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四国・四万十川の旅

  • 金比羅宮
    2008年5月の連休の四国四万十川の旅

地域の名物

夫婦善哉  法善寺横丁を歩く

大阪の一夜、法善寺横丁を歩いてみた。我々の世代だと法善寺横横丁と言えば「♪包丁一本さらしにまいて・・・・」と歌われる藤島桓夫のヒット曲「月の法善寺横丁」の歌を思い出すが、最近の若い人は大阪人でもその歌を知らない人が多い。

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法善寺横丁の門をくぐり、狭いが打ち水をした石畳の雰囲気のある格子戸や板塀の路地を歩くと、水かけ不動尊の前に出る。苔むしたお不動様に柄杓で水を掛けて、手を合わせ「健康であること」のお願い事をする。

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そのお不動様のすぐ近くに夫婦善哉の店があるというので入ってみる。暖簾をくぐって中に入ると、明るくて良い雰囲気の店である。

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早速「夫婦善哉」を注文して、店の中にその蘊蓄が書いてあるのでそれを読んで見る。それによると次のようである。

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        一人前の「夫婦善哉」

『夫婦善哉(めおとぜんざい)は、明治16年(1883)浄瑠璃語りの竹本琴太夫こと「木文字重兵衛」が副業で始めた[お福」が始まりです。                             

一人前を夫婦に見立ててお盆に仲良くお椀二杯に分けて提供することから「めおとぜんざい」が店名になりました。昭和15年(1940)、織田作之助の小説「夫婦善哉」に登場し、名俳優の森繁久弥主演で映画化されて全国的に一躍有名になりました。            

(三代目お福と店内に織田作之助作「夫婦善哉」初版本と森繁久弥直筆、懐かしい写真などを展示しております。)                                         

夫婦善哉は、お一人様分として、お椀に二椀で善哉が提供されます。これは、男性と女性の二人が仲良く幸せで円満であることを表しています。一人前二椀を食べることでお互いの幸福、夫婦円満を味わっていただけます。「一人より夫婦の方が良い」という意味です。独身男女が召し上がられますと、素晴らしい結婚相手に巡り逢い、良縁が舞い込みます。            

そのようなことから、夫婦円満善哉、 縁結び善哉、 良縁善哉として昔より縁起物として評判であります。昔懐かしい大阪の良き伝統の善哉をご賞味くださいませ。』とのこと。

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               道頓堀

そう言われれば、隣の席の老夫婦は二人で二椀を食べていたがその意味がよくわかる光景である。この次はそういう食べ方をしなければと考える法善寺横丁の一夜である。

東京ゲートブリッジ   恐竜橋とも言うとか

朝起きたときには雨が降っていたが、昼頃になると雨は上がり空を覆っていた雲が切れると太陽の光が射し始めた。天気がよくなると家にじっとしているのがもったいない性格なので出かけることにした。

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なぜか2が並ぶ2012年2月12日に開通したまだ渡ったことの無い東京ゲートブリッジを目指す。雨上がりで視界はすっきりしないが青空は見え隠れしている。車のナビをセットすると、現地到着時刻は12時半ごろをさす。

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45分ぐらいで着けそうである。意外と早くいけるのだなと感心しながら、ナビのガイドどおりに高速道路に乗る。さすが、休日の昼頃とあって車の数は少なく道路は空いていて快適に走る。

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江戸橋ジャンクション、箱崎ジャンクションから三郷方面に向かい、堀切りジャンクションを右折して新木場へと向かう。右手には東京スカイツリーが川沿いにその見事な威容を見せてくれる。さすがに世界一の高さである。近くに高い建物が無いので全容が良く見える。

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新木場で高速道路を降りる。休日で大型トラックの姿もなく閑散とした湾岸の倉庫街を走る。信号もほとんどノンストップで走りぬけ、道路の両側に大型トラックや乗用車がぎっしりと並んだ道路を抜けると、ゲートブリッジに通じる大きな広い新しい4車線道路に出る。

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左手に緑の芝生がまぶしい若洲のゴルフ場を見ながら真ん中の車線をそのまま走ると、東京ゲートブリッジに入っていくが、左側の側道を入って若洲海浜公園の駐車場へと向かう。

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目の前に銀色に光る恐竜が向かい合っているような特異な形状をした東京ゲートブリッジの姿が見えてくる。かなりの高さを走る道路の橋脚の脇を歩いて、湾岸に出ると堤防のアルミの手すりに肘をつきながら、海風を受けて海上を跨ぐトラス橋に見入る。

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        遠景左手が建設中の「海の森公園」

規模としては大きな橋である。江東区若洲と大田区城南島間の約8kmを結ぶ東京港臨海道路の一部で、全長が2,618mで橋梁最上部の高さが87.8mと橋の下部から海上までは54.6mになる。

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羽田空港の近くにあるため、航空法の高さ制限と、東京港を通る大型船舶が航行可能な高さを確保するために、吊り橋や斜張橋ではなく恐竜が顔をつき合わせたようなトラス構造が採用されたといわれている。

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橋の上を歩くには、9Fの展望台行きのエレベーターで8階で降りると、橋上の歩道に出る。周りを見渡すと東京湾が一望でき、橋の下を航行する大きな外国の貨物船と古風なスタイルの観光船を見下ろすことができる。

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       橋と船と飛行機

また、湾内を白く水しぶきをあげて走る水上バイクの向こうには、湾岸に立つ高層ビル群、もちろん東京スカイツリーの姿も見える。後ろを振り返れば、大きな観覧車と東京ディズニーランドと林立するホテル群。

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             橋上の窓から東京スカイツリー

海上に見える白や赤の大きく風を含んだ三角のヨットの帆の向こうには、木更津の街並みを背景に東京アクアラインと海ほたるが見える。あいにくの靄のような薄い雲で富士山は見えないが、頻繁に飛び立つ羽田空港からの飛行機が上空を飛んでいく。

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        橋上の窓から湾岸高層ビル群

そんな景色を楽しみながら橋上の歩道を歩いていくと、途中に腰を下ろせるようにできた流線型のイスのようなものがある。そこに腰を下ろしてあたりを見渡すと、反対側の埋立地には都内最大級の公園である「海の森公園」の整備が進められている。

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樹木も植えられ、散策路も整備されて緑の多い公園が海の真ん中に出現しそうである。このあたりの景観も数年経ったら大きく変わってしまうのだろう期待感を抱きながら、生まれて初めて新しい東京ゲートブリッジを歩き、走り抜け、東京湾の景観を楽しんだ一日でした。台風一過のような青空のときに再訪したいものである。

赤そばの里  赤いそばの花畑を歩く

「赤そばの里」は伊那市の北に位置する伊那市箕輪町の標高900mの山間にある。背後には中央アルプスの山々、そば畑から遠く眺めると天竜川を挟んで南アルプスの山並みがかすんで見える。

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         「赤そばの里」への道

早朝の中央高速を走ること3時間、伊北インターを下りて山手の方向に10分ぐらいで赤そばの里に着く。広い駐車場には数台の車がすでに止まっている。

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東の空から登る陽の光を背中に受けながら杉林の小路を抜け、川の流れの音を聞きながら歩を進めると、木々の間からピンク色のそばの花畑が見え始める。

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さらに雑木林に囲まれた細い道を数分歩いて登ると、突如視界が開け真っ赤なそば畑が広がる光景が目に飛び込んでくる。「すごい」の声と共に感動する。

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広さは東京ドーム約1個分といわれているが、廻りの緑の山々と青い空、そこに浮かぶ白い雲の下に、赤い茎と緑の葉の先に開く赤やピンクの小さな花のコントラストが美しい。

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ここに咲く赤いそばの花は”高嶺ルビー”と呼ばれ、ヒマラヤ原産のそばを伊那地方で品種改良して栽培されたものだそうである。この”高嶺ルビー”を栽培する場所としては、この「赤そばの里」は、日本では最大規模だといわれている。

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赤そばには、ポリフェノールや抗酸化物質が一般のそばより多く含まれていて、体に良いヘルシーなそばとして注目を浴びているとのことである。私のように血圧が少し高めの人間にはもってこいの健康食品である。

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花畑の入口に立つと目の前一面に、広がる赤い絨毯の様にそばの花が咲き誇っているが、真ん中には歩きやすいように道路が舗装されている。また、小さな花をじっくり観察できるようにそれぞれ畦道もきれいに整備されて、ところどころにゆっくり座って眺めることができるようベンチなども置いてある。

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小さな赤い可憐な花を良く見ると、どの花にもミツバチがたくさん止まって花の蜜を集めている。一本の茎に多くの花びらをつけ、それにトンボや蝶々なども忙しげに飛びまわっている。

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                    赤そばにアカタテハ

赤い花畑の真ん中にススキの大きな株があり、ススキの穂が陽の光に白く光って秋らしさを演出してくれる。それ以外は見事なそばの花の絨毯である。

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        ススキと赤そば

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10時ごろになると人出も多くなって来たので赤そばを食べて帰ることにした。この時期には入口の近くに仮設テントが張られそばの提供がある。赤そばのそば粉を使ったそばは、50食の数量限定であったが帰り際に口にすることができた。

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普通のそばよりもこの赤そばは収穫量が3分の1ぐらいだということで、お土産に買って帰ることはできなかったが、腰がありのど越しの良い美味しいおそばであった。

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        赤そばのもり

ここのお土産は、地元の農産物やそば饅頭、木工芸品などであるが、採りたてのマツタケや赤そばのはちみつなども好評だということであった。

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澄んだ空気と豊かな水と緑につつまれ、南アルプスと中央アルプスに抱かれた伊那谷の「赤そばの里」の珍しい花畑を後にしたのは10時すぎであった。

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         小さな可憐な花

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心残りは陽が西に傾き南アルプスを背景にした赤いそばの花をファインダーに納めたかったことだろうか。ちなみに箕輪町の町の鳥は「キセキレイ」だったがあうことはできなかった。

栗の里   懐かしのハンバーグ

日向薬師の帰り道、厚木で昼を食べようとナビで検索すると昔懐かしいハンバーグの店「栗の里」が見つかったので、早速向かうことにした。

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このレストランは、子供が小さい頃家族でよくハンバーグを食べに行ったところである。店の前に栗の木があって雰囲気のあるところであった。

メニューはいろいろあるが、ハンバーグのシングルとダブルがあり、ダブルはハンバーグが二段重ねになっているのでかなりのボリュームがあった。

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まだ小さかった息子は、これが好きでペロッとたいらげていたものである。そのせいか、今では身長185cm以上で私を見下ろすぐらいに成長した。

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1時間ぐらいの走行で店に到着したが、昼の時間を過ぎていたので空いているだろうと思ったら、結構繁盛していてたくさんのお客様がいる。

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二十数年ぶりであったが、昔の面影は残っている。店の前にあったはずの栗の木はなくなっていたが雰囲気は当時のままである。庭園にはバラの花が咲き、ビアガーデンになっていてアンティークなイスとテーブルが並んでいた。

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店のドアを開けて中に入ると懐かしい光景が眼に入ってきた。早速、思い出のハンバーグのダブルを注文しようと楽しみにしていると、メニューにはシングル、ダブル、トリプル、ダブル×ダブルとあって、それぞれ一段、二段、三段、四段のハンバーグだという。「女性でもダブルを召し上がる人がいます。」 とのウエートレスのおすすめ。

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食べ残してもまずいので、ダブルにしようか、トリプルにしようか迷ったが、トリプルに挑戦してみることにした。スープ、サラダを頂きながら待つこと十数分で熱い鉄板に乗った三段重ねのハンバーグの登場である。

昔懐かしいハンバーグとその味を楽しみながら御馳走になる。さすがにボリュームはあるので今夜の食事と兼用になりそうである。セルフでのライスお代わり自由なので若い人たちにはお得なお店である。

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シングルを注文したかみさんは、物足りなさそうなので半分あげると、結構おいしそうにぺろりと平らげる。普段は太るからとか何とか言っているが、食欲は旺盛である。

デザートの栗をベースとしたケーキと珈琲で、ゆっくりとした昔懐かしい味と時間を楽しんだひと時であった。機会があれば大人になった子供たちと家族でまた行ってみたいと思うレストランである。

ラーメン博物館  全国ラーメン巡り

阿波踊りで食べようと思っていた徳島ラーメンが食べられなかったので、新横浜にあるラーメン博物館には全国のラーメンがあると聞いたので行ってみることにした。

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        1Fラーメンの殿堂

JR東海の新横浜駅から歩いて5分のところにあるビルで、2階から上は駐車場になっていて183台のスペースがある。30分250円で館内を利用すると割引があるがちょっと割高の感じがする。

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別に入場料が大人300円、小人100円なり、60歳以上はシニア割引で100円と高齢者にやさしい。

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1階はラーメンの殿堂でラーメンの全てが分かるということで、歴史から豆知識全てが分かる。ラーメン店の店舗の作り、食器類、調理器具から全国のラーメンがお土産として用意されている。

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               B1F昭和の路地

地下1階は長屋街と飲屋街で昭和33年ごろの街並みが再現されており、駄菓子屋、占い、古いポストや交番など、路地を回ると昭和の香りがする。ここにはラーメン店が札幌の「ラーメンの駅」と「支那そばや」、東京の「二代目げんこつ屋」の3軒がある。

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       B1F 支那そばや

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       B2F ラーメン街

地下2階に降りると、6軒のラーメン店と射的場や露店、紙芝居などがあり昭和33年当時の給食に出ていた「あげパン」などもある。

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         駄菓子屋

昭和33年は、初のインスタントラーメンが発売された年であり、一万円札が発行された年、東京タワーが完成した年などの記念すべき年だということである。

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ここのラーメンは、山形、川越、東京、久留米、和歌山、熊本のラーメンがあり、残念ながら目的の徳島ラーメンは今回はなかった。ただ徳島ラーメンが有名になったのはこのラーメン博物館からだという話がある。

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それぞれのラーメン店は長い行列で20分~30分は並んで待っているが、射的場や昔の遊びをしている人を見ていると時間はすぐに経ってしまう。店の中は比較的ゆっくりと座ることができるので、外の混雑ほどではない。

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どこに入ろうか迷ったが、久留米の「大砲ラーメン」にした。とんこつラーメンの発祥地「久留米」では絶大な人気があるという。「呼び戻しスープ」の生みの親と言われている。久留米出身の人に聞くと一押しだという。

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屋台時代のこってり味の昔ラーメンを注文、塩分を控えめにしている昨今の食生活では、少し塩味が効いているという感じであったが細麺で味は美味しい。

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この次、時間のある時におなかをすかせて、全国ラーメンのはしごをしてみるのもいいかもしれない。飛行機に乗らずに全国のラーメンを味わえる。そのためか、各店にはミニラーメンがメニューにある。いつの日か試してみたいと思う。

大鳴門橋  鳴門鯛で舌鼓を打つ

淡路島の高原から棚田の続く狭い山道を下ると神戸淡路鳴門自動車道に出る。瀬戸内海を眺めながら高速道路を走り、渦潮で有名な鳴門海峡にかかる大鳴門橋を渡ると徳島県に入る、高速道路を下りて少し戻る感じで海岸腺を走ると千畳敷といわれる渦潮のよく見えるところがある。

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         千畳敷から大鳴門橋

ちょうど昼ごろなので渦潮の最盛期は過ぎている。腹ごしらえと暑さしのぎに、鳴門海峡を見ながら食事をする。駐車場からトンネルを抜けると近道になる。涼しい風が抜け汗がすうっと引いていく感じがする。鳴門海峡がよく見えるお店の二階のまどぎわの席を確保。ここではもちろん鳴門鯛、鳴門の荒潮にもまれた鳴門鯛は、身が締まって姿、味とも絶品と言われている。

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         駐車場からの近道のトンネル  涼しい!

冷たい飲み物で喉を潤し、鳴門鯛のお造りを注文する。意外と時間がかかったが天気のよい鳴門海峡を行き来する船を見ていると時間のたつことを忘れる。鯛のお造りは、プリッとした歯ごたえで生きの違いを感じさせる。

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         鳴門鯛のお造り

道路が混雑しないうちに市内に入ろうと早めのスタート、徳島についたら徳島ラーメンをと食べることばかり期待しながら徳島の阿波踊り会場へと向かう。130万人の人出というだけあって昼過ぎからの徳島方面への道路は数珠つなぎの混雑。

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         鳴門海峡と大鳴門橋

とにかく市内に入って夜の踊りの時間まで待つことが一番の近道である。のろのろと走る道路、吉野川を渡るとお祭り一色になる。市内に入ると風景や街並みががだんだんと見る阿呆になりつつある雰囲気である。

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踊る阿呆にあこがれて、はるばる遠くからやってきた価値がありそうである。いたるところ見る阿呆がたくさんいるので安心する。日本中の阿呆の大半はここにきているのかなと思ってしまう。相変わらずの暑さであるが、町の中を散策して夜の熱狂に備えることにする。

聖ヶ丘今昔  桜ヶ丘公園を歩く

多摩ニュータウンは1971年に第一次入居が始まった計画都市である。戦後の高度経済成長に伴い東京区部の住宅難から比較的割安な多摩丘陵地域に34万都市を作ることで開発された。

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                桜ヶ丘公園

都立桜ヶ丘公園の近くに聖ヶ丘という地域がある。1984年入居開始の比較的一戸建ての多い高台にある住宅街である。「聖ヶ丘」という地名は公募で決まったといわれているが、近くに聖跡記念館があることに由来しているという。

バス通りに沿った歩道を歩いていると面白いものが公園の脇にある。タヌキの顔が3段になった彫刻がのぞいている。うっかりすると見過ごしてしまいそうなもので、聖ヶ丘の由来の説明がされている。

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説明板によると、『「聖ヶ丘」の町名は、昭和55年11月1日に新設された町名であり、大部分が連光寺(一部は関戸)であったところです。この地域一帯は、連光寺御猟場として明治天皇がうさぎ狩りなどをして楽しまれたところであることから、聖蹟の「聖」をとって「聖ヶ丘」と命名されました。

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以前、聖ヶ丘橋付近には、「天井返」(てんじょうがえし)という小字があり、また、聖ヶ丘小学校の北側付近には「つかんぼやと」などの珍しい地名があったようです。

現在、聖ヶ丘1丁目から5丁目まで設定されています。なお、この、彫刻は連光寺の地名で「むじながいり」など、むじなにちなんだ地名があり、むじなが多く生息していたと思われることから「むじな(たぬき)」をテーマにしたものです。』 という多摩市の説明がある。

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そして、当時の様子を描いたむじなの絵が埋め込まれている。多摩ニュータウンは、多摩市、八王子市、稲城市、町田市にまたがるベッドタウンになっているが、当時の丘陵地帯の風景が思い出されるモニュメントである。

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今では、立派なニュータウンになっているが20~30代で入居した人たちが40年を過ぎ高齢化の街になりいろいろな問題点も多い。最近では企業の誘致や若い人の入居も多くなってきたが、計画都市の矛盾点が浮き彫りになっている。今後の行政に期待したいところである。

吉田のうどんと鳥モツ  北口本宮富士浅間神社

山梨県では郷土料理としてほうとうとうどんがある。幅広の麺を野菜と共に煮込み、味噌で味付けしたほうとう、野菜の量が多いほうとうにたいして小麦粉を多量に消費するうどんは明らかに区別されて伝統的な郷土料理になっている。

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                         てんぷら付きうどん

江戸時代、富士講が隆盛を極め、北麓地域では吉田宿や河口宿など富士参詣者相手の御師町が成立し、その中で参詣客を相手にうどんが売られ始めたといわれている。

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           浅間茶屋

麺の特徴は硬く非常にコシが強いことである。普通のうどんは上あごや舌、唇、箸で挟んでちぎることが出来るが、吉田のうどんは、しっかりと歯で噛まなければ切れない。

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            店内

また、手打ちの乱切りのため、茹で上がり後にゆるくねじれて癖になるものが多いのも特徴で、麺を箸でつまんで持ち上げたとき、一般のうどんは自重で直線に垂れ下がるが、吉田のうどんはねじれや曲がりを残すものがおおい。いわゆる田舎うどんのイメージである。

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           干し柿とトウモロコシ

薬味がまたいい、薬味にも特徴があり「すりだね」を使う。これは赤唐辛子をベースに胡麻や山椒を加えたものを油で炒めたもので、これを少し入れるとピリッとした感じがまた美味しさを引き立てる。

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江戸時代にの起源から昭和に入り、養蚕や機織が主要産業になると、男が多忙な妻のために面を打ったといわれている歯ごたえのある麺は噛めば噛むほど味が出てくる。そういえば山梨の女性は働き者だと良く言われている。

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この美味しい吉田うどんを食べさせてくれるところが、北口本宮富士浅間神社の大鳥居から大きな杉林をぬけたところにある。民家風の洒落た作りの「浅間茶屋」である。

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                   裏から見た大鳥居

浅間神社へはすぐである。神社大鳥居の前を富士山の水がたっぷりと流れる石橋を渡ると随神門、門をくぐると左手に手水舎がありここにも富士山の伏流水が龍の口から滾々と湧き出る。

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                   手水舎

他の神社の手水舎の水はこのように出るところはない。「飲料水としての使用はご遠慮ください」との注意書きがある。やはりこの水を汲んで帰る人がいるのだろう。さすがに富士の水である。

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           本殿

この神社は、人皇十二代景行天皇四十年(二十)日本武尊(やまとたけるのみこと)御東征の際、大鳥居をたてられ「富士の神山は北方より登拝せよと」祀ったのが始まりとされている。

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          拝殿

本殿前の拝殿の両側に大きな木が二本ある。左にあるのは太郎杉、県の指定天然記念物である。右手にあるのは夫婦桧、これも市指定天然記念物になっている。

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                  冨士夫婦桧

この木は二本の桧が根元で一本になり、また地上約十二mで再び合着していることから「冨士夫婦桧」と呼ばれ、広く市民に親しまれている。「冨士太郎杉」「冨士夫婦桧」とも樹齢千年の大きな御神木である。

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                  冨士夫婦桧

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           鳥モツ煮

本殿の右奥には冨士登山道吉田口があり、日本一の山への一歩がここから始まる。B級ご当地グルメの祭典でB-1グランプリでゴールドグランプリの日本一になった甲府の”鳥モツ”、富士吉田でも食べることができた。甘く口辺りの良いモツ煮である、本当は富士吉田のモツ煮は馬なのだというが、日本一にあやかって鳥も扱っているようである。

美味しい酒「いのち」 会津の酒を愉しむ

先日、息子が誕生日のお祝いだといって酒を持ってきてくれた。会津に一緒に行ったとき、会津蔵の街を歩いて大和川酒造の蔵を覗いたことがある。

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              大和川酒造

たくさんのお酒は試飲が出来たが、この純米大吟醸「いのち」の試飲は一献400円なりの有料だった。せっかくここまで来たのだからと口にしてみた。口あたりが良く飲みやすい美味しい酒であった。

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他の地酒を手に入れていたので、そのときは残念ながら持ち帰らなかった。後日、「あれは美味しかったね」、と話にしていたらそれを届けてくれたので感激であった。

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                いのちの水

このお酒の「いのち物語」がまた感動を与えてくれる。「いのち」誕生の話である。

いのち物語によると、『「純米大吟醸いのち」の原料となる酒造好敵米は、熱塩加納村の山間から流れるきれいな水と地味肥えた水田に恵まれた水田で大事に栽培される。

 「命の観念が底にないと本物は出来ない。」当時、熱塩加納村農協の営業部長だった小林芳正氏は、米を作るとき、命をまず考えよといい続けてきたひとである。小林氏はこの理念を軸にして、安全で力強い有機米作りを広め、農薬や化学肥料によって生産を高める近代農業から決別した。米は人間にとって正に命で、安心して食べられるかどうか、正に農業は命の産業だと語る。

 初夏に苗を植えて天候を心配しながら夏の作業をし、秋を待ち、期待しながら稲を刈る。幾年もの間に自然界のいろいろな命が関わって稲の命は育ってきた。太陽の命、水の命、微生物の命、いろいろな命が複合的に絡み合いそして稲は実る。まして無農薬米となると人の手による除草といった労働が欠かせない、人の命も取り込む。

 さて、会津では田植えのころ、山の棚田から始まって盆地の中央に向かい、田んぼの中にだんだんと水が入っていく。田んぼの全域にたっぷりと水が広がると町に住む者は、はっきりと気温が低下するのが分かる。そしてまた田んぼの水は一面にキラキラ光って、会津が水の国だということが分かる。町や村は輝く水に浮かぶ島となる。五月の頃の美しい風景である。

 1980年代、日本酒の業界にも地酒、吟醸酒と少量で個性のある酒を求める風潮が広がりはじめた。大量に作るのではなく少量でも個性が光っている美味しい酒だ。

 その頃蔵元にも米からはじめよう、水からはじめようと思っていた男がいた。当時大和川酒造の専務だった佐藤芳伸である。本物の酒を造りたい。最高の米が欲しい。気合の入った百姓はいないのか。この時の小林氏との出会いは運命的であった。

 さて小林氏の指導のもと、各農家は心血を注いだ。また、小林氏は丹精こめた米がどんな酒になってくれるか気になって大和川の蔵に日参した。命がけの米である。ロクな酒にしたら承知しないぞという気迫をもって3年通った。米作りの生きがい、米作りのプライドだった。

 「純米大吟醸いのち」は小林氏が農民の命をかけて命名し、こだわりの酒として誕生したのだ。農民の熱き思いと杜氏の技、そして蔵元の心意気が見事に合体した酒なのである。』

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 このいのち物語は短い文章の中に、たくさんのいのちのためにたくさんのいのちを取り込んでいる。自然を相手にする仕事は人を相手にする仕事以上に苦労があることが良く分かる。

 ちなみに2010年は国連の定めた「国際生物多様性年」であり、名古屋でCOP10の会議が行われ世界から約190ヶ国、7,000人が集い地球環境の将来について議論が交わされている。この美味しい酒を飲みながら生物多様性とビジネスを考えてみたい。

ゲゲゲの街  調布を歩く

最近は、祝日を月曜日に設定して連休になるようにとの国の配慮で三連休が多い。実にありがたいことであるが、10月の最初の三連休、初日は雨であった。例年体育の日は晴れることが多い。

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                 ゲゲゲストリート

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雨が上がったので、話題だった「ゲゲゲの女房」の調布に出かけることにした。調布の街はちょうどお祭りもあり、人出が多く賑わっている。

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                 ゲゲゲの鬼太郎

調布駅北口の駅前から旧甲州街道に出ると一本右側の通りが天神通りである。調布の古社である布多天神社の参道で「ゲゲゲの鬼太郎」のモニュメントが置いてあるという有名な商店街である。

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美味しそうなお店がたくさん並んでいて、人気のある店は行列を作っている。「ゲゲゲの鬼太郎」のモニュメントは7体の人形が通りのあちこちにある。

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                   塗り壁

天神通り商店街以外の商店街でも水木しげるのマンガのパネルが店頭に並べられている。鬼太郎のトレードマークの下駄がぶら下がったパネルがいたるところのお店の前に置かれ、地元の人は通り過ぎてゆくが、観光客と思しき人は足を止めて見入っている。

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                 ねこ娘 一反もめん

水木さんのマンガは私もよく読んだ方であるが、特異な世界を独特の感性で描く、「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」など世界の妖怪たちを畏怖と親しみをこめて表現している。

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             店頭のパネル展

大正11年(1920)に大阪府で三人兄弟の二男として生まれ、3歳まで言葉を発しなかったという。7歳で小学校に入学、自分の名前を「げげる」としか言えず「ゲゲ」と呼ばれるようになったと言われている。

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             ゲゲゲの鬼太郎おみくじ

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             ネズミ男

21歳で召集されラバウルの最前線に送られ、22歳のとき寝ているところに焼夷弾が落ち、左腕切断をして左腕を失い、死線をさまよったと言われている。このときに「塗り壁」と思われる妖怪に遭遇したとも言われている。

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こういった戦争体験を作品にして、戦争の恐ろしさ、悲惨さを漫画という形で数多く発表されている。テレビでは、見合いから挙式まで5日間というスピードで結婚したといわれる奥さんが主人公であるが、かなりのご苦労があったことは推察できる。

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水木さんのモットーは、「よく食べ、よく寝て、好きなことをすること」だという。極貧の時代にこれを支えてきた奥さんの苦労は計り知れない。そんな奥さんへのほめ言葉は「いつも隣にぼーっと立っていたな」 ということらしい。夫唱婦随の姿が思い浮かぶ。

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水木しげるさんは平成20年に調布の名誉市民になっておられるが、鳥取県の境港市が生まれ故郷である。ここにもたくさんの人が訪れ地域活性化になっていると聞く。私もいつの日かその生誕の地を訪れ、水木さんのパワーをいただきたいと思う。