川越はすべてさつまいものなかにある。さつまいもは今から400年前にメキシコから中国経由で沖縄に伝わり、それから全国に広まった。
川越のいもが有名になったのは、江戸時代の終わりに江戸に焼き芋屋さんが現れたことが始まりらしい。江戸と川越は新河岸川という川で結ばれ、舟運が発達していて江戸との交流が盛んであった。どこの農家でも自分達の食料としてさつまいもを栽培していたが 「川越いも」 として江戸に供給されるようになって有名になっていった。

新旧 対比
さすがにお芋の街である。芋自慢の店がなんと23軒もある。 「いもなっとう」 「芋まつば」 「芋ようかん」 「いもドーナッツ」 「芋かのこ」 「三色いもだんご」 「芋十せんべい」 「いも懐石」 「いも点心」 「いも重」 「いもアイス」 「いもケーキ」 「いもパイ」 「いもプリン」・・・・・など、とにかくたくさんある、数は数え切れない。なんでも ”いも” である。
芋どらアイス
因みに10月13日はサツマイモの日であり妙善寺では、いも供養が行われる。境内には、川越さつまいも地蔵尊があり御芋で健康祈願ができる。川越の人は ”いも” にあしを向けては寝られないという感じである。
喜多院から蔵造りの街並のほうに足を向けると人だかりが多くなり、太鼓、拍子木の音、お囃子が流れてくる。曳き綱が道幅一杯に張られ、曳き子連に曳かれた山車がゆっくりと重々しく動いている。とにかく見物客が多い。話に聞くとNHKの連続ドラマ 「つばさ」 のモデルがこの川越だったということで、昨年より観光客が増えているとのことであった。
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の山車
先頭は露払いではっぴ姿の若旦那衆が歩き、次に鳶職の金棒、着物にたっつけ袴をはき、名入り提灯と金棒を持った小江戸町娘達と続く。その後は、半纏に鈴だすき、せなかの花笠も可愛い小若連。江戸の風俗がそのまま表現されている。
菅原道真山車
山車の進退、曳きまわしは一の拍子木を首からぶら下げている山車運行責任者の拍子木の合図で決まるしきたりになっているという。山車の廻りは威勢のいい鳶職が固め、二の拍子木で合図をしているのが鳶頭である。一つの山車を約二百人近くの人数で動かしている。
今年のこのお祭りで曳きまわす山車の総数は29台で、そのうち幕末から明治、大正時代に作られた10台が埼玉県民俗文化財に指定されている。よく見ると新しい山車と古くからの山車がある。新しいものは方向転換をするときは車輪のほかに方向転換用の車がある。古い山車は背丈が幾分低く方向を変えるときは、キリンという道具で車輪をこじるようにして方向転換している。結構大変な作業だ。
道潅の山車
山車の主題である人形は御神像として最上段に飾る。翁や三番叟、龍神などのように能楽に取材したものや、浦島太郎や弁慶、太田道灌など歴史や民話から題材を取り入れたものもある。
素戔鳴尊(すさのおみこと)の山車
山車によっては上層部分が伸縮できるカラクリ構造になっている。これは山車を城中に曳き入れる際、いくつかの城門を潜り抜けるための工夫で江戸型山車の特徴であるといわれている。
山車を方向転換するときにはキリンという道具を使う。昔からの山車にはハンドルやブレーキはない。そこで四つ角などで曲がる場合はこのキリンを用いる。これは山車を浮かせる大型ジャッキのことである。
りそな銀行川越支店の古い建物
山車の揃い曳きと曳っかわせが見所だといわれている。曳っかわせとは、中央通り、一番街通りと各交差点で繰り広げられる山車の出会いの儀式である。ひょっとこやおかめなどのお面をかぶった人が、お囃子にあわせてなにやらいろいろやり取りをしている。表情がなかなか楽しい場面である。
お面の下はどんな顔?
山車が四つ角などで他町の山車に出会うと、お互いに囃子台の正面を向けて競い合う。この曳っかわせに勝ち負けなどないが、囃子が入り乱れ、曳き方衆の提灯が乱舞する光景は圧倒的な迫力があり、クライマックスだといわれている。
菅原道真の山車
時の鐘
紅赤がおいしい
とにかく人が多い、どのくらいの人出なのかはわからないがこの蔵の街通りは立錐の余地もない、町起こしで有名になった ”コエドビール” でのどを潤し帰途に着いた。予定外の有名なお祭りを見ることができて満足して帰ってきた。
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