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四国・四万十川の旅

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    2008年5月の連休の四国四万十川の旅

お祭り見物

多摩のよさこい  多摩センター

「よさこい」と言えばこれも四国の土佐のお祭りであるが、最近は各地で行われる夏祭りの一つになっている。北日本では「よさこいソーラン」といってかなり大規模に行われる。

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今年は、東北大震災があったことで夏の風物詩としての花火大会などが各地で取りやめになっている。この近辺でも調布の花火や、関戸橋の花火も中止になったようである。

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多摩センターで行われた「よさこい」も例年より規模が小さくなったような気がするが、それでも踊っている人たちは元気に明るく見る人たちを楽しませてくれた。

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「よさこい、よさこい」と囃子歌われるよさこい節が起源になっている。振り付けや衣装はそれぞれ創意工夫され変わってきているが、鳴子を持って踊ることだけは守られている。

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にぎやかな踊りというのは、ほとんどが世相を反映しており、不景気をふきとばし市民を元気づけようということで行われる。「よさこい」もそれが始まりで全国に広がっている。

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「よさこい」は、夜さり来い、夜にいらっしゃいという古語が変化した言葉だといわれているが、地域によって諸説あるようである。

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暑い日々が続いた八月も後半になり、朝夕涼しい風が吹き過ごしやすくなってきた。国のリーダーの交代、震災復興、円高、株安と課題は多いが、各地で行われた夏祭りに元気をもらって今年の後半もなんとか乗り切っていきたいものである。

有名連  踊る阿呆にあこがれて

ついに本場の阿波踊りだ、8月12日から15日までの4日間は街が踊り一色に染まるという。「踊るアホウ」も「見るアホウ」も単純な2拍子のリズムに浮かれ立ち、陶酔し真夏の夜の熱狂が生まれるのである。

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         高張り提灯と女踊り

藍場浜演舞場に桟敷席をとっておいたので、8時半からの有名連の踊りを楽しみに早目に席について待つ。席に座り、時間になると連の紹介のアナウンスとともに「エライヤッチャ、エライヤッチャ」と次々と有名連の名前を書いた高張り提灯を先頭に踊りだしてくる、見事なものである。一斉の拍手で一気に盛り上がる。

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         男踊り

「ヤットサー」の掛け声一つに、踊りの緩急をつけて次々と踊りを変える姿は見事である。また、大勢の女踊りの衣装の色合いや踊りのスタイル、一糸乱れぬ動きは見ていてその美しさと華麗な動きに感動する。

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         鳴り物

特に、女踊りのつま先立ちの黒い下駄の動きと白い足袋の足のあげ方がリズミカルな動きとなって、ピンクのけだしが色っぽく映る。それがまたしなやかであり、あでやかであり、見る人の目を楽しませてくれる。

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        女踊り

もう一つの魅力は、女性による男踊りである。きゅっと後ろにまとめた髪、額に粋にまいた豆絞りのスタイルで躍動感たっぷりに踊る様はリズミカルで楽しい。笠をかぶった女性とはまた違った魅力を感じる。

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               女性の男踊り

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阿波踊りの起源については、いろいろな説があるようである。「盆踊り起源説」「風流踊り起源説」「築城起源説」の三つが有力だといわれている。いずれにしても地元の盆踊りが全国的に有名になったのである。

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特に盛んになったのは、蜂須賀家政が天正14年(1586)に徳島入りをし、藍、塩、などで富を蓄積したことからだといわれている。為政者の舵取りで国が富めば民が喜ぶと言う構図である。「菅さーん」

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特に戦後の阿波おどり復興ぶりは目覚ましく、今では日本を代表する民族舞踊としてその地位を確立し各地で行われるようになっている。

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阿波踊りの「鳴り物」については、次のような説明があった。『「阿波踊り」独特のお囃子を奏でる楽器を総じて「鳴り物」と呼びます。

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鉦(かね)、鼓(つづみ)、締太鼓(しめだいこ)、大太鼓(おおだいこ)、横笛(よこぶえ)、三味線(しゃみせん)の組み合わせを基本とし、阿波踊りの軽快な二拍子のリズム(よしこの)と情感あふれる音色(ぞめき)を紡いでいきます。

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その演奏は伝統的な旋律を守りながらも連の踊りのスタイルに合わせて絶妙にアレンジさせ、その個性を競いあいます。』

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         子供踊り

それぞれの連がスタートするときは、まず鉦から始まる。阿波踊りに初めて使用された楽器であろうといわれているが、「チャンカ、チャンカ」「カランカラン」「カンカ、カンカ」と鋭い音は踊りのリズムをリードしている。簡単そうに打っているが、リズミカルに打つにはかなりの習練が必要だと思う。

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今では各地で阿波踊り大会が行われているがこのリズムは元気が出るリズムである。本場の踊りを目の前にして、やはり踊るアホウにならなければと想いを新たにしたところである。

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隣の席に座っていた高齢のおじさんは、「今、30分ほど踊ってきましたよ」 といって眼を輝かせていた。「来年も健康であれば、またここに来て踊りたいですよ」と言って笑顔で額の汗を拭いていた姿は満足そうであった。

東北の六大祭りも例年以上の人出だったと聞いているが、「ラッセラー、ラッセラー」とねぶたのお囃子や「ドッコイショ。ドッコイショ」の秋田竿灯の掛け声のように、元気を出して復興にも勢いをつけていきたいものである。

阿波踊り 見る阿呆にならなきゃソンソン

暑さは暑さで凌ごうと踊る阿呆にあこがれてはるばるとやってきた阿波の国、一泊二日でやっとたどり着いた。市内の演舞場は6か所、全部歩いても30分ぐらいのところに全ての会場があるので楽しみである。まずは、眉山ロープウエイのある阿波踊り会館で予備知識の修得をすることにする。

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                                街にある踊り子のブロンズ像

ここでは有料であるがいつでも阿波踊りが見られるといわれている。踊り見物はどこの場所がいいとか、どの連が見ごたえあるかとか、案内の人が親切に教えてくれる。

阿波踊りは400年前に生まれた踊りだといわれ、よしこのリズム(二拍子)に合わせて踊る男踊りは、力強く躍動感にあふれ、ひょうきんに踊るのがポイント。女踊りはしなやかにあでやかに、一糸乱れぬ集団の美しさが魅力的なのだと教えてくれた。

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      街中にいろいろな阿波踊りのモニュメントがある

阿波踊りは、踊り子と鳴り物からなる「連」という単位で行われる。職場、学校、地域、同好の集まりなどで30人から500人ぐらいまで規模は様々で、衣装や踊りのスタイルもそれぞれである。

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         有名連の手持ち提灯一覧

一般的には、高張り提灯を先頭に、こども踊り、女踊り、男踊り、鳴り物の順に踊られる。技が卓越した連は「有名連」と呼ばれ、6時半からと8時半から有料の演舞場で総踊りが行われる。今年の有名連は「舞女流華連」の45人から「娯茶平」の320人と42連、これは見ごたえがあるとのこと。楽しみである。

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阿波踊りのお囃子は、浮き立つような2拍子のリズムと、「よしこの」メロディー、「エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ」 からなっている。これを担当するのが鳴り物である。笛、三味線、太鼓や鉦などからなり、楽器の種類やアレンジは連によって違う。踊り子が浮くも沈むも鳴り物次第といわれている。

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          女踊り

町の2か所ほどに「にわか連」というのがあって誰でも入って踊れるという。有名連の踊り子の指導を受けて本番に踊りこめる。2拍子のぞめき囃子(派手ににぎやかに浮かれ騒ぐこと)にのって、左手と左足、右手と右足を一緒に出せば、もうそれで阿波踊りになるという。

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              レレレのレ連

誰でも気軽に踊れるのが最大の魅力だという。ここで「踊る阿呆にならなきゃソンソン」になるのである。時間の経過とともに陽が傾き、街中への人出は多くなり賑わいは最高潮に達する。

隣に座ったのは金髪の外国の女性、カタコト英語で話かけようかと思ったら、踊り子の衣装姿で日本語を流暢に操り話しかけてくる、すでにテンションはかなり上がっているようである。

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         男踊り

街のいたるところに無料の桟敷があるが、明るいうちに席取りが始まって満席である。道路の縁石に腰を下ろし踊り手を待つ、観客と共に連の人たちも多くなって来た、各地の企業、学生連が多い。地元の徳島大学をはじめ早稲田、慶応、京大、東大など各学部ごとにそれぞれのスタイルで参加している。

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東京で有名な高円寺連も多数の参加で盛り上げているようである。歩道は見物客で立錐の余地もないというほどで、演舞場入口には屋台が並び暑さもあって食べ物、飲み物を買う人たちでごった返している。

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            子供踊り

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        鳴り物

8時半からの桟敷での観賞には時間があるので、腹ごしらえに徳島ラーメンでもと思ったが、人が多くて動けないのでラーメン屋にたどりつけず、屋台で済ますことにしたがとにかく凄い人と熱狂である。

人ごみをかき分け有名連の演舞を楽しみに藍場浜演舞場へと向かうことにした。演舞場は時間での入れ替え制なので、自由席を待つ人の列が会場を囲んでいる。こんなに熱狂的な盆踊りは他には例がないなと思いながら、本場の雰囲気を満喫し楽しんでいる。

博多山笠  本番が見れないむなしさ

山笠の勇壮な話はよく聞くがまだ実際に見たことがない。今回も地元の人の話と町にある「飾り山」を見るのがせいぜいである。前回も「朝の五時にはスタートするから少し早起きをしても見る価値があるよ」 といわれていた。

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いつも前夜には深酒をしてしまうのでチャンスを逃している。十五日の「追い山笠」がクライマックスになるとのこと、早朝の4時59分スタートになるとはいつも聞いているが、なかなかそれに間に合わずTVのニュースで見るのがせいぜいである。

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「追い山コース」の説明は次のように書かれている。『博多祇園山笠のクライマックス、追い山は櫛田神社から出発します。

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櫛田神社から国体道路を東へ、承天寺の清道を通った後で旧東町筋を北へ向かいます。

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そして下呉服町で反転し、大博通りを南へ進み、冷泉町でまた昔のままの細い道に入って旧西町筋を北へ。

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                 天璋院篤姫

さらに奈良屋町から須崎町の廻り止めへ到着します。櫛田神社と東長寺、承天寺の前には清道が設けられ、ここを必ず回ることが義務づけられています。』とのことである。

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                島津斉彬

お祭りは見ることも楽しいが、やはり参加して自分が演技者になることが一番たのしい。まちの中には、山笠の衣装やお祭り道具を売る店があったが見ているだけでも楽しい小物が多い。飲み屋ではいなせなお兄さんから豆絞りの手ぬぐいと扇子をもらったことがある。

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                勝 海舟

お祭りごとが好きだった学生のころは東京の下町のお祭りに神輿を担ぎに出かけたものだが、今となってはなかなか体が思うようにならない、せめて観客となって勇壮なお祭りに参加したいものである。来年の楽しみにとっておくことにする。

弁天島の大太鼓祭り   浜名湖を歩く

梅雨の真っ最中、恒例の学生時代の仲間が年に一度集まる催しが浜名湖の弁天島で行われた。渋谷を八時半に出て、弁天には11時半ごろについた。高速道路千円の恩恵を受けてその分美味しいお酒が飲めると、楽しみにしている。

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                      、大太鼓と中太鼓

あいにくの雨模様だが、大雨は中国、九州地方で静岡県は何とか天気はもちそうである。ちょうど干潮で橋の下を流れる浜名湖は川のように流れている。東海道線と新幹線が並んでいる舞阪の弁天島駅の近くのホテルに車を止めて、昼飯を食べるべく近くの料理屋を探す。

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引き潮のなかで潮干狩りをする人たちがたくさんいる。学生のころに来たときには水に入ると足の先にアサリがザクザクと当たる感触があったことを思い出しながら、入り江に繋がれたたくさんの漁船を見ながら、弁天の町を歩く。

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お祭りのちょうちんが並ぶ、街並みをしばらく歩くと、磯料理の看板がある。中に入ると威勢のいいおばちゃんがお勧め料理を紹介してくれる。冷たいビールで乾杯の後、地元の冷酒をいただくことにする。これがなかなかうまい、口あたりがよすぎる。ついつい杯を重ねてしまう。

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          野球のバットのようなバチで全身でたたく

浜名湖の河口の北側にある弁天島は海水浴や釣り、潮干狩りでにぎわう観光スポットである。ここ弁天で合流する予定の友人も、朝から釣りをしていたようであるが成果はなかったのか手ぶらでの久々の対面であった。

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1708年弁天島神社が創建され、その後は弁天島と呼ばれるようになったそうである。「弁天島」の祭りは大太鼓祭りといわれるように、大太鼓をたたく祭りである。そして翌週の7月の第一土曜日には花火大会(弁天島海開き花火大会)が行われることになっている。

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昼を食べているところにも、「どーん、どーん」という音とともに大太鼓の山車が、祭り姿のいなせな若者たちに引かれてきた。この祭りと、花火大会で浜名湖にも夏がやってくるのである。

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夜の宴会の会場、「山本亭」からは食事をしながら大太鼓を聴き、手踊り屋台も見ることが出来る。あいにく小雨が降っているのが残念だが、踊り手は一生懸命である。子供たちも祭りの衣装が良く似合い楽しんでいる。

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          手踊り屋台

酒のつまみは、真鯛とコチの活き作り、もちろんうなぎもある。やはり地元での新鮮な魚は美味しい、その上、食べきれないほどの盛り付けがうれしい。

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                カメラに応えてくれた若者

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懐かしい昔話に時間のたつのも忘れ、40年ぶりにあう新居弁天のおじさんたちとの楽しい時間は、太鼓の音とともに夜遅くまで続き、タイムスリップにあったように懐かしい思い出の時間に戻る。何時までも元気で続けられることを祈りながら酔いしれている。

 川越まつり    さつまいもの街を歩く

  川越はすべてさつまいものなかにある。さつまいもは今から400年前にメキシコから中国経由で沖縄に伝わり、それから全国に広まった。

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  川越のいもが有名になったのは、江戸時代の終わりに江戸に焼き芋屋さんが現れたことが始まりらしい。江戸と川越は新河岸川という川で結ばれ、舟運が発達していて江戸との交流が盛んであった。どこの農家でも自分達の食料としてさつまいもを栽培していたが 「川越いも」 として江戸に供給されるようになって有名になっていった。

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                     新旧 対比

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  さすがにお芋の街である。芋自慢の店がなんと23軒もある。 「いもなっとう」 「芋まつば」 「芋ようかん」 「いもドーナッツ」 「芋かのこ」 「三色いもだんご」 「芋十せんべい」 「いも懐石」 「いも点心」 「いも重」 「いもアイス」 「いもケーキ」 「いもパイ」 「いもプリン」・・・・・など、とにかくたくさんある、数は数え切れない。なんでも ”いも” である。

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        芋どらアイス  

  因みに10月13日はサツマイモの日であり妙善寺では、いも供養が行われる。境内には、川越さつまいも地蔵尊があり御芋で健康祈願ができる。川越の人は ”いも” にあしを向けては寝られないという感じである。

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  喜多院から蔵造りの街並のほうに足を向けると人だかりが多くなり、太鼓、拍子木の音、お囃子が流れてくる。曳き綱が道幅一杯に張られ、曳き子連に曳かれた山車がゆっくりと重々しく動いている。とにかく見物客が多い。話に聞くとNHKの連続ドラマ 「つばさ」 のモデルがこの川越だったということで、昨年より観光客が増えているとのことであった。

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 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の山車

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  先頭は露払いではっぴ姿の若旦那衆が歩き、次に鳶職の金棒、着物にたっつけ袴をはき、名入り提灯と金棒を持った小江戸町娘達と続く。その後は、半纏に鈴だすき、せなかの花笠も可愛い小若連。江戸の風俗がそのまま表現されている。

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         菅原道真山車  

  山車の進退、曳きまわしは一の拍子木を首からぶら下げている山車運行責任者の拍子木の合図で決まるしきたりになっているという。山車の廻りは威勢のいい鳶職が固め、二の拍子木で合図をしているのが鳶頭である。一つの山車を約二百人近くの人数で動かしている。

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  今年のこのお祭りで曳きまわす山車の総数は29台で、そのうち幕末から明治、大正時代に作られた10台が埼玉県民俗文化財に指定されている。よく見ると新しい山車と古くからの山車がある。新しいものは方向転換をするときは車輪のほかに方向転換用の車がある。古い山車は背丈が幾分低く方向を変えるときは、キリンという道具で車輪をこじるようにして方向転換している。結構大変な作業だ。

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        道潅の山車

  山車の主題である人形は御神像として最上段に飾る。翁や三番叟、龍神などのように能楽に取材したものや、浦島太郎や弁慶、太田道灌など歴史や民話から題材を取り入れたものもある。

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    素戔鳴尊(すさのおみこと)の山車

  山車によっては上層部分が伸縮できるカラクリ構造になっている。これは山車を城中に曳き入れる際、いくつかの城門を潜り抜けるための工夫で江戸型山車の特徴であるといわれている。

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  山車を方向転換するときにはキリンという道具を使う。昔からの山車にはハンドルやブレーキはない。そこで四つ角などで曲がる場合はこのキリンを用いる。これは山車を浮かせる大型ジャッキのことである。

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       りそな銀行川越支店の古い建物

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  山車の揃い曳きと曳っかわせが見所だといわれている。曳っかわせとは、中央通り、一番街通りと各交差点で繰り広げられる山車の出会いの儀式である。ひょっとこやおかめなどのお面をかぶった人が、お囃子にあわせてなにやらいろいろやり取りをしている。表情がなかなか楽しい場面である。

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            お面の下はどんな顔?

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  山車が四つ角などで他町の山車に出会うと、お互いに囃子台の正面を向けて競い合う。この曳っかわせに勝ち負けなどないが、囃子が入り乱れ、曳き方衆の提灯が乱舞する光景は圧倒的な迫力があり、クライマックスだといわれている。

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         菅原道真の山車

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           時の鐘

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              紅赤がおいしい 

  とにかく人が多い、どのくらいの人出なのかはわからないがこの蔵の街通りは立錐の余地もない、町起こしで有名になった ”コエドビール” でのどを潤し帰途に着いた。予定外の有名なお祭りを見ることができて満足して帰ってきた。