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桜並木の若葉が緑の濃さを増してくると、柔らかい新葉を食べに小さな青虫がたくさんついている。きっと腹ペコな青虫なんだろう。
桜の樹木の下を見上げながら歩いていると、細い糸にぶら下がった青虫が目の前にいることがある。
口を開けて歩いていようものなら、口の中に入ってしまう。そんな青虫が大好物なコムクドリの群れがいる。
季節が過ぎるごとに青葉が大きくなっていくので、そのコムクドリの姿が日増しに見えにくくなってくる。
それでも青虫を狙って動き回り、たまに樹木の緑の葉の上に顔を出してくれることがある。
ブルーメタリック色のきれいなオスと、優しそうなまなざしを見せるメスが、交互に顔を見せてくれた。なんといってもオスのきれいな装いにはついついレンズを向けてしまう。
人の歩かない時間帯に人のいない黄色の花と石ころだけがある河原を歩くと、いつも出遭うのはキジのおすである。
最近はメスの姿が見えないので、すでに抱卵に入っていると思われる。
それでもオスは、大きな声で「ケーン ケーン」と鳴くと、「ドッドッドッ・・・・」と力強く母衣打ちをする。
メスが抱卵しているというのに、まだまだ恋人募集中という感じである。
同じ河原で鳴きながら上流へ歩いて縄張りを宣言していたオスは、今度は下流に向かって歩いてきた。
手前にはほかのオスの姿が見える。これも黄色の花をつけたセイヨウカラシナの中をゆっくりと歩いている。
上流から下流へ向かっているオスはこの姿を見つけたらしく、河原を低空飛行でそのオスに向かってくる。
それを察したよそ者は、すかさず近くの藪の中に姿を隠してしまった。
そのあたりの草むらをを探し回るように歩き回ったが、じっと隠れているらしくもう一羽は姿を見せない。
再度自分の縄張りを誇示するように、一段下の土手の上に上がって、黄色の花を背景に、またしても大きく羽を広げて母衣打ちをしているのである。
朝晩の風は冷たく感じるが、昼間はぽかぽか陽気が続くようになってきた。外出自粛があるので、人のいない時間に人のいないところを歩いてみる。
以前からモズのペアーが忙しそうに餌を運んでいた土手下の藪に、モズの雛が姿を見せた。
二羽ほどいるようだが、短い距離は飛んで見せる。
親鳥が餌を探しに出かけると、顔を出してくるところが営巣場所だったようである。
見ていると、よちよちと出てきて待っていると、しばらくするとオスが獲物を咥えてやってくる。
雛は甘えるように鳴きながらながら、親鳥が餌を入れてくれるのを待っている。
まだ一人前にそろっていない羽を大きくばたつかせて、小さな口を大きく開けて受け取る。
えさを与えたオスは、再び餌を探しに飛び立っていくのである。
よく見ていると、その給餌の回数は圧倒的にオスのほうが多い。たまにメスが餌を咥えて戻ってくるが、タイミングが悪いのか、ひながいないのか、自分で食べてしまうことがある。
早朝からよく働くモズの親と、必死で生きようとする雛のほほえましい姿を垣間見た早朝である。
街路樹のハナミズキがきれいになってきた。本来ならば新緑を楽しめる時季であるが、新型コロナウイルスの猛威はそんな雰囲気を吹き飛ばしてしまう。
外出自粛の中で運動不足を解消するために近所を歩いてみると、鳥たちは、巷のウイルス禍はどこ吹く風で巣作りに忙しい。
ツミと共生しているのかといわれるオナガが、ツミの営巣場所の近くに同じく巣作りを始めている。
鳴き声は結構うるさいオナガであるが、その容姿は黒いベレー帽に水色のマントという好きなスタイルである。
そんなオナガも繁殖期になって、せっせと細かい小枝を嘴に咥えて運んでいる。
オナガは同類のカラスに狙われることが多いので、ツミと共に無事に子育てが成功することを祈るばかりである。
子供のころは、待ちわびていたものが手に入ると嬉しくてしばらくの間それに没頭していた。
今回のツミの営巣準備の出遭いはそれに似ている。そろそろツミが飛び回る時期だなと、通勤途中の駅までの街路樹を見上げて、このあたりにいるはずだと期待していた。
待ち焦がれていたツミが、一生けん命巣材集めをしている姿を見て、ついつい連写をしてしまった。枚数が多くなるとそれの現像にも手間暇がかかる。
そんなわけで、今回はツミの連載になってしまった。今後は雛が巣立つまでの間、静かにその経緯を観察していきたいものである。
休む間もなく枝折をして巣材を運んでいるメスが頑張っているのに、オスは一足早く東の方向に狩りに出かけたようである。
それを見たメスも一休みした後、こんどは西の方に向かって餌を探しに飛び去ってしまった。朝ごはんの前に一仕事をすることを昔の人は「飯前(めしめ)仕事」といったものである。ツミの行動はそんな光景を想像させるものであった。
専業主婦という言葉がいつごろから使われたかは定かではないが、一般には、結婚している女性で賃金労働で働く以外で、家事を専業にしている女性のことを言うらしい。
マルクス主義では、再生産性労働(家事、出産、子育てなど)に携わる女性という定義もある。兼業農家で育った経験からみると、形は専業主婦の母親は、かなりの労働をしていたように思う。
ツミの巣材集めを見ていると、メスの働きがかなりの部分で重要なポイントになっているのではないかと思う。目の前のその枝折を見ていると、さかさまになってくちばしでへし折っている。これも家事の一つなのだろうか。
見ているところ、二羽で入れ替わり立ち代わり営巣場所に運んでいるので、オスも一生懸命巣材集めをしているのだろうと思うが、目立つのはメスの活躍である。
鳥の世界もそれぞれの役割分担ができていて、お互いに文句をいわずに思いやりを持って行動しているのかなと思う。ところで我が家はどうだったのだろうか?
目に見えない敵はなかなか手ごわい、今回の新型コロナウイルス禍、当初の目論見とは違ってかなり攻撃的に見えてくる。
最初のころは、暖かくなれば自然に消滅するとか、若い人はかかりにくいとか言われていたが、それがすべて覆されている。
確かに原因がわからないのだから、どんな症状になるかもわからないのかもしれない。わかっているのは人から人に感染するということである。
そのために外出自粛と言われているので、近くの公園の人の居ない時間帯に、運動不足とストレスの解消のために歩いてみる。
見上げる若葉の樹木には営巣準備を始めたツミのペアー、共同作業で巣作りのための巣材集めに忙しい。
見ていると生木の枝折作業をしているが、その作業の迫力はものすごい。頭をさかさまにして細い枝を咥えたかと思うと、体重全体をかけて折り曲げる。
見事に枝折に成功すると、それをもって営巣場所に運ぶ、そんな作業を休む暇もなく続けている巣作り最中のツミである。
今シーズンもツミの季節がやってきた。家を出るとちかくで鳴き声が聞こえるので、きっとこのあたりで営巣を始めてくれるだろうと期待感いっぱいである。
雨上がりの好天の陽射しのまぶしい早朝、外出自粛もあるので人の少ない時間帯に、公園を一回りしてみる。
このあたりで鳴き声が聞こえたなあと思うところでしばらく待っていると、見上げる若葉の上を鳴きながら飛んでいくツミの姿が見える。
飛び去った先の方に向かうと、聞こえてくるのはオナガの鳴き声、例年の傾向だとオナガの鳴き声がすると、間違いなくその近くでツミが営巣を始めているはずである。
にぎやかなオナガの群れが飛び交う公園の樹木のうえの方に、オナガとは違う飛翔姿が見える。
オナガが飛び去ると二羽のツミがせっせと巣作りを始めている。今年も期待感が大きい公園である。
静かな朝の森に響き渡るのはドラミングの音。森の散策路というのか獣道というか、踏み分け道のわきの草葉は濡れている。
その音のする方向に急ぎ足で近づくと、トレッキングシューズはもちろんズボンのすそまで濡れてしまう。
陽が射し始めてきた樹木を逆光気味に見上げると、アオゲラのオスが樹木の幹にとりついて朝食の最中である。
新緑の葉が少し邪魔をするので、それを避けてアオゲラに近づいてみる。
すると反対側にも同じくアオゲラがいるらしい。よく見てみると姿を見せたのは、アオゲラのメスである。
オスは同じところからなかなか動かないところを見ると、かなり好物を見つけたらしい。その反面、メスは近くを上に行ったり下に動いたりと、探し回っているようである。餌の確保はペアーでも厳しい世界なのかもしれない。
鳥のことは長年関わってきたので少しわかってきて、素人には講釈も言えるようになってきた。
ところがたくさんいる野生動物には興味はあるが、その生態はほとんど詳しいことは何も知らない。
鳥を待っている間、結構その野生動物が近くに出てくることがあるが、ただ姿を追うことだけになってしまう。
この河原にもたくさんの野生動物がいるらしいが、その出現を待っているというわけではなく、いれば好奇心を高めるだけである。
その道のベテランの話によると、この河原には13匹のタヌキが家族でそれぞれ生息しているという。そして、その家族の特徴とその棲み処をしっかりつかんでいるのである。
そんな話を聞いていたが、噂のタヌキの仲良し三兄弟が集まってきて、暖かい日差しの下で和やかな様子を見せてくれた。
夜明けが早くなった昨今、4月だというのに寒かったり暖かかったりと、年寄りには試練の毎日である。
桜の花びらが散って、夏鳥たちがやってきたというニュースも聞こえるのに、遠く丹沢山塊を見るとうっすらと雪化粧が見える。
最近の気候も例年のようには素人では予測ができないようになってきた。昔は履いていた下駄を放り投げて、表が出ると晴れ、裏返しになると雨だった。
懐かしいのどかな光景である。ところが、ここのところの目に見えないコロナの影響で、生活環境は一変している。
外出自粛で人ごみのところには出かけられないので、人気のない時間に人のいないところに行くことが多くなっている。
そんな中、暖かな日和の早朝の土手を歩いていると、出てくるのはタヌキばかりである。バーダーとしては夏鳥を探しているのだが、ファインダーに収まるのは、暖かな日和の中をのんびりと歩き回るタヌキである。
三蜜を避けてストレス解消、健康維持をしなければこの新型コロナ禍は乗り切れない。
そんなときは、人の少ない早朝の河原散策が最適である。
ここでは、いつも待ってましたというように姿を見せてくれるのは、キジのオスである。
今朝も河原の散策路を歩いていると、すぐ近くで鳴き声と母衣打ちの音が聞こえる。
見ると足元の草の陰にいるではないか。少し驚いた様子を見せたが、すぐに逃げるわけでもなく、ゆっくりと歩いている。
背後に人の影を感じたのか、砂利道の真ん中を速足で歩いていくが、そのあとをついていくと、黄色の西洋カラシナの中に入っていく。
その草むらで、やわらかい草の葉を啄んでいたかと思うと、上を見上げるように背筋をのばした。
このポーズは母衣打ちのポーズである。カメラを構えて待っていると、大きく口をあけて「ケーンケーン」と響き渡るように大声で鳴く。
そのあとには大きく羽を広げて、母衣打ちである。春の黄色の花に囲まれての母衣打ちのポーズ。
この姿はさすがに「男らしい!」と思える。昨日までメスを二羽引き連れていたが、まだまだ子孫を残そうというところか。
最後は体を膨らませて大きく見せる、天気の良い早朝のキジのパフォーマンスであった。
出遭いが待ち遠しく、すでに少し諦めかけていたレンジャクが姿を見せた。それもキレンジャクである。数年前には近くの公園に来たのを観察しに行った記憶がある。
例年だと来るとしてもヒレンジャクで、なかなかキレンジャクに出遭えることは少ない。地域によってはヒレンジャクが珍しいという地域もあるらしいが、関東周辺ではヒレンジャクが多かった。
ところが、今シーズンは各地からの情報では、キレンジャクが多いことが伝えられていた。レンジャクの当たり年ともいわれていたのである。
今回は時期的には遅いほうであるが、そのキレンジャクに出遭えることができてその喜びはひとしおである。しかもいつもだと寄生木に現れるので、観察しているうちにそれも楽しみの一つであったが、例のだらーりと垂れてくるものが見えるのである。
今回姿を見せたのは、少し黄色っぽい若葉が萌え始めたケヤキの樹木の高いところである。しかも4羽すべてがキレンジャクである。
少し遅れてきたキレンジャクではあるが、忘れないでわが河原に立ち寄ってくれたことに感謝しているのである。
待ち人来たらずというと、期待感を持っていてがっかりすることがある。新年の初詣でおみくじを引くと、それらのことが書いてあることがある。
その場で読んでみて、中吉であれば内容はあまり覚えていなくても、その内容に少しほっとして、近くのおみくじを結ぶところに結んできてしまうことが多い。
季節になるとやってくる旅鳥が、気候の変化で桜の開花が早かったりしても、その時期には必ず姿を見せてくれるのはうれしいものである。
コムクドリはどちらかというと桜の花が散った後にやってくる。ちょうど花びらが散って、桜蕊の色が赤っぽく見えるようになると、桜の若葉が出始めそこにやってくる。
桜の木にとりついたコムクドリは、若葉についている虫を取っているのだろうか、細い緑の虫を嘴に咥えていることが多い。ひょっとすると虫ではなく、やわらかい若葉を食べているのかもしれないと思うほどである。
そんなコムクドリが、河原の桜並木にやってきた。幸いに良い天気で、一年ぶりのあのきれいなオスのメタリックに光る背中と、優しそうなまなざしが印象的であった。
例年にない季節の移り替わりの体験で、やっと春らしい天気が続くようになった。大雨ですっかり景色が変わってしまった石ころだらけの河川敷きにも、草木が生えてたくさんの鳥たちも姿を見せるようになってきた。
増水で流されてできた新しい崖にカワセミが巣穴を掘り始めた。子孫繁栄のためか愛おしいメスのためか、あの小さな体でそれなりに大きな穴を掘る。
川の流れの中の石の上では、メスがその様子をじっと見ている。オスの働きに感謝しているのか監視しているのか、マイホームに夢を託しているまなざしである。
そんな視線を感じながら、オスはせっせと穴掘り作業に精を出している。
河原の石ころの上で一息ついて、穴の方を見上げるように眺めては飛び込んでいく。
体が巣穴の中に入ったかと思うと、すぐに小さな長いくちばしを汚して泥を咥えて出てくる。
そんな作業を何度も何度も繰り返している。
カワセミの体は小さいと言っても、オスとメスが入り子育てをするのだから、かなり大きな巣穴が必要になる。
それをあの小さな嘴で作り上げるのだから、大変な作業である。どこの世界もオスは頑張るんだなと思わせる光景である。
見ていても何度か穴掘りをすると、上流の方に飛んで行って一休みしているのか、採餌しているのか、しばらくするとまた戻ってきてもくもくと作業を続ける。
その巣穴堀の近くを見ると、すでにいくつか穴があり、メスが気にいってくれなくて作り直しているのかとも思う。それを見ると簡単に穴掘りをしているように見えるが、大変な作業である。
そこには、子孫を残さんとするオスのけなげな本能的な姿が見える。きっと優しいメスがそれを気にいってくれて、やがてたくさんの雛たちが、この河原を飛び回る光景が見られることだろう。それを多いに期待したいところである。カワセミの愛の巣穴堀である。
コムクドリとの出遭いで、林の中を歩く足元も軽やかである。好天の土手に上がってみると、少しにぎやかな雰囲気を感じる。
すると、鳥友さんが、目の前にコムクドリのオス、見上げる高いケヤキの樹木の新緑には、キレンジャクがいるよと教えてくれた。
今シーズンはレンジャク類はどこでも多く見られたようであったが、地元ではなかなか出遭いが少なかった。
それらしき寄生木があるところは回ってみたが、ほとんどのところはその寄生木のある枝は切られてしまっていた。
聞くところによると、寄生木の共生しているケヤキなどは、あまりほおっておくと本体の樹木が養分をとられて負けてしまうらしい。
今シーズンはあきらめていた地元でのレンジャクが、目の前に姿を見せてくれたので、うれしい朝の鳥見になった。その上キレンジャクが4羽とは、この上ない喜びである。
河原の土手の桜の花も早めに終わったが、そろそろコムクドリの季節かなと思いながら河原を歩いてみた。
桜並木も花びらがすっかり落ちて、若葉と桜蕊が目を楽しませてくれる。
人通りの少ない河原の土手は、新型コロナウイルスとは縁がなさそうな少し冷たい風がふいている。
空気は冷たくて気持ちがよく、見上げる空は青空の良い天気である。一通り桜並木を眺めてみたが、動くものといえばヒヨドリだけけでコムクドリの姿は見えない。
いつもの土手を歩くコースの支流との合流点の河原に出てみる。この近くには猛禽がいることが多いので、期待はそれである。
森の中では、まだうまく囀れないウグイスの声が聞こえてくるが、姿はなかなか見つからない。
見上げる樹木の中に動き回る小さな鳥の陰、見慣れない姿なので順光側に回ってみると、なんとコムクドリである。オスとメスの4羽の群れである。今シーズン初めての出遭いでうれしい朝になった。
多分目の前にいるメスは、昨日のオスに引き連れられていたメスの片割れと思う。今朝はさみしく一羽での採餌風景か?
春霞の逆光の河原の道端で待っているバーダーを無視するように近づいてきたキジメスは、その周りを迂回するように道路わきの草むらに入る。
一時姿が見えなくなったがひょっこりと顔を出したかと思うと、順光の位置にその姿がある。
今度は光の加減も良いので、きれいに撮ってねと言わんばかりに、河原に咲く花のところに行って少しの間ポーズをとって見せる。
少し低い位置の草むらに足元が隠れてしまったので、足も入れてみたいなと思うと、それが見えるような場所に出てきてくれた。
最後には河原の散策路に出てきて、今日はこれまでよと振り向いて、営巣するだろうと読んでいる方向にゆっくりと歩いて行ったのである。
最近のこの河原は冬鳥たちの姿が見えなくなって、キジとタヌキとオオタカぐらいしか早朝の散歩を楽しませてくれない。
昨年の夏の大雨ですっかり流されてしまったセイヨウカラシナが、石ころだらけの河原にパラパラと咲いている。比較的まとまって咲いているのは少し上流の河原である。
今朝はそこでセッカでも飛んできてくれないかと待ってみるが、周りには隠れるような樹木がないので、その姿も見えない。
対岸ではキジのオスの鳴き声とほろ打ちが小さく聞こえてくる。そろそろタヌキが帰ってくる時刻なので、引き上げようと歩きだすと、足元からキジのメスが飛び出して対岸へ向かった。
すぐにカメラを向けておいかければよいのだが、いつもその行く先を眺めてしまう。今朝はキジとは逢えないなと思いながら、陽が昇り始めた下流方向に向かって歩くと、逆光の中にキジのメスが歩いてくる。
じっと動かないで待っていると、どんどん足元のほうに寄ってくる。道端の黄色の花と、逆光気味のひかりの中のメスの正面の姿が、魅力的だったのでその動きを捉えてみた。
河原の散策路を歩くキジたちは警戒心も薄く、のんびりと道端にある草や木の実を拾いながら歩いている。
かなり近づいても逃げたり隠れたりしないので、ある距離を保ちながらモテルオスの様子を観察することにする。
ひょっとすると営巣場所まで案内してくれるかもしれないな、と思いながらついていってみる。
メスはよそ見をすることもなく採餌に忙しい。これはこれからの抱卵と、子育ての体力を蓄えようとしているからだろうか。
その点オスはあたりを警戒しながら、そのあとをついていくのである。地味な保護色のメスと派手な装いのオスの違いは、天敵に襲われたときにメスを助けるために、目立つ衣装を着ているように見える。
鳥たちも自分のDNAを残して子孫繁栄させるためには、いろいろな苦労があるのだなと思う早朝である。
タヌキの兄弟と思われる三匹が次々と残土置き場に入ってしまったので、一回りして反対側の塒の方を覗いてみると、ネットでカバーした石の集積場の上に一匹の寝姿が見える。
食休みをしているのか丸くなって寝ている。それでも時々警戒をしているように頭を上げて周りを見渡す。
そのうちにもう一匹のタヌキがのこのことやってきて、お互いに頬ずりをしたかと思ったら、仲良く眠りの体勢をとっている。
三匹がいるはずなので、もう一匹が姿を見せるだろうと思って待っていると、なかなか現れない。
たぶん末っ子の一匹はどこかで油を売っているのだろうと思うが、高いところにいる二匹は同じ方向を見ているので、その目線の先にいるのかもしれない。
昼寝には早い時間帯であるが、塒の近くで一休みといった雰囲気である。
去年の大雨で川の流れが大きく変わってしまった河原、河川敷に住む動物たちもねぐらを流されてしまっただろうと思う。
春になって草木の若葉がで始めると、隠れるところができたり、食べるものが増えてくる。
暖かい日差しになった朝、河原を一回りして土手の上に戻ってくると、土手下の草むらに顔を出したのはタヌキである。
毛並みもきれいな子たぬきのように見える。いったんあたりを警戒して傾斜のある土手の草の中を登ってくる。
土手上の舗装道路に姿を見せると、左右を確認してその舗装道路をかけてきて、フェンスで囲った残土置き場の中に入っていく。
そのあとからも同じように二匹のタヌキが続いてくる。朝食を終えてねぐらに戻ってきた様子である。
夏の大雨で流れが変わった本流の河原、草木が少なくなったのであまり歩かなくなった。
例年だとセイヨウカラシナの黄色の花が一面に河原を埋め尽くして、その中をセッカなどが飛び回っているはずであるが、今シーズンは殺伐としている。
大きく流れが変わった川面を見てみると、遠くに小さな水鳥たちの群れが見える。よく見るとコガモも群れのようである。
歩きにくい石ころだらけの河原を水際まで近づくと、数十羽のコガモが一斉に飛び上がって上流方向に向かう。
遠くに行ってしまったなと思っていると、途中で旋回して戻ってきている。そしてまた近くの水面に一斉に下りてきた。
コガモは一番早くやってきて、一番最後までいる水鳥である。そろそろ北に帰る飛翔の練習をしているのか、川面の上を飛びまわっているのである。
満開の桜も見られるのは今週いっぱいぐらいだろうか、新型コロナウイルスの新情報にかき消されて、例年の春爛漫の雰囲気はない。
週末は多くの人出でにぎわう土手の桜並木も閑散としている。三密でない河原の土手の桜に何か来てくれないかと、歩いてみるがめぼしい鳥は見当たらない。
盛んに飛び回っているのはヒヨドリである。ヒヨドリも見方によってはきれいなとりであるが、バーダーにはあまり人気はない。
ほかにはシジュウカラかカラスぐらいである。それではとヒヨドリを桜のモデルにしてみることにする。
桜は枝が混み合っているところに花がたくさんついているので、ヒヨドリも特別なポーズをとらなくても簡単に花の蜜にありつける。
せめて青空が入ってくれれば花の色もきれいに出るのだろうが、あまり納得しない桜ヒヨドリである。
連日オスの姿が見えるので、近くにメスがいるのではないかと探してみると、散歩の人が二羽のメスを連れたキジを見たよと教えてくれた。
連日のほろ打ちの効果があったのか、二羽も引き連れているとは、なかなかやり手のオスである。
一夫多妻のキジの世界では、メスはなかなか姿を見せてくれない。そのうえ探すのもあの地味な保護色になっているので、見つけにくい。
青い若草の上に出てくれればそれでも見やすいが、枯れ草の中を歩いていたのでは動いてでもいないと見つからない。
それでも見た人がいるので、必ずいるはずだという執念でしばらくの間待ってみた。
そうすると、オスがいた近くの藪の中に動くものが見える。ゆっくりと歩く姿は間違いなくメスである。目に特徴があるメスがあたりを警戒しながら、柔らかい葉を啄んでいる。
繁殖期になってキジの大きな鳴き声が聞こえてくるようになった河原を歩いていると、土手下にきれいなオスの姿。
いつもなら人の気配を感じると、そそくさと藪の中に姿を隠してしまうキジであるが、ここではそういうそぶりも見せない。
かなり近づいても、土手の上をジョギングの人が走りすぎても、隠れるわけでもなく動かないでじっとしている。
どうも土手の上に上って、満開の桜で花見でもしたいのかなと思う目線をしている。
そのうちにのこのこと草深い土手の傾斜を上って、舗装をした道路の上に出てきた。目を離したちょっとの隙に、フェンスを飛び越えて小高い丘の上に立った。
首を上の方に伸ばすと、「ケーンケーン」という雄たけびとともに、大きく羽を広げて「ドドドドッー」とほろ打ちを始めた。
花はよく見えないが、雰囲気だけ桜前ボケのほろ打ちの雄姿である。
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