春が来た 弥生三月
ここ数日の気温の変化はすさまじい、17.8度が翌日は8度、9度、さらに16度と続く。体が追いついていかない。こうした三寒四温の繰り返しでだんだん暖かくなり春がやってくる。雪国ではこの春を待ち遠しく待っている人たちがたくさんいる。
梅とヒヨドリ
二月に入り三十路になる別居中の息子が病気で入院した。もう少し遅れていたら大変なことになっていたが、三週間の入院治療で無事退院することができた。周りの皆様のおかげである。昔から、日本の挨拶には「おかげさまで」という言い習わしがあるがまさにこれだと思う。
息子は、2月から南米に旅行に行く予定でいろいろな手続きを済ませ、2月14日に旅立つ予定であったが体の調子がおかしいのでクリニックに行くと、「すぐに大きな病院で検査する必要がある」 ということでわが家の近くの大学病院に検査入院をした。
入院をすると、すぐに南米での災害のニュースが立て続けに入ってきた。最初はペルーのマチュピチュの洪水で観光客の立ち往生、つい最近ではチリでの大地震と津波での大災害。日本の反対側なので詳しいニュースはなかなか届かないが、阪神淡路大震災の300倍のエネルギーとか言われている。
旅行予定を聞くと、「今ごろサンティアゴかな」 という会話、まさにその災害地を歩くスケジュールで旅行を計画していたようである。不幸中の幸いというか、ニュースを聞いて現地の被災者のかたがたには申し訳ないが、ほっとしているような状況である。それも最愛の伴侶との旅をする予定だったので入院は二人の将来を助けてくれたような気がする。運命というか、天命である。
ツグミ
三週間の入院生活は、本人にとっては大変だった思うが、さらに大変なのは周りの人たちである。本人は「鬼の伴侶」といっている彼女が、毎日病院に通って献身的に看病をしてくれ、元気づけてくれた。おかげ様で回復が早かったような気がする。
彼女も南米旅行は、ずいぶんと長いこと楽しみにして計画をしていたものなのに、断念して毎日一時間半以上も電車バスに乗って病院通いをしてくれた。そのおかげで回復も順調で、予定通り検査の数値も平常に戻るのが早く、日程的にも思い通りに退院できた。後は自宅での一か月の療養で体力の回復と症状の再発がなければもと通りの生活と職場復帰ができる。
私も、今回の件で週末は毎回かみさんと病院通いをして、今まで息子とじっくり話をしたこともなかったがいろいろゆっくりと話をすることができた。一方、母親は子供がいくつになっても子供は子供なので、細かいことを常に心配している。やはり自分の腹を痛めた子供との絆は、父親のそれとは違うものなのだなと思った。
白梅 と ヒヨドリ
息子は、学生時代はラグビーをやっており、毎日泥んこになった衣類を担いで帰ってきたことを思い出す。土日もラグビーに明け暮れ、良く試合を観戦に行った。ラグビーの細かいルールはそのときに覚えたものである。練習中に脳震盪を起こして寝ているとか、怪我をして病院にいったとかの電話はあったがあまり健康の心配はしていなかった。
体格的にも高校生の頃で180cm以上あったので、私も息子と喧嘩をしてももう勝てないなと思ったことがある。また、当時かみさんが洗濯機が壊れたといったことがあった、壊れたなら新しいのに買い替えるしかないと考えたが、どうせ捨てるなら分解してみようと思った。
洗濯漕の排水ができないということなので、まず排水のホースをはずしてみたら、何と、排水のホースが砂でいっぱいに詰まっていたのである。毎日のラグビー練習の汗にまみれた砂粒が、長年たまったもので、ラグビーウエアーの洗濯での砂詰まりであったのである。排水ホースをきれいに洗うとなおってしまった。「散財しなくてよかったね・・・」 とかみさんと笑ったものである。
ビンズイ
彼女との地球一周りの計画を足止めした今回の入院は、何か運命のようなものを感じる。あのまま出発していたら今頃はどうなっていただろうと想像すると、病院での三週間は今後の二人の生き方を示唆しているような気がする。
ルリビタキ ♀
常々おもっていることだが、私のような貧乏人にとって財産とは、「信用」 と「健康」 と「家族」であるということが実感として感じた入院期間であった。近くの公園では梅が満開である。健康を取り戻し名実ともに春が来て、また二人で手をとりあっての人生を歩き始めることを祈る。
人生生きていくためにはいろいろとお金がかかることが多い、またお金があればかなりのことは出来るし、ものも買える。但し考えてみると、大切な事は、「お金で買えないものが世の中で一番大切なものである」、ということである。
紅梅
鬼の伴侶とか言って悪態をついていた息子も、これでしばらくは頭が上がらないだろう。「伴侶」という字は連れ合いという意味であるが、ひとへんに半、ひとへんに口二つである。お互いに助け合いながら食べていくという意味である。男はそれなりに重大な責任がある。一緒に連れ立っていく者、よき伴侶に恵まれたということであろうか。
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