野鳥たち

  • アカゲラ
    野鳥たちの表情を表現できればと思っていますがショットが精一杯。

花たち

  • 姫扇
    気の向くままの足跡を紹介します

風景

  • 常陸海浜公園
    一期一会の心に残る風景

淡島の一日

  • 淡島から見るサンセット
    奈良の帰りに淡島に一泊。夕日と富士山がきれい。露天風呂から正面に富士山が見える。

四国・四万十川の旅

  • 金比羅宮
    2008年5月の連休の四国四万十川の旅

歴史散歩

高岡を歩くⅣ 古城公園から市内

駅の近くで歩いて見て回れるので、まだ少し時間がある。ホテルに戻る途中の高岡古城公園を散策して戻ることにする。

_9560

       万葉線一番電車

朝の静けさの整然と整備された街並みを満喫した後、そろそろ一番電車が走ってくるだろうと期待しながら、路面電車の線路が走る広い道路を横切って、こんもりとした森が見える方向を目指して狭い路地に入る。

_9531_edited1

大きな木の枝がお堀の水面につくぐらいに垂れ下がっているところを見ながら、堀の水際を歩いていると、突然の大きな鳥の飛び出しである。向かいの木の枝に止まってこちらを眺めているのは、3羽のホシゴイの姿である。

_9534

         射水神社

距離は近いが、さすがにコンデジではその姿をうまく捉えられない。お堀にかかる朱色の橋を渡り玉砂利の敷き詰められた参道を歩くと正面に大きな鳥居の射水神社が見える。

_9535

          手水所     

高岡城跡とはなっているものの石垣の一部や井戸が残るのみで天守閣があったかどうかは定かではない。二礼二拍手で参拝を済ませ、いつものことながら健康と家内安全をお願いして早朝の街中へと向かう。

_9541

        糸商の看板

古い商家の看板を興味深げに見ていると、早朝散歩の地元の人が「何を見ているのですか?」と聞いてくる。「普段は気が付かないけど古い看板ですね」といいながら、携帯のカメラで写真を撮ってくれということになった。

_9550

        高岡の大仏

異郷の地での出会いであるが、気のよさそうなおばさんは「初めて会った人なのにすまないね」といいながら、マイペースで朝の時間を楽しんでいる。

_9546

少し歩くと左手の奥に大きな大仏像が見えた。奈良、鎌倉と並んで日本三大仏に数えられている高岡の大仏である。これが有名な”高岡の大仏”かと感心しながら境内に入ってみる。鋳物の町高岡のシンボルで高岡銅器の職人の技術の結晶といわれている。

_9548

       大仏の頭部

ちょうど大仏祭りが行われているようで、境内には吹流しや紅白の幕が飾られている。台座の内部には回廊があり、中央の部屋には1900年に焼失した木造大仏の頭部が鎮座している。

_9556

        桃太郎と家来たち

大仏を後にして、人通りのないシャッターの下りたアーケードの商店街を歩くと、さすがに鋳物の町だけあって、いたるところに桃太郎や、狼と七匹の子山羊などのモニュメントがある。

_9557

         狼と七匹の子山羊たち

一目見ただけでその物語が思い出され、一気に童話の世界に入っていけるような動きのあるモニュメントである。

_9599

         猫電車

早朝の町にはジョギングやウォーキングの人たちに混じって、朝練の女子高校生などの姿も見え始め、高岡市と新湊を結ぶ路面電車の万葉線の姿も見え、高岡の今日の一日が動き出したようである。早朝の一万歩を達成して、朝食の時間を気にしながらホテルへの道を急ぐことにした。

高岡を歩くⅢ  千本格子の家並みの金屋町

土蔵作りの街並みを歩いた後、まだ時間があったので少し足を延ばして千本格子の家並みがきれいだといわれる金屋町へと向かう。

_9595_edited1

千本格子の伝統的な町家が軒を連ねる石畳の金屋町は、文字通り鋳物職人の町であり、この落ち着いた京都風の家並みの雰囲気からはとても鋳物の町のイメージは沸いてこない。

_9596

店を覗いてみると中には銅器や鉄製品が並んでいるところもある。千本格子の金物屋さんの隣には、同じ作りの喫茶店などもあり、鋳物などの工業製品を扱っている町とは思えないムードである。

_9589

興味深く眺めながら歩いていると地元の人が、ここは京都の家並みを真似て創ったので京風の千本格子の雰囲気が残っているのだと説明してくれた。

_9591

実際にはこの表通から入った町家の奥に鋳物の作業場や工場があったという。現在でもまだ数軒の鋳物作りを行っているところがあるということである。

高岡は、梵鐘、銅像、花器、茶器、美術作品など様々な銅器製品の産地であり、国内シェア―が90%を越える日本一の銅器の町であるということも初めて知った。

_9586

加賀百万石といわれる加賀藩の二代目藩主前田利長が、鋳物師を高岡に呼び寄せて優遇して住まわせた場所といわれている。

_9593

約500mに渡って続く石畳の道と、千本格子戸の家が軒を並べるこの”石畳通り”は、落ちいついた京都の風情を感じさせる風景である。伝統ある高岡の鋳物技術の出来栄えをゆっくり時間をかけて見てみたいものである。

高岡を歩くⅡ  土蔵造りの町並み山町筋

駅南から高岡駅の中を通って北側の古城公園口に出ると、駅前は工事中で入れないが、路面電車の走るすえひろロードを歩き、末広坂を下ると路面電車の軌道は右に曲がっていく。

_9507

その角のところには、「♪ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む♪」でおなじみの童謡、「夕日」の作曲家室崎琴月生誕の家が残っている。

_9504

        室崎琴月生誕の家

その交差点をさらに進むと、街の中心部と思われるところに古い土蔵造りの街並みが見えてくる。早朝の人気のない静かな街並みを歩いてみる。

_9512

ここは、明治後期の大火後に建てられた土蔵造りの旧家が42棟建ち並んでおり、明治時代のすぐれた防火建築が今にその姿を残している全国でも珍しい通りだといわれている。

_9514_edited1

人も車もあまり通らない早朝の町並みは、道路の真ん中を歩いていても行き違うのは早朝ウォーキングの人か、ジョギングをしている人ぐらいである。

_9517

_9522

昔ながらの土蔵造りの屋根や厚い土壁の窓などを眺めながら、新旧の混じった建物が整然と並ぶ通りは、その調和とそれを保存・維持していく地元の人々の努力の賜物であると感じる。

_9518

_9516

この町筋では、高岡最大の祭り「高岡御車山祭」が行われるという。この次に高岡を訪れるときは、それを見るためにゆっくりと日程を組んで再び訪れたいと思う風情のある街並みである。

高岡を歩く  瑞龍寺と前田利長墓所

日本国内は飛行機の飛ばない小笠原を除けば、5時間あればどこにでもいけると言われている。北陸の高岡は地図で見ると、東京から距離的には近いがおよそ5時間ほどかかるので、近くて遠い地域になる。

_9563_2

        八丁道

夕がた東京駅から上越新幹線に乗り、越後湯沢でほくほく線の特急はくたかに乗り換えて高岡駅に着いたのは夜の10時ごろである。

_9575

        墓所入口

車内で駅弁を食べて夕食はすませてあるので、そのままホテルに入って眠るだけであるが、何か一つ物足りないので、雨の中を傘をさして街中に出てみた。

_9567

駅の近くで夜遅く電気がつているのは、ホテルかコンビニぐらいである。少し歩いてみたが駅前通りはほとんど灯りは消えてシャッターが下りているので、早朝に歩いてみようと駅頭で市内の案内図を手に入れ引き返して眠ることにした。

_9572

翌朝は昨日の雨も上がり、空に雲は多いが青い空も見えて良い天気になりそうである。朝食前に一万歩を達成すべく前田利長墓所へ足を向けた。

_9571

        前田利長墓所

駅南に八丁道という参道がある。瑞龍寺と前田利長墓所とを東西に結ぶ参道で、その長さが約八町(870m)あり、両側には114基もの石燈籠が並び、松並木と白い石畳がずっと続いている。

_9577

石畳の歩きやすい八丁道が終わると、昨夜の雨でぬかるんだ墓所への参道をぬかるみを避けながら歩く。参道の両側に並ぶ苔むした石燈籠に導かれて墓前に至ると、大名個人のものとしては全国一という高さ11.75mの堂々とした石塔に出会う。蓮の花咲く堀に囲まれた墓所は立派なものである。

_9578_2

        瑞龍寺 山門

早朝の参拝で永遠の健康を祈り、墓所を後にして西側に向かってかなりの距離の八丁道を歩くと、突きあたりに国宝に指定されている瑞龍寺が見えてくる。瑞龍寺は、高岡の町を開いた加賀前田家二代当主前田利長の菩提寺である。

_9579_7

               本堂鬼瓦

_9583

人影の少ない参道の砂利を踏みしめながら山門に向かう。あいにく早朝なので山門はあいておらず、外からその威容を眺めるだけであるのが残念である。朝食までにはまだ時間があるので、駅の反対側にある古い家並みや町並みを見るべく線路を渡っていくことにする。

宝登山神社  宝の山にある神社

小さな長瀞駅を降りるとたくさんの人が川とは反対の山の方向に歩いていく。船下りを楽しむ人はこの近くに車を置いて上流の出発地点までバスで行くので、狭い道路はたくさんの車で渋滞気味である。

_8622

          宝登山神社山門

 宝登山神社は長瀞駅から宝登山山麓に向かう途中にある神社で、この地域では秩父神社、三峰神社と並ぶ秩父三社のひとつとして有名である。

_8623

         二の鳥居

 これから1月の終わりころに咲き始める宝登山の蝋梅は規模が大きく有名であるが、この山の上一帯にきれいに花開く。青空に黄色の花弁はよく似合う。以前来たときは「蝋梅」だけを眺めて、この神社への参拝はしていなかったので不義理をわびるつもりで参拝する。

_8625

             狛犬

 文献の説明によると宝登山神社の成り立ちは、『第12代景行天皇の41年(111年)皇子日本武尊が勅命によって東国平定の時、遥拝しようと山頂に向かっている折、巨犬が出て来て道案内をしてくれた。

_8631

       神様をお守りする5匹の竜

_8632

 その途中、東北方より猛火の燃えてくるのに出遇い、尊の進退はどうすることもできない状態になってしまった。

_8626_2

        本殿

_8630

 その折巨犬は猛然と火中に跳び入り火を消しとめ、尊は無事頂上へ登り遥拝することができた。尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。

_8636

 このことから「火止山」の名が起きたと言う。また巨犬は大山祇神の神犬であった事を知り、また防火守護のため火産霊神を拝し、その後山麓に社殿を建て三神を鎮祭し、これが宝登山神社の起源であると伝えられる。』と説明されている。

_8629

           赤兎馬を駆る 関羽

白い二の鳥居をくぐり石段を登ると大きな杉の木の間に狛犬が迎えてくれる。正面の拝殿には秋の陽を浴びて見事な彫刻が目に入るので思わず見入ってしまう。

_8638

         趙雲 愛馬白龍を駆る赤壁の闘い

 拝殿正面を飾る5匹の竜は中国神話に登場する四神(青竜、白虎、朱雀、玄武)が彫られており神様をお守りしている。

 なお本殿の背後には、日本武尊が身を清めて宝登山に参拝したといわれる伝説の湧水「みそぎの泉」がある。泉は本殿を囲む塀の隙間からしか見えないので、見落としてしまいがちである。トレビの泉ではないがコインの投げ入れは禁止とかいてある。

_8640

      張良 劉邦の軍師として漢の建国を助ける

 拝殿の両側にある、二十四孝の彫刻もなかなか趣がある。二十四孝(にじゅうしこう)は中国に昔から伝わる24の孝行話を集めたもので、儒教の教えである孝行をわかりやすく説明している。今の日本では少なくなっているが、昔は大家族の中で長老からよく聞かされたことがある。

孟宗竹(モウソウチク)の由来  二十四孝の一人 孟宗

『孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍があるはずもない。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう。』

_8643

         西王母と東方朔  800歳の歳をかぞえた

 そのほかにも中国の故事の英雄が拝殿の四隅に彫刻として飾られている。「三国志」や「項羽と劉邦」の登場人物、関羽や趙雲、帳良などである。

 最近中国の歴史や韓国の歴史に興味を持って多くの本や文献を読み漁っている私には非常に興味深いところであった。日本の文化や歴史には中国大陸や朝鮮半島から伝わってきたものが多く、かなりの影響を受けている。昔から切っても切れない縁があるのでアジアの近隣諸国との友好は深めていきたいものである。

日向薬師  伊勢原を歩く

秋の空の雲と涼しい風に誘われて、神奈川の花の名所100選にある伊勢原のヒガンバナを見に行こうとでかけた。

_5011

相模川、中津川を渡り厚木から、黄金色に光る刈り取りまじかの田んぼの稲穂を見ながら、手つかずの自然が残っている山合いへと入っていく。台風の影響だろう稲穂も倒れているものが多い。

_4956

狭い道を登り始めると、廻りの田んぼの畦や、土手には赤いヒガンバナがたくさん見えるようになる。これも台風の風に煽られたのだろう茎がばらばらになっているところもある。

_4947

車のすれ違いも難しいと思われる山道を案内板によって登ると、傾斜地に数台の車が止められる駐車場があり、そこから少し歩くと日向薬師がある。

_4946

本尊は薬師三尊で、現在は高野山真言宗。日本三大薬師の一つと言われ高知県大豊町の「柴折薬師」、新潟県上越市の「米山薬師」と共に数えられている。

_4942

          鐘堂

あいにく、国の重要文化財である本堂は修理中で見ることができない。2011年1月より5年以上の歳月をかけての大修理と言われ、この大修理は350年ぶりに行われるとのことで3回目だということである。

_4945

               鐘堂と「幡かけ杉」

境内では、本堂は工事用のシートに覆われて、手水所と一部の銅像しか見ることができないが、そのわきに鐘堂がありその梵鐘は国の重要文化財に指定されている。

_4953

                浄発願寺

その手前には、推定樹齢800年といわれる天然記念物の「幡かけ杉」が天に向かって大きく伸びている。廻りの自然林は、スジダイ、モミ、ウラジロガシ、イロハモミジ、タブノキ、ケヤキなどの高木が茂り、深閑とした雰囲気を感じさせる。

_4944

               樹齢800年の「幡かけ杉」

_5015

ちょうど昼ごろで、「歩こう会」の人たちだろうか、大勢の人達が彼岸花の咲く土手の上でおにぎりを食べている姿が見える。日向山のこの峠を越えると、七沢温泉に出ると案内がある。結構急な坂道ではあるが、この次は紅葉を見ながら峠越えをしてゆっくりと温泉にでも浸かってみようと思う。

靖国神社参拝  みたま祭前の静寂

毎年七月のみたま祭前のころに靖国神社を参拝することが習慣になっている。7月13日から16日まで行われるお祭りの準備が行われているころである。

_0941

『靖国神社では、昭和二十二年から毎年、みたま祭を行い、二百四十六万六千余柱の「御神霊(みたま)」を御慰めしております。』との説明がある。

まだ、実際のお祭りは見たことがないが、みこし振りや青森[ねぶた」、江戸芸かっぽれなど盆踊り大会も行われかなりのにぎわいをみせるようである。

_0940

わたしが行くころはいつも、参道の両側に大小の献灯の準備が行われているころである。御遺族や戦友、崇敬者等から奉納された三万灯を超える献灯を掲げる作業が行われている。

_0936

大鳥居から本殿に向かい、大村益次郎の銅像の前を通り、第二鳥居の神門をくぐり拝殿で参拝する。人影は少なくて静かな参拝ができるので毎年この時期に来ることにしている。

_0935

今年は電力の需給関係からここでも節電が行われるようである。時間の短縮や、献灯の三分の一の電力は自家発電からの供給で、その上電球の一部はLED電球を使用するとのことである。

お祭り前の静寂な靖国の杜で、健康と東日本大震災の復興を祈念して大鳥居を後にした。

高尾山薬王院   裏から表へ

高尾山の頂上に先に登ってしまうと、下山しながら薬王院をお参りすることになる。奥の院の裏から階段を下り、本堂を参拝して山門をくぐってさらに参道を下ることになる。逆周りをしたらご利益が薄くなるかも知れません。

110605_8692

                 奥の院

レストランや観光地の格付けで有名なフランスのミシュランが初の日本版海外旅行ガイドブックを発行して、日本の山では高尾山と富士山がともに三つ星の観光地として選ばれた。それ以前からも人気があったが、その後はさらに高尾山への登山者の数は増えているようである。

  110605_8698

               新緑と御本社

110605_8701

         御本社

選ばれた理由としては、「大都市の近郊にも関わらず豊かな自然にあふれている」 ということである。東京の中心部から西へ約50kmのところに位置し、江戸時代から信仰の霊山として保護されてきている。便利なのは登山口まで電車が通っていることと、上るにはいろいろなコースがあり、それぞれ楽しめることである。

110605_8702

        御本社

秋の紅葉の頃の薬王院が一番きれいだと思うが、新緑のもみじの葉もまたきれいである。頂上から降りてくると、新緑の森の中に小鳥たちの鳴き声がきれいに聞こえるので、近くに野鳥がいるのかと姿をさがしてしまう。

110605_8709

                天狗様

ところが声のする方を良く見てみると、何と小さなスピーカーが社の陰の木の間においてあるではないか、うっかりするとだまされるところである。そうとは気がつかない人たちは、新緑の中に野鳥のこえを聞きながら、参拝しているのであるがそれもまたいいことである。

110605_8714

          ご本堂

御本社から逆に降りてくると、登ってくる人が多い急な参道の石段を下ることになる。そこには本堂があり、ここにもたくさんの善男善女が参拝をしている。高尾山がいかに人気のある山であるかが理解できる。

110605_8716

        手水所と願叶輪潜 

本堂を後に仁王門をくぐり石段を降りると手水所があり、その脇に「厄除開運、願叶輪潜」があり長い行列をつくっているので、せっかくだからと並んで参拝することにする。

110605_8718

         願叶輪潜

石でできた輪をくぐり、その先の大錫杖を鳴らし諸願成就を祈念する。また左手の方には天狗様があり、天狗様は除災開運、災厄消除、招福万来など、衆生救済の利益を施す力を持ち、古来より神通力を持つとされ、多くの天狗伝説や天狗信仰があり、神格化されているのである。

110605_8717

          天狗様

山門をくぐり、左手に下っていくと有名な「たこ杉」がある。これは参道を通すとき、切られまいとして一夜にして根を曲げたといわれている樹齢数百年の大杉である。今ではたくさんの観光客が訪れるので金網で保護されている。その代りにすぐ隣に石でできたタコが置いてあり、触ったり写真を撮ったりできるようになっている。

110605_8721

                四天王門

さらに下ると、参道の坂道が二つに分かれる。左は女坂、右は男坂になる。女坂は緩やかな下り坂で楽に歩ける、男坂は百八の石段で本来は煩悩の数を一段一段かみしめながら登る道であるが、今日は下り坂として踏みしめている。上から見ると下りで良かったと思うほどの高さである。

110605_8724

110605_8725

                男坂 百八の石段

帰り道はケーブルカーの駅前を通り、さらにリフト乗り場を通り過ぎて1号路を歩いてふもとまで下山することにするが、まだ11時なので多くの登山者が登山道を登ってくる。

110605_8723

         丹沢山塊

110605_8727

                    しぎざるそば

残念ながら姿をみせてくれないオオルリの鳴き声を聞きながら急な下り坂をゆっくりと歩く、梅雨の晴れ間の高尾山登山を振り返りながら、ふもとでの蕎麦と冷たいビールを楽しみにしながら帰路についた。

太閤さんのお城  大阪城公園を歩く

大阪の夜明けは遅い、六時半に目が覚めても外はまだ暗く外灯の灯りがまぶしく光っている。今頃が一番日の短いときなのだろう。

Dscn4671_2

                         一番櫓 南外堀

早朝散歩は大阪城公園を歩いてみることにする。大阪城は、上町台地の北端に位置する。かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れていた。

Dscn4717_2

           千貫櫓

大阪城は、安土桃山時代に上町台地のほぼ北端、石山本願寺の跡地に1583年(天正11年)、豊臣秀吉が築城を開始した城である。

Dscn4675_2

           大手門

地下鉄谷町四丁目駅で降り、谷四交差点から近代的な高層ビルのNHK大阪放送局と大阪歴史博物館の前を通り、大阪城のお濠を見ながら大手門へのスロープを登る。

Dscn4716_2

                大手門から大阪NHK

鏡面のようなお濠の水面に堅牢な石垣の姿を映す一番櫓の下には、鴨が静かに泳いで水面にきれいな円い波紋を残している。

Dscn4676_2

           多聞櫓

江戸時代、1614年(慶長19年)に大阪冬の陣で外堀を埋められ、大阪城は内堀と本丸のみを残す裸城にされてしまう。

Dscn4677_2

                 石垣

伏見城から大阪城へ移った秀頼は、濠の再建を試みたために家康との講和条件破棄とみなされ、冬の陣から4ヶ月後の1615年(慶長20年)、大阪夏の陣で大阪城は落城し、豊臣家は滅亡した。

Dscn4678_2

そんな歴史を思い出しながら、大手門から桜門へと歩くが見事な石垣である。江戸時代の石垣石は、瀬戸内海の島々(小豆島、犬島、北木島など)や兵庫県の六甲山系(徳川大阪城東六甲採石場)の石切丁場から採石されたといわれている。

Dscn4682_2

           見事な石垣

また、遠くは福岡県行橋市沓尾からも採石された。石垣石には、大名の所有権を明示するためや作業目的など多様な目的で刻印が打刻されている。

Dscn4679_2

           内濠

桜門が見えてくると水がなくなって雑草が生い茂る内濠が見えるが、やはり濠には満々と水が湛えられている風景がお城には似合う。当時家康の大軍に攻められた秀頼の苦戦の光景が目に浮かぶようである。

Dscn4683_2

           大銀杏から天守閣

天守閣が見える広場に来ると、右手に旧第四師団司令部の建物が見えてくる。黄金色に輝くいちょうの葉をつけた大木の近くに、菊で作られた築山がある。「太閤おろしの滝」とある。

Dscn4686_2

          太閤おろしの滝

『この滝の滝名は太閤秀吉が会津討伐の帰り、ここにさしかかり、この滝の美しさのあまり、馬をおりて見入ったことに由来しているとのことで、二段にわたる美しい滝である。・・・栃木県日光市鬼怒川支流野沢川本流瀑』

Dscn4691_2

                  広場より天守閣

江戸末期、慶応3年12月9日(1868年1月3日)に発せられた王政復古の大号令の後、二条城から追われた前将軍徳川慶喜が大阪に移り、居城していたが、慶応4年1月3日(1868年1月27日)旧幕府軍の鳥羽・伏見の戦いでの敗北によって慶喜は船で江戸へ退却し、大阪城は新政府軍に明け渡された。

Dscn4703_2

                天守閣(南西面)

大阪城は、姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えれているが、天守閣は豊臣初代天守と徳川大阪城、復興の天守閣と改修が行われ変遷している。しかし、現在の天守閣も徳川時代の風の白漆喰壁と五層目の豊臣時代風の黒漆に金箔で虎や鶴の絵を描いている。

Dscn4695_2

           紅葉の外濠

大河ドラマ「龍馬伝」も残すところ二回となってきたが、日本の夜明けといわれる幕末の大きく時代が動く歴史がここにもあったのかと思うと、早朝の散歩も感慨深いものがある。

ゲゲゲで賑わうお寺  深大寺を歩く

やっと秋らしくなって、休日は陽だまりにいると何となく外に出たくなってくる。前回、思いつきで行ったがあまりの混雑で、そのまま素通りをしてかえってきてしまった深大寺のお参りを兼ねて、おそばを食べに行くことにした。

2010_11_03__2407

昼時を少しずらして行ったが相変わらずの混雑、かなりの人が出ている。バスの停留所はバスを待つ人で長蛇の列。いろいろな所に長い列ができているが、たぶん行列のできているところは有名な蕎麦屋さんであろうと思う。

2010_11_03__2449

我々は、空いているすぐ座れる蕎麦屋さんにした。深大寺という名は水神の深沙大王に由来しており奈良時代、天平5年(733)に満功上人が開山したといわれている。

2010_11_03__2433

                 深大寺山門

深大寺には「深大寺縁起」のロマンチックな恋物語があることにより、縁結びのお寺として有名になっている。そう言われて周りを見てみると若いカップルが多くみられる。

2010_11_03__2413

           本堂

2010_11_03__2447

早速深大寺ソバのてんぷら付きを食べることにした。深大寺の蕎麦の由来については、江戸時代、深大寺周辺の土地が米の生産に向かないため、小作人は蕎麦を作り、米の代わりにそば粉を寺に納め、寺では蕎麦を打って来客をもてなしたのが深大寺そばの始まりだといわれている。2010_11_03__2451

            フォックスフェース キツネの顔に似ている

お昼の時間をずらしている割合にはお店にはお客様が多い。カラッと揚がったてんぷらとおそばの味はとても美味しい。欲を言えば、蕎麦つゆの味が私の舌には少し甘さが強かったような気がするが、そんなことを言いながら大盛りをたいらげてしまった。

2010_11_03__2401

           深大寺そば

蕎麦屋さんの裏口を出るとお寺への参道になる両側には、お土産屋さんや団子、おまんじゅうなどのお店が軒を並べている。ひやかしや試食などで賑わう中を、人が多いのでぶつかりながら、道のわきを流れる小川に沿って山門に向かう。

2010_11_03__2432

山門の石段を登り門をくぐると右手には鐘楼と梵鐘がある。ここの梵鐘は鎌倉末期1376年の鋳造といわれ、都内では三番目に古く、鋳造以来実際に撞き続けられた梵鐘としては最古のものと言われている。

2010_11_03__2448

常香楼で煙を手ですくい、頭や足に願をかけ、正面の本堂でお参りをする。この本堂は平泉の中尊寺、長野の善光寺などと同格といわれほどの建物であるということである。

2010_11_03__2418

                 なんじゃもんじゃの木

五大尊池を見てなんじゃもんじゃの木の下を通る。なんじゃもんじゃの木というのは、その地方のめずらしい樹種や巨木をさしていうことで深大寺のそれはヒトツバタゴである。春先には白い花を咲かせるという。

2010_11_03__2420

            元三大師堂

その先の石段を登ると、元三大師堂がある。今ではこの元三大師が深大寺の信仰の中心となっており、元三とは慈恵大師の入寂が正月三日だったことによるといわれている。

2010_11_03__2424

          元三大師堂

2010_11_03__2429

                 紅葉前のもみじ

お堂の左階段の下に”おびんずる”さまが安置されており、自分の体の悪いところを直してくれるといわれているので、ご利益にあやかって祈願をする。

2010_11_03__2428

釈迦堂と白鳳仏を見て表の参道に出ると、またまたたくさんの人だかりで賑わっている店がある。あのゲゲゲの女房で有名になった「鬼太郎茶屋」である。

2010_11_03__2436

            鬼太郎茶屋

2010_11_03__2445

                 鬼太郎とネズミ小僧

この秋の文化の日に、文化勲章を授与された水木しげるさんの影響は、本来の漫画はもとより、その生き方人生観、それを支え続けた奥さんの苦労は図り知れないものがあると思う。

2010_11_03__2440

                 ここにも鬼太郎

いつもテレビなどでは夫婦ともに茶化しているが、生まれ故郷の境港市も大変な人気だと聞いている。好奇心旺盛な私としてはぜひ近い将来に訪ねてみたいと思っている興味のある街の一つである。

より以前の記事一覧