の金浦空港の滑走路に静かに下りた。国内線並みの時間で外国にいける近い国である。

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          漢江(ハンガン)

 空港から高速道路で漢江を渡りソウル市内のホテルへと向かう。今回の旅は韓国に嫁ぐ姪っ子の結婚式に出るための久しぶりの家族での旅になった。

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 家族はそれぞれ独立しているので、子供達が小さい頃以来の家族旅行になった。ネパールに住んでいる娘も帰国して、息子とは羽田の空港で合流した。旅好きの家族なので、こういうときはあまり細かいことに気遣いせずに便利である。

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 昔、漢江というと、”漢江の奇跡”を歴史で教わったような気がする。思い出してみると、1961年の朴正煕による軍事クーデターにより韓国が経済の高度成長を遂げたことである。

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 内容的には、当時、朝鮮戦争により壊滅的な打撃を受け北朝鮮以下の一人当たり国民所得は世界最貧国グループであった韓国経済が、ベトナム戦争参戦と日韓基本条約を契機とした日本からの経済・技術援助を要因に ”漢江の奇跡” と呼ばれる経済成長があったことである。

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 今では、サムスン、現代、LGなどが日本の企業を尻目に世界を席巻している雰囲気があるが、要因はベトナム戦争参戦と日本との国交正常化が大きく影響をしている。

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1965年、韓国は日本と日韓基本条約を結んだことにより、約8億ドルの有償、無償金、民間借款が得られた。当時1ドル=約360円の時代で、韓国の国家予算が3億5千万ドル程度だったことからもこの金額の大きさが伺える。

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 韓国はこうした資金を元手に、京釜高速道路をはじめとした各種インフラの開発や浦項総合製鉄をはじめとした企業を強化させていったのである。

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 古代国家の形成に始まり、三国時代、高句麗、百済、新羅の領土争いの標的なるなど、昔から漢江は常に暮らしの安定を意味した中心地であった。最近では、悲惨な同じ民族同士の朝鮮戦争の歴史の舞台になったところである。

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漢江について言うと、北朝鮮に源を発するこの漢江(ハンガン)には27の橋がかかり水量豊富な全長514kmの流れである。ソウルにとって大切な水資源であるとともに庶民の生活と密着した憩いの場所にもなっているところである。短期滞在ではあるが楽しみにしているソウルの旅である。

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